オランダ通信(1) リヒテルズ直子

デモクラシーの擁護者としての君主~ウィレム・アレキサンダー新国王の即位と解放記念日~

“自由は受け渡していくもの Vrijheid geef je door”

 5月5日は日本では「こどもの日(端午の節句)」。他方、オランダではこの日
は「解放記念日」です。第2次世界大戦終結間近、オランダはこの日にドイツの
占領から解放されています。その前日4日は「戦没者追悼の日」で、アムステル
ダムのダム広場には2万人近くの市民が集まり、君主が戦没者追悼碑に大きな花
輪を捧げ、20時ちょうどに2分間の黙祷が行われます。

 サマータイムでまだ昼間の明るさが続くダム広場には、老若男女、まさに、小
学生や中学生も集まって追悼の黙祷をささげます。テレビを通してその様子を見
ている全国の視聴者たちも、大半が、それぞれの場で、2分間の黙祷をします。

 戦争の痛みと占領軍ナチスによる思想統制。そのくらい過去を記憶として思い
出し、その上で5日「解放記念日 Bevrijdingsdag」が「自由 Vrijheid」の祝祭
として祝われます。

 今年の「解放記念日」のキャッチフレーズは、「自由は受け渡していくもの」
でした。5日の晩、これも恒例行事となったアムステルダムの運河に設営された
ステージの上での水上コンサートには、市民らが、徒歩や水上のボートに乗って
続々と集まってきます。開幕を間近にして、どこからともなく集まった人々が
「自由は受け渡していくもの Vrijheid geef je door」と書かれた横幕を、次か
ら次へと手渡していっています。

 自由を享受していることの喜びを歴史を通して世代を超えて受け渡していくと
いう意味と、もう一つ、世界に対して、自由のない地域の人々、隣人らに受け渡
していくものという意味との二つがあるのだ、と気づかされます。

 17世紀のオランダは、ヨーロッパの中でも比較的早い時期に、近代につながる
啓蒙思想の揺籃となった土地です。自由・平等・博愛という近代市民社会の3原
理につながる思想です。

 一旦、近代市民として自由を享受することを知り、議会制民主主義や法治国家
の制度を持っていた国が、ドイツの支配によって自由を奪われた後、戦災の瓦礫
と二度と帰らぬ隣人たちの記憶の中で、もう一度その「自由」を取り戻した時に
人々が知った「自由」の重さ。それは、ただ漫然としたタテマエだけの美辞麗句
ではなく、居なくなった同胞の命を守れなかった自身への罪悪感でもあったとい
えます。

 それは、本当の意味で近代的市民としての「良心の自由」を一度も経験したこ
とがなかった戦時中の日本人、その後の日本とは、明らかに一線を画した人々の
感情であったとも私には思えます。

 ところで、今年の「解放記念日」の水上コンサートは、例年に比べ、一層華や
かさに包まれていました。それは、その数日前、4月30日にウィレム・アレキサ
ンダー新国王の王位就任式が行われたばかりだったからです。ステージの真正面
に設営された席には、ウィレム・アレキサンダー新国王とマキシマ王妃、そして、
退位して再びプリンセスとなり、あたかも君主としての任務から解放されて、心
なしかリラックスしているように見えるベアトリクス元女王が出席していました。

 コンサートでは、様々な層の国民を意識して、クラシック音楽だけではなく、
ポップソングやモダンダンスも取り混ぜて行われます。注目の新国王夫妻は、時
々、ステージ上の歌手とともに唄を口ずさみつつ、観衆の声に笑顔で応えていま
した。

国会の会合として行われる、戴冠無き国王就任式

 さて、4月30日に行われた新国王即位式の様子は、日本でも放映され、おそら
くご覧になった方も多いことと思います。しかし、この儀式がオランダ国会両議
院の連合会合として行われたことは、日本ではどれぐらい知られているでしょう
か。

