オランダ人に理解し難い日本という国

オランダ通信(2)

オランダ人に理解し難い日本という国         リヒテルズ直子

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マレーシアで村落調査をしていた時に出会ったオランダ人の夫との結婚を決意
して間も無く、今からおよそ30年あまり前のことです。休暇でオランダの実家に
帰っていた夫から手紙がきて、「裸で大声を掛け合いながら神輿を担いで行く日
本の男たちの祭りでの姿がオランダのテレビで放映され、夫の両親が思わず顔を
しかめた」と書いてきたことがありました。私にはなぜその時に両親が顔をしか
めたのかすぐに理解できませんでした。それは、その映像がどのようなコンテキ
ストの中で放映されたものだったのかがわからなかったからです。

80年代はじめのオランダは、まだ、戦争の記憶を持つ人々が社会で活躍してい
た時期です。戦時中に双子の弟と両親を奪われたユダヤ人ジャーナリスト、
ルー・デ・ヨングが、第二次世界大戦中オランダでは何が起きていたのかを綿密
に記録するために、分厚い歴史書を何巻も発行し続けていました。彼の調査でか
つてナチスドイツに協力していたことがわかり失職する政治家が出たりもしてい
ました。

戦争を体験した世代、中流以上の家庭には、数ヶ月ごとに新刊が発行されるこ
のシリーズ本が棚に並べられ、新事実が掘り起こされる度にニュースの話題とな
っていたのです。もともと、第二次世界大戦中すぐにドイツの占領下に入ったオ
ランダは参戦していません。しかし、ドイツの占領下では、大半がナチスドイツ
を積極的または消極的に受け入れ、そうでなかった人々は、レジスタンスとし
て、ユダヤ人とともに強制収容所に送られることを覚悟しなければなりませんで
した。

戦争時代の自国の醜さを記録として残そうとしたこのシリーズは、やがて、ド
イツとの関係だけではなく、当時オランダ領であった現インドネシアの歴史的事
実の記録にも乗り出します。いうまでもなく、植民地で、しばしば何世代にも渡
って、時には現地人と結婚するなどして暮らしてきた非武装の一般市民が、日本
軍によってどれほど人権を侵害されたか、という記録です。

オランダのテレビで、日本の男たちの祭りの姿が放映されたのは、そういう、
日本軍の行為を糾弾をする話題との関わりからのものだったのです。血をたぎら
せるような集団での掛け声、怒涛のように一斉に駆け抜ける姿は、そういう、戦
争時代に怒鳴り声を浴びせられ体罰を受けた経験を持つオランダ人にとっては、
怖い、理解し難い群れにしか見えないのです。

こうしてオランダ人との結婚を決意して始めて、オランダには戦争中の日本軍
の行為によって強い反日感情を抱く人々がいることを知りました。オランダと
は、鎖国時代に唯一つながりのあった国だ、という悠長な話とは裏腹の現実でした。

同時に、なぜその事実をこれまで誰からも聞くことがなかったのだろう、と思
いました。実をいえば、学校の教科書で学んでいなかったことは、大学を出てか
ら訪れた土地で、何度も経験しました。沖縄、韓国、マレーシア、そして、なん
とコスタリカで出会った韓国人からも、戦時中の日本軍の行為を恨みに思う感情
を聞かされたことがありました。

世界中どこに行ってもトヨタ、トーシバ、ソニーと日本企業の輝かしい広告が
きらめく後ろに、こういう反日感情があることに、ぞくっと背筋が寒くなる思い
を何度もしてきました。そして、私は、彼らが日本を恨んでいることの背景にあ
る歴史的出来事が具体的になんであるのかさえ知らなかった、、、その歴史的出
来事について何かを議論したくても、信ぴょう性のある情報、異なる立場からの
解釈と言った情報さえ一般の日本人には容易に見つけられない状況でした。

