ゆれる移民の国アメリカ (第七章)「ブッシュの包括移民法案」

■【エッセイ】

ゆれる移民の国アメリカ (第七章) 「ブッシュの包括移民法案」          武田 尚子

   
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 こうした状況の理解をもとに、アメリカの政策を見てみよう。共和党に代表さ
れる保守主義者は、移民の国アメリカの伝統的な価値観を守るという意味で歴史
的に移民を歓迎した。農場主や中小企業主の多くは、合法、非合法の低賃金労働
者をもとめて移民を支持する。大企業主の多くは主として技術者を移民として歓
迎する。こうした雇用主はほとんど、共和党の票田でもあれば選挙資金の貴重な
財源でもある。だが、9・11以来、テロリストの潜入防止と非合法移民の激増
が大きな政治問題になってきたために、既述の通り、共和党内部は分裂し、移民
反対の声が高くなった。

 一方リベラルな民主党は、しいたげられたもの、窮乏に苦しむものに同情をも
ち、国境---とりわけ第三世界との国境---の警備にさして熱意を見せなかった。
彼らは、非合法移民を母国の体制の犠牲者として、その人権をできるだけ守ろう
とする。移民の多くは民主党の支持者である。

 けれど、民主党の守ろうとしてきたアメリカの低所得層そのものが、非合法移
民のために職を失うばかりでなく、犯罪の増加や公共サービスの低下でアメリカ
市民が損害を受けているという事実や非難の高まりのために、民主党支持者の中
でも内部分裂が起った。従来は密入国者の味方だった低所得層の白人、ラテン系
アメリカ人や黒人、アジア人、中産階級さえ、反非合法移民をうたうものが増え
てきた。つまりこの問題は、共和党民主党の線で分かれるのではなく、白人と褐
色人で分かれるのでもない、むしろクラスによる分裂を見せている。

 さてブッシュ大統領は、移民問題を彼の遺産として残したい意向を大統領就任
当時から持っていた。移民州テキサスの元知事として、一貫して移民支持の姿勢
をとっていたが、世論と共和党内の移民反対のプレシュアに押されていくらか右
よりになった。この五月に上院は、共和党、民主党の超党派で、過去二〇年間に
もっとも画期的で包括的といわれる改革移民法案の大筋の合意に達した。大統領
は強力にこの法案を推しているが、その内容を要約すると、以下の通りである。

 1. アメリカとメキシコの国境に三七〇マイルの壁を建設し、さらに車両の通
り抜けを防ぐために二〇〇マイルの障碍を設ける。地上レーダーとカメラ用の塔
を七〇基建てる。無人の空中巡回機で国境を旋回監視させる。
  2. 実地踏査員と調査官のほかに、一万八〇〇〇人の国境パトロールを新たに
雇い入れる。一日に総計二万七五〇〇名までの外国人を拘留する施設を国境付近
に作り、密入国者の拘留に備える。逮捕しては釈放するという*茶番劇には終止
符を打つ。(*後述参照)
  3. 政府は雇用主に、新規採用の労働者は一八ヶ月以内に、既存の労働者は三
年以内に、コンピューターのデータベースと照合して、彼らが労働の有資格者で
あると確認するよう要求する。


◎ここまでの標準をみたした移民だけ次に進むことが出来る。


  4. 年間四〇万から六〇万の臨時移民労働者のために新たにゲストワーカープ
ログラムを創設する。ただし彼らは、アメリカ人労働者が満たすことのできない
職に限って働く事が出来る。ゲストワーカーの労働者はヴィザを得て二年間アメ
リカで働けるが、更新のたびにアメリカ国外に出て一年間暮らせば、ヴィザを二
回更新できる。
 
5. 四年間の更新可能のヴィザを申請中の移民は、アメリカでその間働くこと
を許される。ヴィザの所有者は、罰金を払えば、永住権であるグリーンカードを
申請できる。所帯主は申請のためには本国に帰らなくてはならない。
 
6. ヴィザの発行はこれまでの家族中心から、職業上の技能や、教育や、英語
の力を重視するポイントシステムー実力主義に変る。ただし、同等の実力を持つ
ものが複数いた場合は、アメリカに家族の絆を持つものが優先される。
  7. 以上の条件を満たして労働ヴィザで働き、市民権を求めるものは、八年で
グリーンカード、一三年で市民権を得られるが、五〇〇〇ドルの罰金を支払う必
要がある。

