ガン闘病記(その9)

■【ガン闘病記】(その9・最終回)           吉田 勝次

─────────────────────────────────
  頭が固くて融通がきかない、生真面目で柔軟性に欠けると、絶えずはっぱをかけられている私ですが、今回が最終回ですから、精一杯柔軟かつ融通無碍で気の抜けるところは気を抜いた闘病生活をご報告したいと思います。11月24日には市民向けの公開講座で話しますが、その題は「癌患者に死ぬ暇はない」というものです。生真面目な私は、公開討論の二部に留学生が語る「現代中国の光と影」というシンポジウムも計画しています。真面目さはなかなか抜けないものです。10ヵ月の連載を辛抱強くお付き合いいただいた読者の皆様に感謝いたします。とくに、同病の癌患者の皆様に少しでも勇気を与えることができればこの上ない喜びです。
  癌患者の皆さん、いろいろやってもなかなかうまくいかない時が多いですね。私は検査の前にいつも、「結果は悪いに決まっている」そう思って出かけることにしています。悪くても想定の範囲内、少しでもよければしめしめ良かったと喜べるわけですからこの姿勢はけっして悪いものではありません。術後3年近く経ちました。朝夕のウォーキングも生真面目に重ねてきました。ざっと8000キロを歩いたことになります。スポーツシューズも4足はきつぶし、5足目に入りました。それでも帰り道、たった300mほどのゆるやかなスロープを登るときに途中2回休憩して息継ぎをします。これは妻には内緒です。貧血の数値もある段階で悪化に歯止めがかかったものの、一年以上好転していません。私よりご年配の
ご婦人がどんどん追い抜いていくのを見て、「こん畜生!」と思うことも再三です。なかなか回復しない、なかなか好転しない。でも最近は発想を根本的に変えています。そう簡単に回復するのでは難病とはいえない、険しくなければ登山とはいえない、そんなふうに考えながら闘病しています。そこで癌患者の読者の皆様に励みになる詩を一つ紹介します。

人間は生まれたばかりのときは柔らかくて弱いが
死ぬときは固く、硬直する

どんなものでも
最初は草木のように柔らかく脆いが
死ぬときは枯れて、固くなる

頑固に固執する姿は
死んでいくことに等しく
柔軟で弱々しいようすは
生きている証だ

だから
強さばかりを誇っているものは勝つことはできない
なぜなら
固い木は必ず折れるからだ

強くなろうという考えはやめにして
弱くたおやかであることを
一番たいせつに考えよう
 
 これは伊藤淳子さんが翻訳した老子の「強さより柔らかさ」という詩です。お互い体はかちかちで固く、気持ちは頑固で年取っていると感じているかもしれません。朝のグランドを歩く時、周囲には数十本の桜の大木が紅葉しています。老木なので表皮はこちこちです。でも来年必ず瑞々しい芽を出し花を咲かせることでしょう。その瑞々しさと花の色はけっして若い桜にひけをとりません。桜は枯れてやがて土に還ります。しかしその日まで、瑞々しい花が咲き続けるはずです。ですから私もやがて死んでいくわけですが、死ぬ日まで瑞々しい命を保つことはもちろん可能だと考えています。私が太極拳と気功にはまっている理由の一つは、こうした死生観が病んでいる私にとって一番得心のいくものだからです。
  闘病生活を愉快なものにするためには、なんらかの形での社会参加が絶対に必要です。癌の患者の会、太極拳教室などは私の生きがいにも等しいものです。もう一つ、私の社会参加に、毎日昼に通っている楽寿園という老人施設での入浴があります。2年半も通っているわけですから何人もの顔なじみがいます。もちろん派閥抗争もあります。先日など洗い場から更衣室に出たときに、7~8人の風呂上りの年寄りが二派に分かれて大声で言い争っています。楽寿園から7~800m下った所にあるスーパーまで自転車を一度もこがないでたどり着けるかどうかという争いでした。もちろんケツを掻いているのは、かねてから犬猿の老人会の副会長と角刈りのおっさんときているのでは収拾がつきません。でもいいものですね。派閥抗争というのはコミュニティを活性化させる特効薬ではありませんか。

 先日はまた、70代後半の常連客が拉致問題をとり上げて北朝鮮をぼろくそに叩いていました。お、例によってまた始まったなと思っていると今日は論点が少し発展していました。彼がいうには、「ここだけの話だが土井たか子は北朝鮮人なんだぞ」。すると、黙って聞いていた小作りの常連客が、湯船のなかから「朝鮮人じゃどうして悪いのかな」とつぶやきました。NTTを40年間勤め上げ、柔道2段で10年ほど前胃癌で胃の全摘をした彼は、黙っていられなかったのでしょう。全盛期の時代の全電通労働組合の健在ぶりを見る思いでした。ついでに私の作ったつたない詩を一つ紹介しておきます。


