オルタナティブな旅の形

【自由へのひろば】

オルタナティブな旅の形
小グループのウオーキング・ツアー 

川島 瑠璃


 ヨーロッパ旅行から帰ったばかりという初岡昌一郎ご夫妻とコロンビア大学東アジア研究所フェロー〈元駐日アメリカ大使館参事官〉のロバート・イママンさんから、スペイン・アンダルシアの高原でドングリの実を食べている豚たちに出会ったという話を聞いたのは20年前のことだった。好物のセラノ・ハムの原材料が走り回っている風景を想像するだけで、食いしん坊の私はすぐにこの旅行に興味を持った。スペインの田舎の野山を足で歩き、地元料理とワインを堪能し、清潔な小型ホテルに泊まり、しかも、荷物は持たなくていい、と大変に魅力的な報告だった。

 英国オックスフォードにある小さい旅行グループが企画するウオーキング・ツアーに参加したということも判明した。しかも、翌年は同じグループでシシリアに行く予定とも。早速、仲間に入れてもらうように頼み込んだ。このシシリア歩き旅行が大いに気に入って、その後、数回にわたりスペインやイタリアのウオーキング・ツアーを楽しんでいる。

 このグループはATG(Alternative Travel Group)といって、トラベルライターで旅行大好き人間のクリストファー・フィニーが35年前にオックスフォードで立ち上げた。はじめての土地を知るには、自分の足で歩いて、自分の目で見て、肌全体で感じて体験するのが一番効果的だという信念の持ち主。いわゆる観光旅行ではない「もう一つの旅行」の形態を、オックスフォード大学の旅行好きの学生や卒業生に提案し、グループを立ち上げたと聞いている。既存の観光旅行に対抗する、当時としては画期的な手作り旅行グループだったようだ。今は10日前後のウオーキング・ツアーを、ヨーロッパだけでなく中近東や東南アジア、南米でも展開している。

 ATGにはいくつかの特色があって、それがこのグループを〔伝説的〕な存在にしているようだ。まず、その存在がまるで秘密結社のように、あまり広くは知られていない、というより、知られたくない節がある。口コミと元参加者の紹介を重視し、リピーターを歓迎する。リーダーと呼ばれるツアーガイドとマネージャーの2名が付き、ATG仕様のマイクロバス2台が使われる。1台に8名の客を乗せるから、定員は16名ということになる。

 歩きのルートはATGが独自に開発して、普通の地図には載っていないような小さな村々をつなぐ獣みちのような小道も歩く。そのために担当者が絶えずルートの調査と開発にあたるという。乗り物は最低限しか使わないし、車道を避ける。村のホテルから次の村のホテルまで、一日、15−20キロぐらいをのんびり歩く。ホテルは4つ星、3つ星などその村では高級ホテルだが、大抵が家族経営でオーナーはATGのスタッフとは顔なじみの場合が多い。翌朝、荷物をバンに積み、参加者が歩いている間にマネージャーが次のホテルの部屋に届ける仕組みだ。

 歩きと同じくらい大切なのが、食べ物と飲み物。地元の食材を使った料理と地元ワインがふんだんに提供される。スローフードが基本。食事中にツアーリーダーが翌日のルートを説明し、マネージャーから料理とワインを紹介する。野外の昼食はマネージャーの手作りのピクニックランチで、サラダ3種類、地元特産のチーズとハム数種類、ピックルス、焼き立てのパンとケーキ、果物にワイン。木陰に広げた赤白チェックのテーブルクロスが遠くから見えると、歩き組は歓声をあげ、マネージャーが冷たい飲み物とおつまみを持って出迎える仕組みになっている。どのトリップでもピクニックの赤白チェックのテーブルクロスは定番で、特製サラダはATGクックブックにもなっている。

