デンマークの教育

■ デンマークの教育               前島 巌


◇ はじめに


  「世の中が嫌になった。生活に疲れてやった。誰でもよかった。」秋葉原無差
別殺傷事件の容疑者の言葉である。ここ数年来、若者による同様な無差別殺傷事
件がたびたび起きている。「池袋通り魔殺人事件」(99年)、「池田小児童殺傷事
件」(01年)、「土浦無差別殺傷事件」(08年)など、若者が社会全体にやり場の
無い恨みを持って無差別な殺傷事件を引き起こす事件である。さまざまな報道や
レポートによれば、「ニート」とか「フリーター」とか派遣社員などの中には秋
葉原事件の容疑者のような社会へのやり場の無い怒りの感情を経験したことのあ
る者もかなりいるようである。

 このような事件がなぜ起きるのか、その原因をくわしく分析することはもちろ
ん容易ではないし、また本論の目的でもない。事件の背景には複雑な要因が絡み
合っていることは明らかであるし、また容疑者や犯人個人の特異な性格や特別な
家庭環境によるところも大いにあるだろう。しかしこのように絶望的な疎外感を
持った若者が増えないようにするために現代社会が考えなければならない幾つか
の問題点があることもこの際明白である。

 すでに国会でも論議が始まったように、日雇い派遣制度を禁止するとか、非正
規雇用者の待遇を改善するとか、ワーキング・プーア問題の解決とか、社会的セ
ーフティー・ネットを充実するとか、貧富の格差是正などといった問題ともに、
それらの問題の根底にある社会全体のあり方、とくにその重要な基盤である家族
のあり方や教育制度について考える必要があるのではなかろうか。
  教育制度の改革はぜひとも取り組むべき課題であろう。グローバル化して、し
かも技術進歩の速度が著しく速くなった現代社会に教育制度を適合させる必要が
ある一方で、他方、それとは全く反対に、人間を経済社会の必要に応じて教育す
るのではなく、その本来の価値や人間性を発展させる教育、また経済社会の変化
の速度についてゆけない人々には、それぞれおかれた状況に応じた教育が受けら
れるように柔軟な教育制度を作り上げることが必要である。
  この点でデンマークの教育制度から学ぶべき点が幾つかあると思われるので以
下にデンマークの教育制度とその特徴について見たいと思う。


◇ デンマーク教育の源流


  デンマーク教育の源流といえばまずニコライ・F・S・グルントヴィ(Nikolai
Frederik Severin Grundvig (1783-1872) を挙げなくてはならない。グルント
ヴィは童話作家のアンデルセンや哲学者キルケゴールの先輩格の同時代人である
が、デンマーク教会(ルター派)の牧師であり、また哲学者、教育者、そして多
くの讃美歌を作詞した詩人でもあった。近代デンマークの精神的な父ともいわれ
ていて、デンマークでは大変に尊敬されている人物である。
 
グルントヴィの教育思想の中心は「民衆(国民)の啓蒙(自覚)」(Folkeopl
ysning)ということにあったが、その基本的考え方は、「個人」「国民(民
衆)」「世界(宇宙)」の三位一体という考え方にあった。すなわち、(1)人
間であるということは何を意味するのか? (2)社会において人間であること
は何を意味するのか? (3)世界(宇宙)において人間であることは何を意味
するのか? という三つの領域の歴史的一体性の意味を自覚することが啓蒙の
意味であるとした。そのための学校として民衆の学校(フォルケホイスコーレ
・国民高等学校)と、個人と国民の限定された実在性を超えた全人類の深い共
存に光を当てる大学とがあるとした(オヴェ・コースゴー『グルントヴィの教
育思想』www.asahi-net.or.jp)。
 
グルントヴィが実際に設立したのは前者の国民高等学校だけで、北欧の大学を
設立するという彼の構想は構想だけに終わったが、国民高等学校が発展した背景
には、19世紀の国民的、愛国的風潮があったといわれている。ナポレオン戦争後
のヨーロッパにおける国民国家の形成、そしてデンマークでは特に1864年の対オ
ーストリア・プロイセン戦争の敗北とそれによる領土縮小が強い愛国的風潮を引
き起こし、そこにグルントヴィの国民高等学校がナショナルアイデンティティー
の意義を啓蒙するという独特の役割を果たしたといわれる。グルントヴィが近代
デンマークの精神的父といわれる所以もそこにある。


◇ デンマークから学んだ先人たち


  このようなグルントヴィの思想と国民高等学校の実践は日本へも影響を与えた
ことにふれておかなくてはならない。
  1911年11月22日に内村鑑三は東京柏木における講話で、デンマークの対オース
トリア・プロイセン戦争敗北後の国家復興の努力について話した。ユグノーの子
孫であるエンリコ・ダルガス、フレデリック・ダルガス父子の開拓と植林の努力
の話は後に内村自身の『聖書之研究』に掲載され(現在は岩波文庫『後世への最
大遺物・デンマルク国の話』として出版されている)、多くの人に影響を与えた

