【追悼・西村徹先生】

エッセイスト、オクシモロン(臆子妄論)八十翁の誕生(2)
―身近に接した西村徹先生(大阪女子大学名誉教授、英文学)―

木村 寛


● 三、西村徹著『オーウェルあれこれ』(人文書院、1993)と
    (英語本)『一九八四年』へのエーリッヒ・フロムのあとがき

 西村先生は文学部を立ちあげられた桃山学院大学に勤務中、この本を出版された。
 第一章 アイザック・ドイッチャーの『一九八四年』論
   ―スターリンに追われたスターリン主義者の悲喜劇―
 第二章 オーウェルの希望
   ―プロールに未来はあるか?―
 第三章 『1985年』は『一九八四年』を越えたか?
   ―A・バージェスのG・オーウェル批判の批判―
 第四章 オーウェルとサルトル
   ―反ユダヤ主義をめぐって―

 後半は『オーウェル著作集』全四巻(平凡社)の翻訳点検であり、各巻の翻訳の問題箇所と原文箇所との対照となっている。この後半部はとても面白いのだが、原文を手元に置いて翻訳を読む必要性のあることがとても良くわかる。訳者にだまされるな!というわけである。訳者だって四苦八苦して誤訳を生み出すのだ。 ウイリアム・ジェームズの『ブラグマチズム』(創元文庫D-73、創元社、桝田啓三郎/訳)に関して、その冒頭に出てくる「柔らかい心」、「硬い心」が tender-hearted(こわれやすい心)、tough-hearted(タフな心)だと『オルタ』誌に指摘されたことがあった。吹き出したいほど笑える話であった。桝田は三木清の唯一の教え子なのだが、哲学者とは硬い心をもった人なんだろうか?

 西村先生がなぜオーウェルにこだわられるのか? 理解を深めるために前出の『バージェスの文学史』中のオーウェル紹介(29、55、56、69、92、127頁)の一部を紹介する(56頁、西村/訳)。

 「スペイン市民戦争でファシズムと闘い、国内にあっては迫力のある発言を通じてイギリス社会主義革命の実現に手を添えた作家たちがいた。その一人がオーウェルだった。しかしオーウェルは社会主義者でありながら、国家が強大に過ぎ、個人が弱きに過ぎることになるとしたら、社会主義はどういう事になるかを憂慮する社会主義者であった。なんといってもソビエト・ロシアはその抑圧、処刑、そして専制政治ぐるみの社会主義国家なのであった。
 1949年に出した彼の最後の小説『一九八四年』は政治的な憂慮の極と見られるものであった。イギリスの社会主義はイングソックという政権党の手で現実を自由になしうる体制に変じ、ビッグ・ブラザーの名で知られる謎に包まれた顔がその頂点に立ち、思想警察と放映撮影同時テレビによって市民に不服従はないかを看視している。・・・オーウェルが明らかにしているのは革命の時代は過ぎ去ったこと、イングソックの支配は永遠であること、そして「人間の顔を踏んづけてやまぬドタ靴こそが未来を最もよく現すものであるということである。」

 92頁には「ハンガリー難民のアーサー・ケストラーが『真昼の暗黒』(庄野満雄/訳、鳳映社、1958)などの作品を書いたからこそ、それによってイギリス人は三十年代のヨーロッパの政治がどんなものであったかを教わったのであったし、オーウェルもケストラーからヒントを得たからこそ、彼ならではの『一九八四年』を書いたのだった。」とある。