 午前3時間、昼食休憩2時間、午後3時間が歩きの標準的なスケジュールだが、ホテルで休養をとることも、半日だけ歩くことも自由。昼食後にマネージャーの車で次のホテルに行くこともできる。一日の歩きが終わり次のホテルに入ると、自分の部屋には荷物が届いており、シャワーを浴びた後、アペリティフを飲み、村のレストランでフルコースの地元料理の夕食。ここでも料理とワインの説明があり、食後に翌日のルートの説明。歩きの最中で他のツーリストに出合うことはまずない。出会うのは地元の羊飼いと放牧されている牛たちだ。

 ウオークのルートはもちろん大事だが、リーダーの資質が旅の成功を左右する。一人で十数人の歩きに気配りをし、地元の言葉を話す。地元の住人とは顔見知りで、その地方の歴史や地理だけでなく、植物や鳥類についても専門家並みに詳しい。その上、客の荷物の積み下ろし作業もこなす。30代のATGのリーダーたちには、オックスフォード大学卒の優秀な人材が揃っている。ただ、客自身の感性と歩行力を重視する主義とのことで、説明は物足りないぐらい簡潔そのもの。ただ、質問すれば奥深い答えが返ってくる。

 参加者の大半はイギリス人の年金生活者で、元の職業も図書館員、教師、公務員など堅実な知識層という印象をもっている。手入れの行き届いた年代ものの革製の登山靴、羽飾りのついたチロリアンハット、使い込まれたザックなどで身を固め、長年一緒に歩いた人たちが持つ安定したリズムで淡々と歩くカップルが多い。無理をせず身の丈にあった休暇を楽しんでいる印象を受ける。

 私の大学時代のルームメートでニューヨークの高校で数学を教えるジュディ・コナントは、ウオーキング・ツアーのベテランだ。30年以上前にパキスタン北部フンザ地方のツアーに参加して僻地の魅力にとりつかれて以来、毎年アジアや中近東のへき地ツアーに参加している。中国のK2基地、ブータン、ラダック、リビア、ミャンマーなど。へき地に強いツアー企画旅行社がアメリカにも数多く、互いにしのぎを削っているようだ。

 たとえば、Wilderness Travel(www.wildernesstravel.com)、Geographic Expeditions(www.geoex.com)、Country Walkers(www.countrywalkers.com/)、50歳以上の冒険好きを対象とする Elder Treks (www.eldertreks.com)など。写真集やカラフルな印刷物、ネットのサイトなどでツアーを探す手立てはあるが、何といっても口コミ、ことに、元参加者の紹介が間違いなくよい旅行の決め手だそうだ。ツア−後に次の参加者に話してくれないかと会社から頼まれることもあるそうだ。

 このジュディに誘われて Mountain Travel Sobek(www.mtsobek.com)が企画したキルギスタンのウオーキング・ツア−に参加したことがある。参加者はアメリカ人3名と我々2名の計5名、リーダーはロシア語が堪能な若いアメリカの文化人類学者だった。ウズベキスタンのホテルで集合し、カザフスタン、タジキスタン経由でウオークの出発地点に到着すると、そこには馬が7頭、馬の口取りが7人、それに地元案内人が待っていた。

 全員の荷物、テント、寝袋、食糧(生きた鶏もくくられていた)を積み、馬チームを先行させて、参加者はリーダーの後をゆっくりとパミール高原の一端を歩く。水は途中で小川の水を沸騰、ろ過して補給した。宿営地に着くと、先発隊が参加者全員の個人テントとトイレ用のテントを張り、夕食の支度をして待っている。その場でシチューのような温かい食べ物や甘くて熱い紅茶や焼き菓子が供される。一日7−8時間の長い歩きの行程を繰り返したが、遠くに広がる天山山脈を背景に広々した草原地帯やお花畑の中を歩く爽快な旅だった。

 ジュディの体験から、成功したウオーキング・ツアーの共通点を聞いてみた。第一にフレキシブルな態度とユーモアのセンスを持つ参加者に出合うこと、第二に魅力的なツアーのコース、第三に優秀なリーダー、第四に地元のサポート体制が整っていること、だそうだ。食事や飲み物にこだわらないのはへき地専門だからだろう。