 この日の午前、アムステルダムの王宮では、ベアトリクス女王が「退位」の署
名をし、君主の地位がウィレム・アレキサンダー皇太子に譲られたことが宣言さ
れました。ちょうど33年前、ユリアナ前女王が「退位」してベアトリクス皇女に
王位継承された時に、公衆らが、ヤジを飛ばし、ユリアナ女王の声が聞こえない
くらいに騒然としていたのとは打って変わり、今回の新国王の即位は、広場に集
まった公衆からの暖かい歓声と喜びの表情に包まれていました。

 人々の間にまだ強い反独感情があった時代にドイツ人の夫を持っていたベアト
リクス。33年間にわたる在位中、市民との距離を縮め、人権問題では積極的に擁
護発言することを辞さない女王でした。

 ベアトリクス女王の「退位」と同日、午後に行われたウィレム・アレキサンダ
ー新国王の就任式は、王宮に隣接した新教会で行われました。しかし、このセレ
モニーは、先にも述べた通り、オランダ国会(第一、第二院両院の連合)の会合
として行われたものです。

 オランダの国王は、即位のときにも誰からも戴冠しません。国民から選ばれた
議員たちとの制約を交わすという形で、両院を代表する第一院議会の議長の指揮
のもとに「就任式」が行われます。オランダの王位は、あくまでも、議会制民主
主義の制度にのっとって、国民の代表が王位にあるものと約束を交わして確約さ
れる地位なのです。

 これは、オランダという国が、もともと、市民国家としてスペインの支配から
独立し、その後長く「共和国」だったこと、独立国家オランダの王制は、フラン
ス革命以後、ナポレオンの支配を経て1814年になって初めて始まったものという
歴史的背景と深いかかわりがあります。

 つまり、オランダの君主は、始めから、国家の支配者であったわけではなく、
国づくりをしてきたのは市民たちであり、ヨーロッパが国家主義になった時代に、
国の結束を象徴するシンボルとして国民によって召喚されて成立した地位であっ
たということです。その地位に就いたのは、かつて世界的な覇権をほしいままに
していたカトリック国スペインからの自治権を獲得すべく、ネーデルランド共和
国の独立運動を指導したオラニエ公ウィレムの血を引く子孫でした。

*)セレモニーの模様は、日本でも多くの方がテレビを通して視聴されていたこ
とと思います。(もし視聴されていなかったら
www.uitzendinggemist.nl/afleveringen/1340245 をご覧になってみてください)

 以下は、新国王が就任式で行った演説と宣誓です。僭越ですが、拙訳をしてみ
ました。日本の皆さんの理解の役に立つために、解説に代えて、パラグラフごと
に括弧で小見出しをつけ、必要最小限の範囲内で註(*)を入れています。

ウィレム・アレキサンダー新国王の就任演説

オランダ国会両院議員の皆さん、

■(立憲議会制民主主義王国の擁護者としての君主)
きょう、私は、オランダ国会両院による連合会議に、あなたがたの王となる宣誓
をし、就任するためにここにいます。皆さんは、人々から選ばれた代表者として、
ここ首都に集まってきています。このことは、私たちの立憲体制を象徴していま
す。

オランダ王制は2世紀間にわたって、議会制民主主義と切っても切れない関係を
結んできました。のちに私が行う就任と宣誓とはこの関係を確認するものであり、
それは「王国規約」と「憲法」とにのっとったものです。

■(デモクラシーにおける市民と政府の役割・相互信頼)
デモクラシーは相互の信頼に根差します。市民が政府に対してもつ信頼。それは
法に準じパースペクティブを示す政府です。しかし、政府が市民に対して持つ信
頼も必要です。公共の利益に対して共同責任を持っていることを自覚し、お互い
を擁護し合う市民たちです。公務を担うすべての者は、選挙によって選ばれた者
であれ、指名・任命された者であれ、この信頼に対して貢献します。デモクラシ
ーとは、このようにして維持されていくものです。

■(君主が持つ責任)
「相互の信頼を獲得するということにおいては、小さい意味においても、また、
大きな意味においても常に変わることなく存在する任務があります」そう母君は、
彼女の、女王としての最後のクリスマススピーチで述べています。33年間にわた
って、彼女は人々を信頼し、また、自らに与えられた信頼を裏切ることがありま
せんでした。それが彼女の権威の礎であります。

