コペンハーゲン・コンセンサス

■海外論潮短評(11)

コペンハーゲン・コンセンサス       初岡 昌一郎

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アメリカの国際問題専門誌『フォーリン・アフェアーズ』今年3/4月号に,
「ザ・コぺンハーゲン・コンセンサス」という論文が、「デンマークでアダム
・スミスを読む」を副題に掲載されている。この論文は、自由で規制されず、
透明度の高い経済活動が、福祉国家を支えていることを指摘しており興味深
い。福祉国家は社会的サービスだけでなく、経済活動をも官僚的に規制してい
ると見る俗論のアク抜きのためにも一読に値する。また、経済的自由と社会的
公正の両立可能性、というよりも相互補完関係のあることを理解するのに役立
つし、日本における労働と社会を考えるうえで示唆に富んでいる。     

筆者のロバート・カットナーは、『アメリカン・プロスペクト』誌共同編集者
で、シンクタンク「デモス」上級研究員のロバート・クトナーである。彼に
は、『アメリカの無駄遣い―わが国の政治がいかに先行きを暗くしたか』とい
う著書がある。

「オルタ」55号(次号)には、東海大学名誉教授で、かつて同大デンマーク研
究所長としてコペンハーゲンに数年を暮らしたことのある、畏友前島巖氏の教
育論が掲載される予定である。
それをより良く咀嚼する一助になるとも思われるので、カットナー論文のいく
つかのポイントを以下に紹介して見る。


◇アダム・スミスの所見


自由な市場の見えざる手に政府が汚い親指でさわらない場合に、経済が最もう
まくゆく、とアダム・スミスが論じたのは1817年のことであった。デー
ビッド・リカードは、スミスの洞察を世界的な取引に拡張して、自由貿易が国
際的に最適な結果をもたらすと論じた。

デンマークは小規模で、開放的な経済を成功させており、対外開放度はアメリ
カとスイスに次いで世界第三位と評価されている。デンマークの金融市場はク
リーンかつ透明であり、輸入障壁は最小限、労働市場はヨーロッパで最もフレ
キシブル、失業率は2.8パーセントで、OECD諸国中最低から二番目だ。
その大企業は多国籍化してダイナミックであり、国の産業政策にほとんど拘束
されていない。

他方、デンマークはGDPの約50パーセントを公的に消費しており、スウェ
ーデンに次いで世界第二の高税率である。強力な労働組合があり、所得分配が
世界で最も公平な国のひとつである。国民はGDPの半分を税金で納入するこ
とによって、等しく健康保険を得るだけでなく、手厚いチャイルドケアと家族
的理由のための休暇制度、損失賃金の95パーセント程度まで保証する失業手
当、無料の高等教育、安定した老齢年金、世界で最も創造的な労働者再訓練制
度を維持している。

デンマークが、アダム・スミスの理論と福祉国家の最良の部分を結合させる秘
密の処方箋を持っているわけではない。制度は歴史的な諸条件と努力の中で形
成されたものであり、システムとして直輸入しうるものではない。 しかし、
その経験と成果は、市場のダイナミズムを社会的個人的保障とどう調和させる
かと苦闘している他の国にとっても教訓を与えている。


◇連帯的な資本主義                          


現行デンマーク・モデルの核は、フレキシキュリティとして知られる労働市場
戦略である。その考え方は、雇用保障を仕事のフレキシビリティと調和させる
ことにある。この点で、デンマークは自由な市場と社会民主主義を独創的にブ
レンドしている。

実際に、デンマークの転職率はヨーロッパ最高である。隣国のドイツでは、頻
繁な転職を可と見るものが30パーセント以下だが、デンマークでは70パー
セント以上だ。デンマークでの調査回答者は、平均で使用者を6回替えてい
る。使用者は思うように労働者を配置できるが、それはすべての労働者が手厚
い社会的給付を得ており、劣悪な"臨時的"産業が存在しないからである。立
場の弱い臨時的雇用契約はほとんどの国で広がっているが、デンマークでは1
980年代中ごろから減少した。ほとんどの先進諸国では多くの中高年層が長
期の失業に沈潜しているが、デンマークでは圧倒的多数の失業者が6ヶ月以内
に労働に復帰している。

