【沖縄・砂川・三里塚通信】

チョイさんの沖縄日記 2020年01月06日~01月15日
~辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録

◆ 2020年01月15日 
辺野古ゲート前で防衛局の変更計画について説明 --- 今、県の「あらゆる手段の行使」が求められている!

 1月15日(水)、朝から辺野古へ。ゲート前の集会で指名されたので、防衛局の変更計画案の概要とその問題点について説明した。今回の変更計画は、工程を短縮することだけを優先し、無理な工法の採用や環境への影響を無視したものとなっている。来週、名護(21日)と那覇(25日)の学習会でもその内容を詳しく説明する。

 今日も特に強調したのは沖縄県の責任だ。こんなとんでもない設計概要変更申請をデニー知事が承認することはあり得ないが、県はそれ以外にも自らの権限を行使して新基地建設事業にブレーキをかけなければならない。本部塩川港の使用許可問題、琉球セメント安和桟橋の目的外使用や老朽化した旧桟橋の使用制限、県土保全条例の改正、さらに海砂採取の規制等、県が取り組むべき課題は多い。「あらゆる手段を行使して辺野古を止める」というのなら、こうした具体的な問題について毅然と対応しなければならない。

 午後は沖縄防衛局へ。大量の文書の開示を受ける。

◆ 2020年01月14日
 21日(火)名護、25日(土)那覇で連続講演会 --- まもなく提出される辺野古・変更計画案の概要と問題点

 辺野古新基地建設事業では、軟弱地盤改良とそれに伴い護岸工事・埋立工事が大幅に変更されるため、防衛局は公有水面埋立法に基づき、知事への設計概要変更申請をまもなく提出する。いよいよ辺野古新基地建設反対運動も正念場を迎える。

 昨年12月25日、防衛局が設置した技術検討会の第3回会議が開かれ、防衛局が検討している変更計画案の概要が明かになった。最終的な変更計画書も、ほぼこの内容に沿ったものになると思われる。
 防衛局の変更計画案の概要とその問題点を検討し、今後の反対運動の方向を探るための集会が、名護と那覇で連続して予定されている。今回の変更計画案が、ともかく工期を短縮するために無理な工法を採用し、環境へも深刻な影響を与えるものであることを分かりやすく説明させていただくつもりだ。是非、お集りください。

・1月21日(火)午後6時半~ 名護市労働福祉センター(主催:島ぐるみ会議やんばる地域連絡協議会)
・1月25日(土)午後4時~  那覇市・八汐荘(主催:沖縄平和市民連絡会)

◆ 2020年01月12日
 <沖縄県への要請>まもなく関与取消訴訟の最高裁判決が出る! --- サンゴの特別採捕許可申請について「判断保留」を貫くこと

 まもなく地盤改良工事等の設計概要変更申請が沖縄県に提出されるが、その前に、県が訴えていた埋立承認撤回を国が取り消したことに対する関与取消訴訟の最高裁判決が予想される。

 その時点で、県は重大な判断を強いられる。

 県は、昨年7月17日、辺野古新基地建設に係る沖縄防衛局長からの各種申請等の対応方針について、県の埋立承認撤回に対して国土交通大臣が行った審査請求の裁決について、県が裁判を提訴して係争中であることから、「当該訴訟に係る司法の最終判断を受けて対応することとし、それまでの間は、処分等を行わない」という方針を示した(辺野古新基地建設問題対策課長通知)。そして知事は、7月19日の記者会見で、防衛局から提出されていた、埋立予定海域に生息する3万8千群体のサンゴ類の特別採捕許可申請について、「司法の最終判断が出るまでは判断しない」と表明した。そのため、防衛局はサンゴ類の移植作業に入れない状態が続いている。

 ところが、県が提訴していた関与取消訴訟は、昨年10月23日、福岡高裁那覇支部で却下されてしまった。最高裁でも残念ながら却下判決が予想される。

 しかし福岡高裁の関与取消訴訟の判決は、県の埋立承認撤回の是非について判断したものではない。今回の福岡高裁判決がたとえ最高裁でも却下されたとしても、県の埋立承認撤回についての「司法の最終判断」が出たとは言えない。少なくとも、昨年8月に提訴した抗告訴訟の結果を待つ必要がある。

 県は、関与取消訴訟の最高裁判決で方針を変更することなく、抗告訴訟が最終決着するまでは、サンゴ類の特別採捕許可申請の判断をしないという方針を貫くべきであろう。

◆ 2020年01月10日
 琉球セメントと闘った民衆の記録・『うまんちゅのすくぢから』(石原昌家著)に学ぶ --- 煤塵公害に抗議し、8日間の座込みで工場を封鎖!

