【アメリカ報告】

アメリカの格闘する奴隷制度の長い影(1)

武田 尚子


 2014年8月9日、ミズーリ州ファーガソンの18歳の黒人青年マイケル・ブラウンが、武器を持たぬままポリスに射殺された事件からちょうど1年がすぎた。この事件は、この街だけではない、全米で行われている、とりわけ黒人に対する白人警察のあり方に対して、多くの米国市民に大きな覚醒を与えた。
 マイケル・ブラウンを射殺したポリス、ダレル・ウィルソンが不起訴になったとき、ファーガソンの街では大きなプロテストが起った。プロテストはビルや車への放火や商店での略奪を伴い、一般市民に与えた恐怖や損害や不便も甚大なものであった。

 警察の黒人に対する不公平な扱いは、ファーガソンに限らず、アメリカのほとんどのコミュニティでの既成事実であるという。警官は“stop and Frisk” (走行中の車に停車命令を出し、ドライバーがガンなどを身につけていないかを衣服の上から手で検査する)をすればするほど勤務成績が上がり、またその探索で見つけられた違反があれば、ドライバーに罰金を課す。罰金は、街の重要な財源の一部になる。また信号違反で停車を命じられ、そのかどで投獄されることもまれではないというのだから驚く。しかもその被害者は、ほとんど必ず、黒人なのである。

 この Stop and Frisk の停車命令は筆者も最近経験した。あまり大きくない公道から、さらに狭い道に左折しようとしたとき、大きなスクールバスが頭を覗かせようとしているので、その動きを見届けてから左折しようとしたのである。転居して間もない自宅に至近の場所であり、直接の後続車はなく、結局バスが公道へ出てくるのを待って左折したら、ポリスの車が後をつけてきた。そして私が、点滅信号で一時停車する前に、後続車に十分停車する時間を与えなかったというのである。私の免許証やら、登録証やらおきまりの書類を持って自分の車に帰り、コンピューターで私の全くの無事故ぶりを確認してから、もったいをつけていった。“今日のところこれでお帰ししますが、以後十分気をつけてください”と。
 なんでもないと思っていたら、1週間後に80ドルの罰金を払えという通知がきた。もし抗弁したいならそれを告げて、指定の日に法廷に出よという。一度出てみたい気分もあったが、現実にそんな暇はないので、家人のいうまま80ドルを送ったが、くやしかった。本来は法廷で堂々と抗弁すべき事ではあった。ポリスの車は私の後ろからきたのだから、私をアジア人とみとめたためではないだろう。

 マイケル・ブラウンの警官による射殺は、直後に起こった大きなプロテストをきっかけに、黒人(少数民族を含む)を除くと、ほとんどのアメリカ白人があまりに慣れて問題にさえしないできた、民主主義国アメリカの歴然たる人種差別を、ここで吟味検討すべきだという反省を人々の間に呼び覚ますことになった。
 全米の各地で行われていた、停車命令に始まるごく微小な違反行為への過酷な罰金や投獄の事実を、筆者も実は全く知らないで40年余を過ごしてきた。例えば最近、走行路線を変更するとき、信号を出さなかったというだけで逮捕された黒人女性がいた。彼女は卒業した母校の大学での職に就くための面接にいく途上だったのだが、目的の大学から何マイルも離れていないところでポリスにストップをかけられ、路線変更時の無警告という違反を指摘されてそのまま投獄された。
 そしてあろうことかその夜、刑務所内で首吊り自殺をしてしまったのである。家族も友人も、彼女がこの面接に期待をかけ、希望にみちていたというのだが。

 この思いがけない成り行きから、ポリスによる他殺説やら、彼女の精神異常説、過去における自殺未遂の歴史など、多くの事実や風評が取りざたされた。結局、他殺説は排除されたが、原因は特定されていないように見える。筆者のような局外者から見れば、この逮捕と投獄が、彼女の新しい就職の機会を奪ったであろう落胆から始まって、黒人の生活に乏しい喜びや楽しみにやすやすと期待をかけられない、生きる事そのものへの困難が、放り込まれた夜の独房で、打ち勝てない大きさで心いっぱいにひろがったのではないかと哀れである。人種差別ではことに知られたテキサスの事件であった。

 さて、ここに Ta-nehisi Coates というアトランチック誌の黒人記者がいる。同氏の新著“自分と世界の間”(Between the world and me)という本のテーマである人種問題を、NYタイムズの寄稿家である評論家デヴィド・ブルック氏が紹介した論考を読んで、筆者は強烈な印象を受けた。それは人種差別とか人種偏見などという言葉で筆者が理解していた事態の内容のもつ異常な重さを喚起するものであり、使い慣れ聞きなれた言葉の白々しさを吹き飛ばしてしまったのである。その論考の一部を孫引きさせていただき、読者とともに、人種問題を考える上での糧にしたい。ちなみにこの本は、息子への書簡という形で書かれている。一方デヴィド・ブルック氏(以下敬称略)は、タネヒシ・コーテス氏への手紙の形で書いている。

 論考はこう始まる。

 親愛なるタネヒシ・コーテスさん:
 昨年は、白人にとって大いなる教育の年でした。黒人と白人の間で、ファーガソン、バルチモア、チャールストン(サウスカロライナ)その他の町で行われた殺戮を恥じ入らせ、しかも教えられる事の大きい、深さと豊かさと力に満ちた会話が交わされたのでした。
 あなたの「世界と私の間」はこの公共教育に対する、大いなる貢献でした。それはまるきりこれまで慣れ親しんだ考えを一変させるような黒人男性の経験であり、良心的なアメリカ人の全てが読むべき本だと思います。

