【ジェンダー】

ジェンダーの平等を目指して(10)

武田 尚子


 オルタ127号から、個人的な事情で、休載を続けさせていただいた。

 日本はヘイトスピーチに揺れ、アメリカも今更のように、人種偏見による分裂に悩みつつ迎えた新年である。しかし、2015年に希望をもたせてくれる朗報の一つは、ジェンダー平等にみられる進歩だろう。

■ジェンダーの壁を乗り越えたアメリカの女たち。

 知力と才能とエネルギーをふんだんにつぎこみ、立派に今日の女たちに新しい生き方を示してくれた多数のアメリカ女性のうち3人を選んで、ジェンダー論考の結びとさせていただきたい。

 まずあげたいのは、すでに日本の読者にもおなじみの、フェイスブックを統率するシェリル・サンドバーグである。ハーヴァード大学時代から、ハーヴァードの学長、オバマの経済顧問であったローレンス・サマーズ教授の薫陶を受けた彼女は、働く妊婦のための駐車場を実現させたり、男性職場でのひきこみがちの女性に、身を引かず、身を乗り出せと教えた。著作“lean in:Women, Work, and Will to lead”はいわば武器を持って集まれと女性に呼びかける教科書にもなった。

 彼女が好んで口にする言い草に「もしあなたが恐れをもたないで何かをやってのけるとしたら、いったい何ができると思う?」というのがある。それは彼女がみずからに言い聞かせ続けたことでもあるのだろう。「身を乗り出して、成功を抱擁しなさい」というこの本のテーマを体現した彼女は、雑誌フォーブズによって、世界で5人目のもっとも影響力のある、成功した女性に選ばれている。

 ちなみに、最高はドイツの首相アンジェラ・マーケル、第2はヒラリー・クリントン、第3はブラジルの大統領ジルマ・ルセフ、第4はペプシコーラのCEOインデラヌーイであった。

 サンドバーグの本には数多のデータが盛られている、その中で彼女は世界中のどの産業を見ても、2013年においてさえ、トップに登った女性が見当たらないという。低位のマネージメントでは女性は進歩した。“アメリカでは過去10年間に、女性はわずか14%の企業のトップの地位と17%の重役会の座席を得た。以前と比べて、10年間少しも進歩していない。この同じ10年間に、女たちはますます多くの大学院卒業者を生み、ますます多くの大学卒業者を生んだというのに。低い地位のマネージメントにはより多数の女性がいる、しかし企業のトップということでは全く10年間に進歩はない。これは大変なことです”と彼女はいうのだ。

 サンドバーグ自身の産業では女性のコンピューターサイエンス・メイジャーが18%にすぎない。“コンピューターサイエンスが女性を怯ませているのはそれと同じ理由です。女性にコンピューターサイエンス・メイジャーが少ないことが、女性にリーダーシップをとりにくくしているのです。”そしてそれは社会科学者の言う“ステレオタイプの脅威”から来るという。

 彼女はいう。“ステレオタイプの脅威(恐れ)とは、我々がステレオタイプを知れば知るほど、人々はそれに従って行動するようになると言う意味です。だからステレオタイプとして、我々は少女らは数学に弱いと考える。そこで少女たちはその概念にはまってしまい、数学がよくできなくなる。もし数学のテストを受ける前の一少女が、あなたは女性か男性かをたずねられるとします。彼女はそれだけのことでそのテストの成績をあげられない。”

 サンドバーグは万人に一人の恵まれた状況のおかげでトップに登ったのかと聞かれると、“かつてはその通り、たった一人か二人の女性を入れる余地しかありませんでした。でも今は違います。”

 彼女によると今日の産業は、より多くの女性に座席を与えたがっている。“その理由は男たちが、女性の直面しているチャレンジの意味を理解したがっているからです。なぜなら彼らはそれによって、より良い雇用者、女性を引きつけ、彼女らを引き留めておけるようになるからです。ワーレン・バフェットは、彼がこれほど成功したのは人口の半分を相手にしただけだったからだと、寛大に申しました。従業員全ての才能を引き出す会社は、成績を上げます。ある私の批判者は言いました。すでに地位と富に恵まれ、家庭仕事にも煩わされなくなった女性はサンドバーグの足跡を辿るべきかと。その答えは、誰もが同じ選択をするのが正しいとは思いません。誰もがCEOになろうとしたり、誰もが家事をすることをえらんだりすることはありません。ただ私はジェンダーが我々に選ばせるのでないキャリアを求めるのが正しいと思います。私には7歳の息子と5歳の娘がいます。もし息子が、家にいる親であることを求めるなら、その選択を喜びます。もしも娘が外で働くことを選び、成功するなら、私はそれを喜び、支持します。それは私にとっては成功なのです。”

