イラク開戦に見る政治決断の限界

■イラク開戦に見る政治決断の限界       藤生 健

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 2003年3月19日に米英連合軍がイラク侵攻を開始して10年になる。当時、英国
は労働党のブレア政権であったにもかかわらず、積極的に侵略戦争に加担した事
実は、政界に入ってまだ日の浅かった私にとって大きな衝撃だった。

 米英のイラク侵略の発端となったのは、イラクが大量破壊兵器を保持している
という疑惑があり、それに対する無条件査察を拒否したこと、そしてアルカイダ
との協力関係が疑われてのことだった。

 フセイン政権は開戦から半月で瓦解したものの、結局大量破壊兵器は発見され
ず、最終的には大量破壊兵器もアルカイダとの協力関係も「無かった」ことが判
明した。もともと「無い」ことを証明しろと言うこと自体、一種「悪魔の証明」
のようなものであり、仮に査察団が入って見つからなかったとしても、「いいや、
どこかに隠しているはずだ」と強弁すれば同じ結果に終わったかもしれない。

 実際に、開戦前の2002年11月にイラクは国連安保理決議1441を受諾、査察団の
受け入れを表明し、12000ページもの保有兵器一覧などの申告書を提出したが、
米英は「不十分」として相手にしなかった。国連安保理でも査察の強化や精度向
上に向けた検討がなされたが、米英はこれも拒否して開戦に突き進んだ。また、
IAEAはすでに1998年までの査察で核兵器については無力化しているとの結論
を出していた。

 以上の経緯から、米英はハナからイラクに濡れ衣を着せて攻撃するつもりだっ
たとする陰謀論が取り沙汰され、実際に大量破壊兵器が見つからなかったことも
あって、真実味をもって語られた。その後、米国では政府機関が04年に「大量破
壊兵器は存在しなかった」と確定する約500ページの報告書を公表。英国でも04
年に二つの独立委員会から報告書が出され、さらに「イラク戦争独立検証委員会」
が設置されてブレア元首相を含めて証人喚問が行われ、検証が進んでいる。

 当時のブッシュ政権の閣僚の回想やサダム・フセインの尋問調書を含めて少し
ずつ資料や証言が出てきており、日本でも3月20日の朝日新聞で福田元総理が興
味深い証言をしているので、私なりに再構成した解釈を記しておきたい。

 まず今日なお根強い陰謀論だが、これは否定されて良いだろう。根本的な命題
として、仮にも実質的に世界を牛耳る帝国の支配者が、すぐに露見するような嘘
を開戦の大義名分に据えるだろうか。米英が第一の開戦理由に挙げている「安保
理決議違反」だが、直接関係する決議1441はイラクの武装解除と無条件の査察受
け入れを求めるもので、「最後の機会」や「重大な帰結をもたらしうる」などの
文言があるものの、「受諾拒否の場合は武力行使」と定めたものではなく、これ
を開戦理由にするのは無理な話だった。

 その無理押しを承知の上、フタを開ければすぐに真偽が明らかになるにもかか
わらず、他国の制止を聞かずに開戦を強行したことを考慮すれば、陰謀としては
あまりにも粗雑だ。現に大量破壊兵器が未発見に終わったことで、米国の威信は
傷つき、特に中東諸国での信頼は大きく揺らいだ。陰謀によって得られた利益よ
りも損失の方がどう見ても大きい。但し、開戦を強く支持する軍産複合体が情報
を操作した可能性は否めず、ブッシュ政権の執政部には軍産複合体と関係の深い
閣僚が多かったことも判断に影響した可能性は高い。

 様々な証言を整理すると、膨大な量の情報の中には大量破壊兵器(WMD)の
存在を認めるものと認めないものがあったことは確かで、情報の取捨選択の中で
「ある」とする判断が強まっていたものの、「実は無いんじゃないか」とする意
見も一定の説得力を有していた。そして、ブッシュ氏たちは上げられてきた情報
だけでは「絶対にある」とも「絶対にない」とも確信できなかった。にもかかわ
らず、ある時点から「絶対にある」という確信に急速に偏ってゆく。それは、限
られた情報の中で一定の政治的決断が迫られるに際し、

 「WMDはあると判断して攻撃する」(実際には無いかもしれない)

 「WMDは無いと判断して攻撃を見送る」(実はあって後日使用されるかもし
  れない)

 という二者択一を強要されたからだった。つまり、大量破壊兵器の有無が確認
できない中で、「何もしない」という選択をして後日大量の犠牲者が出るリスク
と、「敢えて攻撃する」という選択をして「実は無かった」と判明してしまうリ
スクを天秤にかけた場合、一国を背負う最終責任者として「何もしない」という
選択肢は採れない、ということなのではなかろうか。

