ハイジャックされた「戦争体験」

■ハイジャックされた「戦争体験」   西村 徹

  A 戦没者追悼記念施設のこと         
  B 三代遡って戦争体験の公表を       
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  靖国は「遺族会にハイジャックされた形になっている」と6月21日なだいなだ氏が書いている。私はさらに遡って「遺族は遺族会にハイジャックされた」というべきものに思う。そしてさらに、遺族会は誰に乗っ取られたかを問うべきものに思う。

  勝ち戦でさえ「一将功成り万骨枯る」という。「将校ショーバイ」と兵隊の間では言われた。戦死者の大多数はそのショーバイの将校ではなく、一部予備役の下級将校(いわゆる兵隊将校)を含めて、「赤紙で引っ張っていかれた」兵隊ではないか。大多数は貧しい労働者農民であった。「どうして社会党などが遺族会に影響力を持ち得なかったのか」と、マニラ近郊で戦傷を負った、私より7歳年上の叔父は口惜しがっていた。

 そういうことが常に念頭にあり、いささか切迫した思いで「戦没者追悼記念施設のこと」を、やや随筆的な「三代遡って戦争体験の公表を」を後から書いた。後なるものを先に立てたのは緊急の度合いによる。

ふと『緊急順不同』という中野重治の本の題をも思い浮かべつつ、そのようにした。「三代遡って戦争体験の公表を」も、無告の民への眼差しを失うことの危うさを強調したくて書いた。いずれも、事柄を足許に引き寄せて捉えないと足許を掬われるという論点は共通していると思う。

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  A 戦没者追悼記念施設のこと         
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  6月21日の朝日新聞(大阪)に「靖国問題を問う」として堺屋太一氏とテッサ・モーリス・スズキ氏の談話が並んでいる。両者とも首相の参拝を止めるべしとする点で一致する。次いで、堺屋氏が無宗教の施設を新設すべしとするのに対してT.M.S.氏は、それもまたナショナリズムを越えるものではなく、日本人という「われわれの死者」から日本人でない「かれらの死者」を分断排除するものとなるとしてこれを斥け、第三の選択肢として「もし戦没者の碑が必要ならば」追悼対象は軍人市民の別なく敵味方を問うべきでないという。

  第一次大戦終結の七日前に25歳で戦死した詩人ウィルフレッド・オーウェンが、冥府で出会う敵の死者から聞く言葉として綴る「友よ、わたしは君が殺した敵だ」という詩句を刻むべきだとする。この句(I am the enemy you killed, my friend.)は、ベンジャミン・ブリッテンの記念碑的な「戦争レクイエム」に採られた九つのオーウェンの詩にあることも知る人は知っていよう。あるいは戦時被害者に補償を支払うなどして「他の国の国家主義的な動きを呼び起こす悪循環」を避けるべきだとする。

 かくあるべしと願う志において私もまったく異存ない。

 敗者を手厚く葬り、また祀るのは古神道に固有であり、降って相馬の敵味方塚に見られるごとく武士道の習いでもある(相馬は後年その徳により「分度推譲」の恩を受けた)。したがって日本の風土には本来馴染む提案ではある。

 しかし政治は理想を掲げるだけで直ちに現実となるわけではない。補償の支払いは勿論として、第二の案、無宗教施設の建設は第三案の理想に達する足がかりとしても有効かつ不可欠と思う。何故か?第三案の前に立ちはだかるものとして今という時点での遺族感情があるのみならず、それと通底する日本人の意識の古層、根のところにある民族意識がある。

  端的に言えばジョージ・オーウェルの「右であれ左であれ我が祖国」のようなものが日本人において、神道に対して、いま少し限定的には神道的、土俗的なるものに対して働くからである。歪みはありながらも靖国はすでに土俗化している。そしてあらゆる宗教は土俗化する。それをさらに熟させるためにも中立的で土俗化することのない別個の施設は必要である。たしかに日本人は45年以降こよなき宝のようにもして「敗北を抱きしめて」きた。しかし同時にひそかに屈辱をも抱きしめてきた。A級戦犯の合祀分祀が取り沙汰されるに及んで一般遺族までもが、あたかも自らが否定されるかのような不必要な錯覚に陥っている向きもある。

