【オルタの視点】

フランスの中等教育(中学:高校)の現状を考える

鈴木 宏昌


 フランスの大統領選挙はまじかに迫っているが、本命と見られていた共和党のフィヨン候補が家族の架空雇用の問題で人気を落とし、混迷の状態が続いている。社会党は、左派に属するアモン候補が予備戦で選ばれたが、多くの社会党議員はアモン候補の政策に批判的で、中道と見られているマクロン候補支持に回りそうな形成である。マクロン候補は若干39歳、政治経験は経済相であった2年間のみである。社会党外から出馬して、社会党の穏健派と中道を支持母体にして、人気を上げている。ルペン候補は、粉飾決済など政治資金の問題で裁判沙汰がありながら、支持層の人気は衰えず、一次選挙ではトップになりそうな形成と見られている。トランプ現象がフランスでも現実になりそうなところがある。決選投票になれば、反ルペン派が多数となると考えられているが、余談を許さない。これまでのところ、政策議論がまったくなく、スキャンダルばかりが目立つ酷い選挙となっている。

 そこで、今回は政治問題からすこし離れて、フランスの教育問題を考えてみたい。教育というと、大学ランキングなどの高等教育が取り上げられることが多いが、今日は地味な中等教育に絞って考えてみたい。フランスの現在の学校制度では、コレージュと呼ばれる中学校(4年)とリセと呼ばれる高校(3年)あるいは職業教育(2-3年)とに分かれている。ただし、リセがあるところでは、コレージュと一体のところが多いので、中・高一貫の教育となっている。リセの終わりに、中等教育の修了資格であるバッカロレアを取得するが、このバッカロレアは同時に大学入学資格でもある。大学は原則的に学生の選抜はできない。ただし、医学部や法学部などの人気学部は、バッカロレアのコースとその成績で実質的な選抜をしているのでややこしい。フランス独特のグランゼコールは、一般大学と異なり、厳しい入学試験に受かったもののみが入学できる少数精鋭主義を貫いている。
 一方、職業教育のコースは二つに分かれ、テクノロジーのコースと職業バッカロレア・コースからなる。前者は情報技術者のようなの中堅技術者養成を主にしているのに対し、職業バッカロレアのコースは職業別に細分化され、たとえば自動車整備工やパン職人などの人材養成が目指されている。なお、フランスでは16歳までが義務教育となっている。

 中等教育制度で、日本との大きな違いとしては、私立のコレージュやリセの役割だろう。フランスにも、私立の中学・高校もかなり存在しているが、そのほぼすべてが国との協定を結び、カリキュラムなどを統一している。そして、肝心の私立学校教員の給与は国が負担している。したがって、まったく独立した私立の教育というよりは、私立の学校が中等教育の一部を国から請け負っているというのが本当のところである。昔、カソリック系の学校が多く存在していたが、教育の世俗分離のときに妥協の産物として、私立学校の存続を認めたという経緯がある。そのため、私立のコレージュやリセの授業料は数百ユーロから多くても2,000ユーロ(24万円くらい)に抑えられている(建物の維持など)。
 ただ、公立学校と私立学校ではすこし違いもある。たとえば、公立リセの生徒数は平均約1,000人と大きいが、私立のリセは420人と小さい。したがって、より細やかな教育が可能になる。たとえば、公立学校では、教員が病気などで長期欠勤の際に、補充の教員の配備(数学や技術といった教員の少ない専門)に手間取るケースがままあるが、そういう話は私立校では聞かない。また、学校内の規律も私立の方が優れている。教育熱心な父兄は、評判の良い都会の私立のコレージュやリセに子供を入れたがる傾向もあるようだ。公立学校では、緩やかな学区制がある。パリの超有名なリセに子供を入れるために、住居を移す家庭もあるという。もっとも、教育熱が高いのはほんの一部の人のみで、日本や韓国のようなことはない。また、学校外の塾や補習校は数も少なく、しかもリセのレベルに限られる。

 以上がフランスの現在の中等教育制度の概要だが、ここに到達するまで長い年月を要し、頻繁に制度の改変、カリキュラムや時間編成の手直しが行なわれている。日本と同様に、教育分野には、利害関係者が実に多く、教育改革はすぐに政治問題化し易い。教育行政を担当する教育省、政治家、地方自治体(コレージュは市町村、リセは地域が管轄)、いくつにも分かれる教員組合やPTAなどが絡むので、制度の一部に手を付ければ、必ず反対の声が上がり、デモやストが始まる。たとえば、現政権は、2013年に、それまでの学校の週4日制を廃止し、週5日に戻すことを決定した。同世代のEU諸国の生徒に比べて授業時間が極端に少ないこと、1日あたり適正な授業時間の配分で教育効果を高め、同時に生徒の健康維持に役立つというのが理由だった。ところが、この改革案に一部の父兄と地方自治体が猛反対し、多くの市町村で改革の実施が1年間延ばされた。