■楽寿園の男湯はきたない


胴長のあいつは腰まわりのかけ湯もそこそこに
湯船にどっぷりとつかり、またはじめる
両手で股間を気持ち良さそうにマッサージしている
それもハンパじゃない。10回、20回………
口をあけ、放心したようにじっと天井をみている

角刈りのあいつは肩をいからし
自家製のスリッパをつっかけたまま、オッスと威勢良く入ってくる
だが話題は今日もまたセコい
閉店前のマルアイじゃ中国製の蒲焼がマックスバリューより60円安い
230円だぞ

浅黒い猫背のあいつは
毎度カラスの行水で、入ったと思ったら飛び出していく
下から彼のいちもつを眺めると
睾丸の後に拭き残した紙が白くこびりついている
だからだろうか、やつは毎度念入りに
それこそ皮膚がはがれるんじゃないかと思うほど
ごしごし洗っている
だが順番が逆だろうが

腹と胸に大手術のあるガリガリに痩せた瀬の高いあいつは
一度も石鹸で洗ったことはない
ただ長々と湯船につかって外を眺めているだけだ
あいつとは安保免疫理論に凝って
垢まみれが病身に一番だと信じ込んでいる俺のことだぜ

頭のでかい痩せた長身のあいつは
腰周りの肉がげっそり落ち込んでいる
5分ほど足を湯に浸していると思うと臍まで10分ほど風呂につかっている
すると決まってブクブクブクと
ガスがやつの周りに小山のように盛り上がってくる
それも1時間に5回も6回もだ
風呂中大腸菌でいっぱいだ。ひどい話だ
ひどい野郎とはこの私だ

誰かが小声でホームレスが入っているぞと言う
怖いものでも見るように浴室をどこだどこだと覗き込む
だがよく考えてもみよ
俺もお前も似たり寄ったりじゃないか
こないだなんかは風呂の中に
ぺっぺと唾を吐きこんでいた大物だっていたじゃないか
そう目くじらをおたてなさんな
老輩諸君

 ついでに私が舞い上がっている愉快な話をもう一つ書かせていただきます。すでに何回か予告しました太極拳の本が春秋社から9月末に出版されました。2200円+税です。装丁もなかなか目を引くように作られていながら、それでいて品位のあるものです。この本を使って私は毎週土曜日午後2時間ほど20人ほどの癌患者を中心に太極拳教室を主宰しています。教室の理念は以下の三つです。
  (1)気功・太極拳の練習と健康学習を通して、一人ひとりの命のエネルギーを強め、病を予防、あるいは克服する過程を手助けし、教室が癒しの場になるようにつとめる。
  (2)お互いの出会いを大切にし、各人がみずからの心身の声に耳を傾け、そのなかで生まれる直感や愛情を大切にする。
  (3)一人ひとりが、身体的、精神的、霊的および社会的に調和のとれた活力ある状態をつくり上げ、健康に向かうようにつとめる。

 この理念は私の闘病の戦略的アドバイザーとでもいえる帯津良一医師のクリニックの理念を気功・太極拳教室風にアレンジしたものです。3年生存をはかる、これが最初の目的でした。来年1月17日で丸3年を迎えます。来年には5年生存をはかるという目的を立てるつもりです。もちろん相手は難敵ですので紆余曲折のあることは覚悟しています。地球が自分を中心にして回っていないことはよく分かっています。仮に何度か戦闘に破れてももう一度粘り強く、戦線を立て直し、立ち向かっていきます。私にはそれを支えてくれるよき妻と家族があります。よき友人と先輩がいます。すばらしい医師や医療関係者がいます。私はその目的を達成するものと確信しています。「さあ、明日は戦いだ!」これは病に倒れたサハロフ博士の最後の言葉でした。そして、戦い抜き倒れたとしても、悔いは残らないと思います。そのあとは誰も見たり聞いたりしたことのない世界ですからどんな想像力も可能なはずです。私はレールモントフの想像力をお借りして旅立ちます。

■われひとり道に出れば

われひとり道に出る
霧のかなたに光る石くれの道
夜のしじま原野をわたる神の声
星星は語らう

天上はおごそかで美しく
青ききらめきに大地は眠る
なぜわれかくも苦しみかくも悩む
なにをを望みなにを悔やむや

もはや生くるに望むものなし
過ぎしときを悔やまず
求むるは自由とやすらぎ
願わくは忘れ去り眠りにつかん

されど墓場の冷たき眠りにあらず
欲するはとこしえの眠り
わが胸に生の力ひそみ
胸かすかに息づく

昼となく夜となく聴こゆるは
甘くやさしき愛のうた
わがうえにとこしえに青き樫の木 
黒く茂りたわみささやく 
(吉田春子訳)

              (筆者は兵庫県立大学教授)

                                                    目次