1996年にオランダに住み始めるようになって翌年、中学1年の息子が学校から
帰ってきてこう言いました。「今日歴史の時間に、戦時中に旧オランダ領インド
ネシアで、日本軍の捕虜収容所に収容されていた人の息子という人がきて話をし
た。その人はいきなり『日本人は腐っていた、、、日本人は今も腐っている、、
』と話し始めたんだ。でも、担任の先生がその人に『このクラスには母親が日本
人の生徒がいる』というと、その人は、『そうか、それなら少し話を柔らかくし
よう』と言った」

率直に言って、こんな人に安直な態度で接される息子をかわいそうに思いまし
た。せめて、日本という国が、この問題にを正面から受け止め、堂々と謝罪し、
それなりに納得の行く言い開きをしていてくれたなら、問題の普遍性を人類に共
通の問題として正視し、日本人の私も堂々と未来の平和のための議論に参加して
いれたはずなのに、、、そう思いました。

この日の息子の話をきっかけに、私の中で一つの決意ができました。この問題
と向き合い、日本人である母親が、ここでオランダの人たちとどうかかわってい
くかを息子にみせることで、息子がこの国で居心地の悪い思いをしないでいられ
るようにしよう、と。そしてその後、2000年、日蘭修好400周年記念の年を機に
有志の力で始まった「日蘭対話の会(のちにインドネシア人も含め日蘭イ対話の
会となる)」に関わるようになって行きました。

この会では、日本軍の犠牲となって親を奪われたり、苦しい思いをした人々の
中でも、その苦しみを乗り越えて、敢えて、日本人と対話をしたいと心を開いて
くれるオランダ人との対話を繰り返しました。もちろん、その後ろには、日本人
と聞くだけで、身の毛がよ立ち、胸が息苦しくなるという、、、私たちには到底
近づくことすら許されない人たちが大勢います。

対話を求めるオランダ人の中には、収容所で息を引き取る前に「日本人を理解
するために一生懸命に日本文化の本を読んでいた」母親、「日本人を憎んではい
けない、あの人たちは自分がしていることがわからないのだから」と敬虔なキリ
スト者として聖書の言葉を子どもに聞かせた母親などもいたと言います。同時に、
あまりに悲惨な収容所生活や、幼い子や夫との別離、慰安婦として連れ去られる
ことへの恐怖で、精神を病んだ母親たちも少なくなく、そういう過度の緊張にお
かれていた母親の元で育った子ども達は、解放後もずっとトラウマを抱えて生
き、今でも精神的に不安な状態になることが多いと言います。

対話の会にこられる犠牲者たちは、それなりにその後の人生でうまくトラウマ
を乗り越えてきた人たちです。同時に、人間があれほどむごい行為をするなどで
きないはずだ、と、そこに一抹の望みを抱き、日本人との人間的な交流を求めて
人間への信頼を確認しようとされる方達です。私たち日本人が、ただ、舌先で謝
罪することではなく、心を開いて真の声で語ることを期待している方達なのです。

この方達の話を聞きながら、私は、繰り返し繰り返し、日本人のヒューマニズ
ムはあの時どこにあったのだ、と聞かれているような気がしてなりません。

オランダは、死刑のない国です。殺人を犯した犯罪人ですら、一定の刑期を終
えると、社会復帰の練習を始め、なぜ罪を冒したのか、それがどんな意味のもの
だったのか、小学生を相手に心の声を語る機会を持てる国です。誰もが、人間が
犯す失敗には、それなりの理由があることで、要は、その失敗を経て、次にどう
行動するかということだと受け入れている国です。

それは、単に「謝れば良い」のではなく、「謝る」ことで起きた失敗を相対化
し、お互いに人間としての良心を奮い立たせて、平和で豊かな暮らしのために共
同の議論に参加するための道を開くことに意味があるのです。

日本軍の犠牲になったオランダ人との対話を続けて行くうちに、私は、このヒ
ューマニズムへの信頼を持たない日本人の方が、昔も今も、犠牲になったオラン
ダ人よりも遥かに不幸な存在だったのではないのか、と思うようになりました。
私には、本当に不幸だったのは、この捕虜になった人々ではなく、自分の人間と
しての感性を殺して、目の前の人間に体罰や拷問や強制労働を与え続けることで
しか生き延びれないとと思い込まされていた日本人兵士の方ではなかったのか、
と思うようになりました。

