ドイツ社会民主党(SPD)と脱原発政策

■ ドイツ社会民主党(SPD)と脱原発政策       前島 厳

───────────────────────────────────

1.ドイツの脱原発政策を確立した社会民主党 
東京電力福島第一原発の事故後、ドイツが工業国としていち早く脱原発政策を
決めたとしてメルケル政権の決断の速さが大きく報道されたが、実はドイツはす
でに2002年に社会民主党・同盟90/緑の党のシュレーダー連立政権の下で
脱原発の政策を確立している。

 メルケル政権の今度の決定は、昨年9月に同政権が既存原発の運転期間を、原
発建設の年代に従って8年ないし14年間引き延ばす決定をしたのを、今度の福
島原発の事故およびドイツ国民のそれへの厳しい反応をうけて、元のシュレー
ダー政権時代の政策へ復帰する決定をしただけのことである。

 2002年2月、当時のシュレーダー政権は原子力法を改正して原発の運転年
数を32年と定め、年数に達した原発から順次運転停止して2022年には原
発を全廃するとした脱原発政策を決定した。

 今度のメルケル政権の決定は稼働中の原発17基のうち一時停止中の8基をそ
のまま停止し、残り9基も2022年までに順次停止するとしたのだが、基本的
にはシュレーダー政権下ですでに決められた元の政策に戻っただけのことであ
る。日本ではこの点があまり知られていないけれども、ドイツの脱原発政策を決
定したのは社会民主党のシュレーダー政権だったことを正しく認識しておく必要
があろう。

―――――――――――――――――
2.社会民主党の脱原発への道
―――――――――――――――――
さて、1998年10月にコール政権(1982―1998)に替わって、い
わゆる赤・緑連立といわれた社会民主党・同盟90/緑の党による第1次シュ
レーダー政権が誕生したが、シュレーダー氏は連邦首相に選ばれる前は1990
年から旧東ドイツに隣接するニーダーザクセン州の首相を務めてきた。社会民主
党の脱原発政策への動きには、以下に見るようにシュレーダー氏がこのニーダー
ザクセン州の首相であったこと、そしてこの州における放射性廃棄物の最終処分
場建設反対運動の高まりが果たした役割が大きいと言える。

2-1 ニーダーザクセン州における脱原発運動
―――――――――――――――――
ニーダーザクセン州では、1977年に同州内の岩塩坑などのあるゴアレーベ
ン地区が放射性廃棄物の最終処分場と定められて以来、これに反対する激しい
市民運動が起きていた。後に緑の党の結成(1979年)母体の一つとなる環境
派の人々などは放射性廃棄物が鉄道でゴアレーベンに搬入されるたびに線路上
に座り込んで搬入阻止を試みるなど、体を張った激しい抵抗運動をくりひろげ
ていた。

 シュレーダー氏も州首相になってから、ニーダーザクセン州だけがなぜ放射
性廃棄物の最終処分地にならなければならないのか、また岩塩坑のあるゴアレー
ベンは地質学的にも高濃度放射性廃棄物の最終処分場として適していないなどと
して強い反対を表明していた。

 ところで社会民主党内では1986年にチェルノブイリ事故が起きるまでは原
発問題を含めて、核問題についての統一的な政策は形成されていなかったといっ
てよい。例えばシュミット政権(1974―1982、社会民主党と自由民主党の
連立)の末期には、NATOの中距離核ミサイル・パーシングⅡの配備問題をめぐっ
て、これを認めるシュミット首相などの右派と、反対する若者や高学歴者中心の
左派との対立があった。

 1986年にチェルノブイリ事故が起きてヨーロッパ全域へ深刻な影響があっ
てからは、ようやく核問題に関する党内対立はほとんど解消された。原発容認が
主流だった労働組合もはっきりと反原発の立場をとるようになった。チェルノブ
イリ事故の後の1986年8月の社会民主党ニュールンベルク党大会では脱原子
力の決議が圧倒的多数で採択され、原発からも10年以内に撤退することが決議
された。しかしこの間、緑の党が結党されて社会民主党の左派から多くの環境派
の若者たちが社会民主党を離れて緑の党へ加わったのも事実だった。

