フランスにおける日本:昔と今

フランス便り(その10)

フランスにおける日本:昔と今

                    鈴木 宏昌


 フランスの秋は早い。9月末になると、日がどんどん短くなり、朝は8時くらいまで暗さが残る。9月はじめには、マロニエの葉が散り、その後、プラタナスの葉が色づく。すっきりと晴れる日が極端に少なくなり、太陽が出ているときも、なんとなく斜めからの弱々しい感じで、人影が長くなる。決して、雨の日が多いわけではないが、朝晩は露が降りて、いつも湿っている。私の好きなテニスも9月の末で屋外の夏のシーズンが終わり、室内コートのみが使用可能になる。ぶどうの収穫期は、10月だが、2013年のぶどう酒の出来具合はどうだろうか? 今年は、6月まで気候が不順で、晴れた日が少なかった。9月末にシャンパーニュ地方にドライブした時、シャンパンの生産者が収穫期は2週間後の始まるが、なるべく遅く収穫したいという。春の気候不順で、少し糖分が不足しているが、あまり遅くすると寒波や寒い雨が怖いと言っていた。11月に入ると、パリはもう冬モードで、半年ほどいつもどんよりとした雲の垂れ込む北欧の季節となる。

 さて、いつものことだが、今回何をテーマに書こうか迷った。今回は、思い切って「フランスにおける日本」にした。ときどき、日本の友人から、フランスでの日本の評判はどうですかと聞かれることがある。これは、やさしいようで、私には答えることが難しい質問なので、大体曖昧な返事でごまかしている。旅行者が、初めての国に、数ヶ月住み、旅行記を書くのはやさしいといわれるが、私は学生の頃から今日まで、半世紀以上、フランス社会と付き合ってきたので、簡単には、フランスはとかフランス人はということが出来なくなっている。個人主義で、個性の強い人が多いフランスなので、平均的なフランス人やフランス社会をイメージすることが難しい。まず、生活様式が、パリと地方都市では大きく異なる。一般的に、パリ地域は、人口が密集し、実にさまざまな階層、肌の色の人たちが集まっているので、皆、なにかいらだっているように見える。これに対し、地方都市は実にのんびりし、親切な人が多い。日本では、フランスはカソリックの国と思われているが、普通のフランス人は信仰心が強くなく、教会に行く人は本当に少ない(宗教が強い影響を持つアメリカとは対照的)。むしろ、数百万人に及ぶと言われるイスラム教徒が強い信仰心で、フランス社会の中では、突出している。また、学校教育で重視されるのは、知識を学ぶと同時に、個性の発達である。今でも、バカロレアの重要な課目に哲学が置かれ、個人の批判精神が尊重されている。そのため、規律を必要とする団体行動は不得手であり、この点、ドイツ人とは対照的である。サッカーのフランスチームは、世界的に有名な選手を集めているが、チームとしては、最近、酷い結果しか残していない。

 こう考えてゆくと、フランス人の持つ日本のイメージとまとめるのは、ほぼ不可能に近い。私の正直な答えは、フランス人の一部には日本の社会・文化・芸術に興味を持つ人がいるが、多くのフランス人は遠い東洋の国、日本に対し断片的な知識しか持たず、関心も薄いとなってしまう。そこで、ひと工夫し、大昔に私か経験した1960年代のフランスと今のフランスにおける日本のイメージを重ね合わせながら、今日フランスにおける日本を描いてみたい。

■1.1960年代後半のフランスと日本
 私が、留学生として、初めてフランスに来たのは1965年の秋だったので、私とフランスの付き合いはそろそろ50年になる。留学生、国際機関職員(フランスに住んでいた)、夏休みを利用したフランス滞在、そして年金生活者と私の社会的な立場は違うが、私の生活はずっと日本とフランスを行き来していたように思う。ただ、やはり私の記憶に鮮烈に残るのは、初めてフランス社会と触れた時の印象である。当時、ほとんどのフランス人が東洋人を一括し、ときにベトナム人、ときに中国人で括っていた時代と比べると、日本はフランス人にとって身近なものになったと感じている。