 辺野古への土砂が搬送されている琉球セメント安和桟橋の前には、琉球セメント屋部工場がある。埋立土砂は琉球セメント安和鉱山から出され、同社の桟橋から辺野古に海上搬送されている。まさに辺野古の埋立は琉球セメント社の全面協力によって実施されているのだ。

 先日、興味深い本を入手した。『うまんちゅぬすくぢから --- アメリカのカイザー資本・琉球セメントと闘った民衆の記録』(1979年 晩聲社)という石原昌家さんの本だ。

 琉球セメント屋部工場は1964年に創業を開始したが、それと同時に、悪臭を伴うセメント煤塵が安和部落を襲うようになった。以前は企業誘致に奔走した地元住民だったが、あまりの被害に「安和・勝山区煤塵対策委員会」を組織し、地域ぐるみの反対運動に立ち上がった。

 当時、琉球セメントの筆頭株主はカイザー社というアメリカ資本、さらに地元屋部村長から立法院議員となり、元自民党副総裁として大きな影響力を持っている吉元栄真氏が常務だった。
 しかし住民らは屈っしなかった。2年間に30回もの交渉を続け、さらに69年11月には工場正門前に250人の住民が座り込み、8日間にわたって操業を阻止した。
 そして71年6月、会社との間で妥結の覚書をかわし、反対運動は終了した。煤塵の降下量を激減させ、一応の被害補償も勝ち取ったという。

 石原昌家さんは本書の最後の「公害反対闘争の成果」で、この運動を大きく評価している。たとえば、「村落の世襲的役職者支配の構造を崩壊させ、民主的な村の運営が可能になった」、「県外各地、沖縄各地に公害調査を実施し、被害住民・研究者との交流を通して民衆レベルにおける連帯性を認識した」、「闘争対象の企業内労働組合との協力関係を維持した」、「学習活動を積み重ね、理論的・論理的思考を深めた」というような点だ。
 さらに、名護市の取組を評価し、「現在、名護市が沖縄では最も先進的な公害行政のもとに、幅広く環境問題に取り組んでいるのは、セメント公害反対闘争が大きく影響していると思われる」とされている。

 以前にも紹介したことがあるが、名護市は市内の各鉱山(採石場)との間に公害防止協定を締結している(残念ながら本部町にはない)。こうした取組も、このセメント公害反対闘争とも関連していたようだ。
 沖縄では反基地闘争だけではなく、こうした地域の公害反対運動にも学ぶことが多い。現在、さらに詳細な活動記録を取り寄せている。入手次第、紹介したい。

◆ 2020年01月08日
 <本部塩川港の岸壁使用許可問題で町当局と意見交換>使うかどうか分からないが、ともかく申請だけは出しておく --- こんなデタラメなやり方は許せない!

 1月8日(水)、荒れた海を見ながら、名護から本部へ向かう。本部町島ぐるみ会議の皆さんと、本部町の担当者らと本部塩川港の岸壁使用許可問題について意見交換をした。本部町は建設課長、港管理事務所長らが出席。

 本部塩川港の杜撰な岸壁使用許可申請のやり方の問題点については、6日のブログでも詳しく説明した。12月分は、辺野古への土砂搬出のために23隻もの岸壁使用許可申請を出しておきながら、19隻は一度も使っていない。これでは、実際に使うかどうかは未定だが、ともかく申請だけは出して許可をもらっておこうということにすぎない。

 この日の意見交換では、本部町が出していた岸壁使用許可に伴う留意事項の適用方法について追及が続いた。本部町は「事務の簡素化のため」として、今回のような許可方法にしたのだが、反って仕事が煩雑になってしまっている。
 ともかく県港湾管理条例施行規則どおりに、毎回の着岸・離岸のたびに申請を出させなければならない。沖縄県も本部町も、それができない理由をいろいろ主張するが、役所として法令を遵守しなければならないのは言うまでもない。

◆ 2020年01月06日
 辺野古の抗議行動再開。本部塩川港では、23隻に岸壁使用許可が出されていたが、12月に使用したのは4隻のみ。19隻は12月末で許可期間は終了した --- こんな杜撰な申請方法を許すな!

 1月6日(月)、長かったお正月休みも終わった。工事再開に備え、朝から本部塩川港へ。

 琉球セメント安和鉱山からは、会社の幹部らが並ぶ中、「初荷」のダンプトラックが出ていく。港では台船が岸壁に着き、警備員らも並んで積出の準備は整っているのだが、なかなかダンプはやってこない。10時頃になってやっと来たので、20人ほどのメンバーで抗議行動を行う。

 本部塩川港では、昨年12月、本部町が来年3月末までの岸壁使用許可を出してしまった。本部島ぐるみ会議がすぐに港管理事務所の責任者らと意見交換を行った。
 本部町は「業務手続きの簡素化および適正な港湾管理のため」として、最大6ケ月間の岸壁使用許可を出すとしたのだが、その際、条件を付している。それは、「許可を受けた期間中に連続して1ケ月以上入港実績が無い場合、許可期間は1ケ月もしくは最後に入港した日までのいずれかに変更する」というものだ。

 この条件のもとに昨年12月、17隻の運搬船と6隻の台船が、本年3月末までの岸壁使用許可を受けた。しかし12月中に岸壁を使用したのは、運搬船1隻と台船3隻にすぎない(この4隻が28回、岸壁を使用して土砂を搬送した)。19隻は一度も使用しなかったため、昨年12月末で許可期間は終了したこととなる。

 業者は、使用するあてがなくても、念のために全ての船の岸壁使用申請を行っているのだ。公共の港湾であるにもかかわらず、こんないいかげんな申請方法は許されない。このブログで何回も説明し、県とも交渉してきたが、港湾管理条例施行規則で定める様式のとおり、毎回の着岸のたびに申請をさせるべきである。

 本部塩川港の後、辺野古のゲート前に寄って帰宅。締め切りの迫った原稿書きや情報公開訴訟の証人調べの準備等に追われる(2月5日に、防衛局土木部長と私が法廷に立つ)。

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