 ニーダーザクセン州では1990年5月に行われた州議会選挙の結果、社会民
主党と緑の党のいわゆる赤・緑連立の州政権が誕生し、シュレーダー氏が州首相
となった。赤・緑の州連立政権の誕生はこれで3州目だったが、この時の赤・緑
連立協定では、脱原子力政策を明確に掲げる緑の党の方針が大きく影響して、現
行法の下でもあらゆる可能性を追及して原子力経済からの撤退を達成することが
確認された。こうして州政権は現行法上のあらゆる可能性を駆使し、コール連邦
政府の原子力政策を遅延させることになった。

 他方でシュレーダー州首相は同州内で原子力発電を行っている主要電力会社と
共同してニーダーザクセン州エネルギー公社を設立する交渉を行った。公社は結
局設立されなかったが、この交渉過程を通じて電力会社側は原子力発電の維持管
理、安全対策、放射性廃棄物処理などに膨大な経済的負担がかかるばかりか、住
民の反原発意識の強さを知ることとなり、新規原発建設とゴアレーベン最終処分
場の断念に傾くにいたった。そしてコール連邦首相に対して現在稼働中の原発も
段階的に廃止する提案を行うこととなった。

2-2 連邦政府との交渉
―――――――――――――――――
コール連邦政権側も1993年春に、環境大臣および経済大臣が社会民主党、
緑の党などの野党代表、ならびに電力会社、環境団体などの代表を招いて原子力
エネルギー、放射性廃棄物、石炭などのエネルギー政策に関する合意を得るため
の会議を召集し、また同年3月には政府側トップ8名、社会民主党側トップ6
名、緑の党トップ2名の合計16名による原子力エネルギー問題に関するトップ
会談も開催した。

 しかし連邦政府側は原子力からの撤退はドイツ経済を危機にさらすものと主張
し、他方社会民主党や緑の党は脱原発を主張して結局合意には至らなかった。し
かし1995年6月、連邦政府と社会民主党の間では、新しい原発の建設は社会
民主党の合意が無いかぎり行わないとする妥協が成立した。この合意に対して
も、またニーダーザクセン州首相シュレーダー氏の進める妥協政策に対しても即
時脱原発を主張する社会民主党内左派からは強い抵抗もあったが、一応妥協は成
立した。

 州首相としてのシュレーダー氏は連邦環境大臣テッパー氏との間で、以下の合
意に達していた。すなわち、①ゴアレーベン最終処分場の建設は2005年まで
は中止し、その間に他の候補地も探す、②低・中レベルの放射性廃棄物はゴアレ
ーベンの岩塩坑内への廃棄を認める、③商業原発の新設は連邦議会の3分の2以
上の同意を必要とする、④研究用原子炉は認める、などであった。

2-3 第一次シュレーダー政権の誕生と脱原発へのステップ
      ―――――――――――――――――
 
  1998年10月に連邦レベルにおいても赤・緑連立の第一次シュレーダー政
権が誕生した。シュレーダー首相はまず連立パートナーである緑の党に対し、原
発即時撤廃の強硬姿勢を当面押さえるように妥協させたほか、後には緑の党の大
会で段階的撤廃への現実路線へ変更する大会決定をさせた。また電力会社との合
意を目指すために経済大臣には電力会社出身のミュラー氏をすえて電力会社と折
衝に当たらせた。
 
  翌1999年2月には、EU指令に基づき電力供給の地域独占を廃止し、電力
市場を完全に自由化した。それによって家庭用電力も含めてどこからでも電力
の購入ができることになり電力価格は下落した。しかし同年4月に環境税を導
入して、消費電力1キロワット時当たり約1円の環境税をかけることにした。

 翌2000年4月には再生可能エネルギー促進法とエネルギー効率を高めるた
めの熱電併給型(コジェネレーション)発電所促進法を制定して再生可能エネル
ギーやコジェネレーションにより生産された電力に補助金を出す制度を導入し
た。また電力会社には再生可能エネルギーにより生産された電力の買取りを義
務づけた。