 1965年 初めてフランスに渡ったとき、フランスは大国であった。あるいは、もっと正確に言えば、大国という意識を持つフランス人が多かった。当時は、第二次世界大戦の英雄ドゴール大統領の時代で、フランスはアメリカでもなくソ連でもない第3の道を目指し、国家主導の経済政策、原爆保持による抑止力向上を目指した防衛政策を行なっていた。ドゴール大統領は、盟友アデナウアーとともに、アングロサクソンを排した大陸諸国からなるEEC(その後、EUになる)建設にも熱心であった。当時のフランス経済は、自動車(シトローエン、プジョー、ルノー)、化学、石油、建設などが好調で、失業率が低く、慢性的に人手不足の状態が続いていた。そのため、スペイン・ポルトガル・アルジェリアなどから出稼ぎ労働者が増加していた。低賃金労働者、イミグレ問題あるいは斜陽の重工業などの問題を抱えてはいたが、生活水準は日本と比べると、はるかに高かった。私は、当時 フランス政府招聘留学生として、約400フラン強(150USドル)の給費をもらっていたが、日本のサラリーマンの平均給与よりもはるかに高かったと記憶している。そもそも、日本とパリの往復航空券(もちろん エコノミークラス)の値段が18万円だったので、日本の平均給与の5−6ヶ月分というとてつもない値段であった。国際的に見て、日本の生活水準が飛躍的に上昇したのは、やはりプラザ合意後、1ドル360円の固定レートが終わった頃からとなる。

 私は、パリの西に位置するルーアン大学に籍を置き、パリとルーアンを行き来して学生生活を送ったが、パリを除くとほとんど日本人と会うことはなかった。当時 パリには一定の日本人コミュニティーがあったが、大使館、商社、マスコミを除くと、芸術家と音楽の学生が多かったように思う。ちなみに、1960年代後半に、パリの日本料理の店は5、6軒しかなく、ビジネスマンが使うシャンゼリゼ付近、安いが無国籍のカルティエ・ラタンと分かれていた。お客は、ほとんどが日本人か観光客で、フランス人は滅多に見かけなかった。

 ルーアンで日本に関心を持つフランス人とはほとんど出会わなかった。たまに、黒澤の映画を見た、あるいは浮世絵を知っている程度でしかなかった。パリでは、日本びいきの先生のお宅に長いこと世話になったこともあり、日本の芸術に興味を持つ人とも会う機会があった。経済面では、日本製は安い模倣というイメージが強かった。1960年代後半にホンダが小さなスポーツカーをフランスで売り出したとき、友達の父親が、まだまだ日本が車を作るのは無理だよと断言していたのが、いまだに記憶に残っている。このような雰囲気の中だったので、出会う多くのフランス人が東洋を一括し、日本と中国やベトナムをほとんど区別しなかったのは無理ないことだろう。何回となく「私は中国人ではなく、日本から来ました」と答えても、「ああそうでしたか」と無関心な返事が返ってきた。地理に弱いフランス人は、世界地図の上で、ベトナムと日本が近いと考えていたのは間違いない。まあ、当時、フランス人の目には、日本は多くのアジア諸国と同様に発展途上国のひとつでしかなかった。

■2.今日のフランスの中の日本
 昨今 パリの近郊に住んでみると、本当に日本が近くなったと感じている。まず、周囲に日本に行ったことがある人が非常に増えた。交通手段が発達し、安い価格で日本に行けることが大きく貢献している。それと同時に、日本に進出しているフランス企業やフランスに進出している日本企業の数も格段に増えている。その結果、日本に住むフランス人(5千人くらい)も、フランスに住む日本人(3万人くらい)も大幅に増加した。また、フランス語になった日本語も確実に増加している。すし、わさび、ゆず、ラーメン、柔道、空手、盆栽、可愛い(コスプレのこと?)、マンガ、アニメ、フクシマなどは説明抜きで使うことも出来る。また、ユニクロ、ムジなどの店はパリに出店し、私の周囲にファンがいる。中でも、日本ブームともいえるのは、日本食とマンガやアニメのようだ。マンガやアニメは昔から子供たちに人気があった。テレビで日本製のアニメ(ゴルドラック)を見て育った若い人たちには、日本のマンガやアニメを外国製とは感じないと言われる。私は、マンガ、アニメの知識が乏しいので、もう一つのブームである日本食について見てみよう。現在、パリで日本料理の看板を出している店は、実に多い。その大部分は、中華料理、ベトナム料理であった店が、ある日、突然、すし屋などに早変わりしたものである。しばらく前、テレビのルポで、中華料理の店は衛生状態が悪いと報道され、お客が来なくなり、看板を日本に換えた模様である。私の住んでいる小さな町(Nogent-sur-Marne)にも 3軒のすし、やきとりなどの店がある。働いている人は皆、中国人のようだ。また、ピザ感覚で、すしを配達するすしのチェーン店が町の中心に2軒もある。そこそこ売れているのかも知れない。本格的な日本料理店は、パリの中心であるオペラ通りの付近(rue Ste Anne)に集中している。ここでは、ラーメン、うどんの専門店、やきとりなどの居酒屋スタイル、ギョウザの専門店あるいはお弁当屋と専門化している。お客は周囲で働くフランスのサラリーマンが多く、日本人観光客がそれに少し混じるような形である(とくに、昼の時間帯)。値段は、ラーメン一杯10ユーロくらいなので、特別安いわけではないが、その付近のカフェで食べるより安いのだろう。若いパリジャン・パリジャンヌたちがラーメンを食べていたのには、最初びっくりした。その昔、フランス人は熱いスープに麺が混じったラーメンやうどんを好まないと聞いていたので、大発見だった。さらに、こちらのグルメ雑誌を読むと、フランスの高級レストランも日本料理にヒントを得たものが多いという。シェフのインスピレーションにより日替わりする「お任せメニュ」しか出さない高級店がいくつもある。これは、日本の懐石料理にヒントを得たものと言われている。さらに、昆布をだしに使ったり、刺身に近い形で魚を出すのは珍しくなくなっている。その昔、バターやクリームを使ったソースがフランス料理の真髄というのは古くなり、フランス人シェフの発言には、「素材の良さを引き出す」とか「盛り付けを重視する」「野菜を主にする」など日本料理のシェフと同じ言葉が出てくる。今では、ミシュラン・ガイドの星を目指すシェフにとって、日本に行き、日本料理を知ることは、必要な経験の一つになっている(Troisgros という超有名なシェフが先鞭をつけた)。もちろん、この背景には、フランス人のヘルシー指向があり、カロリーの高いバターやクリーム料理を敬遠する傾向がある。また、フランスで日本料理ではなく、フランス料理で勝負する日本人シェフも多くなっている。ミシュラン・ガイドで星をもらっている日本人シェフは10人くらいいるのではないだろうか? 最近、日本人シェフがやっている三つの店(ミシュラン・ガイドの星は付いていない店)で会食する機会を得たが、いずれも値段の割にレベルの高いフランス料理だった。