彼女は、憲法に根差し、また、1980年4月30日に即位によって厳粛に約束した諸
々の価値を擁護してきました。彼女は、そのために、必要と思われる場では、自
らの意見を述べてきました。なぜならば、君主がなんらの政治的責任を持たない
という事実は、君主が自らの責任を負わなくてもよいということを意味するもの
ではないからです。そうでなければ、私が、これから、このオランダ国会両院連
合の会合の場で行う宣誓は、無意味なものとなるでありましょう。

■(ベアトリクス前女王への感謝)
貴方は自らが誓いを立てて約束した責任について完璧な意識をもって女王を務め
られました。貴方はみずからの公務義務に対して、完璧なまでにひたむきに尽く
してこられました。しかし、貴方は、同時に、人の娘であり、妻であり、家族の
中心であり、母でもありました。そして、これらの責任のどの一つに対しても、
全く同じように誠意を尽くすように勤められました。

それは、時として、心の緊張を迫るものともなりました。しかし、あなたは、こ
れらすべての義務が、皆一度に生き生きと結合されるものであることもご存知で
した。あなたは、決して無駄に他の人の助けに縋り付くようなことがありません
でした。私生活において深い悲しみの底にあった日々においても、貴方は、最も
愛に満ちた態度で、私たち皆に対して、深い信頼に根差した支えを与えてくださ
いました。

■(大衆人気に拠らない君主)

貴方は、父君による支えを得て、女王として、自分なりのスタイルを作ってこら
れました。上辺だけの人気は、貴方の航行の指針(コンパス)ではありませんで
した。あなたは、一つの長い伝統の上に立っていることをご存じであったので、
安定した混ざり気のない針路を維持してこられました。激しい荒波の只中にあっ
ても静かに揺るぐことなく。

私は、あなたの足跡を継いでいきます。私の公務に関して、私は、明確な像を抱
いています。「未来が何をもたらすことになるのか」それは誰一人として知るも
のはいません。しかし、その道がどこにつながるものであろうとも、また、それ
が、どんなに長い道であろうとも、あなたの叡智とあなたの温かさを、私は、受
け継いでいきたいと思います。

私は、次のように言う時、それが、オランダとカリブ海の王国領に住まう多くの
人々の感情を代表していることを知っています。私たちが、あなたを私たちの女
王として戴くことが出来た何年間もの美しい年月を、あなたに感謝します。

■(君主の個性)
どの君主も、その公務に対して、独自の貢献をするものです。どの君主も一人ひ
とり異なる人間であり、異なる時代の君主であるからです。王位は静的なもので
はありません。私たちの国法的規則の範囲内で、王位は、変化しつつある環境に
対して、常に適応するものであります。こういう余裕は、閣僚も、オランダ両議
院も君主に対して認めています。

■(君主の歴史的役割)
同時に、王位は、継続と共同性の象徴でもあります。それは、我が国の、国家と
しての過去に直接結びついたものであり、その過去は、今日もなお社会が全体と
して、今後さらに織りなしていく歴史の織物です。

歴史の中に、私たちは、私たちが共有する諸々の価値の根拠を見いだします。こ
れらの価値の中の一つは、君主が務める役割に関わるものです。君主は、共同体
に奉仕すべくその公務を負うものであります。この土深く根を張った意識は、す
でに1581年に、後にネーデルランドとなることになる国の出生証明ともいえるも
のとなった「放棄布告(het Plakkaat van Verlatinghe)」(*事実上のオラン
ダ独立宣言にあたるもの)の中で両議院によって示されています。

■(不確実性の時代における即位の意味)
私は、王国に住む多くの人々がみずから脆弱で不確実であると感じている時代に、
王位に就きます。仕事において、あるいは、健康において、脆弱であり、収入に
ついて、あるいは、生活環境において不確実な時代です。子どもたちが、自分の
親たちよりもより良いものを得るようになるということが、以前に比べると必ず
しも当然なことであるとは言えない状況と思われます。

