サンクスギヴィングデイの集い

■【エッセー】

サンクスギヴィングデイの集い         武田 尚子

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  11月25日、今年のサンクスギヴィングデイも無事に終わった。この日はア
メリカの家族にとって特別な意味を持つ。アメリカは、年とともにヨーロッパだ
けではなく、南米や中近東からも、アジア・アフリカからも移民を加えていった
ために、宗教もキリスト教一色ではなくなった。さして大きくもないわが家族で
さえ、今ではキリスト教、ユダヤ教、仏教が混在しているのである。祭日もそれ
ぞれ異なる。

 したがって、遠くアメリカの起源を思い起こし、家族とともにその繁栄を感謝
して、自らの享受する幸福を多くの人と分かち合おうと願うこの日、アメリカ人
の多くはそのむかし、インデアンとピルグリムが友情を結んだ宴のように、宗教
に関係なく家族や親戚、友人とのなごやかな集いを企てる。
  遠く離れて暮す家族たちも何とかして顔をみせようと、飛行機に乗り、汽車に
乗り、自動車やバスに乗って両親や祖父母の暮す我が家に駆けつける。

 サンクスギヴィングの起源については、いまさら説明するまでもないないだろ
う。 しかし、読者のご存知のことにはご寛容を乞うことにして、メイフラワー
の航海に彩りを添える1、2のエピソードを記しておきたい。

 まず、180トン、築後12年のメイフラワーに乗り組んだのは、102名の
乗客と30名の乗組員だった。長期の航海のために水は安全でないと信じられて
いたので、主要飲料は大樽のビールだった。またメイフラワー号は、この航海以
前ワインの運搬に使われていたので、酒樽からにじみ出るワインが貯蔵室ほかの
床にしみこんでいた。航海中病気で亡くなったのはただ1人の婦人だけだったこ
とは、そのおかげだろうという。

 60日余の厳冬の海を走行したメイフラワーの乗員たちは、1620年11月
9日、初めて陸地を遠くに見て“Land Ho!” と熱狂する。彼らが見たのはケ
イプコッドであり、当時‘北ヴァージニア’と呼ばれた予定地のニューヨークで
はなかった。船首を南に向けなおしたものの、ニューヨークを目指しての航行は
難儀を極めたのでケイプコッドに引き返し、適当な港を探した。ついに1620
年12月11日、プリマスロックへの上陸が決められたが、それに先立ち、その
海上で、メイフラワー・コンパクト(契約)が作成され、調印がなされた。

 乗客の1人ジョン・アルデンの子孫だったジョン・クインシー・アダムズ(第
6代アメリカ合衆国大統領)は、1802年のスピーチの中で、この盟約はアメ
リカ合衆国憲法の基礎をなすものだといった。しかしそれはその実質的な条文に
おいてではなく、その精神においてであった。いずれにしてもこれは、アメリカ
最初の自治政府の確立宣言となった。

 実は乗客の非分離派(ストレンジャー)のあるものは、不如意な航海生活の中
でメイフラワーがケイプコッドに目的地を変更したことに不満であり、政府がな
いのに入植後労働を提供する必要はないと反抗の気配をみせた。ピルグリムの主
流はとり合えず臨時政府を作るためにこの盟約を結んだのだった。

 ちなみに、ピルグリムの子孫たちのリストに目を走らせると、驚くほど多数の
大統領の名が出てくる。フランクリン・ルーズベルト、タフト、テイラー、グラ
ント、ジョージ・ブッシュ親子はいうまでもないが、ファーストレデイ、バーバ
ラ・ブッシュも子孫の出であるし、エマーソンも、オーソン・ウエルズも、詩人
のロングフェロー、マリリン・モンロー、ビング・クロスビーの名も出てくる。
2012年に共和党から大統領選に出馬を噂されるセラ・ペイリンもこの古い家
系のひとりであるらしい。

 メイフラワーの船上には内科医も外科医も、兵士も大工も指物師も、鍛冶屋も
いたというが、18人の結婚した女性が夫に同行していた。そのうち3名は妊娠
していて、船上で1名が出産、2人はプリマスで出産した。

