【書評】

『1968 パリに吹いた「東風」—フランス知識人と文化大革命—』

 リチャード・ウォーリン/著  福岡愛子/訳  岩波書店/刊
  A5版・上製・442頁  定価4,800円+税

小中 陽太郎


 本書の華麗なカバーを手に、本文中の、アラン・クレビンの活躍を読みながら、年甲斐もなく、往古茫茫、68年の炎に立ち会った青春を想起した。

 まず一枚の写真をご覧いただきたい。わたしの持ち込んだ沖縄返還の旗の前で獅子吼するのはアラン・クレビン、もみあげはタリック・アリである。この春ストックホルムのベトナム平和和集会で、アメリカ脱走兵援助を報告した私は、その足でアメリカ原住民スー・トライブの女性闘士と二人でフランクフルトでドイツSDSと接触のあと、パリに入った。その夜「ミューチュアリテ」(相互という語義だが海老坂武の案内で会場に行くまで公会堂と知らなかった)で開かれていた集会に参加したのである。呼ばれるままに、壇上に駆け上がり、おりからの沖縄の祖国復帰運動について報告したものだ(筆者撮影)。終わってオペラ座前デモ、危うく逮捕されそうになった。45年後、クレビンたちは欧州議会で活躍中である。

(写真)
画像の説明
 本稿執筆中に、菅野昭正(東大名誉教授)にあったら、パリでゴダールのこのタイトルの映画を見たそうだ。その後、森有正とドライブして乱暴運転に肝を冷やした。

 いきなり写真から入ったが、本書は、現代アメリカの歴史家というより、同時代の証言者と読んだ方がぴったりするアメリカ人研究者による、フランス知識人の思想的ルポルタージュとでもいうべきか。ニューヨーク市立大学大学院教授で『ハイデッガーの子どもたち』など現代的な著書がならぶ。

 開巻劈頭ドキュメンタル・タッチと感じたが、それは、エコルノルマル(高等師範学校)の学生たちが抗議した生々しい事件の報告から始まっているからである。そこから『パリは燃えているか』(ルネ・クレマン)の時代を振り返るが、ド・ゴールも昔日の栄光はない(もっともあの映画のプロデューサーのロバート・エヴァンズ「くたばれハリウッド」(原題 The Kid stays in the Picture)によると、映画はおおこけしたらしく、日本での成功はもっぱらアラン・ドロンによるのか)。この時代の評価は、そのころパリにいた鈴木道彦先輩の『異郷の季節』に譲りたい。

 評者の学友加藤晴久『プロレタリア独裁とはなにか』(新評論、1978年)が同校に留学中で、ノルマリアンの学生食堂でおごってくれた。明るいフレンチウインドウで大江健三郎君が描写した本郷の雰囲気とはまるで違った。たしかアルチュセールの弟子エチエンヌ・バリバールにあった。アルチュセールは本書では「ヒューマニズムを嬉々として埋葬した」と断罪されているが、葬ったのは愛妻エレーヌであった。おかしいのは、アルチュセールは、共産党嫌いの学生から、「アルチュセラリエンヌ」とからかわれている。福岡は「ナイチュセール」と苦肉の訳。この言葉については、次に、評者の思い出を書かせていただくことにする。

 1966年、ベ平連は、ある版元とサルトルとボーボワールを日本に呼んだ。パネルのひとり谷川雁は開口一番「サルトルの名前は不愉快だ、下宿でコッペパンをかじりながら読んでいた頃を思い出す」といかにも貧乏学生らしい歓迎の辞を発し、これにはさすがのサルトルも帰国後「日本は大変楽しかった、ベ平連でさえ」といった、と風のたよりに伝わった。火花が飛んだのはボーボワールだった。開高健が「『第二の性』にベトナム植民地の話が全く出てこないのはなぜか」と問うたからたまらない。カッとなったボーボワール、ものすごい早口でまくしたてた。通訳にあたった深作光貞(精華大教授)もお手上げだ。女史は「トミコ、トミコ」と会場の朝吹登水子を壇上に呼び、「それは別の話(本)だ」と応じたが。

 評者はサルトルに謝まった。彼は「Ca fait RIEN」と答えた。「たいしたことない」という常套語である。アルチュセーリエンヌの「リヤン」と同じ言葉である。評者はこれを深く徳とし、のちモンパルナスの墓地に行って二人の墓に手を合わせた。「サルトルはその時知識人という職業の矛盾を強調した」と本書で著者は触れている(『知識人の擁護』(邦訳1967))。そして帰国後「人民の大義」の発行人を引き受ける。

 海老坂武によると、75年にサルトルを訪ねた時、部屋の壁には5月革命のポスターが貼ってあった。「そのとき中国については『開かれたマルクス主義』ということばをまだ用いていたが、<革命>というものを根本的に問い直そうとう姿勢を見せていた」(『祖国より一人の友を』2007)、「まだ」という言葉に懊悩するサルトルへの慰藉をみるのは評者の深読みだろうか。

