がんばれ福島・宮城・岩手そして茨城!!

■ がんばれ福島・宮城・岩手そして茨城!!     濱田 幸生    

    -忘れられた被災地茨城からの通信- 

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◆【被災3日目】私は無事です。余震は今でも来ますが、たった今、電気が通じました。3日ぶりです。思わず、夫婦でバンザイを叫びました。こんなに電気がありがたいと思ったのは初めててす。生涯このような激震は初めてでした。まさに地面が波うつ。建物が左右にふられる。地面は亀裂し、口を開ける。茨城でも深度4でした。
私はそのとき室内にいたのですが、食器棚が倒れ、冷蔵庫がブラブラと倒れかかっていました。グラグラ、グァッチャーン、バリバリ。私はその時、買ったばかりの液晶テレビを支えていました。バカですね。カミさんは倒れた本棚であばら骨を折りました。もっとも当人はこんなものサロンパスだと言っています。

村の中では橋は崩落し、道は裂け、車は落ちました。わが市は道路が寸断され、水は3日間止まりました。携帯すら通じません。すべてライフラインが絶たれたので、一番大変だったのは、長期の停電のために鶏に水がやれなかったことです。川に水汲みに行きました。自分の水などどうでもいい。彼女たちを殺してはならないと必死でした。鳥飼という家業は、まず自分の水より家畜の水を考えるということがわかりました。

そして、電気が来て初めて先ほどテレビで宮城県の惨状を知りました。今まで停電した暗闇の中でラジオで聞いていたことが、絵になりました。うまく言えません。涙があふれます。凄まじい、凄まじすぎる被害です。自分自身が被災者となって、かえってこんなことを知らなかった。ひとりでも助かってほしいと思います。


◆【被災4日目】余震で目が覚めました。これほど頻発に余震が来るものだとは思ってもいませ
んでした。地底でズズっという低周波が響き、そしてたちまちそれは強い揺れに
変わります。地震に馴れてしまうというのもおかしな話なのかもしれませんが、
毎日こうも余震が続くと、「あ、これは弱いな」とかわかってしまうものなので
すね。
  12日の大地震はほとんど身構える余裕もなくほぼ垂直に襲ってきました。私
の家は震源地のひとつである鹿島灘沖に近いためにまさに建物ごと大きく縦に揺
さぶられるといった感じでした。その時、表にいた人はまさに大地がうねってい
たと言っていました。建物が飛び跳ねていると表現をした人もいました。

私の居間ではあらゆるものが落下してきました。額、皿、ライト、テレビ、本
、食器棚、冷蔵庫が狂ったような舞いを踊り出し、大音響と共に中のものをぶち
まけました。ドアや窓は勝手に開き、窓際に置いてあった花瓶が2メートルも表
に飛び出していました。わが家の屋根はアスファルトシングルなので崩落しませ
んでしたが、伝統的な瓦屋根の多くはずれ落ちて、地面で砕けちりました。農家
の壁土も壊れました。

おっとまた余震が来た。たぶん震度2。このていどだとテレビも発表してくれ
ません。1時間に2回は来ます。この数日は携帯の緊急地震速報のけたたましい
音が鳴りっぱなしでした。この携帯もつながり出したのは昨夜あたりからで、そ
れまではほんの近くの友人宅にも圏外が出る有り様でした。中継基地が壊れたた
めらしいですね。もちろん設置電話は論外。

ともかくなによりも大事なのは水です。そして情報でした。

農家ですから食べるものはなんとかなるのですが、水を汲むポンプの電気がこ
ないことにはどうにもなりません。よもや川で水汲みをするはめになるとはおも
いもよりませんでした。水については重なる恨みがあるのでまたの機会にしまし
ょう。被災県の皆さんのひとりでも多くのご無事をお祈りしています。

わが県も福島県からの原発難民を引き受けるそうです。もし民家が必要ならば
、喜んで提供する用意があります。お互いに被災者同士です。あの恐ろしさを共
に体験した人間同士です。共に復興しましょう。

 がんばろう、福島、がんばろう宮城、がんばろう、岩手!そしてがんばろう、
わが茨城!