 しかしひとりいけ好かない男が居て、“お前さんたちは、アメリカに着いたら
コロニーを作ると張り切っていなさるが、そんなことはできっこないよ、船が沈
むか、海に落ちておぼれるか、飢え死にするか、病気になるかで死んでしまうに
きまってるからさ”。 何のためにこんな嫌がらせを言うのか、とにかくこの予
言は彼自身に的中して、嵐の夜船から落ちて、ただ1人死んだ人間になったのは
この男だった。

 1歳から17歳までの少女たち11人も同行していた。耐久力に乏しい若い娘
には酷寒の冬は耐えられないだろうと、大半の家族は娘たちを植民地に落ち着い
てから迎えにやることにして故郷に残してきた。ところが、もっとも強靭だった
のはこれらの少女たちで、この一冬に死亡した入植女性の75%、男性の
50%、少年の36%に比べて、18%にあたる2人の少女だけが亡くなったと
いう。

 入植者の半数以上は栄養不足と不完全な住居のために亡くなった。しかしコロ
ニーは生き延びた。ジョン・カーヴァー・ウイリアム、ブラッドフォード、ウイ
リアム・ブルースター、エドワード・ウインスロー、マイルズ・スタンデイシュ
など多数の有能なリーダーと、魚と共にトウモロコシを植えること、ビーバーの
捕獲などを教えたスクアントをふくむ地元のインデアンの力が大きくものを言っ
た。

 こうして冬を生き延びたピルグリムたちは、翌年の夏には大豊作に恵まれる。

 地元ワムパノアグ族の族長マサソイットは90名の部下を連れてピルグリムの
招待に応じる。4名のピルグリムのハンターは山のような鳥をしとめ、インデア
ンを3日間じゅうぶんにもてなし、その後の3日間に彼らは5頭の鹿をしとめて
きたので、饗宴の馳走にこと足りた。

 酷寒の航海、多くの家族を失った未開地で冬を過ごした後の宴である。生き残
ったピルグリムの全員が、神の加護にひれふしたことだろう。おそらくは無欲で
鷹揚ですべてに好奇心をみせる新しい友人インデアンに、素直な友情と感謝を捧
げもしたことだろう。最初のサンクスギヴィングはこうしてかげりなく、わだか
まりなくすぎていった。

 時の潮は次々とコロニーを出現させ、アメリカは独立戦争と内乱を経て強大な
国になっていった。彼らはいつも実りの時期になると、ピルグリムの労苦に思い
を馳せ、この豊かな国に生きることの悦びをかみしめ、インデアンの友情に支え
られた過去をしのぶ。そしてより多くの人々の幸せを願って、神に感謝を捧げる
ことになった。

 1789年、サンクスギヴィングを最初の公的祝日にしたのはジョージ・ワシ
ントン大統領だった。しかし1863年に、アブラハム・リンカンは11月の最
終木曜日を国家的な祝日とし、以後これを毎年遵守することに決めたのだった。

 歴代の大統領が、サンクスギヴィングの声明を発表しているが、最初に読んだ
リンカンの傑出したスピーチに私はもっとも心を動かされた。それはゲテイスバ
ーグの戦いと言う、誰をしも粛然とさせる彼の体験から遠くない日のサンクスギ
ヴィングだったためかもしれない。リンカンのスピーチは筆者の訳で、後で全文
ご紹介しよう。

 さてここで、わが家のサンクスギヴィングのテーブルに目を転じることにす
る。家族と友人13人の集いも、みごとに焼きあがった8キロのターキーと、ピ
ルグリムの父たちをしのぶトウモロコシや赤いも、特製の塩づけサモン―グラブ
ラックス―と野菜の手料理で、一同の期待に十二分に応えることができた。いつ
もながら、厚く切ったりんごの絶妙なパイのほか、スイートポテトとパンプキン
のパイもとどけられている。

