ビルマ/ミャンマー通信(4)

ミャンマー通信(4)              中嶋 滋

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水掛け祭り

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 ヤンゴン市役所前をはじめ街のあちこちに水掛け祭り用の舞台がつくられてい
ます。鉄骨を組んだ大掛かりなものから日本のお祭りで良く見かける竹や葦を組
んだちょっとした小屋風なものやテントまで、本格化する暑さの季節と正月を迎
える準備が進められています。

 その一環でしょうか、寄附を募る宗教的活動も活発に展開されています。
音楽と説法、呼びかけが、街角に机を置き、あるいは小型トラックを使い、か
なりの音量で行なわれています。騒音防止条例などがないのを恨めしく感じるこ
とも度々あります。

 今年の場合、4月12日から21日までが、水掛け祭りと新年を祝う休みとなりま
す。多くの人々が故郷に帰ります。私たちの事務所のZさんもバスで10時間かけ
て祖母と3人で暮らしている父母のもとに帰ると嬉しそうに話しています。この
期間は、旅行案内書にも旅行を控えた方がよいと書かれているように通常の営み
は一切停止され、前半の期間は街を歩けば相手構わず水を掛けるまさにお祭り状
態が続くそうです。

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家族の「再統一」

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 その休みに入る2日前、FTUM(ミャンマー労働組合連合、最近FTUBビ
ルマ労働組合連合から改称)の活動家の中でも最も優秀なオルガナイザーの一人
として評価されているMさんが、ひょっこり私たちの事務所に現れました。お別
れの挨拶に来たというのです。正直、大変驚きましたが、事情を聞いて、あらた
めてミャンマーが置かれている状況の複雑さと深刻さを思い知らされました。

 Mさんは、現テイン・セイン政権が進める民主化によって、昨年、16年間の獄
中生活から解放された人です。彼は、死刑宣告を受け生命の危機にも直面しまし
た。ILO理事会や総会基準適用委員会などで、彼を含む全ての政治犯の即時釈
放を求める強い要請がなされたこともあり、死刑執行を免れました。彼の妻も10
年の獄中生活を強いられましたが、釈放後2人の子供とともにアメリカに逃れ
「難民認定」を受け、現在は市民権も得ているとのことです。

 Mさんはミャンマーのパスポートを得、アメリカからもビザ発給がなされまし
た。妻子とのアメリカでの合流に旅立つとのことで、その挨拶に来てくれたので
す。彼は「16年ぶりの家族の再統一」だと笑顔でいいました。話しの間に何回も
「family reunification」という言葉を噛み締めるように言っていました。そし
て私は、その言葉の重さに圧倒され、ただ「よかった、おめでとう」と応えるこ
としかできませんでした。

 Mさんは、渡米できる条件が整うまでの間、ひたすら組合づくりの活動に励ん
でいました。彼が結成に関与した組合は実に49を数えます。半年足らずの間の実
績ですから、驚異的なものです。FTUMは、得難い戦力を失うことになったの
ですが、彼の「家族の再統一」を大いに祝福すべきです。彼は「今は何時になる
か分からないが、帰ってきてまた一緒にやるから」と言って力強く握手し出かけ
ていきました。

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様々な事情

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 Mさんのように88年の民主化闘争以降も国内にとどまり活動を続け、過酷な弾
圧を加えられた人も多くいますが、弾圧を逃れ国外で民主化活動を続けた多くの
人々がいました。それらの「政治難民」「亡命者」として他国で活動を続けてき
た人々の多くは、未だ祖国に帰ってきていません。

 FTUMの例を見ても、2010年の第1回大会で選出された執行部13人のうち帰
国し活動を継続しているのは、わずか2人に過ぎません。残る11人をめぐる事情
は様々です。家族関係などの事情から帰国できない人、「特別税」(例えば在日
ミャンマー人の場合、収入がある場合その多寡にかかわらず一律に月1万円の
『税金』を在日ミャンマー大使館に支払うことを一方的に義務づけられていまし
た。亡命年数が長く300万円以上の支払いを帰国の条件とされた例もあります)
の支払いができず帰国できない人、もはや帰国の意思をもたない人、活動路線が
異なったとして組織を離れた人、など様々な訳です。

 88民主化闘争から25年。亡命先での生活と活動は、当然一律ではありません。
亡命先の人と結婚しその国の国籍を得た人、子供がその国の人と結婚し孫も生ま
れ生活拠点が強固に確立した人、様々な面で祖国にいた時より良い職業生活が実
現している人、など祖国に帰り難い事情が様々あるようです。

 民主化が進められているとはいえ、その方向性は確たるものとは言えないこと
もあって、帰国を躊躇している人も少なくないと聞きます。民主化が進展し、政
治的・社会的安定が実現すること、それに伴って経済発展の見通しが明るくなれ
ば事情は大きく変わっていくと思われます。そのこともまた2015年の総選挙とそ
れに向けた動向によっているといえます。

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NLDとFTUM

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 その動向の焦点の一つは、間違いなくNLDにあります。前号でNLDの初め
ての大会について報告しましたが、一つ重要な点について書きませんでした。そ
れは、各国大使や与野党代表など多くが招待され1000名規模の大会であったのに、
FTUMが招待されず、開催自体が民主化の象徴と評された歴史的な大会に、労
働組合代表が不在であったことです。何故そうなってしまったのか詳細が分から
なかったので書かなかったのですが、双方からの説明に触れる機会があり少し事
情が分かってきましたので、今回報告することにします。

 日本ILO協議会の視察団が当地を訪れた際、FTUMならびにNLDとそれ
ぞれ意見交換をする機会をもちました。その中でFTUM書記長は、NLDとの
連携関係を問われたことに対して、「軍事政権下で双方とも国内で自由に活動す
ることができず国外で亡命活動を展開せざるを得なかった時期は、軍事政権反対・
民主化実現が共通する課題で共同して運動を進めていたが、一定の民主化がなさ
れ国内で活動ができるようになると、FTUMは労働組合としてNLDは政党と
して、それぞれ自分のエリアで活動することになり、お互いに活動推進に忙殺さ
れているので、緊密な関係が取れなくなっている実態にある」との趣旨の説明を
行ないました。それは極めて淡白なもので、関係性が希薄になっていることを窺
わせるに十分なものと感じざるを得ませんでした。

 一方、NLD元議長で顧問会議議長は、何故大会にFTUMを招待しなかった
のかという踏み込んだ質問し対して「FTUMは、登録された労働組合ではなく、
いわば任意団体に過ぎない存在なので、大会には招待しなかった」と、これもま
た疎遠になっていることを取り繕うともしない回答でした。しかし、党内に労働
委員会を組織し労働政策について検討を深めていくことになっているので連携を
強めていきたいとの意向を示していましたので、関係が対立的になっている訳で
はないと思われます。

 強制登録制度などの問題を抱えつつも組合結成そのものは可能となった状況が
あり、ミャンマーの近未来を決定づけると考えられる第2回総選挙を2年半後にひ
かえて、民主化促進を担うべき2つの組織が連携を強めることは、常識的には、
民主化を求める多くの人々が期待しているだろうと思われますが、そうした空気
は余り感じられません。地元英字紙の報道を見ても、そうした観点よりもスーチ
ー氏の国軍への対応ぶりを大きく取り上げていて、安定的な民主化進展に向けた
勢力結集の必要性を論ずるものはほとんどないのが実情のようです。

 (筆者は在ヤンゴン・ITUCミャンマー代表)
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