 次にご紹介したいのはGM−ゼネラルモーターズの新しいCEO、メアリー・バッラである。彼女の父親は、GMが一部を担当していたポンティアックの鋳型を作って30年をGMで過ごした人であり、メアリーはGMの援助で学校に行き、その大学ケタリングに通ってエンジニアリングを習得し、卒業してGMで働いた。いわばGM子飼いの、優秀なエンジニアである。(この文はウォールストリートジャーナルの記事に基づいたものである。)

 メアリー・バッラは、カナダGMのCOO(Chief of Operating Officer)と製品主任の地位から、GM全社のCEO(Chief executive officer)の後継者に選ばれた。伝統的に男の世界であった自動車業界の最高位に、業界初の女性CEOを送り込むことには、かなりの批判が伴った。GMは破産の危機こそ連邦政府の救援で脱したが、同社製の不完全なスイッチによる事故で、家族の死に見舞われた多くの人が存在する。コストカルチュアと言われるほど、コストの切り下げに熱心だったGMに継続する業績の低下をどうするか。バッラには厳しい状況が山積している。GMの業績不振の暗澹たる終点を予測する社員たちや批判者の多くは、バッラが選ばれたのは、やはり女だからうまくいくはずがなかったという、内外の反応を見越してのGMの強かな政策だというのである。

 バッラは2015年の1月にCEOに就任する。
 しかしすでに彼女は、事故の被害者たちの家族に直接会って、彼らと涙を共にし、コストカルチュアに専心したGMの失敗を、顧客中心のカルチュアにしようと懸命である。“大事なことは、GMが聞く耳を持つことをお客様に納得していただくことです。”と彼女は言う。優秀なエンジニアが、より新しいモデルを求めての業績にしのぎを削るなかで、彼女は彼らを集めて、お客様の要求がなんであるかを追求することが第一だといった。こんな訓示は初めてだとはあるエンジニアの言い草である。

 またある年GMは、新車製造の発展努力の中で、計画しては放棄し、また計画するを繰り返して10億ドルの損失を出した。バッラは製品発展部のチーフとして、主だったエンジニアの半数を切り捨てている。

 メアリー・バッラは、51歳、二人の子持ちで、GMには33年前に大学生インターンとして加わり、のちにはアメリカGMの最大の部品統合工場の一つでエンジニアリング・マネジャーになった。

 世界的なGMの人的資源(Human Resouces)の部門でも責任者として経験を積んでいる。もっと最近では、GMの世界規模の製品発達グループをもマネージしている。

 今日フォーチュン誌のあげる500社の中で、ロッキードマーチン社のCEOマリリン・ホーソン、IBMのチーフ、ヴァージニア・ロメテイ、ヒューレット・パッカード社のチーフ、メグ・ホイットマンなど、かつては男性に独占された職場で活躍する女性をふくむ排他的なクラブで、バッラは22番目の女性となる。バッラの任命によって、GMは女性CEOを持つ会社としては世界最大の売り上げ成績、1520億の年収を2013年度には記録している。

 メアリー・バッラは、GMの子飼いに違いないが、そのキャリアの上では、彼女に後を継がせることを決定した現職CEOダニエル・エイカーソンの、バッラの能力とリーダーシップへの明確な洞察、そして男たちの跋扈する世界に彼女を引っ張り出す英断があったのはまちがいない。

 全体として、今年2014年にはフォーチュン誌のあげる500社のうち、女性のCEOはわずか4.2%にすぎなかった。

 男性に劣らぬ技術の知識と、二人の子供の母親でもある人間的な素質が、GMに新しい未来をもたらさないとは誰に言える?

 女性の一人として、筆者はバッラの実力に歓呼を送り、同時に、現在は世界一の業績を維持しているトヨタ社にも、新しい女性の出現に十分目を見張って、彼女たちを抜擢して欲しいと願う。バフェットの言い分ではないが、もはや職場は、人口の半分を相手にしてすむわけにいかなくなったのである。

 もう一人、登場していただきたい女性がいる。
 それは、オバマが次期の米国司法長官に指名し、現在議会の承認を待っているロレッタ・リンチ氏である。現在55歳の彼女は、ハーヴァード大の法学部を卒業したのち30年間を検察官として働き、名声をえた。その人となりは謙虚にして、市民権擁護への熱烈な闘志の持ち主であると、オバマに絶賛された。

 彼女のルーツを辿ると、ジム・クロー時代からの南部での黒人生活に始まった先祖が、5代にわたってバプチスト派の牧師であったことを彼女は誇りにしている。父親の肩車に乗せられて教会に通った幼児時代から、人種偏見に対抗する学生の集会に親しく触れていたという。
 1930年代の小作人だった祖父は彼女にことに強い影響を与えたらしい。ジム・クロー法による黒人差別の横行した南部で、法に触れたというかどで捕らえられ、訴える術のない黒人を祖父は何人も助けているのである。

