ナマクラ右翼と腰抜け左翼の憲法対決

■ナマクラ右翼と腰抜け左翼の憲法対決     仲井 富

       =徴兵制タブーの右翼と国民投票怖い左翼=

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●徴兵制をいわぬナマクラ右翼
 近年、靖国神社周辺は右翼の兄さん、おじさんたちが元気だ。私は叔父二人が
靖国に祀られているので、ときおり散歩がてら靖国で掌を合わせる。むかしは静か
で絶好の散歩コースだったが、小泉参拝以来、騒々しく品位がなくなった。右翼の
宣伝カーが暴力的な騒音を轟かせ走り回る。靖国神社や無名戦士墓苑の戦士たち
は安んじて眠ることも出来まい。

「靖国は蝉の声だけあればよし」といいたい。また「戦士らの哭く声聞けや蝉時雨」
とも思う。右翼の兄さんたちはそういう繊細な思いとは無縁らしい。意気揚々と
「今日は自民党に投票してきた。やはり安倍晋三を総理にしなくっちゃあ」などと
話しかけてくる。そこでやむを得ずおじいさんは、兄さんたちと対話する。「わし
やあ憲法改正どころかもっと先のことを考えとるんじゃ。いまの脆弱な若者をこの
ままほっといてあんたら国を守れると思うとるんか。

あの戦争好きの石原も、あんたが総理にしたがっている安倍も憲法変えろとは

いっとるが、兵役制はどうするかいうとらんぞ。世界の軍隊は徴兵制が大半で、中
国も韓国もスイスもみんな徴兵制だ。兵役制度もはっきりしないで憲法改正、自衛
軍なんておこがましいわい」。右翼のおじさん、兄さんたち、「じいさん、過激じ
ゃなあ」といって退散する。
 

ちと気のきいた若い右翼は「わかりました。これから演説するときに言わせても

らいます」という程度だ。右翼改憲派もどうやら平和ボケに陥っていて、現在の自
衛隊を自衛軍と言う名前に変えれば、集団的安全保障の名において、外国に軍隊
を送って戦えると思っているらしい。がそれは勘違いも甚だしい。相次ぐ防衛施
設庁の談合汚職にみられるごとく、「戦わぬ」ことを前提にして数十年間、天下り
の心配しかしてこなかった現在の腐敗しきった防衛庁に国家・国民の安全をゆだ
ねることなど論外である。防衛庁を即時解体してあらたな国防軍として再スター
トする以外に方法はない。
 

石原慎太郎を先頭とする右翼的人士たちの論調はまさに戦争前夜である。「米中

もし戦わば、アメリカは負け、日本を捨てられる」とか「少なくとも報復能力あ
る核兵器を搭載した原子力潜水艦を日本自身が持つべき」などと日中戦争の危機
をあおっている(石原慎太郎「封じ込めの大戦略を持て」『別冊正論・軍拡中国と
の対決』2002年2月)。にもかかわらず皇国史観の右翼諸氏、評論家をふくめて、
兵役制度という肝心な国防の基本を忘れて、あるいは意図的に隠して、自衛軍だの
愛国心だのとオダをあげるのを称して、わたしは「ナマクラ右翼」と呼ぶのである。
真の右翼ならば、正々堂々と、憲法改正、自衛軍または国防軍として、国家のため
に死を恐れぬ軍隊をどうつくるかを訴えるべきだ。

改憲派の及び腰はどこから来ているのか。小泉内閣の直属諮問会議として、「安

全保障と防衛力に関する懇談会」が『未来への安全保障と安全保障・防衛力ビジョ
ン』をまとめているが、ここでも兵役制度には触れていない。委員の一人に、なに
ゆえ兵役制度にふれないのかと聞いたところ「これはいまのところタブーなんです」
という答えが返ってきた。
徴兵制などに触れると小泉劇場に熱狂したおばさんでも、わが子の問題となれば
真剣に考える。政治に無関心な若者も、俺たちのことかと気付けば、学園で反戦運
動など起きてきてややこしくなる。だから自衛軍・集団安全保障だけ通しておけば、
後でなんとかなるという考え方らしい。(注1・参照)
 

住民運動の仲間や事業をやっている友人にも、けっこうまじめな右翼の方がい

て、たまに議論することがある。憲法改正、自衛軍までは威勢がいいが、わたし
が「あんたそれはいいけど、ではその軍隊なるものは徴兵制でいくのか志願兵で
いくのか、戦争をしにいく軍隊なのだからはっきりしなければ無責任だ。わたし
はスイスのように国民皆兵、徴兵制でいくべきだと思います」というと「仲井さ
ん、過激だなあ、そこまでは考えていなかった」と、いつのまにか右翼過激派に
されてしまう。会社をやっている友人でいつも社長室に日の丸の旗をかざってい
るT社長に聞いて見た。「なんで石原も安倍も兵役制度や徴兵制をはっきり言わ
ないんだろう」。