 おいしいおいしいという満足の声を聞きながら、コックでありホステスである
私の肩はようやく軽くなった。何しろこの数日は、準備にかかりきりだったので
ある。

 5歳の孫は9ヶ月の甥の娘とごきげんで床に這いながら、見守る母親のかたわ
らでおもちゃ遊びをはじめたらしい。ころあいはよしと夫が前述のリンカンのサ
ンクスギヴィングスピーチを朗々と読み上げてくれる。昨年はオバマの1年足ら
ずの、大統領としてのめざましい働きぶりでみな夢中になった。今年はリンカン
のスピーチを話題にしたいと、ほしい人のためにはそのプリントも用意していた。

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アブラハム・リンカンのサンクスギヴィング宣言 1863年10月3日
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  まもなく今年も終わろうとしていますが、作物のふんだんな収穫と、われわれ
を健やかにしてくれる美しい空の祝福にあやかることのできたよき1年ではあり
ました。こうした至福にいつも恵まれているわれわれは、ともするとその幸いの
源を忘れがちになります。さらにそれに加えて、われわれはたぐいまれな贈り物
さえいただいているのですから、やすむことなく目を見張っていてくださる全能
の神の恩寵は、ふだんはそれに無頓着な人びとの心にもしみとおり、その心を和
らげずにはおかないでありましょう。

 比べようもない大きなスケールときびしさを伴い、時として、外国の攻撃を招
き、あるいは挑発するかに見えた南北戦争のさなか、軍事衝突の場を除いて、諸
国との平和は保たれ、秩序は維持され、法は尊重されて守られ、いたるところに
調和が普及しました。そしてその戦場については、前進するユニオンの陸海軍が
立派に責任を引き受けてくれたのでした。

 平和な仕事の分野から国家の防衛にいたるまで、富と力をやむを得ず転用した
ことも、耕作や機織り機や船の働きを阻むことはありませんでした。斧はわれわ
れの開拓地や炭鉱を広げました。鉄も石炭も貴金属もそれまで以上の産出を見せ
ました。野営キャンプや、包囲攻撃や戦いのために人力が費やされたにもかかわ
らず、人口は堅実に増加しました。そして国の力と精神の活力がいや増したこと
を知った悦びのうちに、国民は、より大きな自由とともに歳月が無事に続いてゆ
くことを期待できるようになったのです。

 これは決して人間の評議とか、死を免れ得ないわれわれ人間の手が成し遂げた
ことではありません。それらは最高の神による慈愛の贈り物であり、神はわれわ
れの罪に怒りを覚えられつつも、慈悲を下されることを忘れられなかったのであ
ります。

 私は、すべてのアメリカ人が心と声を一つにして、これらのことを厳粛に、う
やうやしく、感謝とともに理解し、心にとどめるべきだと思います。そこで私は
合衆国のあらゆる場所にいる人びと、海上にいる人びと、外国に滞留中の人びと、
つまりわが同輩であるアメリカ国民のすべてが、きたる11月の最終木曜日をサ
ンクスギヴィングの日として保留し、天にまします愛にみちたわれらの父を讃え
ることを遵守してゆきたいと考えます。

 そしてアメリカ人が、かくも驚嘆すべき救済と祝福を我々にたれたまわる神に
むけて、其の御わざにふさわしい賛美の言葉を捧げつつも、われわれの国家的な
逸脱と不服従につつましく悔悟の思いをいだき、未亡人、孤児、悲嘆にくれる人、
あるいはすべからく従事した悲しむべき市民闘争の犠牲者全てを、父なる神の情
けある御手にゆだね、神のみむねにかなうかぎり一日も早く平和と調和と平静と
国民の結束を十二分に享受できるよう、全能の御手によってこの国の傷を癒やし、
回復させてくださるよう、熱烈に祈ってくださることを推奨いたしたいのであり
ます。 (筆者訳)

 「グレートだ。やっぱりリンカンってすごいなあ」と一番に声を上げたのは次
男である。うなずきあう顔を見回しながら、夫が言う。「じゃ、どこがすごいか
を誰か説明してくれませんか」