 あなたの追憶には、肉体性というものが染み通っています — それはアメリカで黒い肉体を持って生きる事にまつわる基本的な傷つきやすさです。アフリカン−アメリカンクラブ — つまり黒人向けのナイトクラブの外がわでは、「黒人に自分の力で統制できるものは何もない、とりわけ自分の肉体の運命は自分のものでない。それはポリスに勝手に使われたり挑発されたりするかもしれないし、ガンの一撃で消されるかもしれない。レイプされたり、打たれたり刑務所に投げ込まれるかもしれないのだ。」

 息子さんへの手紙として、あなたは黒人の持つ普遍的な恐怖について書いています。そしてあなたはいわれる、『私が若い頃知っていたのは黒人だけだったが、その全てが、強力に、傲慢に、しかも危機感を抱いて、恐れていた』と。

 私はしかし、あなたのアメリカンドリームの拒否には賛成できません。私の両親は、窮屈きわまるヨーロッパ生活への、ポグロムの恐怖への解毒剤としてアメリカにやってきました。アメリカンドリームは自己の尊厳と立派な人格を養うための昂揚剤だったのです。

 あなたの両親は鎖につながれてやってきた。快適な郊外生活など彼らにはおとぎ話にすぎなかったとあなたは書いていられる。あなたにとって、奴隷制はアメリカが償う事のできない原罪です。アメリカはそこから脱出などできる見込みのないエジプトなのだ。黒人は逃口のない過去によって決定された、壊滅的なロジックの囚われ人なのです。

 あなたは息子さんに向けて書かれた。“お前に知っておいてもらいたい事がある。アメリカでは、黒人の肉体を滅ぼす事は伝統そのものなのだ。相続財産なのだ。アメリカンドリームの無垢な世界は、実は下積みになったものたちの壊れた肉体の上に築かれているのだ。
 もしも下積みにする壊れた肉体がなかったらどうするか? 裕福なドリーマーたちは、快適な郊外を人間の肉体なしに築かなくてはならない。彼らの刑務所を人間の家畜置き場にすることなしに、民主主義を、共食いのカンニバリズムから独立して、どうして打ち立てるか?”

 あなたの「白人」定義は複雑だ。しかしあなたはいう「白人アメリカは我々黒人の肉体に君臨し優越する専有力を保護すべく召集されたシンジケートなのだ。その力は時にはリンチのように直接だが、時には redlining のように陰険だ。」

 おそらくこれからもっとも多く引用されるだろうあなたの言葉は、9/11のとき、あなたが煙霧にくすぶるツインタワーを冷たい心で見つめていたというくだりです。あの時死んでいったポリスや消防夫は自然の脅しだとあなたは感じた、彼らは正当な理由もなく私の肉体を破壊できる火でありコメットであり嵐である自然の脅威に等しいと。

 今あなたは明らかに文字通りこれらのことを信じているわけではない。時として、あなたの言い回しは、誤解されることを期待しているかに見えます。あなたは「私の身内で燃え、私に生気を与え、今の私を活気づけ、我が日々の終わりまで私を炎上させるであろう」展望について語っておられる。私はこの全てを平手打ちで与えられた啓示だと受け取りました。しかしあなたにたずねたい。もし私があなたの意見に不同意を示したら、私は自分のもつ特権を示したことになるのでしょうかと。私のすべきことはあなたの経験を尊敬し、あなたの結論を受け入れることなのでしょうか? 一体白人に、あなたに答える立場があるのでしょうか? もしも私に立場があるとしたら、リンチの遺産と、誰かが罪を犯す決定との因果関係は、もっとも個人的な選択の複雑さを考えると、不十分であると思います。

 私は、あなたがアメリカの歴史を歪曲していると思います。この国にいる人は誰しも、栄光と恥辱のミックスなのです。アメリカには、南部連邦の大統領ジェファーソン・デイヴィスの一人一人に対して、一人のリンカーンがいるのです。クー・クラックス・クランのメンバーの一人一人に対して、ハーレムの子供ゾーンがあるのです。そして、大抵それは一対一でなく、それ以上の多数が対応しているのです。アメリカに暴力は根付いています。しかしそれはアメリカ全体から見ると過少なものです。あなたの怒りは、ある人々がアメリカンドリームを描くときの無邪気な声音を聞いて、ドリームそれ自体をくだらないものと拒否しています。平等な機会、動きある社会、より完全な民主主義、というアメリカンドリームは過去よりも未来を育むものです。それは古き不正を捨て去り古き罪を超えて、より良い明日を目指すものです。

 このドリームは知られている全ての分裂から人々を結びつけてきた、現世的な信仰なのです。それは人々の心を高めるエネルギーを生み、英雄的な社会改革運動に人々を動員してきました。過剰なリアリズムから、このドリームを打ち消すなら、あなたは過去何世代ものアメリカ人を落とし穴に落とし、より良い未来への導きの星を破壊してしまうことになるでしょう。あなたは私の反応にうんざりされたかもしれません。おそらく正しい白人の応答は、ここではしばらく沈黙していることかもしれません。何れにしてもあなたは私の耳に忘れられない声を聞かせてくださった。 (論考部分は本年7月17日付け NYTimes からの抜粋)

(必ずご紹介したい女性評論家の記事は来月回しになった。アメリカは今、この問題に初めて真剣に向き合っていると思う。 武田尚子)

 (筆者は米国ニュージャーシー州・在住・翻訳家)


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