キムチとキムジャン文化

【自由へのひろば】

キムチとキムジャン文化

延 恩株


 私は日本の胡瓜や茄子、人参などのぬか漬けや浅漬けが大好きです。韓国人ですからもちろんキムチも大好きです。食卓に漬け物類がないと物足りなく感じますし、時にはキムチや漬け物だけでご飯を食べてしまうほどです。ただキムチだけは日本に来てかなり長い間、日本製の物はどうしても口に合いませんでした。多くの韓国人は日本の「キムチ」は似て非なるものと見ていますし、私もこの点については同感です。

 1996年に国際食品規格委員会で日本が提示した「kimuchi」ではなく、韓国が強く主張した「kimchi」が英語表記として正式に認められました。キムチは韓国が本場であり、韓国を代表する食品ということを国際的に承認したからでしょう。日本製のキムチがなぜ口に合わなかったのか、その理由ははっきりしています。 塩漬けにした白菜、胡瓜、大根などに「薬味類を混合、低温で生成を通し発酵した食品」(大韓民国農林部)こそキムチで、発酵させていない日本製キムチは、私からすればキムチではないからです。韓国では、非発酵の塩漬けした即席キムチは「コッチョリ」と呼ばれています。

 キムジャンキムチはもともと越冬用の保存食で、漬け込むときに魚介類、あるいは魚醤や塩辛、塩アミなどにニンニクを入れる熟成型食品です。つまり海産物材料によって乳酸菌の発酵を促し、時間とともに熟成されて独特の旨味が出てくるというわけです。その一方で、強く濃厚な匂いも伴いますので、日本人には味わう以前にその匂いのために敬遠されてしまいがちです。独特の匂いで敬遠されるということでは、新鮮なムロアジやトビウオなどを乳酸菌が含まれた魚醤に漬けた「くさや」と似ているかもしれません。

 それから日本人が韓国製キムチを敬遠するもう一つの理由は強い辛さにあります。1980年代後半に日本では激辛ブームが起こり、キムチも日本人に馴染みある食品の一つになったようですが、おしなべて日本人はまろやかな辛さを好みます。

 こうして日本人には発酵させず、キムチ風味の汁に野菜を漬け込んだ、辛さまろやかで淡泊な味わいの浅漬け型キムチが好まれるようになったのでしょう。
 私は熟成型キムチと浅漬け型キムチがあっても構わないと思っています。韓国人からすれば、日本の浅漬け型はキムチではなく「コッチョリ」だ、となるのでしょうが、だからといって、それに噛みつく必要などないし、「日本人は本当のキムチがわからない民族」などと言うのは間違っています。

 食文化はその土地の気候、風土、民族性と密接に関わっています。大陸性の気候である韓国は冬期の気温は日本に比べるとずっと厳しく、だからこそ熟成型で、唐辛子をたくさん入れ込んだ辛いキムチが根付いたのです。日本は韓国の気候に比べるとずっと温暖で、野菜もちょっとした保存方法で冬場でも手に入れることができます。冬場の野菜不足を補うためにキムジャンキムチのような野菜の保存食を作らなければならない切実さは日本人にはなかったのです。

 その替わり、日本にはたくさんの種類の淺漬け野菜やぬか漬けがあります。特にぬか漬けは米糠を乳酸発酵させて作った糠床に野菜などを漬け込んで作るもので、乳酸発酵させるという点ではキムチと同じで、日本の食を代表する一つだと思います。でも漬けこむ時間がキムチとは大きく異なります。野菜の種類や形状にもよるでしょうが、せいぜい半日から一日で、1年中そのぬか床を使い続けることができます(ぬか床の手入れは必要ですが)。

 ところで2013年12月、韓国の「キムジャン文化」が日本の「和食」とともにユネスコの無形文化遺産に登録されました。誤解していけないのは、キムチという食品そのものではないことです。韓国政府はキムチとキムジャン文化の二つをユネスコの無形文化遺産として登録を目指したようですが、認められたのはキムジャン文化だけでした。

 これは和食が無形文化遺産として認められたことを考えれば、当然でしょう。フランス料理も無形文化遺産として登録されていますが、いずれもその料理を生み出し、培ってきた文化そのもが登録されたのですから。和食もフランス料理も個々の食品名や料理名はありません。

 キムジャン文化とは、韓国の全土で行うキムチ漬けのことで、寒くて長い冬を過ごすために大量に漬けるため、人びとが助け合って行う韓国人の生活にとって欠かせない越冬の準備を指します。