 甥が答える。「どの大統領も年毎にサンクスギヴィングの声明を出すけど、僕
はみなそれを読んだわけじゃない。でも読んだ限りでは、アメリカの豊饒な国土
とそれの与える自由を神に感謝して、寛大な、分かち合いの精神を毎年新たにす
るということをどの大統領も言ってると思う。しかしリンカンのスピーチはそれ
以上だよね。もう一度読んでほしいけど、‘神は私たちの罪を怒られながらも云
々’と言うところ、あれが味噌だよね。」

 そこで夫はもう一度その箇所を読む。「神はわれわれの罪に怒りを覚えながら
も、慈悲を下すことを忘れられなかったのであります」「そうよ。それは味噌よ。
でもそのすこし後に続く文章も、味噌の大事な部分よね。」これはレネである。

 夫はまたスピーチに目を走らせて「かくも驚嘆すべき祝福と救済を賜る神に向
けて、其のみわざにふさわしい賛辞を捧げつつも、われわれの国家的な逸脱と不
服従につつましく悔悟の念をいだき、未亡人、孤児、悲嘆にくれる人々、、、こ
こじゃないかな?」「それそれ」レネは詩人である。

 「そんな言葉は100年たってもブッシュからは聞けないわね。」「ブッシュ
は単細胞だからな。」とまた次男。「じゃあその国家的な逸脱と不服従って、具
体的には何をさしているのでしょう?」とこれは日本人の友人の発言である。そ
こで夫が、リンカンのスピーチの背景になった、ゲテイスバーグの墓地訪問が彼
にあたえた衝撃を読み上げる。「これはスピーチの前に読んだほうが良かったか
もしれないね」といいながら。
 
  『私(アブラハム・リンカン)が大統領職を受け継ぐためにスプリングフィー
ルドに行ったとき、私は人々に私のために祈ってくれるようお願いしました。私
はクリスチャンではなかった。息子を埋葬したとき、それは、わが生涯の最大の
試練でしたが、そのときも私はクリスチャンではありませんでした。しかしゲテ
イスバーグの墓地で何千人というわが兵士の墓を見たとき、私はその場でキリス
トに身を捧げたのです。』

 しばらくこの言葉をみなが反芻している。
  「都さん、分かった? もちっと補足しようか?」とボブ。「リンカンはキリ
スト教徒でなかったわけじゃない。自分をクリスチャンと考えて、できるだけの
ことはしてきたにちがいない。しかしゲテイスバーグに葬られた兵士は6万人も
いて、しかも全てがアメリカ人だ。神はこんな悲惨を生む殺し合いを人間に許さ
れただろうか。今まで自分が捧げた神への祈りとは全て自分のためではなかった
か。ならば自分を今までクリスチャンと考えていたのは大間違いのおごりだ。今
日から自分は本当のクリスチャンに生まれ変わるのだ、という決意をしたのだと
思うよ。だからあの国家的な逸脱とは、同胞の殺し合いを指すのだろうし、不服
従とは、神の教えに対する不服従のことだろうね」とボブがいう。彼はこうした
時、いつも指南役を買って出る。

 「同胞の殺し合いだけだろうか。では南北戦争ではなく、イギリスに対する革
命戦争のとき、もしリンカンが大統領だったとしたら、彼は戦場のるいるいたる
むくろを見て、ゲテイスバーグでのような感慨をいだいたろうか? 彼はクリス
チャンになっただろうか?」それまで沈黙していた長男ポールの発言である。
  「もし万物の創造主としての神を考えるなら、あらゆる戦争は神の教えからの
逸脱だし、不服従じゃない?」と、次男のピーター。

 「ではリンカンの言おうとしているのは、敵だと信じて殺し合いをした南軍だ
けじゃなく、今彼が率直に認めているように北軍にも罪があるということだろ
う。そこまでははっきりしたんじゃない?」とレニー。