いきなりの第三案の提示は、そのような、勝者によって裁かれた敗戦国に固有の、屈折した心の機微を無視した短絡であり、それは遺族の感情を逆撫でし、さらに心理的に追い詰めて、背後に犇く挑発者煽情家たちを勢いづけるだけになるだろう。急がば回れと日本語ではいう。Slow but steadyと英語でもいう。

 氏の指摘するように諸国の戦没者追悼施設はたしかに国籍を限定している。戦没者に軍人市民の区別をしないのはイタリアのみである。しかし、すべて例外なく無宗教である。まずこの線に達すべきではないか。

また中国韓国ともに長い侵略支配を脱して今はナショナリズムの高揚期にある。グローバリズムが実は富める者にとっての歯止めがはずされたのみで、これまで以上に収奪を容易にする装置にすぎないことも明らかになってきている今日、ナショナリズムをただ否定するだけでは足元を掬われはしまいか。人の心は庖丁で羊羹を切るようにナショナリズムだけ切り分けるわけにはいかない。人の心にはブリッテンとともにエルガーもまた棲む。多分にオーウェル的なアマルガムであるだろう。

 またT.M.S.氏は「軍人の死とそれ以外の人々の死との間に線が引かれる」二分法を批判して軍人の役割を「国のために殺す」役割と括っているについては、間違いとは言わぬ。遠目高見からはそうなるだろう。しかし、まさにその役割を担わされた人々に近い人になるほどに、この括り方に違和感は避けがたいものになるだろう。

 翌22日、同紙同特集の続編に野田毅氏の談話が載り、氏は遺族会の方々の声として『赤紙で引っ張っていかれた戦死者と、戦場に引っ張っていった側の戦争指導者が、何で同じ扱いになるのか』を揚げている。また27日、同紙「風考計」には遺族会古賀誠会長の「赤紙一枚で召集が来ることによって」が引かれている。

 馬は50円、兵隊は1銭5厘といわれた。帰りたかったら軽くなれといわれた。葉隠も殺すことより「武士道と云は死ぬ事」を強調する。日本人には「国のために殺す」よりも「国のために殺される」意識の方がはるかに強いものであったことが窺われよう。

 cannon fodderという語がある。fodderは馬に食わす秣のことである。歩兵のことを大砲の餌という。A.J.P.テイラーの『第二次大戦』だったかに、ソ連軍の進路にドイツ軍の敷設した地雷原があり、アイゼンハワーが地雷除去用車両の貸与を申し出たが、ソ連軍司令官は「歩兵を歩かせるから結構」と断ったという話のあったことを記憶している。日露戦争の旅順攻略で勝利した日本軍の兵力10万、死傷6万22人、死者1万5千400余であった。敗軍ロシア側の死傷1万8千余、死者は2~3千にすぎなかった。今次敗戦過程の日本軍死傷者比率はそんなものではおさまらない。

  ウィルフレッド・オーウェンの従軍が赤紙によるものか否かはしらず、私自身の短い兵隊としての日々は闘技場に引き出される戦士の不安に程遠く、屠殺場に引き出される日を待つ戦きの日々でしかなかった。死がすべてに浸透していて「殺す」など夢にも思い浮かぶことはなかった。

 ここに来て、戦争責任は日本の一部指導者にあり、一般兵士は中国人民と同様犠牲者であるとした周恩来首相の言葉は二分法かもしれないが、みごとに遺族感情にも即した、なんと英明な二分法であったことか。腕白小僧の悪態にも似た捨て台詞を、しかも外交場裡で吐き散らす「われわれの」政治家と比べて何と高い風韻であろうか。

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 B 三代遡って戦争体験の公表を       西村 徹
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  一昔も二昔も前のことではある。まだ日本文化について英語で日本側から発信する例は多くなかったが、たまたまある出版社からその種のものが出ていた。それをイギリスの友人に送ったことがあり、送る前にざっと目を通した。しきりに日本文化論について書いているらしいKという人が元来は書いたものらしかった。

 Kという人はフランス文学の畑から出た人であることを後に知った。

   その中に、日本人には西洋人のように労働を苦痛とはせず、むしろ欣びとする伝統文化があるとし、証拠としてあらゆる労働に伴う唄を挙げていた。

  なるほど労働歌はある。豊作や増産や上棟をよろこぶ内容を持つ歌はあるらしい。らしいという程度にしか私は知らないが、労働歌の中身がすべてよろこびであるとは信じがたい。たとえ上辺はそうであっても正味のところは逆であることの方が多いと私には思えた。私の乏しい労働の実体験からして、そのようにしか思えなかった。