 原著者のウォーリンはもっと強く、サルトルをして「政治的ナイーブさをさらしながら・・・フランス共産党を労働者の代表としてみた」と記して「PCFをフランスの労働者階級の唯一の正当な代表だと見る限りにおいて、自分の同伴者としての立場を正当化していた」という別の批評家の発言を引いて、締めに「この見方がいかに間違っていたことか」と断罪している。この訳文は度胸がある。サルトルは間違っていたとしても正直だ、と評者は思うけれど。

 そのあとにコーン=ベンディットの「左翼急進主義」ゴーシスムが論じられる。コーン=ベンディットはドイツ系ユダヤ難民で学生ビザしかなかったそうだ。フランス社会におけるユダヤ問題はサルトルの指摘を待つまでもなく大きいが、本書では頻出するのもアメリカ的ある。

 それかあらぬか「ゴーシスム」が急激に崩壊したのは、1972年PLOによるミュンヘン・オリンピックのイスラエル選手団襲撃であった、というのが著者の判断である。ここは日本ではそこまで逆転しなかったと思う。GPを引き継ぐのはヴィクトールだが、かれがエジプト生まれのユダヤ人だ、ということにつながるのか。

 そして「今でしょう」。評者は40年後パリで欧州議会の中継を見ていて、そこにはクレビンやアリ(あのときタリカリとおもったのはタリック・アリだった)が欧州議会議員として政治を語るのを見て隔世の感、というよりどこぞの国の現状をおもって呆然とした。

 本の方はこのあと「テルケル」で、その功績は「一文なしのブルガリアからの留学生クリステが「左岸」の花形へと上り詰めたことだ、と言う話も登場する。彼女は妊娠していた、なんて書いてある。

 さてフーコーだ。元NHKのフランス語講師で、映画監督、評者の「腹心の友」はブルガリア系イスラエル人で、その名もモスコーという。彼によると、フーコーの座談はじつにたのしく平易だそうだ。お前にもわかるから聞きに行こう、と誘われたがそうかなあ。ソレに対しウォーリンは「考古学期の間は言語や論証の領域にとらわれすぎていた」として、それは「構造主義全般に特徴的な偏りである」と切って捨てている。

 それからラカンがくる。これまた我が親友、べ平連造反派の笠井潔の世界だ。
 最後の最後で、フーコーの後継者達、グリュックスマンらの新哲学者にいたると、本書は、理論明晰、訳文も、まるで人が変わったように平明かつ率直になってほっとする。

 というわけで、訳文は既出の邦訳がきちんとフォロウされるが、そうやってみるとフランス思想の日本の研究者の文体は、生硬ですねえ。原書は、血湧き肉躍る知識人チャンバラでもある風情だから、その気合を活かして、英文からの、福岡先生の超訳のほうが、ノリがよかったのでは。研究書と批評が混在しているようにも思う、そこがウリではあろうが。サルトルが英文では、どうかみ砕いて訳されているか読みたい。

 筆のいたずら、些事で恐縮だが、注その他、フランスの小グループから人名までゆきとどいているが、ご専門のアメリカ事情は、こちらの常識不足といえばそれまでだが、一気呵成に突進する。「リンボーのスローガン『生活を変えよう!』がでてきてあわてて、NYUの講師に聞いて、やっと、こちらの百田みたいな人気評論家と教えられた。他方、「ペイパーバック」に、「廉価版」と説明がついていて、これはこれで何か意味があるかと勘ぐったりして。

 話がそれたが、本書の言うところはただ一つ
 「左翼が内部崩壊したあとで、東欧の反体制運動が起こり、元ゴーシストたちの想像力をとらえた。そしてその文脈で、「権力」批判には人権が不可欠であるとの発見がなされたのである」。「国境なき医師団」のクシュネルは「ベトナムの船」を出し、べ平連も医薬品を贈る船を出したものだ。「結局のところ究極的な勝利を収めたのは、5月の反乱の『文化モーメント』だったのである。5月の反乱は文化的反乱(訳文傍点)だったのであって、政治的ではなかった。68年5月は、失敗に終わった革命ではなく、偉大なる「改良主義者の反乱」であり、民主的な暴動であった(ジョフリン)。

 これはまさに四方田犬彦が主張し、本書が親近感をいだく小熊英二と対立するところのものであろう。でもこの本全体は小熊の手法に似ているけれど。

 このあと最終章に、ランスで定着しつつある「アソシアシオン」への共感で本書の幕は閉じられる。200年前、トクビルが自分の国にないと慨嘆したプラグマティズムの里帰りある。それは「今フランス全土に花開いていると」、NHK反戦でリヨン在住の友人が伝えてくれている。ここにいたって原著者のオプチニスムは隆々と鳴り響き、サルトル以来のあのマルクス崇拝、文化大革命心酔は一体なんだったのか、と深い溜息と共に本書はとじられるのである。

(写真)ソルボンヌ、ベトナム連帯の幕の前にたつ筆者
画像の説明
 (評者は作家・べ平連・元ニューヨーク市立大学ブルックリン校アソシエイツ)


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