そして、そう思えば思うほど、不幸な日本人の姿は、戦後の今も続いており、
その不幸に気づかず、汗を流してあくせくと働き続ける日本人が、実は何かとて
も大切なものに蓋をしたまま過ごしているのではないかと気づいたのです。それ
は、同時に、目の前にいる犠牲者に対して、自分が「謝れる」立場にないという
自覚でもありました。

むしろ、戦争の前も、人間としての尊厳を守って生きることのできたオランダ
人が、眩しいほど羨ましいのです。当時の日本人と、今の日本人の貧しい姿に胸
がふさがる思いでした。

「謝れる」とは自分自身が尊厳を認められているからできることで、そうでな
い日本人は、日々、自分を支配している人から、人としての尊厳を認められてい
ない。日本の政治家らが国外の日本軍の犠牲者に対して心から謝れないのは、実
は、国内にいる人々に対しても、彼らは人権意識をかけらも感じていない、同時
に、彼ら自身が、人としてヒューマニズムを追い求めて生きる生き方を誰からも
認められていないからではないのでしょうか。

民主国家とは名ばかり、何とみすぼらしい姿でしょうか。自国の人の人権を尊
ぶことのない国の指導者が、どんな綺麗事でものを言っても、世界平和に貢献な
どできるはずがない。ただただ、やれ日本文化だ、やれ美しき日本だ、と深く歴
史を省みることもなく、ただわっしょいわっしょいと掛け声で人に同調を強制す
る日本は、本当に美しい国なのでしょうか。

神社仏閣が社会貢献するどころか、観光客や駐車場で金儲けをし、口先三寸の
タテマエ説話で茶を濁す国。私たちは、本音で心の声を話せない自らの姿をもっ
と顧みなくても良いのでしょうか。

この対話の会で、過去、二度、日本の歴史教育についての話をし、オランダ人
と深い心の交流を持つようになりました。日本軍の捕虜収容所で両親を奪われ孤
児となって引き上げてきたある建築家は、私との対話から日本社会の理解の緒を
見つけてくれました。建築家の卵だった私の息子にアドバイスを与えてくださる
間柄ともなれました。

それでも、私は、こういう方達との会話で、言葉を慎重に選びます。本当に、
こちらが徹底して謙遜で、心の底から真実を持って話をしているか、が問われる
からです。日本人がいかに貧しい人権意識しか持っていないかを常に心の錨のよ
うに自覚していなければ、この人は心の底で「ほらやっぱり」と思うだろう、と
恐れるのです。同時に、そうしてきたことで、このオランダ人と真から深い関係
も持てるようになりました。この人たちが憎んでいるのは、誰の中にも巣食って
いる醜い行為であって、人間そのものではないことがわかるからです。

なぜ日本だけが責められるのか、という人はいます。もちろん、世界には、悲
惨な人権侵害が今も続いています。ヨーロッパもアメリカも皆おぞましい過去を
抱えています。だからこそ、人の非を指差しているだけでは何も変わらない。自
分から変えようとする人が一人でも増えない限り、世界はいつもジャングルよう
に生きづらい場であり続けることでしょう。

そんな中で、またぞろ、橋下発言、安倍発言です。日本で通用する政治発言
が、世界に出て非難を受けて始めて話題となる、という情けない事態が今また繰
り返されています。

今月8日、この対話の会の16回目の会合がありました。体を壊し当日自分で読
むことができず代読していただくこととなりましたが、発表した当日の原稿が下
記のサイトにあります。日本の人たちの心の底からの生の声を世界は待っていま
す。津波や原発事故の被災地の人たちの生の声を、です。政治家だけが特権のよ
うに許された建前や偏向した発言とそれがもたらす当惑ではなく、。
https://sites.google.com/site/dlgnji4nl/textjapansedialogue16e-june8-2013

(筆者はオランダ在住・教育・社会問題研究者)

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