【オルタの視点】

アメリカ大統領選レポート

ドナルドトランプはアメリカの大統領になるか

武田 尚子


 5月3日、インディアナのプライマリーでは、それまでのコーカスやプライマリーのほとんどで連勝してきたトランプが、同じ共和党の大統領指名候補テッド・クルーズと首位を争うことになった。ここでトランプがクルーズに勝てば、トランプは11月の総選挙での民主党の大統領指名候補と対決し、米国大統領になってしまうかもしれない。大統領を自党から出したいのは、もとより共和党最大の願望ではあっても、後述するとおりトランプには問題がありすぎる。共和党はうかうかしてはいられなくなった。

 トランプはニューヨーク不動産業界の大立者であるが、それよりもテレビ映画「アプレンティス」の主役としてアメリカでは広く知られている。政治の世界には新参者であり、はっきり言って、政治家として世界を把握する知識も経験も十分とはほど遠い。持ち前のエンターテイナー的な「見せびらかし屋」の資質に、富裕な父親に繰り返し吹き込まれた「お前はキングだ」という「まじない」が加わって、あらゆる機会にこの素晴らしい自分を宣伝することが一生の偉業であるかの人物である。

 その彼が自分の「アメリカ・ファースト」の信念に従い、また近々発売されるという彼の伝記『Never Enough』のタイトルの示唆する通り、ここまできた自分が次にすることはアメリカの大統領になることだ、それは世界最高の政治家になることを意味するのだから、と考えたのは当然のことだったろう。

 さてここインディアナのプライマリーに登場して、彼と大統領候補の共和党指名を争うことになったのが、テッド・クルーズ。好敵手である。

 彼についてはオルタでもすでにいささかの報告をした。プリンストンをオーナーで、ハーバード大学院をハイ〜オーナーで卒業した法律の専門家である。キューバ移民の父親と、アメリカ人の母親を持つクルーズは、知力はもとより、大学時代には全米の弁論大会に優勝した経歴のある卓抜な論客でもある。その彼が今年の大統領選挙のキャンペーンで、トランプに一歩抜かれていることには、彼自身が切歯扼椀の思いを抱いていたことだろう。

 必勝を期したトランプとの勝負でテッドは敗れ、トランプを狂喜させた。それだけではない。トランプの圧倒的な支持者である高校卒までの学歴を持つ白人は別として、知識層を含む共和党支持者の中には、トランプを拒否する多数が存在する。共和党のリーダーたちにも、トランプはおいそれとは受け入れられない。彼らの持つ、トランプのマイナス部分への疑惑と反感は、そのまま総選挙で全米の投票者に反映して、トランプ拒否がすなわち民主党の勝利につながり、共和党はまたしても政権を逃すのではないか。こうした状況下で、テッド・クルーズは彼らにはまさにうってつけの共和党を代表する大統領候補と見えたはずである。

 しかしクルーズは敗れた。「アメリカの投票者は、はっきりと彼らの意思を表明しました。私はこれまでの選挙戦に付き合ってくださったすべての支持者に心から感謝し、今日をもって選挙戦を脱退したいと思います。しかし私の自由と正しい民主主義への戦いは、決してこれで終わるわけではありません。それは私の命の続く限り、続ける覚悟でいます。ありがとうございました」と述べて、クルーズはキャンペーンの渦を去った。

 キューバ移民の父親は皿洗いをして家族を養い、アメリカ生まれの母親は家族で初めての大学生となり、数学の教師、のちには初期のコンピューターのプログラマーになったという働き者の一家である。その両親に励まされて成長したクルーズが、成長のあらゆる段階でトップになることを実現していったことは、家族にとってはこの上ない喜びであり、希望だったことだろう。しかし彼は自信過剰、傲慢とか、酷薄、ハートを持たないと烙印を押され、それを立証する実例もいくつかあげられた。そんなことが政治家としての彼の投票数に反映しているかどうかは測り難いが、敗軍の将が戦場を去る様子には、本人の意図しない一抹のあわれがある。ジェブ・ブッシュ退場の時にも感じた選挙戦の容赦ない厳しさに、改めて襟を正したひと時であった。