 この最新の法案には、さまざまな反対意見がでている。最終的に非合法移民に
市民権をあたえることは恩赦にほかならず、合法の手順を踏んで何年も待って市
民になった人たちに対して不公平だと絶対に反対する保守党右派。労働者のID
確認をもとめられた企業家の不満。ポイントシステムは家族の分裂を強いると懸
念する移民陣営。

 大量のゲストワーカーがアメリカで働くことは、企業家にとっては低賃金で使
えるセカンドクラスの労働者の存在することにほかならず、それは結局、アメリ
カの労働者の賃金を全体として引き下げるだろうというユニオン関係者の反対な
ど、それぞれにもっともな言い分はあり、二〇〇七年五月末現在、まだ上院を通
過していない。下院ではさらにもめることだろう。

 それにしても、市民権への道を開くことに反対していた共和党の合意を得た民
主党と、ポイントシステムでアメリカの職場により必要な移民を導入することに
民主党を譲歩させた共和党はともに、移民問題に大きな進歩を画しつつあること
で評価されてよいと思う。おそらく国会の審議が終わるまでには、いくつかの改
正が加えられるだろう。しかしすべての関係者を満足させる法案はおそらく不可
能だ。最終的な「包括的移民法案」が、現在の提案に見られる基本的な達成点を
含むものであってほしいと筆者は願っている。

 ブッシュ大統領は政権のかなり初期、メキシコのフォックス大統領と話し合い
を始めたにもかかわらず、9・11事件の勃発で、交渉が中断されたいきさつが
ある。ブッシュが望んだ包括的移民法改革は、最終的には保守党硬派による妨害
のために後退を余儀なくされた。またメキシコ国境の保全には、テロリストの締
め出しという新たな課題が加わることになった。しかし彼は約束した。[私は国
境警備の強化と労働の行なわれるあらゆる場所で移民法案の施行を強化するため
に四四億ドルの追加資金を支出することを支持する。この資金は密入国者からの
罰金と密入国者を知りつつ雇った雇用主の処罰金でまかなわれる。」


◎密入国者は減り始めた?


 千二百万といわれる在米非合法移民の処置については未解決であり、包括移民
法は成立しなかったものの、これ以上の密入国者は防げるだけ防ぎたいというの
は、アメリカ人一般を始め、党派を問わず大筋の合意がある。そこで、これまで
存在しながらもルーズに過ぎた移民法が、より厳重に施行されるようになった。
 
  国境パトロールの増員、監視カメラ、ヘリコプターによる追跡、地域によって
は、初回の密入国でも連邦裁判所での審議後の投獄の可能性、麻薬やコヨーテの
密輸トラックがぬけられない間隔で建てられたスチールの柱など、密入国のベテ
ランを泣かせる「寛容度ゼロ」という処置が実現しつつある。

 たとえば一年前までは、洪水にも似たメキシコ人や中米人の流入に悩まされた
テキサスの小さな町、デル。リオやイーグル。.パスでは、密入国者を逮捕して
も拘留スペースがなく、聴聞の日付をきめた紙片を渡した後には彼らを釈放して、
アメリカに留まることを許した。その結果密入国者は、リオグランデを平気で真
昼間に渡ると、国境パトロールのオフィスに競争で駆けつけ、長い列に並んで逮
捕されるのを待つ。

 イーグルパスだけで、二〇〇人以上が逮捕される毎日だったという。イーグル
パスのプロセスセンターは、密入国者に食事を与えたり、調書を取ったりで多忙
をきわめ、パトロールどころではなかった。「きちがい病院でしたよ、まったく」
とはここの責任者の言葉である。聴聞の日付を知らされた密入国者で、その日に
出廷するものはまれだったという。

「寛容度ゼロ」方策のおかげで、9・11以来始めて、頻繁に使われる越境地
点での越境者の数は三分の一になった。パトロールエージェントによれば一つに
は、司法省が密入国者を、聴聞なしに本国に送還する権限を国境パトロールに与
えたことであり、もう一つは、逮捕された者をたとえ不法入国の初犯でも、郡、
州、または連邦政府の刑務所に軽犯罪として六ヶ月まで入れられるようになった
ことだという。テロの危険と、非合法移民の数が飽和点に達したために、世論が
ついに政府を動かし始めたのだろうか。

 いずれにしても、「寛容度ゼロ」方策は、ついに密入国者狩りを成功させつつ
あるかにみえるが、はたしてそうだろうか。国境地帯の冬が比較的寒かったこと
や、メキシコが堅実な経済成長を示していることも減少の一因とみられるので、
本当の結果は時間をおいてみないとわからないと、関係者はみな慎重である。コ
ヨーテも今後のアメリカ側の動きを懸命に見張っていることだろう。ただ、密入
国者の数は減っても、決して絶無にはならないだろうと関係者の意見は一致しい
ている。


