【オルタの視点】

オランダのポピュリズム政党と2017年総選挙

岡田 一郎


◆◆ 1、はじめに

 今年(2017年)3月15日に実施されたオランダ総選挙(下院議員選挙)は全世界の注目を集めることとなった。反EU・反移民をスローガンとするポピュリズム政党・自由党が世論調査では支持率1位になるほどの勢いを見せていたからである。もしも、自由党が第一党となり、その党首ヘルト・ウィルデルス(新聞・テレビではウィルダースと表記されることが多い)が首相の座に就いた場合、その後のフランス大統領選挙やドイツ総選挙でポピュリズム政党を勢いづかせると考えられたからである。

 実際には自由党は第二党にとどまり、ウィルデルスが首相に就くことはなかったが、総選挙の結果は必ずしも手放しで喜べるものではない。本稿ではオランダのポピュリズム政党の歴史を追いながら、オランダやヨーロッパ社会が抱える問題について考察したい。

◆◆ 2、オランダの政治と社会

 オランダは鎖国下の日本とも交易を続けるなど、日本にはなじみが深い国だが、その政治や社会がどのようなものか意外と知られていない。そこでまず簡単にオランダの政治と社会について簡単に説明しよう。

 オランダ社会は柱状社会と呼ばれる。国内にはカトリック・プロテスタント・社会主義派・自由主義派の4派が並存しており、それぞれ独自のコミュニティを形成している。学校・労働組合・病院・政党から小売店に至るまで、4派はそれぞれ独自のそれを有しており、人々は自分の信条に合った施設を利用する。4派以外のマイノリティも政府との話し合いの窓口さえあらかじめ決めておけば、オランダ社会を構成する柱の1つとみなされ、独自のコミュニティの形成が許され、政府はコミュニティ内部に干渉しない。
 例えば、在蘭邦人は在蘭日本商工会議所を窓口として、オランダ国内では独自のコミュニティを形成している。周囲から、どれだけ自分たちの社会に溶け込んでいるかといった有形・無形の圧力がないため、オランダは日本人が最も過ごしやすい国の1つと言われている。

 オランダの政党政治は長い間、この柱状社会を基礎として展開されてきた。すなわち、キリスト教民主主義勢力(1980年に合同して、キリスト教民主アピールとなる)が中核となり、自由主義政党の自由民主人民党か社会民主主義政党の労働党のどちらかが連立を組んで政権を構成するというのが一般的であった。

 ここでオランダの投票方式についても説明しておきたい。オランダでは政党名簿比例代表制が採用されている。これは各政党が候補者に当選順の番号をふった名簿を選挙の際に発表し、投票用紙にはすべての候補者の名前が記載され、有権者は投票用紙の中から自分が特に当選させたい候補者の名前の欄にチェックをいれて投票するというやり方である。特に当選させたい候補者がいない場合は自分が支持する政党の1番の候補(党首であることが多い)にチェックをいれる有権者が多い。政党の名簿順位が低くても1議席に必要な得票の25%以上の得票がある場合は優先的に当選となる。また、新党が総選挙に参加するハードルはかなり低く、1,1250ユーロ(約150万円)の保証金と各選挙区30人×200選挙区=600人の署名を提出すればよい。

◆◆ 3、ポピュリズム政党台頭の背景

 1994年の総選挙で、キリスト教民主主義勢力は初めて下野し、労働党・自由民主人民党・民主66(中道左派リベラル)の3党連立内閣が成立した(首相は労働党のウィム・コック)。コックは労働組合連合の委員長としてフルタイムとパートタイムの待遇の取り扱いの平等化に尽力し、ワークシェアリングによる雇用の拡大と労働時間の短縮を実現させた人物である。しかし、キリスト教民主主義勢力が下野したために保守的な価値観を代弁する政党が政権から排除されたことに保守派は不満を覚えた。また、コック内閣の政策が古典的な社会民主主義的な政策ではなく、新自由主義的な経済システムを前提にしていることに労働党支持者の間からも不満を持つ者が現れるようになった。

 そのような不満は反イスラム感情と結びつくこととなる。オランダでは1960年代からトルコ・モロッコ出身者を移民として受け入れ、1983年には自らを多民族社会と定義する憲法改正をおこなっていた。しかし、イラクによるクウェート占領と湾岸戦争、『悪魔の詩』関係者の暗殺といった事件でオランダ国民の対イスラム感情は悪化し、2001年の同時多発テロで反イスラム感情はさらに加速していた。