■(世界規模の多元社会に生きる市民)
誰にとっても、私たちは、私たちの人生に影響を与えるものごとの変化に対して
わずかしか把握できていないように見えています。しかし、私たちの強さは、社
会から引きこもって隠遁することにではなく、協働することの中に見出されるも
のです。家族・親族として、同朋として、通りや近隣に共に住む住民として、私
たちの王国の市民として。そしてまた、国際的結束をもってしてのみ解決するこ
とが可能な、山積した課題に直面している、この地球の住民として。

■(オランダ人のアイデンティティ)
結束と多様性。独自性と適応力。伝統が持つ価値への意識と未来がもたらすもの
に対する好奇心。このような特性が、私たちを、私たちの歴史の中で、今ある私
たち自身の在り様として形成してきたのです。

■(市民が持つ可能性)
自らの可能性の限界を知るとともに、この限界を可能な限り拡げていこうとする
衝動が、私たちをここまで大きく成長させてきました。今ここに立っている5人
の卓越した同朋(*)は、その象徴的存在であるといえます。彼らは今日、個々
で、一つの伝統的な役割を担っていますが、彼らは同時に、私たちが目指してい
こうとしているものの生きた証しでもあります。

*)ウィレム・アレキサンダー新国王は、国王就任式にあたって、式後「就任」
の事実を公衆に宣言する役割を持つ5名を、前例にない斬新なやり方で選んだ。
ユリアナ女王とベアトリクス女王の場合には、ドイツ占領のレジスタンスや戦争
の英雄を選んだが、新国王は、科学者、軍人、宇宙飛行士、スポーツマン、官僚
を、「それぞれの分野で世界的に卓越したレベルに到達した人」として選任して
いる。

科学者はロバート・デイクグラーフ(プリンストン大学の高等研究所の所長を務
める理論物議学者・数理物理学者)、軍人はペーター・ファンウーム(実の息子
をアフガニスタンの平和部隊活動で亡くした軍総指揮官)、宇宙飛行士はアンド
レ・カウパー、スポーツマンはアンキ・ファングルンスヴェン(オリンピックの
馬上馬術で3度金メダルと5度銀メダルを受賞)、そして、官僚は、ルネ・ジョー
ンズボス(翻訳・通訳家から対米大使の任を経てきた外務省長官)である。

■(個性ある市民が共同で作る社会)
そして彼らの後ろには、さらに何十万人ものその他の人々が、それぞれ自分なり
に、一人ひとり他とは区別される存在として立っています。彼らの専心努力も欠
くことのできないものです。私たちの国の希望は、一人ひとりそれぞれ独自の能
力を持った人々すべての、小さな、そして大きな共同の中に見出されます。豊か
な探究心、勤勉、そしてオープンさは何世紀もの年月にわたって私たちの強さの
源でした。この強さをもって、わたしたちは世界に対しても多くの貢献ができま
す。

■(市民の社会参加と関与の鼓舞)
王として私は人々に自らが持っている可能性を積極的に利用するように鼓舞した
いと思います。多様性が大きければ大きいほど、私たちの確信するところや夢も
大きく異なるでしょう。たとえどこに生まれようとも(*)、オランダ王国にお
いては、すべての人が自らの声を他者に聞かれるためにあげ、対等な関係に立っ
て共に社会を築いていくのです。

*)オランダは、昔から、移民を受け入れてきた国といわれる。特に、2000年ご
ろから、オランダでは、外国生まれの移民に対する排斥傾向が、社会に目立って
きていた。ここでの現地は、それが意識されていると思われる。

■(民主主義社会の擁護者としての君主の公務)
誇りを持って、私はこの国を代表し、新しい好機発見の助けとなりたいと思いま
す。私は結束を固め、つながりを示し、私たちオランダ人が大きな喜びの時も深
い悲しみの折りにも、一つになるよう務めます。そのようにして、わたしは国王
として市民と政府の間の関係を強化し、民主主義を維持し、公共の利益のために
尽くします。