 キムチ漬けは冬場に一斉に行われますが、実は一年間の準備が必要です。春になると各家庭では、海老やカタクチイワシなどの海産物を塩漬けにして発酵させておきます。夏には天日塩の苦みを落としておき、夏の終わり頃に赤唐辛子を干して粉末にしておきます。秋が深まるにつれて、主婦たちはキムジャン日を決めるために天気を気にし始めます。

 こうして立冬前後に行われるキムチ漬けは、一年を締めくくる行事で、私が子どもの頃までは、この季節になると会社から「キムジャンボーナス」が父親に支給されていたことを記憶しています。

 キムチ漬けの種類、方法、材料、そして保存法は代々継承されていく家族遺産であり、それらはすべてその家族たちの経験に依存してきています。嫁は姑から受け継ぐのが一般的で、その家庭のキムチ漬けを覚えることは、嫁が嫁ぎ先の家庭に根を下ろしていることを意味します。

 キムチの材料と漬け方が地域ごとに異なる最大の理由は、気温の差です。北の地域は気温が低いのでキムチの塩加減を薄くし、薬味を淡泊にして野菜の新鮮さを保ちます。南の地域では塩加減を強めにして漬け、塩味だけでは味が悪いため、春先に塩漬けしておいた海産物や牛肉汁を混ぜたりします。またニンニク、生姜、唐辛子、それにもち米をのり状にして加えることによって発酵味を出します。西の地域ではカタクチイワシを、東の地域では太刀魚、鯖などを、また中央の地域ではイシモチ、アミの塩辛を入れますが、どれも塩漬けをし、発酵させたものです。

 こうしてニンニクや魚介が混ざったキムチ独特の発酵の匂いが生まれます。北のキムチは汁けが多く、淡泊でさわやかな味であり、南のキムチは唐辛子を多めに使い、汁けがほとんどなく濃い味です。また中央地域のキムチは白菜などの野菜や汁が真っ赤ではなく、淡色のピンク色になっているのが特徴です。

 キムジャンは韓半島の気候、季節、各家庭の生活環境、食習慣により多様で、それぞれの地域ごとに定着しています。韓国人が自然との調和をはかるなかで育んだ食文化で、地域ごとの生態系をみごとに反映しています。またキムチの熟成方法(貯蔵方法)も住居環境などと深く結びついているのがよくわかります。

 それだけにキムジャン文化をユネスコが世界の無形文化遺産として登録したことは大変すばらしいことで、韓国人は誇りに思っていいのではないでしょうか。
 韓国ではキムジャン季節が近づくにつれて、日本の桜前線ならぬ、キムチ前線の移動がテレビなどマスコミで報じられ始めます。それだけ韓国人には冬の季節の到来を知る国民的行事になっているのです。

 でも最近は農業技術の発達や輸入などで、白菜などもほぼ一年中、手に入れられるようになり、キムジャン季節に大量にキムチを漬け込まなくなってきました。我が家でも私が子どもの頃は7人家族で、漬け込む白菜だけでも150個前後でしたが、現在は家族数の減少もありますが、かつての3分の1程度です。また保存の方法も、かつては甕を大量に使い、戸外や土中に埋めたりして保存しましたが、現在では家庭用のキムチ用冷蔵庫が出回り、大量に漬け込む必要がなくなってきました。

 さらに20世紀後半からは急速な都市化と若い世代に食生活の欧米化が浸透し始めました。その結果、キムチなしの食事など考えられなかった韓国人が減ってきて、確実にキムチの消費量が減少してきています。

 キムジャン文化という点で気になるのは、都市化に伴って韓国でも核家族化が進み、共働きの家族が増えてきていることです。若い主婦はキムジャンの季節にキムチを漬ける時間がなくなり、実家から分けてもらうか、買って来る人が増えてきています。地域共同体の上に成り立ってきたキムジャン文化ですが、都市化と食生活の西欧化は韓国固有の文化の維持を弱めてきているのは事実です。

 皮肉なことに、キムチ産業は年々増加の一途をたどり、その一方でそれぞれの家庭や地域で行ってきたキムジャン行事が減少してきています。

 自家製キムチは「おふくろの味」であり、その家族の味であるはずです。その「おふくろの味」を大切にしようとするか否かは、これからの韓国を支えていく若い韓国人の価値観に大きく左右されることになるのでしょう。故国を長く離れ、日本に住む者として、キムジャン文化がユネスコの無形文化遺産として登録されたことを喜ぶとともに、故国からこのすばらしい文化が廃れ、ただの“遺物”とならないようにと祈るばかりです。

 (筆者は大妻女子大学助教授)


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