【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

カシミールでいま起きていることはインド政府による「民族浄化」か

荒木 重雄


 インドをめぐる内外の情勢がにわかにキナ臭さをましてきた。4・5月の総選挙で圧勝したモディ政権が、勢いに乗って、長年に亙るインドとパキスタンの紛争の焦点カシミールへの関与を強めたからである。

 その第一弾は、7月に発表された、イスラム教徒が多数を占めるカシミール渓谷へ、紛争を避けて故郷を離れたヒンドゥー教徒を帰還させるという名目での、ヒンドゥー教徒移住計画であった。当面、20万人から30万人の「帰郷」を見込むといい、この施策が地元イスラム教徒住民および隣国パキスタンとの新たな火種となることは明らかであった。
 だが、攻勢はそれだけに止まらない。8月に入ると早々に、カシミールの州として自治権を剥奪し、中央政府直轄地とする暴挙に出た。何故いま、内外からの反発が予想される、このような挑発的強硬策を打ち出したのか。

◆◇ パキスタン空爆で起死回生を図った政権党

 総選挙では、モディ首相率いる与党・インド人民党(BJP)が圧倒的勝利を収めたが、じつは、昨年末に行われたその前哨戦とされる五つの州議会選挙では手痛い連敗を喫していた。BJPが州政権を握っていた三つの州で政権を失い、他の州でも議席を大幅に減らした。
 年7%超の経済成長を謳いながらの、農村の疲弊や失業の増加が大衆の不満を招き、総選挙での政権交代は半ば自明のことと目されていた。

 そこに起こったのが2月の、カシミール地方でのイスラム武装勢力による自爆テロであった。係争地カシミールでは自爆テロ自体は珍しくない。ところがこのたびは対応が違った。従来は治安部隊が自国領のテロ現場で対処するに止めていたが、モディ政権は報復として、パキスタン領内に越境し、武装組織の拠点とされる施設の空爆にまで踏み込んだのである。
 この強硬策が図に当たって、過去に3度戦火を交えたパキスタンに反感を持つインド国民大衆、とりわけその約8割を占めるヒンドゥー教徒大衆を熱狂させ、一転して、爆発的な高支持率を獲得するに至ったのである。

 ヒンドゥー大衆の受けを狙った強硬策は、ヒンドゥー至上主義政党BJPが繰り返し演じてきた得意技ではあるが、では、カシミール問題とはいったい何なのか。

◆◇ カシミール問題のそもそも

 100万人に及ぶ犠牲者を生んだ混乱の中で1947年、英領インドが、イスラム教徒主体のパキスタンと世俗主義を掲げながらヒンドゥー教徒主体のインドに分離独立した際、懸案になったのが、英領インド内に多数存在した藩王国の印パどちらかへの帰属であった。その決定は各藩王国の選択に委ねられた。
 カシミール藩王国は、住民の多数がイスラム教徒であるが、藩王ら支配層はヒンドゥーであった。藩王が独立も構想しながら決定を迷っている間に、インドへの帰属をおそれた住民がパキスタン帰属を求める運動を起こし、これに呼応する形でパキスタン軍が侵入してきた。驚いた藩王は急遽インドへの帰属を決定し、インド軍の派遣を求めた。こうして第1次印パ戦争が勃発。

 49年、国連の調停で停戦ラインが引かれ、カシミール地方はインドとパキスタンに二分され、一部を中国が実効支配する形となった。この停戦ラインはその後、部分的な変更はあるものの、現在の「管理ライン」に引き継がれる。インド側がジャンムー・カシミール州、パキスタン側がアーザード(自由)・ジャンムー・カシミール州ならびに北方地域だが、両国ともカシミール全体の領有権を主張し、相手側の主権を認めない。

 その後2度の戦争を経ても問題は解決せず、砲火を交える小競り合いは頻発。ときに、核兵器を保有する両国の核戦争への危機さえはらんだ。
 とりわけインド側では、住民の分離独立やパキスタン帰属の志向が強く、それを力で抑える中央政府や治安部隊への反発は根強い。

◆◇ 「特別な地位」剥奪が意味するもの

 インドは連邦国家であり、中央政府とは別に州ごとに州議会と州政府があり、軍事や外交、通信などを除いて一定の自治権をもつ。ただし、州と中央政府の対立や州内の混乱が収拾不能となった場合には大統領令によって一時的に州議会・州政府を廃して中央政府直轄とすることができる。
 このような一般的な自治権に加えて、ジャンムー・カシミール州(インド側カシミール)には、国の法律の適用に当たっても州の同意が必要とか、州外のインド人が土地を買うことを制限するなどを含めた「特別な地位」が、独立以来、憲法(第370条)によって保証されてきた。それは、上述のような、イスラム教徒の多い地域を半ば強制的に統合することに伴う混乱や不安定化を避けるための知恵であったが、このたびの自治権剥奪と中央政府直轄統治は、これらの既得権をまるごと奪うものである。

 地元イスラム住民からは当然、これを「民族浄化」「国内植民地化」と抗議する声が上がった。それに対して中央政府は、デモには散弾銃と催涙弾を浴びせ、外出禁止令を発し、州と外部との通信を絶ち、州首相経験者を含む地元の政治家ら数百人を拘束し、数万人の兵士を送り込んだ。首都スリナガルなどでは各所が有刺鉄線で封鎖され、銃を持った治安部隊員が数メートルおきに立つ厳戒態勢が日常化している。
 反発は国内だけではない。パキスタンや中国との緊張が高まっている。

 カシミール問題の解決については、じつは、すでに1948年の国連安保理で、その帰属は「自由で公正な住民投票で決められるべき」と決議されている。だがこれは、イスラム教徒が大多数のカシミールで住民投票を行えばインドからの分離独立やパキスタン帰属が選ばれる可能性が高いことから、インド側が避け続けてきたことだった。これに対して現モディ首相率いるヒンドゥー至上主義政権が出した答えが、このたびの事態である。

 さて、本稿の題名を「カシミールで起きていることはインド政府による『民族浄化』か」としたが、冒頭に述べた「ヒンドゥー教徒移住計画」と、州外のインド人が不動産を購入する制限の撤廃を含む自治権剥奪を考え合わせると、「民族浄化」の表現もあながち誇張ではあるまい。少なくともイスラム住民の団結力を薄め、中央に抵抗する力を弱め、中央が意図する「開発」の推進を容易にすることは確かだ。それは、中国がチベット自治区や新疆ウイグル自治区において行っている政策と大差あるまい。

 なお、当『オルタ広場』の14号(2019年6月)・15号(同7月)では福永正明氏が「フォーカス:インド・南アジア」でモディ政権の性格や政策について、また、『オルタ』155号(2016年11月)では拓徹氏が「危機に瀕するカシミール」でカシミールの状況を広範かつ詳細に論じている。併せて読まれることを強くお勧めしたい。

 (元桜美林大学教授・『オルタ広場』編集委員)

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