【投稿】

まだ批判されていない安倍晋三のトンデモ発言
—保守的に見せかけた売国発言—

高橋 孝治


 「私は総理大臣なんですから」、「現在は振り込め詐欺なんかもあるわけです」、「質問通告もないのに、そんなこと答えられるわけないじゃないですか」、「ポツダム宣言をつまびらかに読んだことはございません」など、安倍晋三のトンデモ発言は枚挙に暇がない。

 しかし、今までに筆者の見る限り、まだ批判されていないトンデモ発言もある。ここでは、「もはや一国のみで自国の安全を守ることはできない」(2015年5月14日官邸記者会見での発言)というトンデモ発言について見ていきたい(註1)。

 この言葉は、集団的自衛権の行使を容認すべきと考える論者から「その通り!」と絶賛されているようだが、その実、トンデモない売国発言なのである。まずは議論の前提として、国家とは何かから考えてみたい。

 歴史的に見れば、国家より人間の歴史の方が長いのは当たり前で、国家の存在しない時代にも人間は生きていた。しかし、国家のない状態(自然状態、原始社会、無政府状態などと表現することもある)では、人間の行動を規制する権力が存在せず、人間はいつ他者から略奪されたり、殺されるか分からないという状態であった(註2)。このような状態は、非常に不便であった。そこで、人間は自然状態からの脱却を考え、多くの者と契約を結び(社会契約)、共同して国家を成立させたのである(このような国家成立論を「社会契約論」という)(註3)。

 つまり、国家は「国民が便利になるため」に「他者と約束して成立した組織」であり、「略奪や殺害から『国民』を守る」ため、「国民」に奉仕する道具なのである。そして、「国家の外側からの略奪や殺害」から国民を守るために「自衛権」が、「国家の内側からの略奪や殺害」から国民を守るために「警察権」が、国家である以上当然に認められる。「憲法9条下でも、国家である以上当然に持つ自然権としての自衛権」という表現がなされるのはこのためである(自然権とは、当然に持っている権利という意味である)(註4)。

 つまり、国家の最低限の役目とは、国家の外側や内側から「国民を守ること」なのである。しかし、「一国のみで自国の安全を守ることはできない」と言ってしまっては、日本は、この国家としての前提を欠いている——言い方を変えれば「国家としての体をなしていない」という意味になる。さらに、現実論の話をすれば、「自衛隊は他国からの武力に対応できる力がない」と総理大臣が認めたことになる(しかし、日本の防衛費は上昇を続けており、そこまで対応できないことはないのは明らかである)。「もはや一国のみで自国の安全を守ることはできない」——まさに、安倍政権の否定派・肯定派いずれの者であっても、とりあえず批判しなければならないトンデモ発言と言えるだろう。

 ちなみに、先に述べたように、「国家である以上、自国の国民は自国で守る」ことが大前提である。ここからも「他国を守るための集団的自衛権は自然権(当然の権利)とは呼べない」というのは当然ことと言える(註5)。ならば、本当に「一国のみで自国の安全を守れない」(自衛権すらまともに行使できず国家としての体をなしていない)のであれば、どうすればいいのか。答えは簡単である。国家の体をなしていないのだから、国家を解散させ、「一国のみで自国の安全を守れ、かつ日本に相当する領域の安全も守ることができる他国」に「併合」してもらえばいいのである。論理から言えば当然にこのような結論が導きだされる。

 それほどの武力を持っている国とはどこであろうか。国際情勢を考えると、アメリカか中国が妥当であろう。そして、地理的な面から言えば、やはり中国の一部になることが最適であろう。安倍政権は中国の脅威を煽っているようだが、日本が中国の一地方になればそのような脅威もなくなるわけで一石二鳥と言える。
 筆者は個人的には独裁体制たる現中国の体制批判をしている。そのため、「中国が日本を併合する」など許してはいけないことだと考える。もちろん、このように考える人が大多数だろう。しかし、安倍晋三の発言と国際情勢、国家論などを組み合わせると論理的にはこのような回答が出てきてしまう。(もっとも、安倍政権は憲法無視やメディア介入、政権批判をする者への圧力、国民への義務の強調など中国共産党の統治手法と類似点が多く、日本を安倍政権が統治しようが中国共産党が統治しようが大差ないとも評価できる。)

 ——ちなみに、ほとんど報道されていないが、日本の自衛隊と中国の人民解放軍は合同演習をし、互いの情報交換をするなど、実はかなりの協力をしている。これは、互いの機密を互いが知っていれば武力衝突などできるわけがないという配慮のためである(安倍政権が言う「抑止力」のためである。中国に限らず現在は多くの国々が合同演習を行っている)。この点からも、「中国の脅威」とは安倍政権のウソと評価できる。

 結局のところ、「中国の脅威が迫っている」、「一国のみで自国の安全を守れない」という発言は、そこから派生する論理をよく考えもせず、勢いだけの「おバカな発言」ということになる。一般人がこのようなことを言うのならいざ知らず、一国の総理大臣がこのような発言をすることや、文化人を名乗る者がこのような発言に賛同する意味はもう少し考えなければならない。
 残念ながら、安倍晋三や「もはや一国のみで自国の安全を守ることはできない」という発言を賛美する者には、ここまでの論理は考えられないのだろう。結局、表面だけ聞けば保守的な発言をしているようで、よく考えるとトンデモない売国発言をしており、保守層から批判されなければならないのは実は安倍晋三なのである。

註:
(註1) 「首相『一国のみで自国の安全守れない』」(朝日新聞デジタルニュースホームページ)http://www.asahi.com/articles/ASH5G5HCNH5GULFA01W.html
(註2) 例えば、ホッブスは自然状態を、万人が万人の敵である戦争状態であるとした。
(註3) 田中成明=竹下賢[ほか]『法思想史』(第2版)有斐閣、1997年、55頁。国家が存在していない「自然状態」には、いろいろと困ったことがあり、「その困った問題を解決するために、人々は契約(社会契約)を締結して、国家を設立すると考えるわけです。つまり、人間は生まれながらにして国家の中で社会生活を送る本性を持っている『政治的動物』だから国家の下でしか生活し得ない、というわけではなく、国家の存在しない状態から、人間はその合理的計算を通じて国家を設立する」とも表現される。長谷部恭男『法とは何か—法思想史入門』(増補新版)(河出ブックス)河出書房新社、2015年、50〜51頁。
(註4) 芦部信喜、高橋和之(補訂)『憲法』(第5版)岩波書店、2011年、59〜60頁。佐藤幸治『日本国憲法論』成文堂、2011年、94〜95頁。
(註5) 島田征夫『国際法』(第3版)弘文堂、2002年、309頁。

 (筆者は中国・北京在住、法律研究者、近著に<http://tskj.jp/nfqi>)


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