 一方、インディアナの民主党のプライマリーではサンダースが得票の52.5%、ヒラリー・クリントンが47.5%の支持を得て、少なくともこのプライマリーではサンダースの勝利となった。
 クリントンは国務長官であり、ビル・クリントン時代からの政府の仕事で、世界に名を知られた才女である。かつて彼女の弁論に、ベンガジのEメール問題がしつこく出された時、サンダースが「そんな話は、アメリカ人は二度と聞きたくもない」といって彼女を救ったことは以前にオルタでも紹介した。しかし今は、大統領の地位を狙う二人の有能な候補者の一騎討ちである。二人とも民主党の基本的な政策は受け入れているわけだから、サンダースはもっぱら、ヒラリーが巨額の選挙資金をウォールストリートから得ていること、また彼女はウォールストリートでスピーチを頼まれると、1回につき20万ドル以上の報酬を得ていることを挙げて、1時間に満たないスピーチでそんな報酬を得られるのはシェイクスピアをも驚かせるだろう、どんなに素敵なスピーチか、一度聞きたいものだと皮肉った。

 二人の大物政治家が敵味方に別れると、恐ろしいものだ。ヒラリーの反論はそこでは紹介されなかったので、読者にお伝えできないのは残念である。

 何れにしても、インディアナのプライマリーでテッド・クルーズがキャンペーンから身を引いたおかげで、共和党は大統領の指名候補を一人に絞ることになった。その候補は誰か? 言うまでもなく、トランプである。

 これまでのコーカスやプライマリーでは、連戦連勝を続けたトランプを代表候補として受け入れることに、共和党は狂喜しただろうか? しなかった。いや、実情はもっと複雑である。読者も推察される通り、勝ち印のトランプのことだ。ヒラリーかサンダースを相手にしても、なんらかの方法で勝ちぬいて、共和党の願う政府の主導権を回復してくれるだろうとは大いに予想できる。しかし、ことはそんなに簡単だろうか?

 トランプの支持者は、高校卒までの学歴を持つ、働く白人が大多数である。まずトランプのキャンペーン標語である『アメリカを再び強大な国にする』という明快な文句が、強く、頼もしく彼らの胸を打つ。働く人たちが40−50年前には存在しなかったはずの失業に悩まされるようになったのは、移民問題を解決しないためだと言われれば、それを信じる。事実はオバマのもとで失業率は5%に減っているのだが、共和党はそれを確認するどころか、オバマの無能を合唱する。

 コンピューター技術の発達が、数多の職場の人員を減らしているのは確実であるとしても、後から後からこの国にやってくる移民を抱える限り、この国で生まれた我々はいつも競争に直面している。彼らは世界中からやってきて、国境を越えたらすぐ赤ん坊を生む。そしてこの馬鹿な国アメリカは、その子が85歳になるまで面倒を見てやるのだ。移民を入国させないために、我々は高い壁を作るべきだ。

 今はおまけに、イスラムのテロリストが入ってくるのだから、イスラム人の入国は拒否すべきだ。それがダメなら、少なくともある期間はイスラム人を入国させないことだ。と、これはほとんどそのままトランプの言葉であるが、それを素直に受け入れる人たちが彼を支持している。トランプの出現が彼らを喜ばせ、大統領になることを大感激で迎えるのは確かだとしても、共和党には別の悩みもある。その最大の理由は、トランプが果たして大統領に値する素質を備えているかという疑問である。ひとつはトランプ自身が決して正直な人間ではないことが次第に明らかになってきたことがその疑問を抱かせる。

 例えばその一つに、トランプ大学という、彼のビジネスの一端を支える大学がある。しかし大学とは名ばかり、ただ、トランプが大富豪であることから、なんとかしてその学校で教えるというビジネスの秘訣を習うために、結構大量の学生が高い金を払って「入学」した。コースの選択が山の様にあり、学生はこれも取れあれも取れと勧誘され、いつの間にかクレジットカードが山の様な借金を学生に背負わせる仕組みなのだ。

 授業料その他の名目で、学生は次々に金を巻き上げられるが、それにふさわしい見返りがない。単なる詐欺に似た大学らしいが、なぜ詐欺として逮捕されないのか、そこがトランプの天才の見せ所なのだろう。