 「彼のクリスチャンとしての再生は、ゲテイスバーグの後起こったのだから、
革命戦争のときどう反応したかは想像するほかないでしょう? だけどものすご
く信仰の深い人で、たいへんな道徳家だったリンカンのことだから、アメリカ人
が一致して戦って革命戦争に勝ったことは神さまの正義の証しだからと有頂天に
なれたかどうかは疑問よね。」とライザ。

 「戦争の大義如何によって、神はわれわれの殺し合いを正義と認めたり、逸脱
と判断したりするのかどうかが問題になってきたね。この点はどうだろう」とデ
ヴィッド。
  「私は戦争がみな悪いとは思わない。人間の尊厳、人間が生きるぎりぎりの権
利を守るために戦うのは正義だとおもいます。ただ其の場合でも、神さまがどち
らかのがわに立たれるのかどうかは、お話しているうちに疑問になってきたわ」
とジャクリン。

 「神の創造なさった万物は、敵であれ味方であれ、殺し合いなどしちゃいけな
いのよね。現実はそれからほど遠いけど。だからこそリンカンは私たちが悔悟の
念を持つこと、私たちの罪に怒リを抱かれながらも、神さまが大きな慈悲をもっ
て許されることを忘れられなかったと、わざわざいったのでしょう」これはライ
ザ。

 「そうだね。神さまも慈悲や許しという道具なしには、おれたち人間とは付き
合い切れんもんな。」と茶化したのは次男のピーターである。時々こんな茶々を
入れたがる。ちょっとした笑い声が起こったので、私も彼に慈悲をかけて黙認し
た。

 このころテーブルはかなり騒がしくなって、一人ひとりをフォローするのが難
しくなってきた。お待ちかねのデザートとコーヒーを出して、私も一息入れた。
  秋の陽はすっかり落ちて、宵闇が迫っていた。もう一つだけきいてみたいこと
があった。誰かオバマの今年のサンクスギヴィングのスピーチを聞いた人がいる
のだろうか。

 時事問題に敏感なレニーが手を上げる。
  「聞いた聞いた、どの大統領も経済不況のことなどはたとえそのさなかでも、
サンクスギヴィングには話題にしないものだと読んで驚いたところだった。その
通り、オバマもこの大不況のことには一切触れないで、神の愛への感謝を説いて
いた。自分の任期に大不況が起これば、それを神に解決してくれと祈ったりする
のは格好が悪いだけじゃなくて噴飯ものだからと言う理由らしいよ。ただ目新し
いのは、彼が今年は、ピルグリムを助けたインデアンたちの友愛の心に、改めて
感謝しようといったことだろう。」

 翌日の新聞で、少なくともオバマが、アメリカ建国のために大きな働きをした
にもかかわらず、豊かな国土を奪われた少数民族への同情と感謝を国民の前には
っきりと口に出したことはわかった。昨年のサンクスギヴィングでは、彼が直接
‘神’と言う言葉を使わなかったことがメデイアで取りざたされた。父親がアフ
リカ黒人で回教徒であっても、オバマはクリスチャンである。政治家の中でリン
カンをもっとも尊敬するというオバマがリンカンの、宗派を超越した人類の神に
共鳴しないはずはないと思われる。ここでもオバマは、白人優越のアメリカを超
えた、グローバルなアメリカを展望しているのだと思われる。

 実はこのあと、彼の政策について話しあうことができればと思っていたが、そ
こまでの時間はなかった。オバマの中間選挙の敗因はいろいろあるとしても、最
終的には彼の強さの欠如が原因だとさんざん批判された。今はまたアメリカの歳
入の25%を独占する、人口の1%に過ぎない超富裕な階層への、ブッシュが定
めた多額の税金免除を、今後2年間継続する妥協をした。下院のマジョリテイを
失ったオバマの苦渋は察せられるが、なんとも歯がゆい。