 まして、2001年9月11日に起きた米国同時多発テロの記憶が生々しく、ブッシ
ュ執政部の危機感も高い上に、「行動」を求める執政部への圧力は相当のもので
あったと推察される。仮にWMDの存在確率が限りなくゼロに近かろうと、ゼロ
でない限りは「ある」と考えるのが米国大統領として「正しい」判断だったとい
うことのようだ。そして、実際にWMDがあるか無いかはフタを開けてみるほか
に確認する術はなく、逆にフタを開けない限り、WMDは確率論として永遠に存
在し続けることになる。殆ど「シュレーディンガーの猫」のような話である。

 さらに状況を追い詰めたのはイラク側の対応だった。査察受け入れを表明はし
たものの、フセインとしては「米英に難癖をつけられている」という不信が強く
(実際その通りなのだが)、査察団を受け入れたところで逆に「証拠」を捏造さ
れたり、「別の場所に隠した」と因縁を付けられる可能性が高かった。そして、
イラク的には時間を稼げば稼ぐほど、米英の横暴から同情が集まり、国際社会に
おける米英の孤立が先鋭化していくと判断された。

 フセインとしては、「存在するかもしれないし、しないかもしれない大量破壊
兵器」はそれ自体が唯一の有効な外交カードであり、「箱」は閉ざされたまま
「WMDは存在する」「WMDは存在しない」という二つの可能性が混在したま
まにしておくことがカードとしての存在条件だった。また、イラク統治者として
「攻めて来たらBC兵器を使用するぞ」というブラフも残しておきたかったし、
それは国内反体制勢力や近隣諸国に対する抑止力でもあった。手札は一度オープ
ンにしてしまったらゲームは成立しない、それはゲームプレイヤーとして当然の
発想だった。

 そのため、イラクは国家として国際社会への義務を果たすべく「査察受け入れ」
を表明し、実際に米英以外の国々からは一定の評価を受けた。だが、その一方で
ゲームプレイヤーとしてのフセインは、決して手札を明かさず大量破壊兵器の有
無について言及しなかった。それどころか、逆に欺瞞として「大量破壊兵器が隠
されている」などの情報を小出しにした。「箱」の中の不確実性を高めることは
カードの有効性を高めるのに等しかったのである。

 ところが、アメリカとイラクの情報戦は完全にイラクが勝利してしまった。
「大量破壊兵器があるかもしれない以上、在ると判断するのが筋だ」という方向
に傾いていたブッシュ執行部は、CIAが「精度的に疑わしいが、上に上げない
訳にもいかない」として提出したイラク側の欺瞞情報に飛びついてしまう。

 しかも、イラク側が流した欺瞞情報の「小出し」ぶりが、ますますゲームプレ
イヤーとしてのブッシュの疑念を深め、逆に主観的な「信憑性」を高めてしまっ
た。つまり、諜報活動の精度が上がれば上がるほど、「疑わしい情報が少しずつ
網に掛かる」という状況こそが、「イラクがWMDを隠匿している」事実を物語
っているという結論に近づけてしまった。

 これに先に挙げたような政策担当者の「無いと判断して実はあったら惨事だ
(責任が問われる)」心理を加速させ、「隠匿情報が散見される以上、在ると判
断される」を固定化、開戦を望む軍産複合体のバイアスも掛かって、「イラクの
核脅威は予防的攻撃の正当性を証明している」(02年8月、チェイニー副大統領)
、「イラクは化学兵器と生物兵器を保有している。イラクのミサイルは45分間
で展開できる」(同9月、ブレア英首相)、「フセインはガス壊疽、ペスト、チ
フス、コレラ、天然痘など、数十種類もの病原菌の研究に着手した」(同11月、
パウエル国務長官)などの発言に至った。

 フセインは序盤のブラフゲームに圧勝してしまったが故に自らの破滅を招いて
しまった形だった。フセインは、情報戦に敗北したアメリカが次にとる行動を読
み誤ったことになる。だが、小泉内閣の官房長官だった福田康夫氏も開戦直前を
回顧して「その段階でも絶対に米国が攻撃するという風には僕は思っていなかっ
た」と述べている(朝日新聞、3月20日)。

 実はこうした「誤謬」例はいくらでも挙げられる。ヒトラーは「いつかソ連が
後ろから攻撃してくる」という可能性を検討する中で、「リスクがある以上は先
にやってしまえ」とバルバロッサ作戦に踏み切った。ナポレオンは「モスクワを
陥落させればロシアは降伏するだろう」と「冬が来る前に撤退する」という選択
肢を検討して前者を選んだ。