  内村の影響を受けた一人に、内村の聖書研究会にも出席していた東海大学の創
始者・松前重義氏がいた。同氏は内村を通じてデンマークの教育と文化に強い関
心を持ち、戦前1933年4月から1年間ヨーロッパ(主にドイツ)へ留学した折にデ
ンマークを訪れて、多くの国民高等学校をつぶさに視察して歩いた。その時の報
告は同氏の『デンマークの文化を探る』(東海大学出版会、1962)にまとめられ
て出版されているが、このグルントヴィの教育思想や国民高等学校が松前重義氏
の東海大学創設に大きな影響を与えた。
  同様に玉川学園の創始者小原国芳氏もデンマーク教育から影響を受けた一人で
あるといわれている。
  このようにデンマーク教育が既に戦前から日本においても大きな影響を及ぼし
ていたことを忘れてはならないだろう。


◇ 生涯教育の思想


  デンマークの教育の特徴は、グルントヴィの思想の中にある個人・国民・宇宙
の中の人間ということを自覚するという考え方から出発しているので、底流に生
涯教育の考え方が強く流れていることにある。デンマークでは、現在もいわゆる
公式の教育制度と並立する形で、公費で運営される(一部は有料であるが)国民
高等学校を始めとする成人教育機関が充実している。成人であれば誰でもいつで
もさまざまな分野の、またレベルも中等教育レベルから高等学校、大学、修士レ
ベルと、さまざまなレベルの教育を受けることが出来る。
 
職業教育も一般的なレベルから専門的なレベルまで、新しい職業知識を学んだ
り、職業資格を取得するための教育まで、実に多様で充実した成人教育が行われ
ている。資格取得のためには一科目ずつ受講し、時間をかけて資格を取得するこ
とも出来るように配慮されている。こうして取得した資格はフルコースで取得し
た資格と同等に認められる。政府の発表によれば年間約40万人(全人口の1割近
く)がこうした成人教育機関を利用している。
  国民高等学校は寄宿制の一般教養を学ぶための学校であるが、全国に78校あ
り、コースは最長36週間である。18歳以上なら誰でも受講でき、入学試験も卒業
試験も無い。先生と生徒が寝食を共にし、対話を中心に教育が行われる。自分の
生き方や進路を考える、または考え直すための機関として今日でも多くの人に利
用されている。


◇ 公式の教育制度


  デンマーク教育の主流はもちろん公式の教育制度にある。義務教育は7歳から1
5歳までの9年間だが、入学前1年間の就学準備年も義務ではないがほぼ全ての子
供たちが通学している。したがって実際には学校は6歳から始まるといって良い
。また9年が終わった後の10年目(16歳)も約6割の生徒が引き続き通っている。
教会系などの私立学校も存在し、約15パーセントの子供たちが通学している。
  義務教育終了後は進学を前提とした理論的な方向(Genaral upper secondary
education)と、職業教育方向(Vocatioanal upper secondary education and tr
aining) とに進路は大きく2つ分かれるが、前者には約43.3パーセントの子
供ガが進学し、後者へは約25.8パーセントが進んでいる(2003年)。この両
者に加えて、前者・後者両方のコースを終了する者が11.2パーセントおり、合計
で同年齢の子供の80.3パーセントの若者が高校レベル、すなわちUpper secondar
y educationの教育を受けている。
 
進学を前提とする方向も、職業教育方向も、それぞれ大別してさらに4つのコ
ースがある。進学を前提とした方向には、まず3年制の一般高校、いわゆるギム
ナジウムがある(卒業するとSTXという資格が付与される)。そのほか同じく3年
制の商業高校(HHX資格付与)および同様に3年制の工業高校(HTX資格付与)、
そして2年制の準備高校(HF資格付与)とがある。この2年制の準備高校はギムナ
ジウム内で行われる特別コースであるが、義務教育の10年目を卒業した者、およ
びそれに相当する教育を受けていると認められた者なら19歳を超える成人でも
入学できるのが特色である。ここでは単科の履修も可能であるし、また夜間の受
講も可能である。これによってギムナジウム卒業と同じ資格が得られる。

