イランと米欧の関係を改めて振り返る

【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

イランと米欧の関係を改めて振り返る

荒木 重雄


 イラン核協議が一応の決着を見た。
 2002年以来、イランは核の平和利用の権利を主張し、米欧など国際社会は核兵器製造を疑って経済制裁を課してきた問題で、7月、イランが核開発を抑制する見返りに国連が制裁を解除する合意が成立したのだ。
 といっても、実際の制裁解除は年末か来年で、現在はイランが誠実に合意内容を履行するかどうかを見定める「お試し期間」。

 この合意成立を、蒙昧頑迷なイスラム国家を自由と民主主義の国際社会が硬軟とり混ぜた交渉力でようやく説き伏せた、と解する向きが多い。また一方、合意に批判的なサウジアラビアや湾岸諸国の反応に、イスラムでも少数派のシーア派イランへの多数派スンニ派の警戒を読む論調も多い。いずれも「文明の衝突」や「宗教対立」のハヤリのお手軽な概念で事態を解する見方である。

 だが、はたしてそうであろうか。「文明の衝突」や「宗教対立」として見られる現象が、じつは多くの場合、政治的・経済的利害の対立である。今回はそのことを、イランを巡る状況から改めて見ておきたい。

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◇◇ イラン革命はなぜ起きたのか
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 19世紀から20世紀初頭にかけての中東一帯は、英国とロシアの間で展開された領土・利権の争奪戦に蝕まれていた。イランにおいては、ロシアとその後のソ連が軍事侵攻を繰り返す一方、狡猾さにおいてより勝れた英国は、アングロ・イラニアン石油(AIOC)を通じ、純利益の僅か16%をシャー(国王)の取り分とする条件で石油資源を丸ごと手に入れた。

 1951年に登場したM・モサッデク首相は、こうした不公正を断ち切ろうと石油の国有化を図る。モサッデク型資源ナショナリズムが周辺諸国に波及することを懼れた米国は、英国とも謀って、イランを石油市場から締め出すと同時に、CIAを通じて「モサッデクは共産主義者」と宣伝し、軍部をそそのかしてクーデターを実行させ、モサッデクを逮捕・失脚に追い込んだ。石油利権目当ての米国の暴挙。これがイランと米国との出会いであった。

 この工作でイランの実質的な支配権を手に入れた米国は、国王パフラヴィ・シャーを傀儡政権に仕立てあげ、CIA仕込みの秘密警察を手足としたこの独裁政権にイスラム勢力の弾圧と欧化政策を強行させる一方、石油収入の殆どは、米国から派遣された軍事・経済顧問たちの「助言」によって米国の兵器と商品の購入に当てられるシステムをつくりあげた。

 米国の兵器で軍事大国化したイランはまた、米国はじめ西側諸国の権益とイスラエルの存在を守るため、アラブのイスラム勢力に睨みをきかせる「ペルシャ湾の憲兵」の役割を担うことにもなった。

 しかし、こうした米国の政策と、それに追随する王族・特権層の腐敗、市場経済化がもたらした格差の拡大とイスラム的価値観の破壊に対し、民衆の反発がしだいに高まって反体制運動が相次ぐようになる。
 とりわけ78年からの大規模な民衆蜂起によって翌年2月、ついにシャー政権は倒されて、長らく追放されていた反体制運動の象徴的指導者ホメイニ師が帰国した。
 イラン国民は中東でも最も西欧的な教養とセンスを備えた人々とされてきたが、弾圧に抗して社会の変革をめざす民衆運動には拠りどころが求められ、そこに嵌め込まれたのが復古的なイスラムであった。これがイランの「イスラム革命」であり、その後のイランのイスラム化である。

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◇◇ 敵視政策に包囲されて
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 「イスラム革命」の波及を懼れた国際社会は一斉に反イラン・キャンペーンを繰り広げた。とりわけ経済的・軍事的利権を失ったうえ大使館を占拠される屈辱を嘗めた米国の怒りは激しかった。

 その意を汲むように80年、サッダーム・フセインのイラクが突如、イランに侵攻し、「イラン・イラク戦争」が勃発する。すると対立していたはずの米ソをはじめ、自国の民衆のイスラム・パワーを恐れる周辺アラブ諸国までがこぞって、兵器・資金・情報・外交などでイラクを支援し、米国は石油基地や船艇、旅客機の攻撃などイランに直接、手も下したが、イラン・イラクの消耗戦は雌雄を決せぬまま8年を経て終結した。

 このときの米国によるイラクへの過剰な軍事援助が、その後のクウェート侵攻などフセインの野望を膨らませ、イラク戦争を経て、現在のイラクの状況にまで繋がる。

 米国は、イランを「テロ支援国家」に指定し、米国企業による貿易・投資・金融の禁止から、米国以外の企業による石油・ガス開発への制裁、さらにはイランからの原油輸入そのものへの制裁まで、国際社会を巻き込んだ敵視政策と締め付けをエスカレートさせていった。そうした過程で、米国とイスラエルがもっとも恐れ、槍玉に挙げたのが、イランの核開発であった。

 イラン・米国のせめぎ合いは、その後、イラン側では強硬派アフマディネジャドから対話路線のロハニへの大統領の交代、米国側もブッシュからオバマへの政策の移行などの環境変化があり、さらにIS(イスラム国)対策にイランの協力を取りつけたい米国の思惑なども加わって、紆余曲折を経た一応の決着が、冒頭に述べた合意の成立であった。

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◇◇ 背景は政治・経済の利害
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 こうした一連の過程を振り返って見ると、イランと米国の確執は「文明の衝突」などではなく、米国の理不尽な経済的・政治的利益の追求に起因することが明らかであろう。

 では、サウジアラビアや湾岸諸国が合意成立に反対する、イランに対する警戒心とはなんだろう。イランは世界4位の原油埋蔵量をもつとされ、経済制裁が解除されて原油の輸出が本格化すれば、同じ原油輸出に依存するサウジや湾岸諸国には手強いライバルの出現となる。さらにもう一つ。サウジも湾岸諸国も、王族が独占的に富と権力を享受する国である。これらの国々にとっては王制を倒したイランの国際社会への復帰は脅威となる。ここに見られるのも、スンニ派とシーア派の「宗教対立」などではなく、宗教対立を装った政治的・経済的利害の対立である。

 一見、「文明の衝突」や「宗教対立」と見える事態の背景や動機がじつは政治的・経済的な利害対立にあることは、イランのみならず、多くの事例で共通するところである。

<追記>

 安倍政権が集団的自衛権行使の具体例として挙げるホルムズ海峡の機雷掃海は、最近のイラン・米欧和解の流れからみて時代錯誤も甚だしいが、ホルムズ海峡の封鎖じたい、イランの国益からも殆どあり得ないことだ。
 イランの軍事・安全保障政策の責任者は、「ホルムズ海峡は地政学的にきわめて重要。開かれた、静かな海域にすべく最善を尽くしている」と強調したうえ、安倍政権がホルムズ危機を主張する背景を、「米国が『タンカーを通したければコスト(軍事面での米国の肩代わり)を払え』と言っているに過ぎない」(朝日新聞8月27日)と、安倍安保法制の対米従属の本質を見透かした発言をしている。かつてイランは親日国だったことを考えると残念な事態である。

 (筆者は元桜美林大学教授)


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