職業転換を容易にする労働市場政策に、デンマークは実にGDPの4.5パー
セントを振り向けている。これにより、職業転換期の所得保障や高度に個人的
ニーズを考慮して設計された職業訓練が行なわれている。ちなみに、アメリカ
における労働市場向けのあらゆる補助金は、GDPの約0.3パーセントに過
ぎない。デンマークは、労働市場政策に他の選択的な道があることを示してい
る。

デンマーク・モデルは、自由貿易を経済的安全保障と両立させることによって、
もう一つの不可能に挑んでいる。グローバルシステムにおいては、低賃金、安
い税金、緩い社会的規制を求めて企業が移動する。定型的な生産が中国に移る
ことは、高度な工業国が知識集約的な産業や技術に集中するのを助けると受け
とめられている。また製造業がオートメ化するにつれて、サービス部門の仕事
をより専門化させる可能性が生まれる。たとえば、デンマークの介護労働者
は、アメリカの同種労働者よりも専門的訓練を受けており、より高い給料を得
ている。

デンマークの賃金は、OECD(先進国)平均よりも約70パーセント高いが
、デンマーク労働者の高い生産性はそれを正当化する。そして、デンマークの
社会福祉は、社会保険料ではなく、所得税によって賄われているので、使用者
にとって全体の労務コスト負担が緩和されている。

デンマークに典型的な独創性のもう一つの例だが、幅広い選択の余地が社会福
祉モデルに意図的に組み込まれている。部分的には社会主義的だが、きわめて
リベラルな制度となっている。画一化を廃して、基本的に公的な制度の中に選
択と競争が取り入れられている。たとえば、医療ケアは基本的に公的な制度で
提供されているが、民間保険で補足されており、現在、約7パーセントの人が
それを利用している。

教育では、幼稚園から大学院に至るまですべて質的に充実した公教育が無料で
提供されているが、私学やカトリックの学校も85パーセントの費用を補助さ
れている。


◇偉大なデンマーク人たち        


アメリカなど、北欧以外の先進工業国で特徴的な組合つぶしがデンマークでは
行なわれていない。組合はほとんどの労働者を代表する交渉代行者としての権
限を持っており、利益集団というよりも、制度全般の運用者として行動してい
る。組合員の増大が組合と密接に提携した社会民主党を支配的な与党に押し上
げており、組合はその社会的モデルの守護者となっている。広範な経済的保障
を伴う平等主義的な社会が国民的な誇りとして定着している。

しかしながら、社会的コンセンサスは不断の配慮を要する。1970年代のデ
ンマークでは、過度に寛大な生涯保障給付が、オイルショックによる低成長と
衝突した。失業率の急激な上昇によって、納税者の反乱が起きた。その当時、
デンマーク・モデルの生き残りが疑問視されていた。

1990年代初めに政権に復帰した社会民主党が三度にわたる改革によってモ
デルを修正し、成長軌道に経済を乗せた。その当時、失業率は12パーセント
前後に高止まりしていたが、五体健全なデンマーク人が失業給付と身障者給付
を長期にわたり受給していたケースが多くあった。こうしたことは、労動倫理
を害い、システムを維持不可能にし、そしてその正当性に疑問を投げかけた。

労働組合は制度の乱用を摘発することに合意し、失業補償期間を8年から4年
に短縮することに賛成した。政府は職業訓練をカスタム化するために財源を増
やし、臨時的賃金補助を特に25歳以下の若年者向けに行なった。デンマーク
の失業補償は以前の給与の95パーセントだが、アメリカでは30-35パー
セントにすぎないし、保障期間は僅か6ヶ月である。しかも、製造業からサー
ビス業に転職すると賃金が大幅に減るのが普通である。