 彼女の「抜群の公共奉仕」に対してエモリー・バックナー賞が与えられた2012年の授賞式で、リンチは公共奉仕について述べている。“たとえ熱烈な信者でなくともこの仕事は、我々は誰しも、自分を超える何かのために働くためにこの世にいることを悟らせてくれるのです。そしてこの世界に生きるためのいわば家賃が、人々への奉仕であること、そして誰かを助けることほど、自分を満たすものがないことを知るのです。”

 罪もなく警官に追われる黒人を床下に隠して、ノースカロライナの小作人であり、牧師であった彼女の祖父はなんども彼らを逃れさせた。事実であろうとなかろうと、助けを求めるものの命がかかっている時には、必ずそれを果たしたという。
 “祖父が偏見に満ちた不公平な世界で、正義のためにあれだけのことを成し遂げたと思うとき、私には恐れがなくなります。祖父は私の人生観を形成する重要な人でありつづけるでしょう。”とは孫娘ロレッタの言葉である。

 市民権擁護の彼女の長い経歴のなかでも、アブナー・ルイーマ事件は、1999年にリンチ氏が検事を務めた最高の業績であると賞賛の声が高い。それはハイチからの移民、アブナー・ルイーマに警官がソドミーを含む残虐な暴行を加えた事件で、彼はじんぞう他を傷つけられ、2ヶ月の入院治療を受けた。

 この事件の裁かれた法廷で、リンチは冒頭のスピーチを他の検事に任せ、同僚の警察官に反対証言をする警官も用意していた。
(ふつうなら警官が同僚に不利な証言をすることはほとんどないという。また冒頭のスピーチは当然彼女に期待されていた。)

 彼女は証人が証言台に立つまでは弁護側への反対証言をする警官による逆襲を匂わせなかったために、主犯の弁護人は不意を突かれて論点を主張できず、被告は自分の罪を認めるほかなかった。人種偏見が大きく関わった市民権問題であったが、リンチはそれに焦点を当てることなく、感情を見せないで警官ひとりひとりの行状を明らかにして勝利を得た。この事件はリンチの数多い業績の一つであっても決してその全てではない。彼女は常に冷静さと公平さを見せて人々の賛同を得るので、共和党にも、暗黙の支持者を持っているという。

 さて今リンチが議会の承諾を得れば法務長官に任命されるところまできて、少々状況が変わってきた。11月の中間選挙で、上院の多数派を失った民主党に代って、上・下院を握る共和党の議会が、黒人であり、女性であり、彼らが糾弾してやまないオバマに指名を受けたロレッタ・リンチを米国司法長官として承認するだろうか? もっともな疑問である。

 さらにここ数ヶ月、警察官による黒人射殺が相次ぎ、アメリカを大きく揺さぶり、黒人だけではない、男女市民の、警官にたいする大きな抵抗を生んでいる。大きな事件だけでも、ミズリーの街ファガーソンでの、武器を持たない黒人の若者マイケル・ブラウンの、警官による射殺、ニューヨークのステットン・アイランドにおいて酒場(?)から出ようとした黒人、エリック・ガーナーの意図を疑った警官が、逮捕し、首を絞めて圧殺した事件。これはニューヨークを中心に、大きな市民の抵抗運動をもたらした。ガーナーも武器は持たなかったというが、異論もあり、まだ真相は明らかにされていない。ただ、これらの事件がすべて、元をたどれば、伝統的な黒人偏見に根ざしていることを、黒人はもとより、多くのアメリカ市民が感じ取っているのである。

 市民力と警察力が分裂して、ここでも、市民の抵抗運動に共感を示すオバマが憎いと、保守派は全てを2016年の大統領選挙に結びつけて民主党敗退を狙う。この空気の中で、問題なしと見えたリンチの司法長官任命は、かなり怪しくなってきた。ジェンダーを越えて、得難い逸材に違いないのだが、、、、

 この稿では、職場にふさわしい地位を得て活躍するフェイスブックのシェリル・サンドバーグと、GMのメアリー・バッラ、さらに米国の法務総裁を期待されるロレッタ・リンチについて述べた。彼女らの一人一人が、いずれがアヤメかカキツバタと言いたい、人間的な魅力と卓抜な知性とリーダーシップの持ち主に見える。そしてアメリカでは、彼女らだけではない、多数の女性がかつては男性の独壇場であった様々な職場に輩出しつつある。

 では、アメリカでは既にジェンダーの平等が果たされたのだろうか。端的に言って、答えは“ノー”である。なぜだろう。タイムズ・ダイジェスト適切な記事を抄訳させていただく。