◆【被災して5日目】たった5日しかたっていないとは信じられない気持ちです。あまりというか、
まったく全国放送でふれられることのない茨城ですが、被災の状況は死者こそ少
ないものの、きわめて深刻です。

すべてのものが足りません。水は断水が続き、食料を買おうにもスーパー、商
店、コンビニは完全に閉ざされています。水を溜めるポリタンクすら手に入りま
せん。水も食料もガソリンもなく茨城県は東京に近い一部の都市部を除きまるで
ゴーストタウンのようです。

つい昨日までは電気もなく、信号すら点灯していない有り様で、よく重大な交
通事故が起きないものだと思うほどです。日本人の順法精神は筋金入りです。
  消防団(地域の民間消防隊のこと)の給水が始まりました。小型の給水ポンプ
しかないために用意した水はまたたくうちに切れてしまい、次の水を供給したく
とも、かんじんの揚水ポンプが壊れて動かないために、瞬く間に作業中止となっ
てしまいました。

この給水作業をしている消防団員も、地域に生きる民間の人たちで、彼らも自
宅の惨状を置いて救援活動をしています。頭が下がります。 これに引き換え地
方自治体の救援の動きは大変に鈍いと言わざるを得ません。なにかを地方行政に
してもらったということは皆無です。

村の中心部を通る国道354号線には、大きな亀裂が入ってしまったために通
行禁止となっています。この国道が通行禁止になり、下の写真のように北浦を渡
る橋も崩落したために、私たちの地域に入るルートは3本だけになってしいまし
た。この橋は津波で崩落したと国交省は発表しました。ということは橋桁の上ま
で津波が来たということになります。ホントかよというのが地元の反応ですが。
崩落したときに湖に呑まれた人は未だ発見されていません。

運輸インフラの破壊はすさまじく、この地域は配送不能地域に指定されてしま
いました。佐川急便、ヤマト運輸などすべての運送会社が配送を停止しました。
ですから、私の出荷も不可能になりました。私の勝手な感想を言えば、つくづく
この季節でよかったとはいえます。夏場だったら私の農場は倒産していたことで
しょう。
運輸会社もガソリンの備蓄が絶え、ガソリンスタンドも全部しまってしまった
ために、ガソリン不足で動くに動けないようです。また運送会社の被害もひどく
、特に海岸側の潮来などの海岸側地域は配送センター自体が壊滅してしまったと
いいます。コンビニは停電で3日間営業ができず、ようやく昨日営業を再開しま
したが、瞬時に全店の食料、飲み物が売り切れてしまいました。

私も午前の仕事に区切りをつけて、おっとり刀で午後に出かけたところ、みご
とカラッポ。柿の種を一袋どうにか買うことが出来た次第です(苦笑)。
  まぁ、私たち農家はなんやかや言っても、米、野菜、卵などはありますから、
細々と生きてはいけます。水も井戸があります。

しかし勤め人の人は食料や水の備蓄などあるわけがないですから、子供をかか
えて呆然となっています。なんとか地域でやりくりして生きている状態です。
  燃料の不足のためにストーブも点けられないという人もいます。買い出しに遠
方まで行きたくともガソリンもありません。衛生用品もなく、地域の病院も救命
以外は受け付けていません。薬局もしまっています。

行政や国の救援はほとんどありません。東北のあまりの惨状に集中するのはよ
く判りますが、それにしても救済が皆無です。食料、水、生活物資、燃料すべて
が不足しています。まったく忘れ去られて取り残されたような被災地、それがこ
の茨城県です。


◆【被災6日目]家内は地震直後は妙にハイで、「アバラの一本や二本、なんちゃことない」と
言っていたのですが、さすがに6日目にもなると、アドレナリンも出尽くしたの
か、「フツーの日々に戻りたい」などと言っております。とりあえず自宅ですご
せる私たちは幸せです。自宅や家族を失い、そして放射能の見えない恐怖と闘う
東北地方の被災者の皆さんはいかばかりかと思います。と言っても、日本列島が
乗るプレートはまだ日本民族に試練を与えたりないようで、未だ不吉な余震が続
いています。いったい天は何万人の同胞を殺したら満足するのか!