規制されないサービス業は低賃金労働者の吹き溜まりとなる。たとえば、家事
労働は訓練によってグレードアップできにくい仕事である。ベッドメイク、洗
濯と掃除などは基礎的な労働である。1990年代にかなりの議論を経て、こ
れらの労働が低賃金のゲットーとならないために、政府が賃金補助の対象とし
た。それは、低賃金の存在が、全体の賃金を引き下げる効果を持つからであ
る。

デンマークの納税者は雇用保障、医療保険、手厚い家族休暇、安心できる年金
を負担するだけでなく、ハウスクリーニングや低賃金に対する補助も負担して
いる。


◇将来にとっての諸問題    


今日、そのモデルは多重的な諸力によって侵食される危険に直面している。人
口の高齢化により労動人口が減少するので、税金を引き上げずには財政的に制
度を維持できなくなる。これまでのところ、制度を刈り込む調整によって根幹
を維持してきた。

より深刻な脅威は、貿易以外のグローバル化の影響である。問題の第一は移民
だ。人口547万人のデンマークに現在その約6パーセントに当たる、33万
人の外国生まれの住民がいる。移民の約半分がムスレム教徒だ。デンマーク人
は寛大であるが、多様性を連帯性と調和させるのは容易でない。

低技能の移民が公的給付を大きな割合で受給している。ほとんどの移民は貧困
国の出身であり、非常に異なる伝統や社気的慣習を持っている。中には、デン
マーク人の規範や啓蒙主義的価値観と相容れないものもある。移民がさらに増
加すると、生粋のデンマーク人が今のモデルを支持しなくなるリスクが高まる
だろう。

次にEUの影響がモデルを左右する。 かつては、EU委員長のジャック・ド
ロールをはじめ、社会民主主義者がEUの政策形成に大きな影響力を行使して
いた。しかし、今やEUはネオリベラル派の主導下にある。

グローバリゼーションは他の面でもデンマーク・モデルにとって脅威になって
いる。アングロサクソン型資本主義の旗手である、ヘッジファンドや投機的金
融業者などをはじめとする、国際金融資本はデンマーク型のソーシャル・バー
ゲニングを拒否している。彼らは、企業を商品のように売買し、コスト削減を
図り、短期的利益を追求している。これは、社会的パートナーシップに基づく
調和の取れた労使関係を持つ国に対して深刻な危険をもたらす。

1994年に、社会民主党政府がかなりの内部論議の末、デンマーク電話公社、
TDCを民営化した。そして、2005年にTDCは、民間5社のコンソーシ
アムに売却された。民間企業の関心は、取得した電話会社のキャッシュフロー
と資産を処分し、現金を手にいれることだった。業績好調な電話会社を買収す
るためにこのコンソーシャムは資金の80パーセントを借り入れで賄ったの
で、TDCの収支が悪化した。買収前のTDCは経常収支が健全で、潤沢な投
資資金を持っていたが、いまや借り入れ返済金がかさみ、信用格付けは引き下
げられた。

当時社民党政権の首相であったポール・ラスムッセンはいまや欧州議会の社民
グループ議員団長で、ヘッジファンドと企業買収の規制をこの経験から主張し
ている。その内容は、企業の透明性と情報公開の強化、資産処分目的の企業買
収の抑制、企業資産を原資とする短期的配当分配に対する禁止的な課税などで
ある。

デンマークでは、他の先進国よりも株式市場に企業が公開上場している割合が
低く、同族的所有や、年金基金や信託基金が大量に株を保有して安定株主に
なっているケースが多い。


◇モデルを輸入できるか       


フレキシキュリティはヨーロッパとアメリカで流行語である。これはささやか
な賃金補償で労働者を容易に解雇し、工業の雇用から臨時的な職に移るものに
一時的補助を支出することを意味するものとなっている。自由貿易に対する支
持と引き換えに、負け組の痛みを緩和させて、産業転換をはかろうとしてい
る。このような戦略はいずれも成功していない。