 NYタイムズの強力な寄稿家であるフランク・リッチや、オバマを評価しつ
つ、彼の経済政策の弱点に苦言を呈し続けているノーベル賞経済学者クルグマン
さえ、彼には必要な戦闘力が欠けていると、突き放し気味である。しかし今のア
メリカ政界に、オバマに匹敵する大統領の器量は見出せない。オバマ一代では、
彼自身の性格改造も無理なのだろう、しかし私自身はオバマの、政敵を相手にし
ても、どこまでも議論で主張を通そうとするやり方を、内心嫌いではないのである。

 たとえば外国とのあつれきを、すぐに戦争に持ち込むのが強い大統領ではない
だろう。妻の言い分を腕力で押さえつけるのが強い男ではないように。しかし現
実の政治では、オバマのやり方では通らないことがありすぎるようだ。こんな論
議はまたの日にゆずるほかないと、ホステスは黙っていた。

 考えてみるとこのスピーチ一つにさえリンカンの器量の大きさは明らかであ
る。ブッシュのイラク戦争から引き出すことのできたのは「神は明らかにわれわ
れの側に居られる」と言う、なんらの疑いを含まない、したがってあれだけの殺
戮と傷害と破壊の反省を片鱗も見せないノーテンキな言葉だった。

 最近マーク・トウェインの新しい伝記が出版され、いくつかの引用にであっ
た。この記事にふさわしい大文豪トウェインのサンクスギヴィングデイ所感にこ
んなくだりがある。

 『サンクスギヴィングデイを祝祭として遵守することは近年ごく一般に普及し
た。だからといって、人々が感謝の心をいだくことがそれほど一般化したわけで
はない。無理もない。この国の人口の3分の2は運が悪く、年がら年中粒粒辛苦
していて、それが祭りの興奮にブレーキをかけるからだ。
 
  サンクスギヴィングデイは2-3世紀前に、当時の(コロニーのために働いて
いた)人々が、それに先立つ12ヶ月間に隣人インデアンに殺されてしまわず、
逆に彼らインでアンを殺すことに成功したとすれば、年に一度だけはほんとに感
謝すべきことだと認めた結果、ニューイングランドで始まった祭りである。

 サンクスギヴィングデイは習慣になってしまった。と言うのは時の潮の流れゆ
くうちに、相互の殺し合いはなくなり、殺しは全て白人の側のものとなり、結果
として神の側のものとなったためである。それゆえ神に感謝することが至当であ
り、恒例の年毎の敬意を表すことがふさわしいことになったのである。
 
  誰一人神さま(Deity)の側について思いをいたすものは居ないようだ。明ら
かに神さまご自身がどれだけ深くあるいは浅く、同じ時期に感謝を捧げねばなら
なかったかをたずねたものは居なかった。神さまもまたサンクスギヴィングデイ
を持つべきだと望むほど、気分の良かった人がいなかったのもはっきりしている。』
 
  皮肉屋トウエインは、いつもちょっとしたユーモアや冗談に身を隠しながら、
その目は遠くを見ている。彼の言葉は、人々が不況に苦しむ中で、アメリカの1
%の超富豪たちが、国富の25%を独占してはばからない今日の世相を見通して
いたかに見える。神様も感謝なされるようなサンクスギヴィングデイ。それがほ
んとうに実現した日には、アメリカも、世界も、どんなに住み良くなっているこ
とだろう。 (了)

 この原稿を書いてから2年、今年のサンクスギヴィングデイは11月22日で
ある。リンカーンの定めた11月の最終木曜日ではなく、第4木曜日にあたる。
それに今月は大統領選挙を6日に終え、オバマが再選された喜びがアメリカ中の
支持者の胸から去らないうちに、この日になる。

 戦争があったわけではないが、選挙の戦いはかなり厳しいものだった。この原
稿をオルタに送るために今一度読み直して、果たしてこの選挙を神様がどう見ら
れたかを想像してみる。オバマの誠実を信じる側にいることが、果たして神様の
心にかなうことなのだろうか。来週のサンクスギヴィングデイ談義は、いやでも
大統領選挙の回りを巡ることになりそうだ。  (2012年11月13日)

 (筆者は米国ニュージャシー州在住・翻訳家)

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