本来、私たち被災者は、政府を信頼して救援を待ちたいところですが、なんと
先日は地震でようやく復旧したわが地域まで計画停電にいれました。私たちは第
5グループなのですが、4日間も停電の闇の中に置き、断水が続き食べ物すら乏
しい被災者の唯一の光を「計画的」に切るというのですから、怒りよりも呆れて
しまいました。わが県は橋本知事が猛然たる抗議をしたにもかかわらず茨城県の
被災地や、多数の死者まで出した千葉県旭市は再停電に見舞われてしまいました

私はこの事件以降、まったく日本政府を信じておりません。この国難ともいえ
る大地震に際して、政治が政治として機能していないのです。 被災地にとって
電気がなにを意味するのか、水がなにを意味するのか、ガソリンがなにを意味す
るのかが分からないような為政者は信用するに足りません。
 
福島第1原発の大事故の報告が東電から遅いと菅首相は怒鳴り散らしていたそ
うですが、計画停電の醜態にしかり、JR東日本の公益性を欠いた都内の大動脈
の運休にしかり、それをやるのが統治を背負わされた人間の仕事ではないですか
。いまさらになって東電対策本部を政府対策本部の指揮下に入れていないことの
ほうが驚きでした。

政治責任を放擲して、たかだか一企業に過ぎない東電やJRに国家的危機管理
を丸投げしてしまったあげく、かえって傷を深くしてしまいました。国家非常事
態とでも言うべき現在において、危機管理は国家が一元化して統制すべきです。
首相は官邸にすべての情報を集中し、動くべきではありません。

福島第1原発が爆発した直後の事故処理で一番重要な時期である12日午前6
時14分、菅首相が班目原子力安全委員会委員長とともに、陸自ヘリで福島原発
に視察に向かい、現場到着は7時11分です。そして7時23分から7時47分
まで東電副社長らによる説明を受け、8時4分に現場を発って以後、宮城県沿岸
部の被災地を上空から視察し、8時50分に執務室に帰着し、11時36分から
緊急災害対策本部などの会議に参加したことになっています。結果、約4時間半
の間、空中にいたわけで、この間適切な指揮がとれたとは思えません。また、限
られた自衛隊機を使用し、多数の官僚や警察を率いた大名行列だったことでしょ
う。

こんな地震直後に最高指揮官に来られたら、現地が迷惑すると思わなかったの
でしょうか。首相は官邸で、スタッフから集中する情報を的確に判断して命じる
べきなのです。くだらない政治的パフォーマンスなどやっている暇はありません

 
首相は原発事故で最も重要な初動4時間半をロストしたのです。村山首相時の
神戸大震災といい、今回の菅首相といい、どうしてこういう時に限って一番座っ
てはならない人物が最高責任者なのでしょうか。 そして、原発事故で絶対やっ
てはならないはずの情報の小出しです。常に枝野官房長官は何か隠している口ぶ
りで、公表してはまずいことでもあるかのようです。 そして広がる一方の避難
地域。関東に達しようという放射能。今、私たち被災者のみならず、国民皆が知
りたいのは口先の「安全です」という言葉ではなく、真実の情報です。

原子力保安院の担当官もシロウトには何を言っているのかわかりません。1557
・5マイシークロベルトと口で言われて、はいそうですかと分かる人のほうが珍
しい話です。どうして国民が理解できる言い方をしないのでしょうか。
  とまれ、今まで東海村や浜岡原発訴訟団が訴え続けてきたことが正しかったこ
とが判りました。