 田植え歌を唱っての水田の作業がどんなものか、蛭に責められながらの労働を体験として私は知らないが、中腰のまま手を傷め続けての稲刈りの辛さは戦時中の勤労奉仕で微かに知っている。風景としての農作業と景中の当事者の実態とは裏腹のものであることをすこしは知っている。もちろん労働のよろこびはある。

  労働の苦痛を知るもののみが知る、絵空事でないよろこびはある。しかしそれは苦痛のさ中にあるのではなく、苦痛の去ったときに訪れるように思う。労働歌は労働の苦痛を紛らわすものとして唄われるのがありていであろうと思う。

  西洋人もまた、そのようにして歌を唄う。ワーズワースにThe Solitary Reaper というよく知られた詩がある。中学教科書にも出る程のものなので、いちいちを日本語にしないが、Reaper とは男ではなく、物憂げな歌を口ずさみつつ唯ひとり麦を刈るハイランドの乙女のことである。初め三行続けて、そして一行置いて、初連八行のうち都合四行に「ひとり」が言葉を替えて歌いこまれる。歩みを止めて打ち眺めるべきか、しずかに立ち去るべきかをためらいつつも、詩人はさまざまにその歌の中身に思いを馳せる。その土地のそのかみの不幸に、身近な賎の日常に

Some natural sorrow, loss,or pain,/That has been, and may be again? と。

野面にひとり麦を刈り、また束ねる彼女を
I saw her singing at her work,/Ando'er the sickle bending: と歌う。

  詩人の思いの丈がいたいけな少女の労働の痛苦にとどいてこその詩であることは紛れもない。K氏はこれを読まなかったであろうか。軍歌もまた軍務労働に伴う。はてしなく続くぬかるみを「三日二夜を食もなく」「飢え迫る夜の寒さ」に耐え、痛む足を引きずって雨降りしぶく中を歩く「よろこび」を歌うであろうか。

   いまどきここまで能天気な日本文化の絵空事を、俗論にもせよ語る人はいなかろうが、人は意外に自分の体験の外にあることに想像は届かぬものである。細胞膜に遮られ、あるいは守られて、人は他者の痛みを直接には知ることができない。難病と言わず慢性病の持ち主ならば、その愁訴のきびしさが医者にすら容易に伝わらぬことを知っていよう。

  日本の男の大方も、多くは女性によって担われてきた家事労働育児労働について、また女性の置かれてきた身のありようについて、その認識不足は、かなり最近まで、これと似たり寄ったりであった。

 日本文化についてなら、無邪気の裏返しの無知と言って一先ずはすむ。しかし戦争についてはそれではすむまい。立花隆という物知りの総大将のような人がネット上で言っていた(http://nikkeibp.jp/style/biz/)。中国との戦争に関して太平洋戦争より3倍以上も長く、広く、出兵数も与えた損害も多いのに「特に若い世代の日本人はこの戦争についてほとんど知らない」とし、続けて「ほんの数年前までの私自身がそうだった」と、目を見張る真率さで語っている。事ほど左様に体験の外の事実の認識は困難である。

 迫りくる召集に緊張する父を目にし、野戦帰りの年長者たちから武勇談として語られる加害の証言を耳にし、自身が末期に召集もされ、帰ればわが住む家は壊されており、近親者二名が戦死、一人が比島で重傷という環境にあった私は、迂闊にも、誰しもが私と同種同程度の体験を持つものと思い込んでいた。実に私の認識不足、想像力の欠如であった。

 男三人すべて戦死の家もあり、自分程度のことなどはと照れて語るのをためらったのは怠慢であった。めぐり合わせで被害らしい被害を知らない人、ときに戦時利得者さえもあると聞く。ことによると、いま威勢良く挑発のラッパを吹くのはそういう人たちで、それで戦争がよく分かっていないからかもしれぬ。それでは気の毒だ。言って聞かせて解らせてやらねばならぬ。

 そこで、永田町の人たちに資産の公表を求めるだけでなく、3代ぐらいに遡って近親者の被害、加害、戦時利得の公表を求めてはどうであろうか。とりわけ都知事、外相、安倍晋三などという人にはぜひとも尋ねてみたい気がする。どこか新聞が企画しないだろうか。

                (筆者は大阪女子大学名誉教授)