【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

アウンサンスーチー政権民主化路線、少数民族問題に懸念あり

荒木 重雄


 ミャンマー民主化の喉に刺さった骨である少数民族問題が、昨秋からまた疼きだした。西部ラカイン州でのイスラム教徒ロヒンギャに対する人権侵害が国際社会の批判を浴びたのである。
 昨年10月、ロヒンギャとみられる武装集団が警察を襲撃したことをきっかけに、治安部隊による大規模な掃討作戦が開始され、無差別射撃や集落の焼き払い、拷問や女性への性的暴行などが繰り返されて、数百人のロヒンギャ住民が殺害され、6万数千人が隣国バングラデシュなどに逃れ、2万数千人が国内で避難民になったとされる。

 こうした事態に、周辺国から懸念が湧き上がり、とりわけ、イスラム教徒が多いインドネシアやマレーシアでは敏感に反応して、ジャカルタでは「ロヒンギャの虐殺者アウンサンスーチーに法の裁きを」のポスターを掲げた学生デモを皮切りに抗議デモが頻発し、クアラルンプールではナジブ首相が抗議集会を主導。米国連大使(当時)をして「ミャンマーに独力で改革の道を歩ませようとの国際社会の当初の熱意は、現状では危険なようだ」とまで言わさしめた。

 ミャンマー政府は、12月、急遽、非公式のASEAN外相会議を開いて状況を説明するなど沈静化を図ったが、今年2月には、国連が人権侵害を指摘する報告書を発表。ここに至って、ミャンマー政府は、数日の後、掃討作戦の終了を発表した。
 掃討作戦終了とはいっても、政府は治安を理由にメディアの現地入りを制限しているので、実態のほどは不明である。

◆◆ 民主化過程でかえって悪化

 ロヒンギャの人権状況が問題にされたのは今回だけではない。近いところでは2015年、12年、09年にも、仏教徒からの迫害を逃れた何千人もの難民が老朽船でアンダマン海やマラッカ海峡を漂流し、多くの犠牲者を生んで国際社会の耳目を集めた。

 人口百万前後と推定される彼らは、15世紀から18世紀にかけてインドのベンガル地方から移ってきたイスラム教徒で、以来、土着の仏教徒ビルマ族やアラカン族と普通に共存してきたが、ネウイン軍事政権下の1982年に制定された国籍法で国籍が剥奪され、バングラデシュからの不法移民として無権利状態に置かれることになった。さらに88年、アウンサンスーチーらの民主化運動を支持したことが軍事政権の逆鱗に触れ、財産没収や強制労働、移動の制限、暴行などの弾圧が常態となって、現在に至っている。

 しかも、注目されるべきは、2011年の民主化過程以降もロヒンギャの人権状況は改善されぬばかりか、むしろ悪化を辿っていることである。

 たとえば公民権である。軍事政権に結果を無視された1990年の総選挙でも、テインセイン政権に移行した2010年の総選挙でも、軍政下の選挙ではロヒンギャにも被選挙権が事実上認められて、立候補して当選した議員がいた。ところが民政移管後の、国民民主連盟(NDL)政権が成立した15年の総選挙では、ロヒンギャ出身者やイスラム教徒のほとんどが選管から立候補を認められず、ロヒンギャには前回は与えられた投票権すら認められなかった。
 さらに15年夏には、仏教徒女性の異教徒男性との結婚を規制する法律さえ成立した。

 こうした少数派排除の動きに、民主化を訴えてきたアウンサンスーチー氏は沈黙を保ったままである。

◆◆ 問題はロヒンギャのみならず

 だが、ミャンマーにはじつはもっと広範な少数民族問題がある。今年2月12日の「連邦記念日」式典を東部のシャン州ピンロンで開いたアウンサンスーチー国家顧問は、政府軍と内戦状態にある少数民族武装勢力に対し、自らが進める和平協議への参加を訴えた。

 じつはこの日は、スーチー氏の父で建国の英雄アウンサン将軍が独立前年の1947年にピンロンで少数民族代表者らと会議をし、一つの国として独立する同意を取り付けた「ピンロン協定」から70周年の記念日である。
 アウンサン将軍は独立を待たず凶弾に倒れ、アウンサン亡き後は、多数派の仏教徒ビルマ族主体の政府と、民族間の平等や自治権拡大を求める、キリスト教や精霊信仰も色濃いこれら山岳地帯の少数民族各武装組織との間で内戦状態が続いてきた。これがミャンマーで長く軍事政権が維持されてきた一つの理由でもある。

 11年に民政移管後のテインセイン政権は、軍の意向を受け継ぐ政権ながら、国内和平を掲げて各少数民族組織と交渉を開始し、15年までに、約20ある主要武装組織のうちカレン民族同盟(KNU)など8組織との間で停戦協定を実現したが、現国民民主連盟政権下での進展はない。昨年夏からは政府軍が有力組織・カチン独立機構(KIO)への武力攻撃を強め、KIOは他の3組織と「北部同盟」を結成して対抗するなど、状況はむしろ悪化している。

 先述の「ピンロン精神」を引き継ごうとスーチー氏は、昨年8月、政府軍と武装勢力双方の代表を集めた「21世紀ピンロン会議」と題する和平会議を首都ネピドーで開催し、会議を半年ごとに開いて、少数民族側が求める真の連邦制などを協議する交渉の枠組みを定めたが、その先行きは不明である。

 軍事政権下で制定された現憲法では、軍が4分の1以上の議席を確保するなどに加えて、軍は政府の指揮命令を受けない規定であるため、スーチー氏も軍の動きを制御できない実情にはあるが、民主化と和平への期待を一身に背負って政権の座に就いたアウンサンスーチー氏だけに、より積極的な政治力の発揮を望む声は大きい。

 (元桜美林大学教授)


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