訴訟団は、巨大地震による外部電源の切断/冷却水配管の破断⇒炉心の露出/
冷却不能⇒ECCS(緊急炉心停止装置)が作動せず⇒炉心融解、という危険を
言ってきたはずでした。それに対して、政府や東電はなんと言ってきたのか。巨
大地震には耐える耐震基準をクリアしているから安全であると言っていたはずで
す。今、東日本大震災の事実が、それが偽りであったことを物語っています。
私は反原発派ではありませんが、、今回の大震災が東北沖から茨城沖へと南下
していることが気にかかります。

現在日本列島プレートは非常に不安定な状態です。これ以上の震源地の南下現
象がないことを祈るのみです。 私は政府を信じていません。ですから茨城の復
旧は自らの手でなし遂げます。政府は原発事故と経済インフラの回復、そしてな
により東北被災地の人命救助に専念してください。ただし、政府は計画停電など
で被災地の復興の邪魔だけはしないように。


◆【被災7日目】早朝4時、地鳴りで目が覚めました。余震はひんぱんに襲ってきます。多いと
きには1時間に数回あります。寝ている時の余震は、昼間と違って真っ暗闇の中
で全身で体感してしまうために恐怖の度合いが高いのです。天井が落ちて来はし
ないだろうか、家具がまた倒れて来ることがないだろうか、地震で家全体が脆弱
になっていはしないだろうか、今度また激震が来たら倒壊するのではないかなど
と考え始めてしまいます。

そして大震災以来、農業経営者としての私を悩ませ続ける目の前の経営に対す
る大きな不安を夜中に思い悩んでしまいます。昼間は不安を押し込めていられる
のですが、夜は不安の黒い海に沈んでしまいそうになります。
 
いつしかうつらうつらするとまた余震。枕を高くして寝るという言葉がありま
すが、まさにこの1週間満足に寝られていない状態です。こう書いている今もま
た余震がありました。PCモニターがゆらゆらと揺れています。あわててストー
ブを切り、薬罐をどかします。家全体が揺れています。横揺れですから怖がる必
要はありません。神経が参るだけです。

私は再度の激震が来ると思っていますから、室内の落下しそうなものはすべて
ダンボール箱に入れてしまってしまいましたが、あの日のほとんど真横に飛んで
行った花瓶の姿が目に焼きつています。我ながら神経の細いことよと笑っていま
す。しかし、村の女性やご老人はそろそろ限界が近づいてきているような気がし
ます。というのは、満足に寝られない、食料やガソリン、灯油が不足気味だとい
うこともありますが、水道が復旧していないのです。

飲料水はなんとか井戸水からもらってこれますが、お風呂はそういうわけには
いきません。あまりに水の量が多いからです。大量の水を運ぶ方法は普通にはな
いでしょう。ここは農村ですから農業灌水用のロータリー水槽を融通し合ってい
ます。このロータリー水槽から、排水ポンプで風呂桶に移し替ます。ひとつ風呂
に入ることがこんなに大変なことだとは思わなかったと村の仲間が言っていました。

簡保の湯が無料開放されたので、乏しいガソリンを工面して村人は風呂に入り
に行きました。皆んな5日ぶりの風呂です。しかも壊れた家の片づけや生産基盤
の修繕で汗と埃まみれになった5日間でした。風呂はいい。天国です。東北の被
災者のことを考えると、もし風呂を持っていくことができればしてあげたいくら
いです。東北の被災とくらべれば、同じ被災者と言っても私たちは天国です。ひ
さしぶりの風呂上がりのビールを飲みながらにテレビに見入ると、家を失った人
々が体育館で固まって暖を取っているのが写りました。見ている男たちの目に涙
が溢れました。

(筆者は茨城県行方市在住・農業者)