■【北から南から】深センから

『チベット・デモ事件』                佐藤 美和子

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  今号では、49号の続きで『中国暮らしでよかったな~と思うこと、その2』を
書こうと思っていたのですが・・・・・このところ中国政府の毒ギョーザ事件や
チベット暴動などの非人道的な対応が目立ち、残念ながら今は「中国暮らしで良
かった~」などと、暢気に思える心境ではありません。「住んで良かった」と思う
こともある反面、私が直接被害を蒙る訳ではなくとも、理屈や道理が通らないこ
とに言い知れぬ怖さを感じさせられる国であることも、折々に思い知らされてい
ます。すみませんが49号の続きは、いつか再び、中国に住んでいて良かったと
思えた時に改めて書きたいと思います。

  私は10年ほど前に、チベットを訪れた事があります。外国人がチベットへ行
くには、中国ビザとは別に『入蔵許可証』というものを取らねばなりません(高
額の許可証取得を嫌って、闇でチベット入りする外国人バックパッカーもいるよ
うですが)。現在、日本人は15日以内であればノービザで中国に滞在できるので
すが、チベットへ行く外国人は中国ビザも必ず取得せねばなりません。私は青海
省ゴルムド市から長距離バスで30時間かけてチベット入りしたのですが、同日
にチベット入りする外国人はばらばらに旅行社に申し込んだとしても、みな一台
のバスに乗るように調整されていました。もし同日にチベット入りを希望する外
国人が少なければ、中国人の乗るバスはどんどん出発していくのに、外国人があ
る程度集まるまで何日も待たされることもあります。現在でもチベット自治区の
省都・ラサ市へ行く寝台列車は、なるべく外国人は同じ車両に一まとめになるよ
うに切符が売られています(日本人観光客が多いので、一車両全て日本人という
ことも多々あるとか)。つまり、チベットへ行く外国人は何かと管理されていると
言う事なのです。

  チベットでは、当時は公共の交通手段が乏しかった地域へ行くために、現地で
知り合った日本人バックパッカー数人で四輪駆動車をチャーターしました。神の
湖と呼ばれるヤムドゥク湖畔や標高4770mのカンパ・ラ峠を通り、チベット第
二の街ギャンツェと第三の街シガツェを回ってラサへ戻ってくる、3日間の行程
です。年若いチベット族のドライバー兼ガイド氏はとても無口な人だったのです
が、食事や宿を共にしているうちに随分打ち解けることができました。車の中で、
または景色のきれいなところで途中休憩したときに、実はラサ市の一等地や繁華
街にある商店やレストランが今はほとんど漢民族のものであること、法や契約と
いった概念に疎いチベット族がうまく誤魔化されて不利な契約を結ばされてしま
い、結果的に店屋敷や財産を失った多くのチベット族は僻地へ移住せざるを得な
くなったこと、お陰でチベット経済や政府機関など重要ポストの多くは漢族に占
められてしまっていること、民族融和政策によって漢民族がどんどん移住してく
るために街も漢民族化されてきてしまっていること、どんなに禁止されていても
多くのチベット族はダライ・ラマ14世の写真を密かに隠し持っていること・・・
興味津々の私たちに、そんな話をぽつぽつと語ってくれました。

  周囲は万年雪を頂いた高山や雪解け水の流れる川に草を食むヤク牛ばかりで、
すれ違う車も少ない道です。そんな必要はまったくない状況であるにも関わらず、
それらの話をしてくれる時には声を落としてチラチラと周りを確認するような所
作をみせる彼に気づき、そういったしぐさが彼の習慣となってしまっているらし
いことがとても悲しく思えました。そしてラサに戻ってきてチャーター契約終了
が近づいてくると、やはり我々に色々しゃべりすぎたと思ったのでしょう。道中
自分が話した事はどうか口外しないでくれ、特に漢族に知れたら自分はこの仕事
ができなくなってしまう、と繰り返し懇願され、我々全員が何度約束しても不安
がぬぐえない様子でした。

