【コラム】
海外論潮短評(115)

トランプ大統領に対する市民と都市の闘い
 ― 広がるレジスタンス ―

初岡 昌一郎

 長い歴史と伝統を持つ、アメリカのリベラル左派的立場の週刊誌『ネーション』2月6日号が、「ピープル対プレジデント」をタイトルとした特集を組み、これに6人の論客が寄稿している。「シンク・グローバリー、レジスト・ローカリー」という、ベンジャミン・バーバーの主張を取り上げて紹介する。筆者は、ニュ-ヨークに所在するジェスイット系のフォーダム大学法学部が後援する「アーバン・コンソーシアム」プロジェクト(市民運動の連携と市民向け啓蒙活動)のシニア・フェローである。

 バーバーはハーバード大学卒業後ロンドン大学経済部に留学。その後、市民社会と民主主義論を専門とする政治理論家として活躍する一方、民主党政権の外交政策にもかかわってきた。『市長が世界を統治したならば』という著者は2013年のベストセラーになった。

◆◆ トランプ大統領の権力に都市が対抗する方法

 昨年の大統領選投票前までは、ほとんどのメディアがアメリカ史上初の女性大統領当選を予想していた。しかし、アメリカ人の大多数が予想外の事態に驚愕することになった。これまでのところ、騒がしいが、あまり効果のない抗議と自虐的な無気力が国民の間に生まれている。

 だが、この驚天動地の事態に対し建設的なオルタナティブの主体が登場している。それが地方自治体。アメリカの州はトランプと反トランプに分断されてはいない。また、リベラルな沿岸部と保守的な内陸部に分裂しているのでもない。政治的な対応に相違があっても、グローバリゼーションを巻き戻せるとはだれも思っておらず、その民主化を望んでいるだけだ。問題解決には「ウオール」ではなく、「ブリッジ」が望ましい。

 トランプや欧州の右翼勢力の台頭に対抗する進歩的な前途を示すことができるのが、都市と市民である。ホワイトハウスの主人公よりも市庁舎の主人公にもっと政治的な焦点を当てる必要がある。市議会は上院よりも頼りになるし、下院が民主主義を掘り崩すのを阻止できる。地方都市はまた、中央集権的な権力乱用をチェックする拠点である。

 米国憲法修正第9条と第10条に分権を明確に定めている。それらはホワイトハウスによる行政権力の乱用をチェックできるだけではなく、暗黒の時代でも進歩の灯火に従う行動の余地を保障している。人口の63%を包含する都市は、持続性、移民の権利、多様性に対する寛容、反イスラムでない対テロ対策を推進しうる。当面の課題は、排外主義的な中央政府と民族主義的な政治家による、移民、ムスリム、少数民族、女性の権利と自由に対する襲撃の盾に、都市がなることだ。

 地方分権は理論にとどまるものではない。すでに行われてきている抵抗と闘争に正当性を与えている。「新しい権利と権限拡大によって武装した都市は、これまで国際的な法律によって夢想さえされていなかった可能性の新地平を切り開きうるか」とジャック・デリダは20年前に問いかけた。答えは「イエス」である。市長たちは「新しい権利」を承知、行使している。

◆◆ 非統治者の同意を得ての統治という原則

 市長たちはトランプ登場以前から、機会均等と平等を求める闘いにこの権限を活用している。ニューヨークやシカゴは4年以上前から15ドルの最低賃金を実現させる闘いの先頭に立ってきた。有給傷病休暇制、公正な労働時間、すべての子どもに対する保育プログラムの実現に、都市を基盤とする闘いが成功を収めてきた。25人の市長とその他の地方指導者の連合が、新しい移民の保護のために「シティ・フォー・アクション」を立ち上げた。この共闘組織はその後拡大し、100人以上の市長・首長が参加して、移民に関する最高裁判決に反対、オバマの大統領令を支持した。この共闘には移民に対する「サンクチュアリー(聖域)」を宣言した都市も参加している。

 カリフォルニア州はアメリカ最大の自治体で、世界6番目の経済規模を持っている(元オークランド市長が知事、元サンフランシスコ市長が副知事)。同州は正式身分証明を保持しない移民と彼らを守る「聖域」自治体に対する連邦政府の措置に対抗することを公約している。ロサンジェルス市長エリック・ガルチェッティをはじめ多数の市長がこれを支持している。

