アジアと日本の未来は期待できる

アジアと日本の未来は期待できる

朱 建榮?


 自分の勤務する東洋学園大学は今年4月から7月まで、「ワンアジア財団」の支援を受けて、「アジア『共同知』の探究」をテーマとする14回の連続講座を行った。講師は毎回、違う方が担当し、宮本雄二・元中国大使、進藤榮一・国際アジア共同体学会会長、ユスロン・インドネシア大使、西原春夫・元早稲田大学総長、カセム・元立命館アジア太平洋大学学長、鄭俊坤・財団の首席研究員など各界の方が登壇し、いずれも示唆に富む話をし、本学の学生や聴講に来た社会人から好評を得た。
 7月末の最終講座では自分は一学期の講座を振り返り、いくつかの感想を述べた。それを聞いてくれた社会人の一人は、「この感想内容をどこかに掲載して、もっと多くの人にも読んでほしい」と助言してくれたのを受け、毎回の講座に来られた加藤宣幸氏にお願いしてメルマガ「オルタ」に以下の「感想」を載せていただくことにした。当面起きている様々な問題や動向を念頭に書いた感想だが、読んでいただければありがたく思う。

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 日本の若い世代をバカにしてはならない
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 第一の感想は、日本の若い世代に対する「大人」の理解不足だ。「日本の今の若い世代は国や世界の未来に無関心、何を考えているか分らない。学園紛争時代の闘争心はどこにいったのか」。自分を含む「大人」たちはよくこのように嘆く。しかし今回の講座で回収した「リアクションペーパー」を読むと、多くの学生は真剣に、世界情勢や日本の在り方について考えていることが伝わってくる。ただ、「講義内容の多くは難しく、ついていけない」との反応も多く出た。

 一方、学生たちが理解しやすいような生活や文化の話から入り、最後にアジアの未来に帰結するような講義、結論を下さずに学生自らに考えさせるような話は軒並み好評を博した。これらの反応を見て自分はまず反省すべきと気づいた。「大人」すなわち教師やマスコミ、学術書の多くは、自分が良しとする話法、理屈、「分析の枠組み」にこだわりすぎて、若い世代の特徴に対してよく理解をしようとの努力が不十分であり、若者と真の対話ができていないのではないか。

 安倍政権が強行している安保法制に対し、この夏、大学生、高校生を含む若い世代がデモや抗議活動にどっと参加したことはおそらく、政権側にとっても大半の「大人」にとっても最大の「想定外」だったのだろう。多くの大学生の街頭スピーチはパンチ力、説得力があり、ネットで広く伝わっているが、自分もそれを見て感動、感心した。

 これで日本の若い世代は捨てたものではないと、また「学園紛争」時代から血脈がつながっていることを改めて認識した。彼らはかつても今も、自分の頭で国、世界、人類の未来を考えている。あるいは若者特有の繊細な感性でそれらのことを判断していると言ったほうがいいのかもしれない。「大人」たちの目がいかないツイッター、ブログ、LINEといったソーシャルメディアを、彼らは駆使して活用し、そしてそこで行った情報や意見の交換を踏まえて一気に抗議行動に出た。したがって、本当は「意外」なことではないはずだ。

 しかしこのような若い世代に対し、私たち「大人」たちこそ、理解すること、コミュニケーションすることを怠った。これから、もっと対等な立場と同じ高さの目線で若い世代ともっと対話すべきではないか。日本にこのような若い世代がいれば、将来は決して暗いものにはならない、これは大学の講座や最近の社会動向を通じて得た、特に皆さんに伝えたい感想だ。

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 多元的情報や異なる視点の紹介は決定的な不足
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 第二の感想は、これまで、多元的、複合的な情報や見方を学生たちに提供することの決定的不足についてだ。本学の講座では、学生の多くは、スリランカ出身のカセム元学長の話に深い印象を残したと感想を述べた。カセムさんは、アジアの歴史に残り、未来にも道しるべとなる、中国の周恩来元首相、インドのインデル・クマール・グジュラル(Inder Kumar Gujral)元大統領、スリランカのジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ(Junius Richard Jayawardena)元大統領という3人の巨人のことを取り上げた。アジアの連帯に尽力した周恩来、大国は小国をもっと尊重すべきと主張するグジュラル、そして死去した際、「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」との遺言を残して片目の角膜を日本に贈ったジャヤワルダナ、という3人の話は学生たちに新鮮感を与えた。また、ユスロン大使は日本と隣国との領土紛争に関して、インドネシアとマレーシアがどのように領土紛争に対処したかの経験を紹介し、「これまでの一方的な見方を変えた」との感想が複数上がった。

