タイの仏教はなぜ戒律仏教といわれるのか

■宗教・民族から見た同時代世界        荒木 重雄 

~タイの仏教はなぜ戒律仏教といわれるのか~

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 人口の96%が仏教徒、寺院数約3万、僧30万人超、一時出家を加えれば男子百
人に一人から二人が黄衣をまとった僧であるといわれるタイ。そのタイをはじめ
ラオス、カンボジア、ミャンマー(ビルマ)で、上座部仏教は1億人を超える人
々に信奉されている。わたしたちにあまり詳らかではないこの上座部仏教につい
て、タイを例に、二回に亙ってふれておきたい。


◇◇初期仏教の精髄は出家道


  いうまでもないことだが、仏陀が説いた教えは、人間はいかにして苦しみから
脱することができるのかであった。人間はなぜ苦しみから逃れることができない
のか。それは「無知」による、と仏陀いう。万物は縁起(原因と条件)によって
うつろう無常なものという存在の実相を認識し執着を絶つ「知」をもたないから
である。

 ならばその「知」、苦の止滅をもたらす「知」(般若)はいかにして獲得でき
るのか。それは「八正道」(註)が示すような、戒に従った清浄な生活を送り、
精神を統一させ、透徹した眼で実存のあるがままを観照することによって可能と
なる。これが仏陀が説く仏教、すなわち「自己救済」の道である。

 この、持戒の生活や、精神統一の修行は、しかし、いかに固い意志をもとうと
も、汚濁と煩いに満ちた世俗の生活にあっては貫くことがむずかしい。ならば、
いっさいの世俗のかかわりを投げ捨て「家を出て」、もっぱら自己を磨き解脱へ
の修行に専念する道を歩めばよい。そう勧めたのも仏陀であった。こうしてうま
れた出家者たちは、修行を効果的におこなううえで互いの便利となる仕組みとし
て、宗教的生活共同体、サンガ(教団)を創りだした。

 古代インドにうまれたこの仏教の初期のかたちが、ほぼそのままスリランカを
経由してもたらされ、定着したのが、タイの上座部仏教である。


◇◇托鉢と戒律のタイ仏教


  タイ仏教の特徴、すなわち僧は出家して僧院で集団生活を営むことや、托鉢の
慣行、戒律重視も、ここに由来する。
 
  鉄鉢を抱えた黄衣裸足の托鉢僧のすがたはタイではどこでも見られる朝の風物
詩である。だが、食物を供養された僧が供養者に感謝を示す場面は見ることがな
い。行乞の僧は黙したまま立ち去り、その後ろ姿に供養者が恭しく合掌する。
 
  食を施す在家者よりも食を乞う出家遊行者のほうが優位に立つのも仏教以前か
らの古代インドの社会通念であったが、ここには宗教者と民衆の関係が凝縮して
あるので次号の話題として、今号では、もうひとつの大きな特徴である戒律につ
いてみておこう。


◇◇僧が守る227の戒とは


  タイ仏教についてまず驚くのは、僧は、一時出家者も含め、227もの戒律(パ
ーティモッカ)を遵守することである。その内容はいかなるものだろうか。
  227条の戒律は、処罰をともなうものとともなわないもの、また、処罰をとも
なうものも許されざる大罪と許されうる小罪(軽罪、微罪)に分類される。
 
  許されない大罪は、性交、盗み、殺人、虚言の四つで、これを犯せば黄衣を剥
奪されて教団を追放される。「虚言の罪」とはただの嘘ではなく、解脱を達成し
たとか超能力を体得したとか自称することである。また、「性交の罪」が許され
ざる大罪の第一に置かれることからは、僧の妻帯が普通のことの日本の仏教がど
うみられているか、想像にかたくない。

 右の四つの大罪以外は、許されうる小罪もしくは処罰をともなわない戒律であ
る。そのなかで比較的重い、一定の方式の贖罪が求められる13の項目がある。

 そこには自慰をおこなうことや、女性の身体に触れたり淫らな言葉をかけるこ
とをはじめ、結婚の仲介をすること、既定を超えた僧坊を建てること、在家の信
者と特別な関係を結ぶこと、他の僧を誹謗したり、他の僧の誡めを聞かず教団の
秩序を乱すことなどが含まれる。

 とくに女性との接触には神経質で、供物を受ける場合でも、手渡しで女性の手
に触れるのを避けるため、いったん供物を布の上に置いてもらって、その布を引
き寄せて手に取る用心深さである。

 次に、簡単な懺悔告白で免罪される126項目がある。これには、僧に所有が許
されないものをもたない、金銭に触れない、飲酒をしない、生き物を殺さない、
綿入りの寝具をもちいない、土を掘らない、正午以降に食事をとらない、などが
含まれる。金銭に触れないためには、デックワットという寺に寄宿する俗人を伴
って、布施の受け取りや買い物での金銭の受け渡しは彼にさせればよい。

 また、正午以降に食事としてとらないのは固形物にかぎられる。そこでたとえ
ば、アイスクリームは、融ければ液体になるとの理由で、午後にも食べてもよい
ことにされている。ついでにいえば、出家者は食を托鉢にのみ求めるはずだが、
昨今は専門の仕出し屋と月決めの契約を結んでおいて、朝昼の二回、弁当を僧坊
に配達させる僧もふえているという。なお、肉食などのタブーはない。

 さらに75項目の、服装や、在家信者の家を訪れるときの作法、食事の作法、説
法の作法、大小便に関する作法などがあるが、これらは留意すればよいエチケッ
ト集のようなものであり、残りは、サンガでのものごとの決め方、争いの裁定の
仕方などを説いたものである。

 みてきたように、227条の戒律とは、初期仏教以来の、「知」の獲得に不可欠
な清浄な生活と、それを求める出家者の集団生活を保障するすべである。このよ
うな慣習に生きる僧を民衆はどのように社会に包むのか、これは次号の話題であ
る。

   (註)八正道とは、修行の指針として示された8項目で、正見、正思、 
    正語、正業、正命(正しい生活)、正精進、正念、正定(心の統一)。

          (筆者は社会環境学会理事長)

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