私はこの公務を感謝の気持ちを持って遂行していきます。私の両親が私に与えて
くれた養育と、私がこの公務につくための準備としての時間を与えてくれたこと
に感謝して。これまで多くの人たちが助言や行為をもって私を助けてくれました。
この方達すべてに感謝の辞を述べます。

■(オランダ国王になるための準備)
これまで何期かにわたる内閣が、オランダ国会の支持を得て、私が様々のことな
る分野で独自の役割を担う機会を与えてくれました。それを通して私はオランダ
において、またオランダのために多くのことを成し遂げることができました。

この仕事を通じて、私は、自分が自分の立場において何を意味することができる
かを意識できるようになりました。それはまた、例えば、水に対してどのように
責任を持った関わり方をすべきか、ということなど、私たちの国にとって根本的
なテーマについてどう関わっていくべきかの理解を深めるチャンスを与えてくれ
るものでもありました。

■(マキシマ王妃の立場)
国内及び国際的な場での経験が、今の私を形成してくれました。私は、信頼に根
差して、自分自身と世界に対してこう言います。私はこの公務を確信をもって遂
行する、と。このことについて、私は妻マキシマの援助にたいして、どれほど幸
いを感じているかを意識しています。 彼女は自らの立場が時として彼女に要求
してくる個人的な制約を理解しています。彼女は私たちの国を心より愛し、オラ
ンダ人の中のオランダ人となりました。彼女は、その多くの能力を持って私の王
位としての公務と、私たちすべての王国に尽くす準備ができています。

■(誓約)
オランダ国会両院議員の皆さん、
今日、私たちはお互いに私たちの相互の責任と義務を確認するものであります。

王国規約と憲法とは私たちの共通の基盤です。良き年月も、またそれほどよから
ぬ年月においても、私たちは頭を垂れることなく、きたる未来に向かって、共に
完全なる信頼を持ってさらに建設を進めて行こうではありませんか。この確信を
持って、私は、私に与えられた全ての力を持ってして、王として誠意努力してい
きます。

王国の人々に対して、私は王国規約と憲法を維持し遵守することを誓います。

私はわが全力をもって王国の独立と領土を守り維持して行くこと、すべてのオラ
ンダ人とすべての住民の自由と権利を守ること、これらの法律が私に対して良き
信頼できる王として課するすべての手段を持ってこの国の繁栄を維持しまた向上
して行くことを誓います。

心からの真意を持って、全能の神よ、われを助け給え。

 この宣誓の後、即位式では、両議院の議員一人ひとりが名前を呼ばれ、宣誓を
行いました。信仰のあるものは、王と同じ「心からの真意を持って、全能の神よ、
われを助けたまえ」という言葉で、また、信仰のないものは「これを誓います」
という言葉で、王に対して契約を交わしました。

 日本もまた立憲君主国です。日本の天皇も「象徴的存在」と言われます。日本
国憲法の第1章第1条には『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であ
って、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく』とあります。

 しかし、日本の天皇が象徴しているのが何であるのか、国や国民統合を象徴す
るとはどういうことであるのか、主権の存在する日本国民の総意とはなんなのか、
、、、、。明治維新になって近代国家の制度を作っていった日本に、本当に近代
市民を創るという意識はあったのでしょうか。それがなかったことは、教育勅語
とそれが生んだ全体主義思想が証明しています。

 日本人は、近代市民としての「自由」も、また、その自由を基盤とした「民主
主義」のしくみも知らずに、戦侵略争に加担していきました。戦争が終わった時
に、日本人に、「取り返した」自由などはなく、自由も民主主義も、実体も経験
もないまま、あたかも、棚から落ちてきたものであるかのように、当たり前のも
のと受け止めたのではないでしょうか。

 それは、この国の「主権ある国民の総意」が単なる「多数決による多数派意見」
でしかないにすぎず、マイノリティの声は聞かれることがなく、多様な個性が共
同で社会を建設することなど、学校教育制度のどこにも存在しないものであるこ
とが明らかに証明しています。

 (筆者はオランダ在住・教育社会問題研究者)
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