 日本は「言論自由」の国だが、どこか異論、異なる見解を出しにくい落とし穴がある。工藤さんが代表を務める言論NPOが行ったアンケートに、興味深い結果が出た。「日本人と中国人のそれぞれ9割は相手国に親近感を持たない」との調査結果とともに、実は日本人も中国人も9割以上は相手国の情報源や友人・知人を持たず、本国の情報だけで相手を判断していることも明らかになった。自分と異なる意見を傾聴すること、日本以外にカラフルな多種多様な世界があることをもっと若い世代に伝えていく必要性を痛感した。

 三番目に、進藤榮一先生の講義を通じて、アメリカを相対化する視点の導入が必要と強く感じた。最近の日米同盟、集団的自衛権をめぐる論議は、米国を「善」とし、「いざという時は助けてくれる」存在だとの判断が当たり前の「前提」になっているが、本当にそうなのか。これまでの歴史事実として、アメリカは同盟国を自分の戦略のために利用することがあっても、同盟国のために戦争に踏み切ることは一度もない。また、このアジアをめぐる百年余りのアメリカの対応を見れば、常にアジアの一番強い勢力を牽制するという行動パターンが見受けられる。1945年までの50年間は日本がアジアで圧倒的に強かったから中国の肩を持ち、戦後になると、旧ソ連を牽制するために手のひらを返すように日本の再軍備を促した。1980年代、日本の経済力が迫ってきたときはなりふり構わぬ日本叩きをした。

 そして昨今は勃興する中国を牽制するためにまた日本に甘い言葉をかけているが、それは果たして日本のためなのか。この百年の歴史を通して一貫したものはたったひとつ、すなわちアジアにおけるアメリカ自身の主導、支配的地位を維持することが何よりも優先されることだ。アジアはこのように外部の国に翻弄されてきたが、日中韓の3か国のGDPだけでアメリカを凌駕する今の時代でも他力本願で隣国同士の闘いに汲々としていいのか。アメリカの国力低下で今後はますますアジア諸国の間にくさびを打ち込むことに熱心になると予想されるが、それに対する複眼的な見方こそ今求められていのであろう。

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 日本はアジアの未来にもっと貢献できる
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 連続講座を通じて得た四番目の感想は、アジアの未来を悲観する必要がない、ということだ。アジア諸国同士の関係において摩擦、対立の部分がマスコミで大きく取り上げられるが、20年、30年スパンで見ると、地域内における経済の相互依存、共通意識の醸成、地域協力機構の形成はかつて予想もしなかったスピードで進展している。今後、さらに実体として、そして共通意識としての「一つのアジア」は加速度的に前進することを期待していいじゃないか。

 最後にもう一点の感想として、日本はアジアの未来にもっと貢献できると確信するにいたったことだ。文化、芸術、ファッション、環境対策など日本の「ソフトパワー」はアジアの中で突出している。「三本の矢」などで「ハードパワー」を取り戻すことは到底無理な話だ。中国などからの観光客の急増は日本の「実力」より、日本の「魅力」にひきつけられたのだ。今後、日本はこれにもっと力を入れてアジアをけん引し、貢献していくべきであろう。

 一方、アジア全体の「法的支配」の確立にも日本はもっと貢献できる。西原元総長は、中国への刑法の導入を手伝った30年の努力を講義で紹介した。中国などアジアの多くの国々の法的整備を日本は支援してきたし、今後も、この分野における日本への期待が高いだろう。ただその前に、日本自身がクリアしなければならない課題もある。集団的自衛権の導入は大半の憲法学者から「違憲」と言われても安倍政権は強行しているが、これで日本の「法治国家」のイメージが著しく損なわれてしまっている。その意味で、安保法制をめぐる日本国内の動向は、周辺諸国からは、戦後の平和路線を根本的に変える転換点になるのか、日本は本当に法治国家なのかを見極める試金石にもなっている、との視点も忘れてはならない。

 (筆者は東洋学園大学教授)


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