 このような助成政策によってドイツの再生可能エネルギーによる発電能力は急
増し、太陽光発電は1年間で倍増し、風力発電も1年間で約1.5倍に増えた。
現在ではドイツの再生可能エネルギーによる電力量は総発電容量約90ギガワッ
トのうち約17パーセントを占めるまでに増えている。ドイツ政府は2020年
までにはこれを30パーセントにまで増やそうと計画している。
 
2001年6月には電力業界との間で、原発廃棄の際の電力業界からの補償要
求を避けるために目指してきた合意がなり、これを文書で確認した。合意の主
な内容は①原発の耐用年数は商業運転の開始から32年を基礎とし、割り当て
られた発電量が尽きた段階で閉鎖する。②電力会社は敷地内または近隣地に使
用済み核燃料、放射性廃棄物の中間管理施設を建設する。

 ③使用済み核燃料再処理は2005年7月で停止する。④放射性廃棄物の最終貯
蔵廃棄施設の建設調査を行う。⑤電力会社は新しい原子力法に原発の新規建設が
行はれないこが定めることを承認する。⑥政府と電力会社は電力産業での雇用確
保を重視する、などであった。
 
  そして2002年2月には前述のように原子力法が改正され、原発の運転年数
を32年とし、定められた発電量またはこの年数に達した原発から順次運転停
止して2022年には原発を全廃することが定められた。こうしてシュレーダ
ー首相の主導の下、社会民主党と緑の党の連立政権によってドイツの脱原発政
策が確定したわけである。

2-4 第2次シュレーダー政権における動き
    ―――――――――――――――――
  2002年9月に行われた連邦議会の選挙で赤・緑連立政権側はキリスト教民
主・社会同盟側に辛勝し、第2次シュレーダー内閣が発足した。この内閣では
雇用問題の効果的解決をはかるとして経済省と労働省が統合され、社会民主党
の実力者クレメント氏が経済労働大臣に就任した。

 そのためにこれまで電力業界と政権の橋渡し役だったミュラー経済大臣が閣外
に去り、またエネルギー分野の管轄に関しても再生可能エネルギー分野は連邦経
済省から環境省へ移管され、緑の党のトリティン環境大臣の管轄下に置かれるこ
とになった。これにより再生可能エネルギーによる発電はいっそう追い風を受け
ることとなり、ドイツ全土に風力発電や太陽光発電施設が増設され、発電会社の
数も全国で約900社にも増えた。

2-5 大連立時代の動き
――――――――――――
  2005年11月には社会民主党とキリスト教民主・社会同盟の大連立政権が
誕生した。両党の議席数はほとんど互角だったが、キリスト教民主・社会同盟
側が僅かに優勢だったためにキリスト教民主同盟のメルケル女史が首相に就任
し、シュレーダー氏は政界を引退した。

 引退したシュレーダー氏はロシアのガス会社の顧問に就任したので、一般国民
を驚かすとともに、一部の世論からは批判も浴びたが、これは同氏がすでに首相
時代から脱原発への過渡期対策として、CO2排出量の比較的少ないといわれるLNG
をロシアから輸入することを視野に入れてロシアと接触していたことを物語る。

(注:シュレーダー氏は今年(2011年)6月19日付け北海道新聞朝刊の
インタヴューで、「EUや日本はエネルギー需要を満たすため『三つの音』を重
ね和音を作る必要がある。一つは、風力や太陽光、バイオマスなどの再生エネ
ルギー、二つ目は省エネ。三つ目は、脱原発までの過渡期の技術として、気候
変動に影響が少ない天然ガスなどを利用することだ。・・・」と述べ、天然ガス
の過渡期における有用性を指摘している。

 また、今から10年以上も前に脱原発の決定をした理由を問われて次のように
述べている。「三つの理由があった。一つは最も重要な安全面だ。われわれは
『原子力は人類が制御できない科学技術である』との見解に達していた。原発は
ミスに寛容でないのだ。そして人間はさまざまな判断でミスをする。

 人類にふさわしくないこの技術を止めようと全力を挙げた。」「多くの原発事
故で、われわれが正しいことは確認されている。1979年の米スリーマイルア
イランド原発事故、86年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故の際、西欧では大
規模な運動が起こった。」「また、再生可能エネルギーに投資したかった。

