【コラム】
1960年に青春だった!(4)

お山の大将のいるお山は危ないお山

鈴木 康之

 ラジオの時代、スポーツ中継はアナウンサーの話術が光っていました。
 たとえばNHKの北出清五郎アナ。64年東京五輪実況の第一声が「世界中の青空をぜんぶ東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます」。文字にすると子どものつづり方のような純朴な描写ですが、この人のノドを通ると大らかさと確かさをふくよかさで包みこむ貴い放送に聴こえたものです。
 「相撲の北出」とも語り継がれていました。栃若、柏鵬など好取組相次ぐ時代。競い合う名力士たちの力感、緊迫感、早技の応酬を克明に美しく「見せて」くれていました。
 声の時代でした。いまは映像で見える時代です。なにもかも明け透けに…。

 さて、いま最高位にあって在任記録を時の流れるままに更新中の人。第69代横綱・白鵬翔はその四股名を本名にして日本国籍を取得しました。2018年の春場所で北の湖の横綱在位の記録64場所を抜いて、20年春場所前現在74場所にのばし、ダントツの単独史上1位を更新中です。白星の数は通算1,146、幕内1,052、横綱で858、それぞれの勝率も、幕内での優勝回数43も、どれも歴代1位を独走中。同一年6場所全勝制覇、幕内1,000勝達成などは史上ただひとりの勲章だそうです。

 日本に来たときは小さくてヤセで引き取ってくれる部屋もなく、あきらめて故国に帰ろうとしたその日に救いの声がかかり、人生が変わりました。

 一つ前の朝青龍がヒール役を演じていましたので、第69代はトクをしました。68代がいかにもモンゴル人といった動画的な面構えだったのに対し、静止画的な面持ちの69代にはクリーンさというおオマケがつき、朝青龍に食傷気味だったマスコミは、痩せっぽちだった少年がよくぞここまで強靭な体躯を鍛え上げたものだ、日本人好みの努力の人だ、と持ち上げ、広いファン層を形成しました。

 ボクは決して相撲通ではなく、つまみ食い的テレビ観戦者ですが、そのボクでさえ、彼が横綱をしめた当初から、なんというのでしょうか、呆気というか苦りというか、違和感を覚えることがしばしば、ずっと鬱積してきました。

 横綱になった年だったか翌年だったか、プロレス観戦に行った。ま、それはよしとして、目の前で場外乱闘が始まるや真顔になって立ち上がり、元横綱の曙を羽交い締めにしたレスラーにチョップを二発喰らわせました。

 やがて彼はこのプロレス感覚を土俵上に持ち込んだように思えます。

 張り手、かち上げ、肘打ち。禁じ手ではないようですが、醜い手であることは間違いなく、観る者に感動を与えるものではありません。

 星勘定が怪しくなった場所では脇へ飛んで逃げ、肩透かしを食らわせたことも幾たびか。これは真っ向からでは勝ち目のない下位の者の窮余の一策のはず。これを最高位にいる者がやっちゃずるい。弱い者いじめです。

 最悪なのは、相手が俵を割った後でのダメ押しです。相撲取りたる者、してはならない危険行為です。ルール違反以上のペナルティ、道を外れた厳罰が、相撲人生の傷となって残るのではないでしょうか。

 本人に自覚があれば、の話ですが。

 横綱の取り組みにはとりわけ多く懸賞がつきます。当然ながらたいていは横綱のほうに嵩高い懸賞金が差し出されます。
 これを、どうだっ、とばかりに鷲づかみして、不遜な力みの手捌きが見苦しい。あれはガッツポーズです。
 ガッツポーズは劣勢の者が勝ったときに思わず歓喜にひたる束の間のアクションです。

 所属プレーヤーは興行を成り立たせてくれているスポンサー企業にあのような所作を見せてはなりません。なかんずく横綱は全プレーヤーの代表であるという自覚がなければダメ。感謝の念をもち、礼をあらわし、恭しくいただいて土俵をおりなさい。

 日本相撲協会はもちろん横綱審議委員会はこのへんのことにも目を向け、至らぬ者には厳重注意、躾けてやらなければなりません。

 遠慮せずに。

 問題が起こるたびに協会のお偉方も横審の代表者も「横綱の振る舞いとして見苦しいのでは、との意見が出たが」としながら、「総意として苦言を呈するに留める」ということで事をすませてきました。

 あったことをなかったことにしてしまう消去法です。

 横審の委員長が「そういうことをしなくても勝ってほしい」と記者団に語りました。表現が違いますね。「そういうことをして勝つのは横綱ではない」と言い切らないのはなぜなのでしょう。

 組織内に呼吸というか空気というか、奇怪な風が生まれ淀むと、損得を共有する者たちが無言のうちに肯き合って、忖度しあい、風化にまかせます。

 大相撲最大のディア、NHKもその流儀をよく心得ています。

 そして、組織の弱腰を見抜いて、横綱は独壇場の人となっていきます。

 2013年3月場所の全勝優勝インタビューでは「1月場所中に亡くなられた大鵬さんに優勝を捧げたいと思います。大阪の皆さん、黙祷をどうぞ宜しくお願いします」と発言、意表を突かれた浪花の相撲フアンも腰をあげて黙祷に入りました。裏へ下がった親方衆もこの腕白ぶりには呆気にとられたことでしょう。

 ハラハラしたのはNHK。1分間の声無しというのは「放送事故」になりかねないのです。裏でヒソヒソ、ザワザワしたものの1分後、天下のNHKは横綱にきれいにうっちゃられました。

 40度目の優勝を決めた場所、表彰式を終えた親方衆がさがったあとの恒例のインタビューで、こう切り出しました、「この場を借りて、全国のファンに力士代表としてお詫びしたい」。また始まったかと緊張の面持ちのアナウンサーを尻目に腕白はひとり良い子になったものです、「いまこの土俵の横で誓います。場所後に真実をすべて話し、ウミを出し切って日馬富士関、貴ノ岩関の2人を再びこの土俵に上げたい」。

 しまいには自ら音頭をとって万歳三唱を促しました。館内のファンは首をひねりながならも強引さに押されて従いました。「来年も大相撲をよろしく!」。

 彼が長く天下をとっている景色を鳥瞰で見下ろしてみると、なにやら誰かとそっくりの図絵が見えてきます。

 1 早い話、ほかが弱すぎる。
 2 座を脅かされている緊張感が彼にない。
 3 権限を権威、権力と思い違いして、
 4 立場の品位を謙虚に習得する志がない。
 5 道を説いてくれる師がいない。
 6 まわりがいけない。空気を読み、利を得ようと忖度し、
 7 彼にしたい放題をさせ、
 8 度々の不都合な物事をなかったものにする。
 9 彼が超えてきたように彼を超えていく存在が後ろから来ない。

 一強というのは可哀想な天下。つまり「裸の王様」です。

 アンデルセン童話では、家来たちが「これは馬鹿者には見えない布地なのだ」と情報操作につとめ、裸の王様のパレードは強行されました。
 一人の純な子どもが「王様はなんにも着てないよ」と叫びましたが、王様から馬鹿とされたくない民衆は歓声あげて王様の姿を誉めそやしました。

 一強はみんなが可哀想なことになるという、分かりやすい寓話なのですが…。

 (元コピーライター)

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