 これらの都市の行動を「都市の反逆」と呼んでいる人がいるが、これは誇張した表現に見えるかもしれない。でも、ジェリー・ブラウン知事は「トランプが衛星をストップすれば、カリフォルニアは独自の衛星を打ち上げる」と比喩的に語っている。ニューヨーク市長ビル・デブラシオが選挙の2週間前に「すべてのムスレムに登録を義務づけようとすれば、われわれはそれをブロックする」と演説した。「司法省が移民の家族を引き裂くのにわが市の警官を用いようとするのをわれわれは拒否する」と彼は明言した。

 同市長はこれが憲法によって保障されている市民による統治の原則であり、これらは地方自治体によって決定される」と述べた。独立宣言は「政府は統治されるものの同意を得、はじめてその権限を発揮しうる」ことを確認している。

◆◆ 憲法に保障された自治体の独立権限 ― 国家を超えた都市の協調へ

 市長たちは、ヨーロッパとアメリカで右翼ポピュリズムが勝利する前から始まっていた基本的な権力分離を承知している。この分権革命は民主的主権のボトムアップ的性格を認識し、権力の水平的な分割を推し進めている。連邦制の原理を定めている合衆国憲法第9条と修正10条は水平的な分権を明記している。第9条は「憲法に明記されている一定の権利は、人民によって保持されている他の権利を否定ないし軽視するものと解されてはならない」と明記している。そして第10条は「憲法によって連邦に委任されていない、もしくは各州に禁止されていない権利は、それぞれの州ないし人民に属する」と付言している。

 このように、差別否定、多様性、持続性、社会的公正などの神聖な権利を市民が擁護する力を憲法が与えている。トランプ政権の‟愛国者たち”が「アメリカ・ファースト」を叫ぶときに、都市の愛国者は「ウィ・アー・ザ・ワールド」と誇りをもって応える。

 トランプは「グローバルな国(民)歌などはないし、グローバルな通貨もない」という。だが都市住民はこうこたえる。「すべての人は兄弟となる」というベートーベンの第九シンフォニー「歓喜の歌」があり、「水」が世界通貨に当たるのではないかと。

 トランプの大言壮語するナショナリズムは実に偏狭なものである。かつて、地方とは特殊性を代表するものというのが、普遍主義を唱える「リベラル」の見方であった。今日、その尺度は逆転している。国家が内向きとなり、排外主義を指向しているのに対し、都市がグローバルな価値を尊重している。今日の新しい世界においていかなる国も単独でグローバルな課題を解決できない。コスモポリタンの声が歴史の声である。

 共和党はオバマの遺産を放棄し、移民と差別是正のための道を閉じようとしている。東西両沿岸部主要都市の民主党市長だけではなく、内陸部のオクラホマ、ナッシュビルやアルバカーキなどの共和党市長たちも政党イデオロギーよりも都市市民の声に同調している。首都ワシントンとの関係と同じように、パリ、ケープタウン、ソウル、ロンドンとの関係が大事だ。

 EU脱退決定以後のイギリスの声を知るためには、新たに選出されたブリストル市長マービン・リーズ(英国人と非英国人の間の二世)や、ロンドン市長サディック・カーン(パキスタン人バス運転手の息子)の意見を聞くべきだ。彼らは、イスラム嫌悪と移民反対で結ばれたトランプとマリー・ルペンの連携に反対している。国連気候変動に関するパリ会議合意を推進する「世界40都市連合リーダーシップ・グループ」議長アン・イダルゴ(パリ市長)は、スペイン出身の女性である。彼女は、富裕な中心部と郊外の移民居住地を統合した「広域パリ首都圏」を創出するために頑張っている。

 最近のオランダ総選挙を賑わせたヘールト・ウィルダースの反ムスレム観だけがオランダ人の見解を代表しているのではない。モロッコ生まれのロッテルダム市長アーメッド・アブタレブのように非常に人気のある政治家が対極にいる。昨年9月に「世界市長議会」の創設をホストとして推進したハーグ市長バン・アルツエンのような国際派が活躍している。

◆◆ 「無視されてきたアメリカ人」擁護の口実で世界の命運を無視するのか

 アメリカの地方部における「無視されてきた有権者の声」を代表しようとしたのはトランプが初めてではない。1990年代に下院議長ギングリッチ(共和党)は「アメリカとの契約」を提唱し、怒れる地方の白人有権者の声を代弁する60人の新人議員を当選させ、クリントン大統領の改革法案のほとんどをブロックした。その当時に述べられたクリントンの以下の言葉が予言的だ。