 エーリッヒ・フロムは『自由からの逃走』(Escape from Freedom, 1941、日高六郎/訳、東京創元社、1951)で知られ、この訳本は100刷り近くを重ねたベストセラーとなった。ナチズムの迫害からアメリカに逃げたフロムは、宗教改革からナチズムへの回帰を問題にする。
 私はこの本の<第三章 宗教改革時代の自由、2.宗教改革の時代>の中に二度あらわれる「道具」(86、96頁、原文 tool)という単語に少し違和感を感じる。私はルター主義を「人は神の容器である、(容器は動かない)」、またカルヴィニズムを「人は神の道具である、(道具は動く)」と両者を区別してとらえているからである。
 ルター主義に「道具説」を持ち込んだり、ドイツでカルヴィニズムの予定説がナチズムの根源になったという説明(97頁)にもちょっと違和感を感じる。彼の説明とは「カルヴァンの予定説にはここではっきりと指摘しておくべき一つの意味が含まれている。というのは予定説はもっとも生き生きとした形でナチのイデオロギーのうちに復活したからである。」とあるのだが、私はルター主義こそ、ナチズムの温床だったのではないかと思うからである。

 ルターはドイツ農民戦争に際して「彼らを殺し尽くせ」と言ったらしいが、カルヴァンもまた「殺人の罪」から自由であったわけではない。彼はセルヴェートを「異端」として虐殺(火あぶりに)した。この件に関しては、戦後の小さいアテネ文庫の中にツヴァイク『自由と独裁』(高橋禎二/訳、弘文堂、1950)があり、これは『Castellio gegen Calvin oder Ein Gewissen(良心)gegen die Gewalt(権力)』の前半二章の訳である。全訳はツヴァイク全集15(高杉一郎/訳、みすず書房、1963)に『権力とたたかう良心』がある。訳者高杉一郎は「シベリヤ抑留者」として知られ、『極光のかげに』が有名である。
 ツヴァイクがイギリス亡命中に書き上げた二冊のうちの一冊がこれで、もう一冊は全集13『エラスムスの勝利と悲劇』であり、これはルターとエラスムスとの奴隷意志-自由意志論争を中心とするものである。

 カルヴァンはセルヴェートを異端者として焼き殺したのであるが、神学校長のカステリオ(ン)がそれに抗議した物語である。「「象対アブ」、彼の反カルヴァン闘争文のバーゼル版にのっているセバスチャン・カステリオのこの自筆の題名は、まずもって奇異の感を催させる。・・・」とある。
 ヴォルテールの言葉を借りて言えば、「宗教改革派の最初の「宗教的殺人」であり、さらに宗教改革運動本来の根本思想の最初の公然たる否定だからである」(186頁)。「カルヴァンが本当に弁明しなければならない弱点は異端者の道徳的抑圧ではなく、・・・決定的な問題は意見の違う者を殺したり、殺させたりしてもいいかどうかということであった」(196頁)。

 1970年代だったか、「カルヴァンの謝罪碑」がスイスに建てられたと聞くから、カルヴァンの殺人は歴史上、最終的には許されなかったと現代スイス人が判断したわけである。西村先生は私にツヴァイク全集をすすめてくれたので、今でも持っている。ヒューマニスト的立場は現実の「その場」では弱々しい主張でしかないように思うが、無視できるものではない。信仰者はおうおうにして、ヒューマニスト的主張を軽視するが、そう判断した時に信仰的に大事なものを見失っているのではなかろうか。なぜならヒューマニズムを信仰の基礎、土台にしないと非人間的な信仰が独走を始める。

 あるテレビ番組で、オウム真理教の提灯持ちをしたように見られた(本人の文章によれば「宗教としてのあり方に一定の評価を与えた」)宗教学者島田裕巳に対して、ある人が「宗教の名による殺人をなくすことはできないのか?」と質問したのだが、島田は答えられなかった。モーセの十戒の「殺すな!」ひとつで十分だと私は思う。
 島田に関して弁護すると、最新刊『オウム、なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』(トランスビュー、2001)の著者紹介の中に、「オウム事件に際し、事実誤認報道に基づくメディアのバッシングに遭い、日本女子大学を辞任」とある。オウム事件以後、誤解が大きくなったことは否定できないが、彼は微妙な一線を越えたと思う。