 さて、このような、少々特殊な分野を除くと、フランス人が日本の経済や社会に関心を持っことは少なく、日本に関するマスコミの情報は極端に限られている(フクシマは例外)。多分、日本の首相の名前を知っているフランス人はほとんどいないし、えたいの知れないアベノミクスはまったくマスコミに登場しない。その昔、日本バッシングという言葉がはやった時期があったが、今では、日本の経済に関する批判はほとんど聞かれなくなった。その主因は中国である。最近では、中国関連の報道が突出し、工場の海外移転、あるいは企業倒産などの恨みは中国に向かっている。また、ボルドーの有名シャトーを買収と話題になるのも、中国の投資家である。近年、中国が悪役のイメージを独り占めしているので、自然、日本はよい子になる。2011年の津波の映像は、多くのフランス人にショックを与えたので、日本は津波の被害に苦しんだ、かわいそうな国となる。

 ところで、フクシマ関連の記事は実に多い。日本に関する新聞記事やテレビの報道の7、8割はフクシマ関係と言ってよい。放射線量、汚染水の太平洋への流失と環境問題、あるいは現場解体業者の酷い労働条件などが報道されている。また、避難を強いられている人たちの生活に関するルポも多い。周知のように、フランスは原子力発電の大国(電力の7、8割が原子力)なので、原発問題はフランスでも大きな政治問題である。与党の一部を形成するエコロジストは原発廃止を主張しているが、オランド大統領は、経済面の影響を考え、あまり動いていない。このような地盤があるので、福島の問題はすぐに大きな見出しが付く。私は、とくにこの福島原発の問題を追ったことはないが、2ヶ月前に、Le Monde 紙にフランスの原子力安全問題の専門家による長いインタビュー記事が載っていて、興味深かった。福島の現地を視察した上で、汚染水処理の問題の難しさ(大量の地下水の存在、汚染処理の技術問題、増え続ける貯蔵タンク)を指摘し、結局地下に膨大なカバー壁を造ることになるだろうが、膨大な費用が必要で技術的にも難しいと慎重だった。インタビューの中で、福島原発で外部に漏れた放射線量をチェルノブイリの10分の1程度と明言していたのが記憶に残った。

 以上が、フランスに住んでみて、実感したフランスの中の日本である。昔に比べると、日本は一部のフランス人にとって、かなり身近な存在になったように思う。これは、日本を含めた東アジアの台頭とともに、フランス人の意識が大きく変化したことの証でもある。1960年代には、フランスは、アメリカに組せず、独自の路線を取っていたが、今日では、大国意識はなくなった。経済的にも政治的にも、フランスはEUの中でしか繁栄の道がないことは多くの人が認めている。マスコミの報道も、昔に比べれば、国際関係の記事が多くなったように思われる。そして、何よりも若いフランス人は外国からの影響に割とオープンである。伝統的なフランス人が嫌がるマクドナルドはフランス中どこにでもあるし、若者の支持を得ている。日本発の文化(?)であるマンガ、アニメ、すしは、偏見の少ない若い層を中心として、受け入れられているように思われる。 2013年11月15日

 (筆者は早稲田大学名誉教授)


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