デンマーク・モデルは単に敗者を補償し、自由貿易に対する政治的支持を強化
するための戦略ではない。それは広範な国民的約束事を基に、劣悪な仕事をな
くし、国際競争の核として高度に熟練したダイナミックな労働力を創出するた
めに、労働市場を補助することによって平等主義的な社会を維持するためのも
のである。スカンジナビア諸国以外では、流行のフレキシキュリティが保障の
ないフレキシビリティを求めるものに変質している。

労働力にたいする系統的な投資によって競争力、平等および保障を高める戦略
として、デンマーク・モデルから学ぶことができる。しかしながら、このよう
なアプローチには、累進課税強化、公共支出の拡大、より平等主義的な社会の
追及など、重大な政治的転換を必要としている。

アダム・スミスは、個人の利己的行為が集積して共通財を生む、と云うその公
理で知られている。しかし、彼は、教育のように市場が提供できない経済的必
要性のあることを認識していた。そして、理性的な人間は、いかに利己的であ
ると思われていても、他人の運、不運に関心を抱き、彼らの幸福が自分にとっ
て必要と見なす、人間本性上のいくつかの原理が存在する、と述べている。コ
ペンハーゲンで読むアダム・スミスは違和感を抱かせない。


◇コメント


これまで北欧諸国に対する日本における関心はあまり大きなものではなく、日
本とかなりかけはなれた社会と一般的には見られがちであった。ところが、
『世界』3月号に掲載された山口二郎・宮本太郎「世論調査ー日本人はどのよ
うな経済システムを望んでいるのか」を最近読み、格差の拡大する社会に住む
ことになった人々の意識が、最近大きく変わったことを知った。

この調査では、「日本のあるべき社会像」として、「北欧のように福祉を重視
する社会」を選択した人が58.4パーセントに上った。他の2つの選択肢、
「かっての日本のような終身雇用社会」が31.5パーセントで、「アメリカ
的競争社会」は僅かに6.7パーセントであった。

設問が誘導的だとその結果をやや批判的にも見うるだろうが、もう一つの質問
の結果がこの選択を裏づけるものとなっている。「改善すべき日本型制度」と
して、5つの選択肢があげられている中で、「公的な社会保障を強化する」が
トップで36.7パーセント、次が「官僚の力を弱める」(28.6パーセン
ト)であった。

私も、10年ぐらい前迄だが、北欧諸国をしばしば訪れる機会があった。そし
て、スカンジナビアの人たちが日本人よりも勤勉に働いているとはとても思え
ないのに、彼らの労働生産性が世界トップであり、日本はその半分程度なのは
何故かと考えずにはおられなかった。その理由に思いあたったヒントは、一橋
大学小宮隆太郎教授が、あるところで、スウェーデンの首相と日本の首相が国
際会議に出席する際の労動生産性について比較していたことにあった。

スウェーデンの首相は、時には自分自身で運転して空港に行き、機中で走り書
きしたメモを基に発言する。お供はないか、あっても少数である。ところが、
日本の首相は、大勢の供揃えを従え、チャーター機で乗り込む。その発言は、
各省が用意したものを官邸で調整し、さらに補佐官やブレーンが手を入れる。
お供の政府高官にまたお供がつくので、総勢は数十人というよりも、数百人に
膨れ上がる。こうして、日本の首相の労働生産性はスウェーデン首相の何百分
の1に低下する。

この例は氷山の一角にすぎず、同様な事大主義的権威主義的作業方法は、官庁
や会社で横行している。監督、監視、警備等の非生産的な労働があまりにも多
く、それが当然のようにビルトインされているのが日本的な特徴だ。生産現場
がいかにスリム化省力化されていようとも、社会全体が上意下達的な権威主義
的な運営を当然としている限り、労働力の有効活用は阻害され、低生産性にと
どまる。封建社会が低生産性だったのはこのためだ。長時間労働と安い臨時的
限界的労働力の動員によって労動生産性は改善されない。

民主主義の、特に政治的民主主義だけでなく、社会的民主主義と経済的民主主
義の徹底は、それ自体が価値のある目標であるが、同時に労働の尊厳を高め、
かつ労働生産性を向上させる重要な要因となりうると、私は確信している。  
              (筆者はソーシアル・アジア研究会代表)

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