 職業教育の方は、まず1つの進路は、平均で3年半から4年間かかる職業専門学
校(VET)(いわゆるデュアルシステムといわれる、理論教育3分の1、職業実地
訓練3分の2の教育を行う学校)がある。この場合訓練は契約した企業へ行って
行われる。第2の進路は、3年制の福祉・保健(SOSU)、農業、林業、海事の専
門学校がある。第3の進路は、学習や雇用上の困難を抱えている者のための2年
ないし3年間の個別プログラムによる職業基礎訓練がある。第4の進路はプロダ
クション・スクールと呼ばれる25歳以下の若者で基礎教育未終了者の教育上・
雇用上の将来可能性を広げるための現場トレーニング中心の学校がある。内容は
大工、金属加工、メディア、演劇などと多岐に渡るが、指導は個人別に日々決め
られて行われる。この学校の目的は生徒が将来正規の職業教育を受けられるよう
に基礎を教えることにある。入学は随時で、生徒の平均滞在期間は5ヶ月だが、
6ヶ月以上滞在する者も3割を超えるという
 
以上の高校レベル教育の後に、約52.5パーセント(2003年)の者はさらに
その上の大学レベルの教育へと進む。このレベルには大別して3つのコースがあ
る。第1のコースは、普通の大学であるが、3年間でいわゆるバチェラー資格(
BAないしBS)が与えられる。その上は2年間の修士課程、そしてさらにその上に
3年間の博士(PhD)過程がある。第2のコースは、主として職業高校や職業専
門学校の卒業者が進学するビジネス、教育、工学、看護などの専門大学である。
ここは3年制のところと4年制のところとがある。ここでは理論のほかに実地の
トレーニングとバチェラープロジェクトなる作業が組み込まれている。第3のコ
ースはアカデミーと呼ばれる2年制の学校がある。ここはITやビジネス、技術分
野の実務と理論を同時に学ぶ場所で、3ヶ月間のプロジェクトワークの終了をも
って卒業となる。
  以上が現在のデンマークの公式の教育制度である。


◇ やり直しの出来る弾力的教育制度


  以上概観したデンマークの教育制度には注目すべき点が幾つかある。まず
(1)やり直しや、スローペースの学習も可能な弾力的な教育制度であるという点で
ある。ギムナジウムに併設されているいわゆる準備高校では、普通に高校に進学
できなかった者や、また何らかの理由で中退した者も後で個別科目ごとにでも、
そして夜間講座受講によっても再挑戦できるようになっていることなどである。
(2)ハンディキャップを持つ者への配慮がなされていて、彼らも個別指導によって
より高いレベルの教育が受けられるようになっていることである。

(3)就職できにくい若者たちに職業能力を付けさせるという雇用政策上の要請にも
応えるプロダクション・スクールのような制度があることである。これは基礎教
育未修了者が一般的に就職困難であり、長期失業者になる割合が高いこと、また
その上に25歳以下の失業者は失業保険給付が最長で6ヶ月しか出なくなった等
の事情と関連して生まれた制度である。この制度は長期失業の若年者を減らす有
効な対策として、いまや隣国ドイツをはじめヨーロッパの多くの国に取り入れら
れつつある。
(4)充実した成人教育制度によって人間としての教養や趣味を身につける場所が多
くあることである。
(5)国民高等学校のような、成人なら誰でも入学できて、教師と寝食を共にして共
同生活と対話を重視し、生きる意味を考えることが出来る学校があること、など
である。


◇ まとめ


  産業社会が到来して以来、そして一部で金融社会が到来して以来、教育がます
ます歪められつつあるようにみえる。日本もその例外ではない。一言で言えば、
教育がますます経済社会の要請に適合する制度に歪められつつあるということで
ある。たしかに人が生活の糧を得、生きてゆくために、そしてまた国家や社会が
経済的に繁栄するために人間が経済社会の要請に適合することは必要なことかも
しれないが、しかしそれが行き過ぎて本来の人間としての生き方が見失われるよ
うになっては本末転倒である。今日の子供たちの塾通いや、受験戦争をみている
と、子供の人間としての豊かな人生を願うというよりも、子供が将来収入の多い
高い地位に付けれることだけを求めて必死に競争しているように見える。この競
争に落ちこぼれれば落伍者であり、価値のない人間ように見られるような雰囲気
である。

 確かに、今日社会が教育制度に求めているのはある意味で矛盾した要請である
とも言える。一方で、急速に発展し、変化しつつある経済社会のための必要人材
の養成であり、他方でそれとますます乖離する傾向のある、人間本来の生き方を
模索する教育である。
  デンマークはこの矛盾した要請をかなりうまく解決している例だと思われる。
デンマークの公式の教育制度はかなり経済社会の要請に応えているが、成人教育
の方では人間教育のほうをカバーしている。また経済社会の要請に応えるについ
ても、やり直しや、スロースピードも許されるように配慮している。
  今日われわれは再びグルントヴィの教育思想を想起する必要があるように思わ
れる。(以上)
    (筆者は東海大学名誉教授・元東海大学ヨーロッパ駐在事務所代表)

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