 「私は彼らを良く知っている。一緒に育ってきたからだ。懸命に働いてきた地方住民たちは(繁栄から)取り残されたと感じている。南北戦争以後、我が国の発展は彼らを放置して進んできた。彼らは進歩の対価を求めているだけだ。われわれは進歩の党だが、彼らの声を政策綱領に含めない限り、自由の対価を彼らに背負わせるのを止めない限り、わが党を団結させ、行き詰まっている改革を達成することはできない」

 それから20年以上経った今、彼の予言が不吉な姿で甦った。無視されてきたアメリカ人の怨念がヒラリーを敗北させ、アメリカの将来を人質に取っている。だが、その怒りがいかに正当化されようとも、民主党とリベラル派がいかに彼らの声を無視してきたにせよ、それを新しい市民戦争や歴史戦争に転化させてはならない。

 アメリカの「忘れられてきた人たち」を擁護するとの口実で、世界73億人の命運を無視するのを許してはならない。それらの人々の圧倒的な多数はアメリカ人でも、白人でもない。人種や皮膚の色、宗教を越えて人々が協調し、少数のエリートによる権力の乱用に挑戦するのが都市の新しい世界的役割だ。

◆ コメント ◆

 本稿を準備して間に、4月4日の日経夕刊が「移民守る都市、政権と闘う」という長文の記事をグローバル・ウオッチ欄に掲載した。これによると、聖域都市(サンクチュアリー・シティ)とは、「法律に定められた定義はなく、特定の政策を導入することで認識されている。地元の警察が犯罪容疑者に対して出身国やビザなどの入国ステイタスを尋問しない、移民・関税執行局(ICE)など連邦政府の要請で軽犯罪の容疑者の拘留延長や引き渡しに応じないなどの立場をとるのが一般的」と解説されている。

 聖域都市宣言は自治体議会によって通常採択されており、現在、40都市、364郡が「聖域」を宣言している。欧米におけるこの伝統は、教会が権力に追われているものを匿い、それには官憲が立ち入り逮捕しないという慣行から生まれている。

 グローバリズムは国境を低め、国家の権限を世界的な決定機関と地方的な機関に移譲するプロセスを含んでいる。したがって、国家の権力と権限を維持しようとするものはグローバリズムに反対し、国家を擁護しようとする。世界的に見て、これまで中道の左・右両派がグローバリズム推進、両極に立つ左・右両派が反対という立場にあった。ところが、グローバル・ガバナンスのメカニズムが不在であり、グローバルな所得分配と社会福祉のシステムを生み出すことができないので、格差が拡大の一途をたどったことから、グローバリズムへの不信が高まった。これを右翼ポピュリズムが利用してナショナリズムを煽っているのが現状だ。グローバリゼーションは自然現象ではなく、人間の営為によって進められているもので、不可逆であっても、その方向は人間の意志によって制御できる。問題は制御している人々にある。

 ここに紹介されているように、都市はグローバルに見て大きな新しい政治的可能性を持っている。だが、アントニオ・ネグリなど、分権的な民主主義政治理論を追求する理論家たちの提唱する「マルチチュード」の発想による広いネットワークを作らなければ、都市だけで現代の課題に有効な対応はできまい。マルチチュードという概念を簡単に要約することは容易でないが、ポイントを我流に単純化すると、政治的社会的な改革のために従来型の指導勢力論(例えば、階級理論によるプロレタリアートや、政党を中心とする政治学的なエリート主導論など)を中心としたピラミッド的な発想に代わるものである。前衛や覇権抜きで形成された、目的意識を持つ多数派形成による改革を目指すものだ。

 多様性と多様な運動・意識形態の共生を認めるだけでなく、それらを積極的にインターフェスして、多重的な対話と協力のネットワークを生み出し、それによって新しい社会と政治を目指す。政党や労働組合の役割は評価するが、それらを当然の指導勢力と見做すことなく(したがって、ないものねだりの過剰な期待や批判を持たず)、また意見や見解の一致を前提とせず、多様・多重的なダイアローグと協力関係を様々な集団・個人の間で構築しようとするものだ。そこでは、一枚岩とか満場一致ではなく、多様な意見の存在と対話によるその変容の可能性を前提とするリベラルな空間が重視される。

 (姫路独協大学名誉教授・ソシアルアジア研究会代表)


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