 エネルギー政策を転換する必要があった。3番目は、使用済み核燃料の処分場
所の解決策がなかったことだ。放射性物質の半減期は恐ろしく長い。将来の世代
に敬意を払って放射性廃棄物を扱うべきだ」。
http://purplecoelacanth.cocolog-nifty.com/blog/2011-06/2011-2635.html

 大連立の時代は政権内でキリスト教民主・社会同盟と社会民主党の勢力が拮抗
していたために、前の赤・緑連立政権が敷いた脱原発への路線に変更は加えら
れなかった。

2-6 第2次メルケル政権による変更
―――――――――――――――――
2009年9月の総選挙では社会民主党が敗れ、勝利したキリスト教民主・社
会同盟は連立の相手として今度は保守の自由民主党(FDP)を選び、いわゆる
黒・黄の第2次メルケル政権が発足した。これが現在のドイツの政府であるが、
この保守連立政権は早速赤・緑連立政権が定めた脱原発政策の見直しを行った。

 冒頭で述べたように昨年(2010)10月に再度原子力法の改正を行い、3
2年とされていた原子力発電所の運転期間をそれぞれ8年ないし14年、平均
で12年間延長する変更を行った。しかし同時に、原子力発電所を所有する大
手電力会社には核燃料税を課し、また再生可能エネルギーなどの開発のための
基金へ拠出させることも定めた。これに対し社会民主党や緑の党、環境団体な
どは運転期間見直しが手続き的に憲法違反だとして憲法裁判所へ提訴する構え
を見せていた。

 そこへ今年3月11日、東京電力福島第一原子力発電所の大事故が起きたので
あった。そこで周知のようにメルケル政権は素早く原発の運転期間を元の32
年に戻すとともに、2022年には原発を全廃する元の脱原発の路線に復帰す
る決定をしたわけである。
―――――――――――――――――
3.「フクシマ」後の社会民主党
―――――――――――――――――
3-1 脱原発の哲学
―――――――――――――――――
  社会民主党は東京電力福島第一原子力発電所の事故後、改めて『新しいエネル
ギー』(“Neue Energie”)と題する文書を発表した。この文書は「社会民主党の
エネルギー政策の理念」、「エネルギー政策の12の基本原則」、「エネルギー
変革への行動計画」など、社会民主党のエネルギー政策の基本を示す文書だが、
この文書でも明らかなことは、脱原発政策はそれだけ独立に目指されているので
はなく、総合的な環境・エネルギー政策の中で捉えられていることである。

 脱原発はしかしその中で最も重要な原則として第一番目に掲げられている。こ
の文書の前文にあたる「社会民主党のエネルギー政策の理念」の冒頭には次のよ
うに書かれている。

 「10万人以上の人々が立ち入り禁止区域の設定により長期にわたり家を追わ
れ、それによって自分たちの文化的、社会的生活環境から追われ、空気と水と
食糧の放射能汚染に対して正当な不安を抱えている福島原子力発電所の崩壊と
人々の苦悩が示しているものは、核兵器のみでなく、核エネルギーを発電に利
用することも無責任であり、反人道的であるということである。
 
  その被害は回復不能であり、弁償不可能であり、金銭で補償することは出来な
い。ドイツのハンブルクやフランクフルトやミュンヘンのような人口集中地域の
近くで同様な事故が起きたならば、その影響は数倍も甚大であろう。影響がかく
も反人道的であり得る、そして未来の世代をも苦しめ、国家と社会の将来の可能
性を破壊しうるエネルギー形態は倫理的に責任を負うことの出来ないものであ
る。・・・」(SPD: “Neue Energie”)

 社会民主党はこのように原子力発電は倫理的にも責任を負うことの出来ないも
のと断じている。先に見たように、元首相のシュレーダー氏も「・・・『原子力
は人類が抑制できない科学技術である』と判断した・・・」、と述べているのも
注目すべきである。

