【コラム】
『論語』のわき道(3)

おばあさんのバンザイ ―「義」について―

竹本 泰則

 義(ぎ)を見(み)て爲(せ)ざるは勇(ゆう)無(な)きなり

 出典である『論語』を読んだことがないという人でも知っている有名なフレーズである。
 岩波文庫(金谷治訳注)の現代語訳は「行うべきことを前にしながら行わないのは、臆病者である。[ためらって決心がつかないのだから]」となっている。
 意味もさることながら言葉の調子がいい。義に向かって臆することなくぶち当たれと鼓舞される感じがある。慣用句として定着している理由の一つには、この言葉の調子のよさがあるのではないか。

 『論語』の元々の文章はもう少し長く、この句の前に「其(そ)の鬼(き)に非(あら)ずしてこれを祭(まつ)るは諂(へつら)いなり」という文章がつく。孔子は二つのことがらを同時にいっているのだ。この部分の現代語訳(岩波文庫)は「わが家の精霊(しょうりょう)でもないのに祭るのは、へつらいである。[本来祭るべきものではないのだから]」とある。「鬼(き)」は日本でいう「おに」とはちがって、死んだ人あるいはその霊のことをいうと解説されることが多い。日本でも「鬼籍に入る」といえば死ぬことである。

 ここの「自家の霊でもないのに祭る」というのがどういうことなのか解せない。さらに全体を続けて読んだときには、鬼(き)のことをいう前半と義や勇をいう後半とのつながりに不自然さを感じる。諂いに勇(勇気)を対比するという発想を含めて、前と後との対比がしっくりこないのだ。
 筋を通そうとしてあらがうには勇気がいる。勇気がなければ諂うことになってしまう。二つの言辞のいずれも孔子が人の弱さを戒めたものといえばいえるかもしれないが、やはり不自然さはぬぐい切れない。

 この章句にも出てくる「義」という語の意味について、ずっとわだかまりを感じてきた。
 日常、この一字を単独で用いることはほとんどないが、熟語となった正義、道義、律義や義理とか義援金などといった言葉は特別な意識もなく使っている。義に対しても難しい字という感覚はない。ところが、いざ意味を説明しようとすると簡単ではないことに気づく。

 義は全体で約五百章から成る『論語』のうちで二十章に現れる。それらがどのように訳されているかを確かめてみた。
 岩波文庫本では半数を超える十二章で正義と訳している。吉川幸次郎の『論語』では五章で正義と解説し、四章では字はそのままにおいて「義(ただ)しさ」「義(ただ)しい」などとルビを振って意味を説明している。
 また、岩波文庫本で正義以外の訳語をみると、道義が三章、大義が一章、ほかに「正しいやりかた」、「正しい道」などとなっている。
 総じて正しいことといったニュアンスが強い。

 ここに引っかかる。
 正しいという概念には「正」の字がある。正と義とは同じ意味なのだろうか。
 漱石の『草枕』(十二)にある次の一節、
 「人情世界にあって、美くしき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である」。
 この正と義とをどう弁別すればいいのだろうか。

 義の意味の一つに義務を挙げる人がいる。中国史を専門とする学者の冨谷至は、忠義、正義など「〇義」というときの義は、「〇」、すなわち前に置かれた字が表す行為をやり遂げる義務をいうと説く。忠義は「忠」という徳目に適う行動をとる義務ということになろう。これは頷(うなず)ける。

 およそ五百章からなる『論語』の中で、義の字が使われるものは二十章ある。それらを抜書してみると、「利」、「得」、「取」という行為、つまり自分にとって利益となる、あるいは何かを自分が得る、自分のものにする、そうしたことと義とが併置される例が目につく。たとえば、「利を見て(見れば)義を思う」といった類である。このことからは、義には私利、欲心を抑制する規範のようなものが感じられる。

 人間の社会生活において「自分さえよければ……」という考え方や行動ばかりがまかり通れば、秩序は乱れ、社会そのものが危うくなる。それを避けるためには全体、あるいは公(おおやけ)といった見方・考え方が不可欠である。そのことに思い至って義の概念が生まれたのではなかろうか。
 二千数百年前の古代中国ではすでにそうした認識が存在していたと思われるのだ。
 幾つかの辞書では、義の意味を列挙する中で「公共のために行動すること」といった意味も挙げている。