社長曰く「君い、今の政治家や右翼にそんな胆の座ったやつはひとりもいないよ。
だから日本はダメになるんだ」と慨嘆しきりだった。自民党がまと
めた桝添試案をもとにした九条改憲が、現行憲法を大きくいじらないで最小限の
九条二項の改正だけにとどめたのも、国民投票を意識して“騒ぎ”を大きくした
くないという魂胆がありありである。
(注・1)(「近代日本では。1?85年に国民皆兵を目指す徴兵令が出された。の
ちに兵役法となった。大日本帝国憲法にも兵役の義務が盛り込まれた。だが第二
次世界大戦に敗れた1945年に廃止された『フリー百科事典・ウィディぺディキ
ア』」)。

●国民投票を恐れる腰抜け左翼
 もうひとつ気に食わないのが護憲派と称する人たちのだらしなさだ。護憲だの
九条守れなどと何十年もいい続けているが、それだけでは説得力もないし、国民投
票を見据えた戦略もない。ここで一勝負して改憲派の息の根を止めてやろうじゃ
ないか、という気概はまったく感じられぬ。言説だけの護憲派の主張がハートに
響かないのはなぜか。第一に戦後60年の間に、戦争を知らぬ世代が圧倒的になっ
たという現実認識の欠如、と同時にこの世代はオギャーと生まれたときから、世界
有数の戦力を持った「自衛隊」という軍隊を見て育ってきた。いまさら「憲法で軍
隊保持を禁止しているからイケン(違憲)」といったところで現実との乖離があり
すぎて納得しがたい。第二には護憲の本家のような顔をしている社民党は、村山連
立政権の下で、一夜にして戦後半世紀の護憲、反安保の旗を投げ捨てて「安保容認、
自衛隊容認」に変った。そして自民党の復権、延命に最大限の貢献をした。結果は
社民もさきがけも生き血を吸い取られて崩壊した。いまさら護憲だの九条守れな
ど、恥ずかしくていえないはずである。

もしもこれからも護憲、九条守れ、という伝統的な主張を繰り返すのであれば、

「よろしい、では国民投票でいちど国民すべての意見を聞きましょう」というとこ
ろまで徹底しなければ、所詮犬の遠吠えに終わるだろう。そこまでいえないのは理
由がある。それは過去に解釈改憲で、自民党と馴れ合い妥協して来たこと、さらに
村山連立政権で自衛隊、安保容認によって、多くの社会党支持者から見捨てられた。
その結果、国民投票では勝てない、という敗北主義が根底にある。わたしはこれを
称して「腰抜け左翼護憲派」と呼ぶのである。このことはすでに15年も前に指摘
されていた。護憲派の弱腰、逃げ腰を批判していたのは社会党周辺の左翼理論家故
清水慎三氏である。

「党改革討議に関する若干の意見と提言・四、パックス・アメリカーナと安保・自
衛隊問題」と題した論文のなかで改憲・護憲を国民に問えと、次のように述べてい
る。(注・2参照)「社民系既成勢力の合同や大連立を第一義とするのであれば、
わかりにくい議論を積み重ねるよりこの際、はっきりと改憲の必要を唱えたほうが
国民サイドからはわかりやすい。警察予備隊創設から40年、誤魔化しに誤魔化しを
重ね、今やなしくずし改憲では、与野党ともに収拾のつかないところにきた。
かくならしめた責任は、明文改憲をめぐる大勝負を回避しつづけた護憲陣営の弱腰
の側にある。真に護憲を強調するのであれば逃げ腰に終始するのでなく、護憲攻勢
のための一大キャンペーンを組織すべきではないか」(1991年6月12日)。

これを清水慎三氏は村山連立政権成立の三年前に当時の土井たか子社会党委員長に
宛てて、岩垂寿喜男中執を通じて提出した。ところがその後、岩垂氏から一片の回
答もなかったという(清水慎三氏令息克郎氏の話)。
おそらく岩垂氏は「土井さんは回答できないだろう」との判断で握りつぶしたのだ
ろう。その後の社会党は共産党を加えても議席の十分の一に満たないまでに転落
した(480議席中社民7、共産9)。村山前総理を始め当時の閣僚諸侯は勲一等に
輝いたが、護憲政党社会党は沈没した。まさに「一将功成って万骨枯る」である。
そろそろ国民への最後のご奉公または罪滅ぼしとして「国民投票による護憲か改
憲」かの清水氏いうところの大勝負を挑む覚悟を決めるべきである。
(注・2)(「89年の冷戦崩壊確定後、東西対立に変わって世界政治をリードし
ているのは、事実において軍事力を基礎とするアメリカのグローバル・ポリシイ
であり、パックス・アメリカーナこそが冷戦にかわる世界秩序であり、それこそ
が平和秩序といわんばかりに横行している。