 地球温暖化問題についても、人為的な炭素排出が温暖化の原因であるという確
証は無いにもかかわらず、「リスクがある以上は何らかの対応をなさざるを得な
い」という理由で巨額の対策費がつぎ込まれている。
 警察活動において、犯罪行動が予見される者、あるいは犯人である疑いがある
者に対して身柄を拘束するために別件逮捕する誘惑に駆られるのも同じ原理であ
り、冤罪の原因となることも少なくない。

 日常生活の中で「やらないで後悔するよりはやって後悔した方がマシ」と言わ
れるのも同じ哲学的命題を抱えている。フタを開けない以上はリスクはリスクと
して永遠に存在し、ストレスとして当事者を苛む以上、「フタを開けてしまえ」
という心理的負担に人間としていつまで耐えられるかという話である。一国の指
導者となれば、さらに強力な社会的圧力が加わり、「フタを開けない=何もしな
い」という選択肢はまず除外されてしまう。

 だが、イラク侵攻が、フセイン政権の瓦解によってイラクの不安定化と内戦を
誘発、10万人以上の死傷者を出して、中東における米国の信用を失墜させ、米国
市民が恨まれる結果に終わったことを考えれば、誰の得にもならなかった事実は
重く受け止める必要がある。

 では日本はどのような経緯で米英のイラク攻撃を支持したのだろうか。福田康
夫氏の回想によれば、日本は完全にゲームのカヤの外に置かれ、大量破壊兵器に
関する独自情報は殆ど無かった。

 ブッシュ大統領が最後通告の演説をしている頃、英国のブレア首相から自分も
議会で支持表明するので、その前に米国と英国の立場を支持するよう日本に表明
して欲しいと要請してきた。小泉首相は、日本が反対しても米国はイラク攻撃を
行なうと確信、日本の賛否に関わらず米国の攻撃が確定している以上、反対して
日米同盟に傷をつけるよりは先んじて支持を表明することで、イラク戦後の日本
の外交的プレゼンスを強化すべきだと考えたようだ。

 その結果スピーチに際して、外務省は「米国の行動を理解する」とのペーパー
を出していたにもかかわらず、小泉総理は政治的判断からその場で「支持する」
に直された。実際のところ、小泉首相の「支持表明」によって米国に対する日本
のプレゼンスが高まり、ブッシュ政権と密接な関係を有するに至った。しかし、
その代償として日本はその後も米英軍によるイラク占領と内戦に協力し続けるこ
ととなった。

 「日米同盟を固守する」という政治判断で米英のイラク侵略を支持した以上、
中東の諸国民が「見捨てられた」と考えるのは当然だった。大量破壊兵器の有無
とは全く無縁の理由でイラク侵略を支持した日本の罪は、倫理的には米英よりも
重いかもしれない。

 米英による侵略戦争で少なくとも10万人以上のイラク国民が殺害され、日本も
後方支援を行ったことを考えれば、現在の米英日の政府が言うような「WMDは
ありませんでしたが、イラク国民を圧政から解放しました」で済まされるもので
ない。今年一月にアルジェリアで起きた人質事件の遠因に、日本のイラク戦争に
対する支持と協力があったことは疑いない。

 他方、当時ドイツの首相だったシュレーダー氏は参戦拒否の理由として「イラ
クに大量破壊兵器は存在しないと確信していた」と説明。さらに、「当時の野党
党首(メルケル現首相)の主張通り参戦したら、ドイツ軍は今もイラクにいただ
ろう」と述べている(3月20日、毎日新聞)。

 なお、民主党政権下で日本もようやく重い腰を上げて同問題の検証に入ったが、
それは外務省内で内々に行われ、先ごろ公表された検証結果はわずか4ページの
もので、「厳粛に受け止める必要がある」と言うだけで、「公開すると関係国と
の信頼関係を損なう恐れが高い情報が多く含まれている」と肝心の検証内容は何
も公表されなかった。

 岸田外相は3月19日の記者会見で、「改めて、イラク戦争について検証すると
いうようなことは考えてはおりません」と断言している。日本の主権が誰にある
のか、これほど明白にさせる話も無いだろう。その「国民主権」はどこまでも軽
く、軽いという認識すら共有されていないのが、日本のデモクラシーの実情なの
である。

 最後になるが、1989年12月、ソヴィエト連邦人民代議員大会は、アフガニスタ
ン介入の政治決定について「道徳的、政治的非難に値する」という決議を採択し
た。その後、決議の撤回を求める運動はあったものの、今日に至るまで撤回され
ていない。自国の軍事行動や戦争について、ここまで真摯に総括した国は殆ど例
が無い。少なくともソ連は自らの死の間際に政治的良心を示した。翻って、米英
や日本が中東に対する軍事介入を自己批判する日が来るのか、デモクラシーの良
心もまた問われている。

 (筆者は東京都在住・評論家)
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