ウイグル問題が国境を越えた

【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

ウイグル問題が国境を越えた

荒木 重雄


 タイの首都バンコクの、外国人客も多く賑わう観光スポット「エラワン廟」で、8月、20人が死亡し、126人が負傷する爆発事件が起こった。

 犯行の動機や背景にはさまざま憶測が飛び交ったが、その後のタイ警察の捜査から、どうやら中国・新疆出身のウイグル人を中心とする犯行との見方が固まってきた。
 この数年、新疆ウイグル自治区では、ウイグル族によるとされる襲撃事件や爆発事件が頻発し、治安当局の取り締まりも過酷さを増すなど、厳しい状況が日常化している。その混乱が、ついに国境を越えて広がったのだ。

 ウイグル問題とは何か、なぜ国境を越えたのか。その事情を改めて振り返っておきたい。

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◇◇ 「新疆」の名が示す歴史
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 新疆ウイグル自治区は、中国の最西部に位置し、住民の45%を占めるウイグル族をはじめ、3分の2がカザフ族、キルギス族などトルコ系のイスラム教徒である。

 アジアの内陸部には、広い範囲に亙ってトルコ系の諸民族が居住し、ここは、その東部地域に当たることから「東トルキスタン」ともよばれる、中央アジア文化圏の一角である。
 同時に、中国側からは「西域」ともよばれるように、この地域は、その歴史において、中央アジアの勢力と中国の勢力が拮抗・興亡する舞台だった。18世紀に清の支配下に入り、清朝から「新しい領土」を意味する「新疆」とよばれたのが、現在の地名の起源である。

 辛亥革命の後は、清の版図を継いだ中華民国に属しながらも、1933年と44年、二度に亙って「東トルキスタン共和国」の独立を図ったが、49年の共産党政権確立とともに解放軍の進駐により抑え込まれた。

 新中国の下に1955年、新疆ウイグル自治区が設置された。
 しかし、直後に開始された大躍進政策(58〜60年)で住民の経済と生活が破壊され、数十万といわれる餓死者が出たり、数万人がソ連領に逃亡したりする事態となった。つづく文化大革命(66〜76年)では、イスラム禁圧が徹底されて、モスクの破壊や宗教指導者の迫害が行われ、また、紅衛兵同士の武装闘争に巻き込まれて住民数千人が死傷するなど、混乱を極めた。
 この大躍進から文化大革命の期間を通じて自治区のイスラム住民たちは、弾圧に抗して幾度もの大規模な蜂起・反乱を繰り返していた。

 80年代、中国政府は民族政策を転換し、破壊されたモスクの修復やアラビア文字によるウイグル語正書法の策定など民族文化の振興を図って、治安は小康状態を保った。しかし、90年代、ソ連の崩壊にともない同じトルコ系イスラム民族の中央アジア諸国が独立したことも与って、再び、自治区住民に政治的な独立を求める機運が高まった。
 警察・政府施設への襲撃や治安部隊との衝突などが頻発し、政府はこれに対して「厳打」とよばれる容赦のない弾圧と、モスクに住民を監視する責任を負わせたり、高等教育における民族語の禁止・漢語の義務化など文化的締め付けで応じた。

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◇◇ ウルムチ騒乱事件を経て
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 一方、経済格差も大きな問題である。自治区設立以来、核実験関連や石油・ガス開発、さらに90年代末からの「西部大開発」による基盤整備などで大幅な経済成長を遂げたとされるものの、その間に漢族の移住がすすんで、自治区首都ウルムチなどでは漢族が人口の大半を占めるようになり、その漢族が経済発展の利益の殆どを独占して、他方、ウイグル族は、その多くが差別からまともな職にも就けず貧困に置かれている状況である。これは、同地区の20〜30代の男性の失業率がじつに7割にも達していることからも明らかであろう。

 こうした状況への反発から、2009年、出稼ぎ先でのウイグル族労働者と漢族労働者とのトラブルを発端に、ウルムチで大規模な抗議行動が起こり、これにすでに同市の過半を占める漢族移住民が反撃して、2千人に及ぶ死傷者を出す騒乱に発展した。

 これに対する中国政府の対応は、さらなる「厳打」と、一層の宗教的・文化的締め付けである。イスラム教徒の宗教的義務である断食月の断食や、女性がスカーフをかむり男性が髭を蓄えることや、メッカ巡礼にまで、規制の手が強められ、密告の奨励や、大量拘束、「テロリスト」の「見せしめ裁判」、当局が「過激派の巣窟」とみなすスラム街の強制撤去などが行われている。

 2009年のウルムチ騒乱後、当局の強硬な取り締まりに促されるかのように、ウイグル族による暴力行為も、駅や市場での襲撃や爆発事件など、無差別化、凶悪化がすすんでいる。
 一方、この締め付けと反発の連鎖で険悪化する自治区を逃れようとするウイグル族の動きも近年、活発になっている。かれらは、雲南省や広西チワン族自治区を経由してタイやマレーシアに出て、そこからトルコに向かい、さらに一部はシリアに向かうのだ。

 中国公安当局は、かれらが「イスラム国」(IS)などイスラム過激派組織に合流し国内反政府勢力と連携することを強く警戒して、不法出国の取り締まりに躍起となっているが、国内外の斡旋組織も介在し、さほどの効果を挙げていない。

 ところが7月、対中関係を深めたい思惑のタイ軍事政権が、密入国者として拘束したウイグル族百人余りを中国に送還する擧に出た。国際人権団体などは迫害の恐れが高いと批判したが、この措置への抗議・報復が、冒頭に述べたバンコク爆発事件であったようだ。

 タイ軍事政権は、事件はクーデターで追い落としたタクシン派が共謀した犯行などと政治的利用を目論んでいるが、ことの本質は上記にあろう。また、事件の究明と裁判が軍事法廷で行われるため、透明性を懸念する声も聞かれる。

 (筆者は元桜美林大学教授)

※本欄は『月刊住職』誌に掲載した文章に加筆して転載しています……筆者


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