 他の誰に聞いてもツアーの成功の秘訣は優秀なリーダーにあるという。ツアー会社は「社員」の経歴や顔写真を紹介しても、特定のツアーに誰が付くかを事前に教えない。ATGにはカリスマと呼ばれるリーダーがいた。ピーター・ワトソンというオックスフォード大学卒、スペイン在住の英国人で、スペインの歩きに関しては彼の右に出るものがないという噂どおり、判断力、リーダーシップ、知識、気配りは断トツだと思った。この彼がATGから独立して自分のツアー会社を立ち上げ、スペインやイタリアの年間スケジュールを送ってくるようになった。何度か彼のツアーにも参加した。仕組みはATGスタイルをそのまま引き継ぎ、しかし、よりフレキシブルに参加者のニーズに合わせる努力が見られた。ピーターに続いて、ATGの優秀なリーダーが次々と独立し、自分の強みを生かしたコースを作るようになっている。

 今年のドロミテツアーのリーダー、イサベル・ジョンソンもATG出身で、英語教師と翻訳者として働きながら、自分たちの小さい旅行会社を立ち上げている。アルプスガイドのイタリア人の夫とドロミテの村に住み、近くの村のイタリア人女性とパートナーを組んでいる。オックスフォード大学で歴史学を専攻しただけあって、ドロミテ山塊を舞台とする第一次世界大戦や、オーストリア・ハンガリア帝国、ドイツとイタリアの歴史的背景を簡潔かつ見事に解説してくれた。地元在住の強みで、フルコースの食事に食傷気味だった我々のために、自分の家庭菜園から採ったズキニやナス、地元特産のソーセージを使って公園でバビキューをしたり、新鮮なトマト・レタス・サラダを作ってくれた。知的で、個性的な色合いが濃いリーダーだった。

 さて、日本でも小グループのウオーキング・ツアーができるだろうか? 香港ベースの Walk Japan(www.walkjapan.com)という会社は1992年の創立、この分野での日本のパイオニアを自称している。年間を通して数多くの英語による日本紹介ツアーを提供していて、サイトも充実している。中山道、芭蕉の奥の細道、北海道などの一週間コースから京都や東京の一日コースもあり、ガイドは英語が堪能な日本人のようだ。しかし、このグループの対象はあくまでも外国人であり、その目的は本物の日本を紹介し日本の文化や歴史を感じ取ってもらうのが趣旨だ。

 歩き旅行というと現在の日本ではバスか鉄道で近くの駅まで行き、そこから目的地までハイキングをしたあと、温泉で一風呂浴び、または、一泊するのが定番だろう。日数を要する四国のお遍路や熊野古道となると相当の心構え、体力と時間が必要だ。気軽に村から村へ里山を歩き、森林浴と温泉を楽しみ、郷土料理や地酒を楽しむなどを組みあわせたウオーキングの旅に対する需要は潜在的に大きい筈だ。費用効果性が高く、創意工夫が生かせる小グループのウオーキング・ツアーの仕組みと、それを可能にするインフラがまだ成熟していない。

 ルートの調査や開発、ツアーの企画とマネージメントには専門知識が必要だし、リーダーの養成には時間もかかる。NPO、企業、地元自治体が協力して、新しい形の社会的起業としてウオーキング・ツアー専門団体を立ち上げられないだろうか。ウオーキング・ツアーの普及は社会的なインパクトを持つもので、環境意識の向上にも役立ち、地域の活性化にも寄与するだろう。車離れしているワカモノ、健康志向の高齢者、美食系の女性、子供を持つ家族が各自の志向に合ったルートを選んで小グループで歩く。日本型の「もう一つの旅行」が生活の一部となるのも夢ではないと思う。

 (筆者は、ジャパン・ソサエティー東京代表)


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