 義の固有な意味合いに多少は近づけたような気になったが、何か食い足りない。今一つ奥がありそうな気がしていた。

 東日本大震災から月日も経ってしまったが、あの大津波が襲ったとき「バンザイ」をしながら海に流されていったおばあさんの話を震災特集のルポルタージュ番組で知った。
 地震発生の時、おばあさんは家で長女の子供である孫娘と二人で遅い昼食を食べていた。孫娘の母親は、離婚後に一人娘を連れて実家に戻っていたようである。その母親はいつも通り高台にある保育所で保育士としての仕事をしていた。
 孫娘は当時二十七歳、ダウン症でしかも目がほとんど見えないという障がいをかかえていた。産まれたときに医師から長くは生きられないといわれたが、当時まだ存命していた彼女の曾祖母(ひいおばあさん)は「死なせてなるものか」と懸命に育てたという。その心は祖父母に受け継がれた。生き残ったおじいさんは後になって取材記者のインタビューに「なっこ(お孫さんの名)はおれたちの宝だ」と語っている。

 当日、車で出かけていたおじいさんは激しい揺れと周囲の状況を見て、家族を避難させるため急ぎ自宅に引き返した。
 すぐに発進できるようおじいさんは運転席で待機。おばあさんと下の娘(孫娘の母親の妹)の二人がかりで、恐怖のあまり動けなくなってしまった孫娘をかかえて車の助手席にようやく座らせる。下の娘もすぐに車に乗り込む。
 おばあさんは孫を車に乗せた後、扉を閉めながら後ろを振り向く。自宅から八十メートル先の堤防を津波が乗り越え、波が迫って来るのが目に入る。
 自分は糖尿病と白内障を患っていて素早く動くことができない。時間を取らせていたら、助かる命も助からなくなる。そんな風に思ったのだろう、おばあさんは車に向かって大声で叫ぶ。「いげぇ!」。

 おじいさんは反射的にアクセルを踏み込む。ウィンドウから顔を出したおじいさんは「マイヤ(近くにあった五階建てスーパーマーケットの名前)さ、行けや」と叫んだそうだが、おばあさんは「生きろよ!こっちを振り向くな、がんばって生きろよ! バンザイ、バンザイ!」と叫びながら両の手を挙げる。そのときすでに波はおばあさんにとどいていた。
 この話を聞いてしばらくの間は、おばあさんがなぜ「バンザイ」を叫んだのか腑に落ちなかった。

 自分たちの宝である孫を死なせるわけにはいかない。おじいさんとおばあさんの思いはこれに尽きていたことだろう。
 孫娘を乗せた車は間一髪でおばあさんの前から走り出した。
 間に合った、たすかった! その思いのたけが詰まったおばあさんの「バンザイ」であったのだろう
 おばあさんは頭脳(あたま)で考えて勇気を奮い起こしたのではない、死を自ら選んだわけでもない。生死を含めて自分というものが消えている。
 悲劇はこれに終わらず、その後の家族間の断絶、母子家庭の生活苦、おじいさんの病苦と続くのだが、それはともかくとして、孫娘の命を救うために自分はどうなっても構わないというこのおばあさんの行動に「義」のもう一つの意味を感じる。

 自分の欲や私心に対する抑制のなかでもその極限というべき「犠牲」である。自己犠牲という言葉があるが、なぜか胡散臭い響きを感じる。そのためにあまり多く使いたくないが、義にはこの自己犠牲の意味合いがあるのではないか。
 自分をさておいて誰か(あるいは、何か)のために尽くす、自分以外のものに自分以上の価値を信じるあり方……義はこのような概念までも包含するのではないか。いや、するにちがいない。それくらいの妙な自信を抱いていたが、裏付けとなる根拠は見つけられないままであった。

 高島俊男という中国文学の研究者がいる。東大の経済を出て銀行員として数年過ごした後、一転して母校の大学院・中国文学科に入ったという経歴の持ち主で、国語政策にも一家言をもつ人である。
 この人のエッセーの中に、「義」の上部は羊だが、下の「我」は神のいけにえにささげる動物を処理する刃物で、つまり「義」は犠牲の意味である。なお、この刃物「ガ」と「わたくし」の意の「ガ」とがたまたま同音だったので、のち「我」が「わたくし」の意に借用されるようになったのである、というものがあった。

 この一文はまさに「盲亀(もうき)の浮木(ふぼく)」であった。
 早速、代表的な辞書を調べてみた。文字の成り立ちを記述している辞書のなかで、『新字源』(小川環樹)は羊を美、我を舞(まい)と、全く異なる説を立てていた。しかし『字統』(白川静)、『大漢語林』(鎌田正)などの三種は羊を犠牲、我をのこぎりの象形と記している。
 ともかくも義を犠牲に結びつけることはあながち的外れではないと意気は上がったが、肝心の字義にこの趣旨を記してくれる辞書はない。

 (「随想を書く会」メンバー)

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