 ドイツを含めてヨーロッパ諸国は早期に高速増殖炉の開発を断念している。
この社会民主党の文書は更に、社会民主党にとって脱原発を含む新エネルギー
政策は「・・・市場経済をエコロジー的、社会的に革新する中核をなすものであ
る。・・・」とも述べて、新エネルギー政策が経済・社会革新の中核をなすもの
とも捉えている。
―――――――――――――――――
3-2 社会民主党のエネルギー政策12原則
―――――――――――――――――

 経済・社会革新の中核部分を構成するとされたこの新エネルギー政策の12原
則とはどのようなものであろうか。以下に12原則のタイトルだけを列挙すると:
原則1 遅くとも2020年までの10年間にドイツのすべての原子力発電
     所を停止させる。
原則2 核廃棄物は責任をもって処理させる。
原則3 ドイツは強力な産業立地であり続ける。
原則4 エネルギー変革(Energiewende)を通じて将来性のある雇用を創
     り出す。
原則5 エネルギーコストの安定を目指す。
原則6 効率的で100パーセント再生可能なエネルギー(2050年まで
     にドイツのエネルギー需要を100パーセント再生可能なエネ
     ルギーでまかなうのが目標。)
原則7 気候変動防止を前進させる。
原則8 新しいエネルギー政策は生活の質を改善する。
原則9 民主化、自律、競争を進める。
原則10 インフラ(エネルギー供給網)の近代化を市民参加で決断する。
原則11 再生可能エネルギーへの橋渡しとしての化石エネルギー - 化石
      エネルギー技術を更に発展させる。
原則12 再生可能エネルギー振興と核技術からの撤退を国際的にも進める。

3-3 エネルギー変革への行動計画
―――――――――――――――――
  この12の原則をどのように実現するかについて、社会民主党の文書は以下の
7項目を掲げ、その各項目について更に細目を掲げて、全部で50の細目につい
て行動計画を掲げている。その内容はおよそ以下のようなものである。

 第一の項目は、脱原発の加速化である。2020年までに全原発の停止を実現
するとして、それに関連して雇用対策や核廃棄物の処理、核燃料税について、
原発技術輸出への国家保障の停止などについて行動目標を述べている。

 第二の項目は、気候変動防止の促進である。ドイツは2050年までに温暖化
ガス放出を95パーセント削減すると表明しているので、その国内法制化を目
指す。また気候変動防止のための国際的な取り決め締結を促進する。航空輸送
産業の特例措置の廃止や、鉄道輸送の促進、農業の気候変動防止への貢献度を
高めるなどについても述べている。

 第三項目は、電気・ガス・蒸気などの供給体制の確保と供給ネットの拡充。供
給ネットの拡充とともに分散化が目指される。化石燃料による発電所の新設は
特別に効率的な場合のみ許可される。また国家的なバイオマス計画を策定する。
再生可能エネルギーの生産と蓄積のコンビネーションのために、ノルウェー、
オーストリー、スイスとの戦略的パートナーシップを目指す。

 第四は、エネルギー効率の突破口を開く。この目的のために年間10億ユーロ
(約1,110億円)の全国的基金を創設し、エネルギー効率技術の発展を図
る。また、そのために公的資金も導入する。エコハウスの開発普及、特に非効率
な発電所は近代化するか廃止するべく法律を厳格化する。オートバーンでは時速
130キロ制限を導入する。

 第五項目は100パーセント再生可能エネルギーについて。2020年までに
ドイツの全エネルギーにしめる再生可能エネルギーの割合を40-45パーセ
ントにし、2030年までには75パーセントを目指す。そのための法改正を
行う。各州は再生可能エネルギーの最低生産量を州協定で約束する。

 各州はこれを各自治体に割り振ることができる。その他、風力、太陽光、バイ
オマス地熱発電などに関して助成措置、障害の除去、透明性確保、法改正などに
ついて細かく述べている。またドイツ鉄道の電力供給会社は100パーセント再
生可能エネルギーに切り替える。

 第6項目は、すべての人にエネルギー変革を可能にする。エネルギー効率基金
により、低所得者などを対象とした助言制度やマイクロ・クレディット制度を
導入する。電力会社によるエネルギー効率の良好な建物の整備促進プログラム
への助成を年間20億ユーロ(約2.220億円)に引き上げる。賃借人の負
担を軽減しながら賃借住宅のエネルギー効率を高める。