 2014年はフリーダンの“女性の神秘”出版から50年目に当る。1960年当時、家庭で夫と子供の世話をしながら生活することは、ほとんどの女性にとって当然な生き方であり、ジェンダーの平等は望まれてもいなかった。1962年には、ミシガン大学の調査対象になった女性の2/3が、最重要な家庭の決定は家父長がすると答えているが、フリーダンはこの女性の伝統的な役割への思い込みに疑問を投げたのである。その後30年間に、女性の意識は革命的な変化を見せた。1994年までには2/3の女性が、この伝統的な役割の固定観念を拒否するようになった。

 ところが、1990年代の後半から平等革命は停滞し始めた。1994年から2004年の間に、男性が働き女性が家事をするタイプの家庭が、34%から40%に増えたのである。1997年から2007年の間に、フルタイムよりもパートタイム稼働を選びたいという女性が48%から60%に増えた。2007年までには、家庭の仕事にとどまる女性のわずか16%が、フルタイム労働を望んでいる。

 1990年、アメリカ女性の労働参加は、引きつづき増加している他国と比べて減少し、既婚女性、ことに赤ん坊のいる女性で職場を去るものが増加した。2004年までには3歳以下の幼児を持つ働く女性は1993年よりも少くなった。

 ジェンダーの平等が確かに進歩し始めたとみえるのに、一体この逆転現象はなぜだろう?
 それは働く女性の出産や子育てに対する政府の協力の貧困にある。

 例えば、イギリスとサイプラスで成長したケリー・デヴィンは、出産や子育てのために職場を離れる友人など皆無だったという。ところがアメリカでは、ほとんどすべての女性が、家庭外の務めを離れる。彼女が女児を得た4年前、アメリカの出産休暇は12週間であり、乳児をデイケアに送ったり、代わりの人を雇うことも容易でない女性は、勤めをやめるしかない。今年双子の男児を得た彼女は、職場に戻ることがいよいよ困難になったという。

 それがもし彼女の生まれた英国であれば、1年間の、ほぼ全額有給の休暇が用意されている。さらにいくつかの政策の一つは、パートタイムでの勤務を可能にしている。パートタイムと、家庭で会社の仕事の一部をすることを許されれば、全く話は違います、と彼女は言うのである。そしてこうした制度は、女性を職場はなれさせないために作られたものだと。

 1990年に、米国の女性は世界最高の就職率を保っていた。60年間、それは上昇をつづけ、1999年をピークに、25歳から54歳までの女性の74%が働いていたが、今日では69%におちた。スイス、オーストラリア、ドイツ、フランスの主たる労働力年齢の女たちがアメリカを凌ぎ、カナダ、日本も同様である。昨年の NY TIMES / CBS NEWS / KEISER FAMILY FOUNDATION の世論調査によると、25−54歳の、家庭の外で働かない女性の61%が、家庭の責任のためと答え、男性では31%だけがそれを理由にしている。

 アメリカ女性のほぼ1/3が労働参加からはなれたことと、ヨーロッパ諸国の事情とのちがいはどこにあるのだろう。それは子供の親の有給休暇、パートタイム労働の認められることなどが、アメリカに存在しないからだとコーネル大学の経済学者フランシーヌ・ブラウとローレンス・カーン氏はいう。パリの公立学校の教師デルフィーヌ・デュボストによると、フランスでは出産の1.5ヶ月前から休暇を取ることを要求され、出産後は2ヶ月半の休暇がもらえる。その全てが有給で、給料の減額はないという。ふたり目の子供が生まれると仕事はそれまでの80%に減らされるが、給料はへらない。“働きながら、子供とも付き合える、本当に素敵です”とは彼女の言葉である。

 アメリカにおける雇用の低下には目を見張るものがある。米国は長い間、職の成長をめざして、融通性のある労働市場を意図してきたからだ。しかしいまやこのアメリカ式やり方が最高とばかり言えなくなった。自由市場は多くの家庭、ことに多数の女性に解決策を求めているのである。デヴィンは、子供が学齢期になったらまた職場に戻りたいとは言う。だが心配は心を離れない。自分がまた雇用されうるかどうかを疑っているのである。(タイムズ・ダイジェストより抄訳)

 さて、日本がヨーロッパのような制度を持つことは早急には考えられない。しかし最近の安倍首相の女性問題への関心は、アベノミクス不調への対策であったにせよ、これを機会に、女性の働きやすい日本作りに、真剣に取り組んでいただきたいと思う。それは良い子供達、良い未来を創造するためには必須であると思われる。

 最後に、ジェンダーシリーズの拙文に付き合っていただいた読者の皆様と、オルタ充実のために毎号格闘され、長い休載も大目に見てくださった編集長加藤氏に、ますますご健闘の2015年をお祈りしたい。

2015年 新春 ニュージャージーにて

 (筆者は米国・ニュージャーシー州在住・翻訳家)


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