◎在米非合法移民をどうするか


  密入国者問題にもまして解決を迫られているのは、すでにアメリカに存在する
少なくとも一二〇〇万の非合法移民の処置である。メキシコの「移民の家」で筆
者自身が目撃したように、彼らの本国送還はすでに始まっている。アメリカはい
ったい、その八五%はメキシコ人だといわれる不法移民をすべて、本国に送り返
すのだろうか。
 
  ここで、在米非合法メキシコ移民をみな本国に送り返すとしたら、いったいな
にが起こるかを考えてみたい。

 第一に、9・11後、国家保安と移民の激増問題が深刻化してから、移民問題
の倫理的な面はほとんど言及されなくなった。しかし労働者の大群を送還するの
は、歴史的に、移民とともに栄えてきたアメリカの態度としては道徳的な疑問が
ある。最近では本国送還で別れ別れになった家族、ことに置き去りにされた子ど
もの問題が新聞をにぎわせるようになった。

 妻がメキシコに送還され、乳飲み子を抱えて働けなくなった父親がいるかと思
えば、その反対のケースもある。両親がそろっていれば、片親を残す考慮は払わ
れているものの、唯一の保護者である父親をメキシコに送られた小学生の姉妹も
ある。ピュー.リサーチ.センターの調べによると、非合法移民を親に持つ子ども
の数は三百十万に及ぶ。しかも彼らはアメリカ市民である。政府は巨大な孤児院
を作るつもりなのだろうか。

 第二に、本国送還の費用はどこから捻出するのだろう。アメリカプログレスセ
ンターの計算によると、送還費は少なめに見ても、来たる五年間に二〇六〇億ド
ルかかるという。

 第三に移民にとっての金と時間の問題がある。市民権への道を閉ざし、あるい
は二〇〇七年五月のホワイトハウスー★ブッシュ提案を基礎に行なわれた推定に
よれば、五人家族で六四〇〇〇ドル以上の金を払い、アメリカが、膨大な未処理
分を抱えている市民権の申請をするまでに二五年待つというのは、どう見ても非
現実的である。こんな条件を承知で、母国に自分の意思で帰るものはほとんどい
ないだろう。といって、彼らの大半が提案にしたがって六年の労働のあとアメリ
カに居つけば、非合法移民の数は減らないことになる。

 第四に、非合法移民はアメリカの建設産業で百四十万人、レジャー産業では一
二〇万人、農業では四0万人近くが働いている。これだけの働き手を失ったら、
アメリカはどうやってそのアナを埋めるのだろうか。アメリカの農業は早晩、農
場をメキシコやそのほかの外国に移すのではないだろうか。「アメリカの農民は
保護を要する動物と同様、絶滅の危機に瀕している」と、家族経営の農場主ラヴ
ィスフォーグエス氏は言う。アメリカは外国の石油だけでなく、外国の食べ物に
依存することになるかもしれない。

 第五に、昨年(二〇〇六年)あたりから、アメリカのべビーブーマーは退職期
に入り始めた。アメリカの人口レベルは現在でこそほぼバランスが取れていると
はいえ、出産率が人口の現状維持を許さない日本やフランスにつづいて、膨大な
年金生活者をもつ高齢化社会を支える労働人口を必要としている。

 第六に、不法移民の大半を送還したり、非現実的な障害を市民権への道に設け
ることは、メキシコに、ひいてはラテンアメリカ中に政治的な緊張や騒乱をもた
らすだろう。大量の被送還者は、メキシコを初めラテン諸国の失業者の数を劇的
に増やし、毎年アメリカに住むラテンアメリカ移民が母国に送金する六〇〇億ド
ルを、もっとも貧しいコミュニテイから奪うことにもなる。それは逆に、いかに
困難でもアメリカ行きの密入国者をいっそう増やすことになるのではないだろう
か。

 アメリカに移民を送るメキシコの地方での騒乱は、こうした潜在的な社会不安
が根拠なきにしもあらずということを実証しているかにみえる。最近オハカでは
ほとんど州をあげてこの地方の知事を辞職させようという、反乱にちかい動きを
起した。無法状態が広がり、自警団もできた。こうした事件は、最近の非合法移
民には、政治的な不平分子が多くなったのではないかというアメリカ人の疑いを
ますます深めさせる。