 エネルギー網とエネルギー生産の再地域化を容易にすることによって、エネル
ギー市場の競争を促進し、法外な独占価格を防ぐと同時に、エネルギーの最終価
格を透明にする。エネルギー市場監視のために、国家的コントロールの他に、
NPOに委託して監督・助言を行う。エネルギー変革や世界市場の変動によるエネ
ルギー価格の一時的上昇の際には、失業給付の調整制度のような調整制度を導入
する。

 第7項目は、エネルギー変革における産業政策について。国際競争に晒されて
いるエネルギー需要度の高い産業は、その産業分野の競争力維持に必要な場合、
証明された範囲内で優遇税率が適用される。その悪用を避け、またエネルギー
効率化の努力を怠らないために必要な規制は導入される。エネルギー需要度が
高く国際競争に晒されている産業のCO2証明書取引義務免除を今後ともEUに
対して働きかける。ただしその適用基準は厳しくする。エネルギー効率改善の
ための研究とエネルギー需要度の高い産業への助成を大幅に増大する、などが
掲げられている。

―――――――――――――――――
4・まとめとコメント
―――――――――――――――――
  福島第一原子力発電所の大事故のあと、何時終わるとも知れない事故処理の努
力が延々と続けられているが、他方で避難を余儀なくされ、仕事と生活の基盤を
失って希望を失っている人々や、父祖伝来の家や土地や地域社会を崩壊されて、
これからどうして生きて行くか途方にくれている人々、親戚・知人・友人と離れ
離れにされている幾万人もの人々がいる現状は、原子力発電所の怖さを十分に示
している。筆者のところにも南相馬市から避難してきた娘家族が同居している
が、彼らの知人・友人たちも全国あちらこちらに散り散りに避難している。

 それでも日本では反原発、脱原発の声が強烈な声となって起こっていない。原
発を止めれば日本経済がやって行けない、産業が外国へ出て行ってしまうと言わ
れれば反証のデータを示すことが出来ない。原発が安価だという主張も反証の
データが無い(データが明らかにされていない)。今回の事故処理や賠償の膨大な
費用は今後全部明らかにされ、原発のコスト計算の中に組み入れられてしかるべ
きだろう。

 他方、同じ工業国でありながら10年も前に社会民主党政権の下で脱原発を決
め、再生可能エネルギーを着々と増やしているドイツは、どのような思想と事情
で脱原発に踏み切リ、それを実現したのか、またどのような政策を実行してきた
のか、今後どのようなエネルギー政策を行おうとしているのかを調べたのが小論
である。

 社会民主党の文書は、放射性廃棄物の最終処分方法が確立していない原子力発
電を「倫理的に責任を負えないものである(ethisch nicht verantwortbar)」
と断じている。しかしシュレーダー元首相も前述の北海道新聞とのインタヴュ
ーで述べているように、ドイツは脱原発と、再生可能エネルギー、節電、過渡
期的な化石エネルギー使用とを組み合わせて行っている。

 翻って日本ではまだ本格的な節電対策や、再生可能エネルギーによる発電がど
こまで可能か、LNGなどによる過渡期的な発電がどこまで可能か、などにつ
いて徹底的な検討はなされていないように思う。また総合的なエネルギー政策
の確立もまだなされていないと思う。政治は理念と現実を結びつけるところに
あろうが、福島第一原発の事故を経験して、エネルギー政策の理念はどこにあ
るべきか自ずと明らかであろう。21世紀の政治はその日暮らしの政治ではや
ってゆけないだろう。(以上)

           (筆者は東海大学名誉教授)

  参考文献:SPD-Parteivorstand:?Neue Energie“
       JETROユーロトレンドReport 6,2004年3月
       本田 宏『ドイツの脱原発をめぐる政治過程』、
        雑誌『生活経済政策』2011/8
      (財)エネルギー問題調査会 
       エネルギー問題研究叢書15『エネルギーと環境』

                                                    目次へ