 例えばトランプの大統領指名が問題になっている今、彼の税金の申告書の問題が出てきた。歴代の大統領はおろか、名のある政治家は皆、ちゃんと申告をしている。だがなぜかトランプは締め切りを過ぎても申告をしない。理由は、「目下監査中だから」というので、その口実でなんども延期になっている。それが受け入れられないときは「税金申告書の内容を公衆に見せる義務はない」とはね、さらにせまられると“None of your business”とそっぽを向く。このトランプの申告書提出の遅れはすでに新聞で問題になっていたが、いつもは一流の脅しや逃げ口上のうまさで難局を切り抜けたかもしれないトランプが、今回はアメリカ大統領という大きな賞品を目前にして、あの手この手でなんとか逃げ切ろうと苦心しているのが目に見えるようだ。

 NYタイムズの優れた寄稿家である評論家のデヴィド・ブルックスは、『トランプはリアルでない』という論説を書いた。“リアルでない”という言葉をどう訳したらよいかには異論があると思うが、ブルックスは『トランプはほんものでない』と、彼の人間性を一言で喝破しているのだと筆者は思う。

 ブルックスは、こんな人間を大統領にされてはたまらないと、誠実なジャーナリストとしてアメリカを救うために、その後も反トランプの論陣を張リ続けているて誠に頼もしい。“Trump is NOT Real”、“NO, Not Trump, Not Ever”、“Its not too Late”などの優れた論考からは『アメリカ人よ、目を覚ませ』と必死の情熱が伝わってくる.

 「トランプは本物でない」の中でブルックスは、トランプが若い時、レスリングの闘士であったことをあげている。それは、彼の所有に関わるホテルの幾つかでレスリングの試合が行われるのを、初めはただビジネスとして見ていたトランプが、その気になって闘士として加わったためだという。それはトランプの人間形成に大きな影響を与えたらしく、彼のショーマン気質はそこからきたものだと容易に想像もできる。

 ある時、「億万長者の試合」というプログラムで、トランプはまず何千ドルという札びらを観客に撒き散らし、最終的には相手を倒し、やはり富裕な相手の闘士の頭髪を、リングの真ん中で削いでしまったということだ。
 民主党側は、ヒラリーとサンダースが党の指名を争うことになったのはご報告の通りである。しかし7月の民主党大会は、フィラデルフィアで共和党大会の1週間後、7月25−28日に行われる。サンダースは、底力を見せて、共和党のトランプによく対抗してきたが、スーパーパックを使わない少額の寄付金だけで、よくここまでキャンペーンをまかなってきたと賞賛を捧げたい。

 トランプは今 PRESUMPTIVE NOMINEE(推定大統領)と呼ばれて、かなり大統領に近い気分になっているらしい。願わくは、サンダースが奇跡に近い奮闘をして、大統領職をトランプなどに渡しませんことを祈らないではいられない。

 こんな話ならいくらでも出てくるが、トランプの政策の中心はなんといっても「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」であり、伝統的な保守党の主流が彼の立場だと考えて良いと思う。だからこそ、移民は入れるな、女性に堕胎はさせるな、強力な軍隊を作れ、と彼は喚くのである。

 クリントンとサンダースの基本的な路線は、民主党の伝統に則ったものであり、まずアメリカがどうしてうまれたか、国を作るために世界中から移民を求め、今なお移民の労働力を評価し、少数民族への人種偏見にも全く反対する。最低賃金を1時間15ドルにすることにも大賛成だし、全国民に健康保険を持たせることにも、気候変化の対策のために火力発電の大制限を目論むことにもやぶさかでない。

 これらは全て共和党と反対である。保守党の主流には慈悲心が皆無なわけでなく、人によっては、民主党にも納得できるイデオロギーを持っていた。彼らの好きなロナルド・レーガンがその一例である。それに、アメリカ人の祖先であるリンカーンはどうだろう? 彼は力に任せて核爆弾を作れ、必要ならそれを使えなどと言っただろうか。

 こう考えてくると、今回の選挙の重さがひしひしと伝わってくる。“MAKE AMERICA GREAT AGAIN アメリカを再び偉大な国にせよ”というトランプの標語には全く賛成だが、“GREAT”の意味を、一人一人のアメリカ人—いや地球人—が考える機会を与えられたとしたら、この選挙は極めて重要である。一日一日と緑が輝きを増すこの季節。小鳥たちが朝ごとに私のご馳走を食べに来るこの美しい地球が、息長く、人間の生活を豊かにしてくれますように。

 (筆者は米国ニュージャージー州在住・翻訳家)


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