  数年前に知り合ったチベット族男性からも、ドライバー氏の語った事と同じよ
うな話を何度か聞いたことがあります。何度目かに自宅を訪問した時、やっぱり
こっそりというしぐさで、彼の寝室に案内してくれました。なぜ私にプライベー
トな寝室を見せるのか不思議に思ってついていくと、ベッドの奥の壁に飾られた
いくつもの布製のタンカ(タペストリー型をした、チベット・ラマ教の宗教画)
の脇から大事そうに取り出して見せてくれたものは、ダライ・ラマ14世とパンチ
ェン・ラマ10世の肖像写真でした。彼が言うには、これはとても大事なものだ
から滅多な事では人に見せないし、特に漢民族にはどんなにいい人であっても決
して見せる事はない。あなたたち外国人はチベットにいくらかは興味をもってい
ると思うので、あなたを信用して見せた。多くのチベット族はこうやって、大事
なものを寝室にしまっているものなのだ、と教えてくれました。

  そんな風に、いち外国人の私がチベットについて見聞を深める機会があったの
に対し、チベットは昔から中国の一部なのだと言い張る割りに、漢民族の多くは
チベット族を含む自国の少数民族について、知識も興味もあまり持っていません。
うちの相方も漢民族なのですが、外国人の私が驚くほどチベットのことは何一つ
知りませんでした。大半の漢民族のチベットに対する認識は、列車が開通したこ
の数年こそ観光地として目を向けられ始めたものの、それ以前はチベット族とは
風呂に入る習慣のない不潔な民族である(こういう蔑みに似た言葉は、本当によ
く聞きました。確かに昔のチベットは入浴習慣があまりなかったのですが、これ
は水資源や燃料に乏しい上、標高が高いために強い紫外線を浴びる皮膚を守るた
め、皮膚垢で体表を覆うという知恵からくる習慣なのです。自分たちと違うため
に奇異に見える習慣のみがクローズアップされていて、それでなくても大気も非
常に乾燥している地域だから頻繁な入浴が必要ないなどの現地事情はまったく理
解されていませんでした)、ラマ僧による封建社会の野蛮な風習を持つ哀れな民族
を共産党が解放してやった、などのかなりいい加減な認識だったのです。きっと
学校教育でそう言う風にしか教えられていないのでしょう、しかもチベット族も
迫害を恐れて漢民族には本音は何一つを語らないとくれば、一般の漢民族が真実
を知る事はありません。

  今月に入ってから、中国ではエキサイトのブログに全くアクセスできなくなっ
ています。少し前に起こった東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)でのデモ事
件が絡んでいるのかも知れません。長年インフォシークやジオティーズも、何が
まずいのか分かりませんがアクセス不可ですし、フリー百科事典のウィキペディ
アというサイトや、Yahoo!台湾も、ほとんど中国からは駄目です。そして今、
動画サイトのYouTubeまでも見れなくなってしまいました。デモや暴動でなくと
も、ダライ・ラマ14世がどこか外国を訪問したとか海外の政治家と会談したなど
のニュースが流れるたびに、中国ではいろんなネットサイトにアクセス制限がか
かってしまうのです。政府に都合の悪い動きとあまりにピッタリ連動してそうい
う規制が発生すると、この国ではネットはもちろん個人の携帯通信ですら傍受さ
れているとも言いますし、本当に薄ら寒い思いがします。オルタの記事や友人知
人などへのメールに言いたい(書きたい?)放題の私、大丈夫なのかしらー?と
不安に思う事もなくはありませんが・・・・・。あっ、よく考えると深センの我
が家の本棚には、オルタ出版の『海峡の両側から靖国を考える』が!万が一この
タイトルの『靖国』という漢字が中国人の目に触れれば、内容なんてお構いなし
に騒がれる?------な~んてっ、来客のほとんどない我が家、その心配はなさそ
う。

            (筆者は在深セン・日本語教師)

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