 
日米安保と日本の自衛隊は冷戦対応から自動的にパックス・アメリカーナの中

に組みこまれ、機能し、機能を要求されていることこそが現実ではなかろうか。
してみれば、今日の安保自衛隊問題は、パックス・アメリカーナは望ましい世界
秩序なりや否やの議論から始めるべきで、違憲・合憲の議論は、政治の現実のも
とでは、パックス・アメリカーナへの貢献の仕方、度合いの問題に矮小化されて
しまうと思われるがどうなのか。違憲合憲論から言えば、かって石橋委員長が唱
えた違憲合法論が法理論的には正しく実態認識として正確である。わかりにくい
とか、政治的対応からも都合がつかぬとか言われているが、わかりにくいものに
したのは政治の側に責任があり、安保条約を超憲法的国是にしてしまった結果で
ある。

現在、違憲合法論で処置できないのは民社党との合同ならびに社公民連立政権

への政策構想である。社民系既成勢力の合同や大連立を第一義とするのであれば、
わかりにくい作業を積み重ねるよりこの際、はきっりと改憲の必要を唱えたほう
が国民サイドからはわかりやすい。警察予備隊創設から40年、誤魔化しに誤魔化
しを重ね、今やなしくずし改憲では、与野党ともに収拾のつかないところにきた。
かくならしめた責任は、明文改憲をめぐる大勝負を回避しつづけた護憲陣営の弱
腰の側にある。真に護憲を強調するのであれば逃げ腰に終始するのではなく、護
憲攻勢のための一大キャンペーンを組織すべきではないか」)。

●国民投票で憲法改正、国民皆兵・徴兵制を問え

 わたしは別に「右翼過激派」ではない。しかし左右ともに及び腰で、改憲、護

憲を言い争っていることに我慢ならないだけである。明治27年(1894年)の日
清戦争以来、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、ノモンハン事件、
太平洋戦争、そして敗戦(1945年)までの50年間はまさに戦争の時代だった。

 この50年間に太平洋戦争の戦死者約213万人を含め計246万人弱の戦死者を出し

ている。それに加えて、太平洋戦争では民間人約110万人が原爆や東京空襲、沖
縄戦などで犠牲となった。このような犠牲のうえに“与えられた平和憲法”の下
でよくも悪くも戦後60年間の「平和な時代」が存在し得たのである。

 
この間、世界はどうだったか。第二次大戦後の六十年間に世界各地の武力紛争

は九十八件に上る(『防衛ハンドブック平成17年版』朝雲新聞社刊)。そのなか
で戦争と名づけられた主なものだけでもインドシナ、朝鮮、ベトナム、アルジェリ
ア、中東(四次)、イラン・イラク、湾岸戦争などが挙げられる。戦後の六十年間は戦
争と殺戮のつづく世界だった。「九条」を掲げる日本はただの一度も軍事力を行使
することなく、一兵も失うことなく、一人の人間を殺すこともなかった。この奇跡
的ともいえる六十年間の意味を総括することがまず必要だと考える。しかし時代
も変わる、世代も替わる。あれだけの戦争をやっても、懲りない人もおれば、戦
争を知らない世代が多くなるほど、戦争の痛みを実感できない人々の数が増えて
くるのも当然だ。

 憲法制定以来59年、自衛隊発足以来56年、ぼつぼつこのあたりで、憲法をめぐ

る最大の焦点であるところの九条改正の是非を国民投票によって決することが必
要であり、結果については1億国民が責任をもつという、開闢以来の民主主義の実
験を行うチャンス到来と考える。憲法改正、自衛軍、愛国心などを口走っている
のは、石原慎太郎、安倍晋三など「自分は絶対に戦争で死なない」という安全地
帯にいる連中だ。「ナマクラ右翼」のまやかしの憲法改正ではなく、「改憲、国
民皆兵・徴兵制」を明確にかかげて国民投票に問え、というのがわたしの主張で
ある。また「腰抜け左翼」には国民投票法制定に賛成し、自らも「護憲」の内容
を明らかにして国民投票で堂々と戦え、といいたい。一人一人が緊張感を持って
自らの子や孫の運命も含めて日本の行くべき方向を選択すべきである。この道し
か沈み行く日本を再生させる方法はないと確信する。具体的な提言は別の号に譲
りたい。

(注・3)拙稿について西村徹氏から以下のような示唆を戴いた。「石原、安倍
その他のタカ派は軍事を知らないからタカ派なのです。アメリカでも軍事に無知
な文民がタカ派で軍人はハト派です。すこしでも軍務を経験したほうが慎重にな
ると思います。旧日本軍部がやめるしおどきを弁えずに暴走したのは、同じ佐官
でも要注意人物ばかり(たとえば杉本五郎中佐)を懲罰的に前線に出して、自分
らは前線に出ない卑怯な参謀どもが牛耳ったからです。

 徴兵だと兵士の意識水準が高くなりますから軍のあらゆる面での暴走の歯止め

にもなります。最近の戦争はハイテク化して練度の低い徴兵では役立たないとも
いわれますが、最後の決め手は歩兵。歩兵が足りなくてアメリカはイラクで失敗
しています。国民皆兵徴兵制をじっくり論じ合えるようになるのは民主主義成熟
の証しにもなることでしょう」。

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