 文学オンチの私にとって、全く知らなかった本数冊がフロムの後書きに出てくる。
 一つはイギリスのハックスリーの『すばらしい新世界』(Brave New World, 1932、松村達雄/訳、講談社文庫、1974)である。この本の書き出しは
 「わずか三十四階のずんぐりた灰色のビル、正面玄関の上には、「中央ロンドン人工ふ化・条件反射育成所」なる名称、また盾形の中には、世界国家の「共有・均等・安定」という標語。・・・三百人の受精係員が、ちょうど人工ふ化・条件反射育成所所長が部屋に入ってきた時は、みなその器具の上にかがみこんで、ほとんど息を殺したような沈黙に陥っていた。・・・一卵から一胎児、そしてそれが一人の成人となる―これが常態である。しかし、ボカノフスキー法で処理された卵は、芽を出し、増殖して分裂する。八ないし九十六の芽を出し、一つの芽が生長して完全な形をした胎児となり、おのおのの胎児がみな一人前の成人となる。以前にはたった一人しか生まれなかった場合に、九十六人も生み出すわけだ。まさに進歩というべきだ。」

 これをみると、スイフトの『ガリバー旅行記』の馬が支配するヤフー国同様、ネガティブユートピア系列の作品だと思う。オーウェルの『動物農場』(Animal Farm, 1945)も正にこの系列にある。ここでは支配する主人公は豚である。2013年、開高健/訳がちくま文庫から出ている。没後出版。

 もう一つはザミャーチンの『われら』(川端香男里/訳、岩波文庫、1992)で、これはソルジェニツィンの『収容所群島』の先駆け作品ではあるが、この本の表紙には「20世紀ソヴィエト文学の異端者ザミャーチン(1884~1937)の代表作。ロシアの政治体制がこのまま進行し、西欧の科学技術がこれに加わったらどうなるか、という未来図絵を描いてみせたアンチ・ユートピア小説。1920年代初期の作だが、「最も悪質な反ソ宣伝の書として長く文学史から抹殺され、ペレストロイカ後に初めて本国でも公刊された。」とある。ザミャーチンは革命直後からソビエトの行く末を案じていたのだ。

 ソビエトを1936年に訪問旅行したアンドレ・ジイド、彼の『ソビエト旅行記』(小松清/訳、新潮社、ジイド全集12)は「ソビエトへの大いなる幻滅」を明らかにしている。例えば、

 「私は決して、ソビエトにおいて見られる賃金の不均等に対して抗議するものではない。いや、それが必要であったということを認めるのに私はやぶさかではない。しかし、生活条件の懸隔に修正をもたらす手段はあるべきである」(42頁)。
 「しかるに今日、ソビエトで強要されているものは、服従の精神であり、順応主義である。したがって現在の情勢に満足の意を表しないものは、みなトロツキストとみなされるのである。我々はこんなことを想像してみる。たとえレーニンでも今日ソビエトに生きかえってきたら、どんなに取り扱われるだろうか・・・と。」(52頁)。

 スターリンという希有の独裁者が示した恐怖政治。いったい何千万の自国民が死に追いやられたのだろうか。ソルジェニツィンの小説『収容所群島』は、<第一部牢獄産業、第一章>は逮捕であり、「あなたは逮捕された」・・・「私が?? なんのために?!?」で始まる。ある日知り合いが路上で手を上げたとたんに逮捕され、市民がどこかに消えてしまうのだ。彼は二度と故郷に戻ることはない。
 第二次大戦後にシベリヤに抑留された60万人とも言われる日本軍人(軍人以外の民間人をも含む)のシベリヤ抑留もその延長線上にあるし、それは200万人以上のドイツ兵の捕虜の抑留をも含んだのである。富田武/著『シベリア抑留』(中公新書2411、2016)の副題は「スターリン独裁下、「収容所群島」の実像」である。たくさんの数字があがっている。一人の人間存在は「1」に過ぎない。

 (堺市在住・理学博士)

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