 そのような情勢を巧みに利用したのが、ピム・フォルタインである。彼はもともと左翼系の社会学者であったが、突如として右翼に転向し、反イスラムの言動を繰り返すようになった。彼が単なる民族差別主義者と異なったのは、イスラム教は近代西洋が確立した啓蒙主義的な価値観を認めないとして、オランダが歴史的に大事にしてきた寛容の精神の敵に仕立て上げ、さらに自らも同性愛者であるとカミングアウトし、イスラムは同性愛を認めないゆえに相いれないと攻撃し、自らをマイノリティの味方に位置付けたことだった。さらにフォルタインは派手な外見と私生活でも知られ、マスコミ受けする人物であった。マスコミは彼を積極的に登場させ、持論を展開させ、人気者に仕立て上げた。

 フォルタイン人気に目をつけたのが「すみよいオランダ」という政党である。「すみよい」の名を冠した政党はオランダ各地で結成されており、地方政治の既得権打破を掲げて活動していた。「すみよいオランダ」はその全国版として結成されていたのだが、党を束ねる指導者が不在であった。2001年、フォルタインは2002年総選挙における「すみよいオランダ」の筆頭候補者に指名された。フォルタインは総選挙に臨む前に自らの力量をはかるため、翌年のロッテルダム市議選に「すみよいロッテルダム」筆頭候補者として参加した。ロッテルダムは労働党の牙城だったが、結果は「すみよいロッテルダム」が第一党となり、労働党は新たに成立した市政府から排除された。

 この選挙結果はフォルタインの人気をオランダの有権者に印象付けることとなった。しかし、市議選前に「すみよいオランダ」執行部とフォルタインは難民受け入れ問題をめぐって対立し、フォルタインは「すみよいオランダ」筆頭候補者から解任された。そこで、フォルタインはピム・フォルタイン党を結成して、総選挙に臨むことを発表した。オランダ全土にフォルタイン旋風が吹き荒れ、ピム・フォルタイン党の躍進は確実視されていた。しかし、フォルタイン自身は総選挙直前に暗殺され、ピム・フォルタイン党は同情票もあり26議席(下院定数150)を獲得するが、指導者を失った党は迷走を続け、やがて消滅した。

◆◆ 4、自由党の結成

 ピム・フォルタイン党に代わって、反イスラムの主張を掲げて台頭したのが、ヘルト・ウィルデルス率いる自由党である。ウィルデルスは10代後半のときにイスラエルに渡り、キブツで生活した経験を持っている。このときの経験が彼にアラブ諸国に対する不信感を植え付け、反イスラム主義者となった。

 1986年、社会福祉の公的機関に就職した彼は、90年には自由民主人民党下院議員団社会保険分野の政策スタッフに採用され、さらに社会福祉分野の知識の豊かさを買われて、98年には下院議員に当選している。ウィルデルスは通信制大学卒業の学歴しかなく、必ずしもオランダの他の政治家と比べて卓越した学歴の保持者というわけではない(ちなみに、フォルタインは社会学の博士号を有していた)。その彼が社会福祉分野の専門家として自他ともにみなされるようになるまで、彼は相当の努力と独学をおこなったと思われる。

 1999年、ウィルデルスはイスラム急進派の危険性を警告する報告書を発表する。このときはほとんど世論の注目を集めることはなかったが、2001年の同時多発テロで彼の報告書の存在が注目を集めることとなり、彼は予言者と呼ばれるようになった。2004年、度重なる反イスラム発言によって党の執行部を怒らせた彼は離党に追い込まれた。しかし、翌年、彼はオランダのほとんどの主要党派が賛成していたEU憲法条約批准反対運動をおこし、国民投票で反対派を勝利させたことでその力量が注目され、かえって政治的影響力を高めることとなる。2006年、ウィルデルスは自らを党首とする自由党を創設した。

 自由党は世界の政党の中でも奇妙な政党である。まず、自由党は党員がウィルデルス1人で、党の職員や議員も党の運営を手伝うスタッフとしか見なされない。ウィルデルスしか党員がいないので党内対立が起こることはなく、情勢の変化に応じて党の路線も迅速に変更できる。さらに地方や国政の候補者を選定するときは、当初はウィルデルス本人が面接し、単なる極右思想の持主や他の政党で活動歴がある者(すなわち、何党でもいいので議員になりたい人)を排除し、政策に関する知識を持つ公務員出身者を多く選んだ。また、世論調査で有利な数字が出ても、ウィルデルスが満足する候補者がそろわないときは選挙への参加を見合わせた。候補者の質を高めることで、自由党ブームを一過性に終わらせないようにしたのである。

◆◆ 5、2017年総選挙

 2017年3月15日、オランダで総選挙が実施された。直前の情勢では自由党が有利であった。前年、国民投票でイギリスがEUからの離脱を決定するなど、EUに対する懐疑的な空気がヨーロッパを覆っていた。また、シリア内線に伴う大量の難民の流入はヨーロッパ諸国に混乱を招いていた。ウィルデルスはEU離脱によるオランダの自主性の回復や、オランダの伝統である自由と寛容を受け入れない移民の受け入れ禁止(戦争難民の一時的な受け入れは容認)などを訴えて、世論調査では自由党が支持率1位となった。