 さらにオハカの騒動は、非合法移民はメキシコに、国内を整然と秩序づける時
間を与えるための安全弁だという通説を疑わせる。ひょっとすると移民はいま、
メキシコの治安にとって安全弁の反対の役割をはたしているのかもしれない。移
民は危険な不法越境だけではない犠牲を、メキシコ側にも強いているためだ。

 アメリカに最大多数の移民を出しているオハカのような地方では、成人男子が
移民として去った後、外国送金なしに生活を立てられなくなった。大黒柱を失っ
た家庭の崩壊も続出する。いきおい、コミュニテイは安定を失い、一触即発の危
機をはらむ。国内政治のほとんどあらゆる面で改革が必要だといわれるメキシコ
政府への反抗を生むばかりでなく(それがメキシコ政治の改革につながるならま
ことに望ましいことだが) 相手をまちがえてアメリカに波及する危険を、アメ
リカ人はすでに目撃しはじめているのである。
 
  不安定な隣邦メキシコはアメリカ経済をそこなうだけでなく、陸路アメリカへ
の侵入を狙うテロリストやラテンアメリカ系の政治的不満分子のアメリカ襲撃に
格好のねぐらとして利用されるだろう。

 密入国者を防ぐために本格的な壁の建設が話題になったとき、メキシコ側から
は「友邦に対する裏切りだ」という非難の声が上り、筆者は首をかしげた。メキ
シコの密輸業者を追跡したパトロールが重罪の判決を受け、メキシコ人の密輸業
者が無罪放免になったときも、なんとも不不可解な思いにみたされ、いったいメ
キシコは、アメリカへの要求を正当化する根拠を持っているのだろうかと疑問を
もった。
 
  事実は、アメリカには労働力が必要であり、メキシコにはその余剰がある。長
年続いてきた持ちつ持たれつの関係を、吟味改善して継続することが重要うでは
ないか。

 最後に報告しておきたいが、メキシコからの移民の波もやがては衰える。メメ
キシコは、アメリカの年齢別人口分布のパターンを、三〇年遅れで追っているか
らだという、メキシコの人口学者の報告がある。三0年後のメキシコは、中南米
から移民を迎えているだろうと彼はいう。そうなった暁には、中南米系の移民が
メキシコやアメリカの需要を満たすのだろうか。あるいは、中近東やアジアやア
フリカから、大量の移民がやってくるのだろうか。それはそれで、新たな問題を
伴うに違いないが・・・。

 さて、こうして移民問題のさまざまな局面を見てきて、この問題の複雑さは十
分明らかになった。
 
  1980年代以降、メキシコ国境では移民法の施行強化のための努力が続けら
れたにもかかわらず、一時的な現象を除くと、アメリカへの不法入国者の数は一
向に減らなかった。密入国者のアメリカへの通路をより危険な遠隔地に移動させ、
国境での死亡者は3倍になり、逮捕者は増えるどころか劇的に減った。その結果、
一九九二年には国境での逮捕に要する費用は一人当たり300ドルだったものが
二〇〇二年には一七〇〇ドルになった。

 一方、密入国者にとっても、越境の費用は劇的に増大した。危険の大きい個人
での越境よりも、人間密輸業者ーコヨーテーによる越境を企てるものが増加した
からである。その結果、いったん入国した非合法移民は、コストを取戻そうとア
メリカに居つくようになった。帰国すれば、またアメリカに来るために大枚を準
備しなくてはならない。在米非合法移民は今日一二〇〇万以上といわれる、予想
もできない結果がうまれたのである。

 市民権運動以来ほぼ四〇年間に、アメリカは二人の黒人の国務長官を産み、い
ま一人は大統領候補の名乗りを上げた。差別は人間性につきものだとしても、皮
膚の色で個人の価値を決めてしまわない法律は、アメリカの大いなる資産である。

イラク戦争以来、あらゆる面で崩壊しつつあるこの国の誇るべき伝統を、国民自
身が見失わないために、あらためて現代にふさわしい啓蒙教育がはじめられても
よいのではないだろうか。その実りは世界中の、アメリカへの夢と尊敬を回復す
る道につながるにちがいない。多数の中から一つの強力な国を生み出す難事業に
ほぼ成功してきたアメリカに、筆者は祈りをこめてエールを送り、この章を閉じ
る。

 黒人候補オバマの登場した歴史的な大統領選挙を前にして、この問題はどう展
開してゆくだろう。

       (筆者は米国・ニュージャージー州在住・翻訳家)

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