 一方、自由民主人民党党首のマルク・ルッテ首相はウィルデルスの主張を空疎なものだと攻撃する一方、「オランダのやり方についていけない移民は出ていけ」という趣旨の一面広告を新聞に掲載するなど、自由党の主張を一部取り入れた選挙キャンペーンを展開した。選挙結果は以下の表の通りである。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――
   党 名               前回(2012年) 今回(2017年)
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 与党
  自由民主人民党                 41      33
  労働党                     38       9
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 野党
  自由党                     15      20
  社会党                     15      14
  キリスト教民主アピール             13      19
  民主66                     12      19
  キリスト教連合                  5       5
  フルンリンクス(緑の党)             4      14
  改革政党(カルバン党)              3       3
  動物党                      2       5
  50プラス(年金生活者のための党)         2       4
  民主主義のためのフォーラム(ポピュリズム政党)         2
  DENK(トルコ系移民の党)                  3
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 自由民主人民党は議席を減少させたものの第一党を維持し、自由党は第二党に終わった。ウィルデルスが首相に就任する見込みはなくなり、オランダが反EU・反移民の国に転ずることを危惧していた国際世論はひとまず安堵することとなった。しかし、自由民主人民党の善戦は自由党の主張の一部を取り入れたことによって保守層の切り崩しを阻止した結果と見ることもでき、移民に対するオランダ政府の対応はこれまでより冷たいものになっていくことが予想される。

 また、連立与党であった労働党が大敗したこと・第二党の自由党が国際的に警戒されているため、連立を組むことができないことで、ルッテ首相の組閣は難航した。自由民主人民党・キリスト教民主アピール・民主66・キリスト教連合による4党連立内閣の組閣交渉がまとまったのは総選挙から半年以上経った10月10日のことであり、4党の議席を合わせても下院定数の過半数を1つ上回るだけの76議席にしかならない。さらにリベラル政党の民主66と保守政党のキリスト教連合は、安楽死や中絶などの価値観をめぐる問題で対立しており、連立内閣の前途は多難である。

 また、フランスの大統領選挙でみられた、中道左派(労働党)が大敗し、右派(自由党)と急進左派(フルンリンクス)が躍進するという現象がみられるのも気がかりである。これはヒトラー政権誕生直前のドイツに似た現象だからである(中道左派の社会民主党が衰退し、ナチスと共産党が躍進していた)。

◆◆ 6、考察

 ピム・フォルタインやヘルト・ウィルデルスは日本では極右政治家と評されることが多いが、両者ともイスラムに対して敵意をむき出しにしているものの、近代西欧の啓蒙主義的な価値観やオランダの伝統の自由と寛容は容認し、むしろこれらを守るためにイスラム系移民の排除を主張している側面があり、「極右」という表現は彼らの性質を見誤らせる恐れがある。「ポピュリスト」と評すべきであろう。

 ウィルデルスの主張は全く同意できないが、単なる極右思想家や他党での活動歴のある者を排除するウィルデルスの政党運営の手腕は、注目すべきだと思われる。日本ではウィルデルスは単なる極右政治家と見なされているが、極端な政治思想の持主や他党で公認を得られなかった人物を簡単に候補者にしてしまう日本の政党にウィルデルスを嘲笑する資格があるだろうか。

<参考文献・URL>
・小山友「オランダ新右翼の台頭とその特質」『東洋英和女学院大学紀要』9号(2013年)。
・長坂寿久『オランダモデル』日本経済新聞社、2000年。
・水島治郎編『保守の比較政治学─欧州・日本の保守政党とポピュリズム』岩波書店、2016年。
・水島治郎『ポピュリズムとは何か』中公新書、2016年。
・水島治郎「民意がデモクラシーを脅かすとき」『アステイオン』86号(2017年5月)。
・横堀裕也「オランダ 政権なき半年」『読売新聞』2017年9月15日付朝刊。

・「【オランダ総選挙2017特集】意外と複雑なオランダの選挙制度を徹底解説!」『「オランダ在住×セルビア脱線」系こーたろーの社会派ブログ』2017年3月3日(2017年8月2日参照)。 http://kutinholland.com/introduction-of-dutch-election
・「オランダ総選挙の結果について」『IFIS株/投信コラム』2017年3月16日(2017年8月2日参照)。 http://column.ifis.co.jp/toshicolumn/amundi-01/67028

 (小山高専・日本大学非常勤講師・オルタ編集委員)

※本稿は、筆者が「プログレッシブ」勉強会(2017年11月21日)で報告した内容をまとめたものである。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