 父兄の反対理由は、半日の水曜日の子供の送り迎えの手配が難しいことにある。フランスでは、専門主婦はほとんどいなくなり、夫婦共稼ぎが一般的なので、半日の水曜日となると、ベイビーシッターなどの手配が難しいという事情がある。地方自治体の反対は、学校などを監視する経費がかかるという財政問題だった。また、昨年、教育省は、コレージュにおけるラテン語の開始を1年遅らせ、その代わりに生きた外国語を入れるカリキュラムの変更行なったが、これも一部の強い反対を受けた。一般的に、ラテン語のコースには成績の良い生徒が集まり、一種の秀才コースになっていた。そこで、保守的な父兄や政治家は、現政権が平等主義の建前で、成績の悪い生徒の水準に教育レベルを落とそうとする試みだとして、反対した。それにラテン語の教養を持つ文化人や哲学者もマスコミを通じて、ラテン語擁護を行なった。結局、教育省の通達はなされたが、今でも教育現場は混乱しているようだ。ことほど左様に教育制度に手をつけることは難しい。

 とはいえ、教育を取り巻くフランスの社会情勢は現状維持を困難なものにしている。ここでは、中等教育に関する二つの大きな、かつ難しい問題に絞って検討してみたい。一つは深刻な教育格差の問題で、とくに、OECDのPISAの調査で、フランスの教育が社会格差を拡大させていることが示され、議論となっている。二つ目の問題は、オリエンテーションと呼ばれる進路指導・選択に関する問題である。この選択は、コレージュの終わりに当る4年目(14歳)に決定される。日本と異なり、私立への転校という手がほとんどないので、当人やその父兄にとって重要な進路選択となる。

◆◆ PISAショック

 PISAは、OECDが定期的に15歳の生徒を対象に数学、科学、読解力などを国際比較する大規模調査で、最近、2015年の結果が発表になった。この調査には、OECD加盟国以外にも数多くの国が参加し、全体で72カ国をカバーした。3科目の成績を見ると、シンガポールが断トツにトップで、その後アジアや北欧の国がトップ10に入っている。日本も、科学や数学ではトップに近い結果となった。これに対し、フランスは20番後半で、ドイツには遅れをとっているが、イギリスと同等で、ヨーロッパの平均に近い。しかし、フランスの問題は、成績の悪い生徒が非常に多いこと(科学で成績不良者は22%)で、創造的な優秀な生徒(8%)の数を大きく上回っている。

 また、この調査では、両親の出身階層が子供の成績とどう関連するかも調べている。その結果をみると、フランスでは、両親がイミグレである生徒の4割が成績不足で、少なくとも標準のレベルより、知識が1年以上遅れている衝撃的な結果となった(OECDの平均では、イミグレの子供は31ポイントほど一般の子供より低い)。他のヨーロッパ諸国と比較しても、フランスの子供の成績は両親の社会階層によって決まる部分が大きかった。たとえば、イミグレの子供で、成績優秀な者はわずかに2%でしかなかった。このような教育格差は、前回の2006年調査でも同じだった。フランスの教育制度は、両親の社会階層をそのまま反映し、学校が社会格差の拡大の要因となっていると Le monde 紙はコメントしている(2016年12月8日付け)。

 また、フランスの教育に関する専門機関であるCNESECOは、教育機会の不平等というレポートを最近発表した(CNESECO, Inégalités sociales et migratoires, 2016年)。このレポートは、一般的なコレージュと優先的な学校(イミグレなどが集中する地区にあるコレージュで、補習コースなどを置いている)を比較しているが、その指摘は実に厳しいものとなっている。

 たとえば、教育が効果を持つためには、学習時間、授業方法そして教師の質が良くなる必要があるが、そのいずれの点でも、優先地域のコレージュは普通の学校よりも劣っている。まず、学習時間に関しては、学級内の規律の問題や授業を妨害する生徒の扱いで時間が費やされ、実際の学習時間は短くなている。優先的な学校の教師は病気や出産などでの欠勤日数が平均より長くなる(若い女性の教師が多いこともある)。代替の教員が補充できないこともあり、授業時間も少なくなる。
 また、優先地域は生活環境が悪く、安全などの問題もあるため、正規の教員が集まらず、代用教員で間に合わせることも多い。結局、教育機会の平等といいながら、イミグレの子供たちが多いコレージュでは、教育質・量とも一般の学校に比べて劣っている。なお、この優先地域では、学級のサイズは、平均27人と普通校より2人ほど少ないが、教育の質に影響するほどではないとしている。
 このほか、このレポートは、PISAのデータなどを詳細に分析し、教育制度が社会階層間の拡大をむしろ助長していると指摘し、多くの改善の注文をつけている。

◆◆ 教育格差と歴史

 しかし、教育格差の構造は根深い。歴史的には、コレージュとリセはまったく別々の教育機関だった。1880年に5年制の共和国の学校(小学校)ができたときに、すでに有名なリセはパリなどの大都市に存在していた。19世紀の初頭、ナポレオンは国の礎を形成すべきエリート養成のために、多くのリセを大都市に設けた。さらに、有名リセのなかには、16世紀から存在する Louis le Grand や Henri IV(いずれも昔のソルボンヌ大学と並びに建つ歴史的建造物)などもある。つまり、リセは最初から少数のエリート養成のための中・高一貫の学校であった。リセに入れる子弟は裕福な家庭と決まっていたし、リセでは、教授はすべて国家資格を持ち、その専門科目のみを教えた。昔のリセは、グランゼコールや大学に直結した教育機関であった。リセへの準備過程であるコレージュはCESと呼ばれ、一般的なコレージュとは区別されていた。

 これに対し、コレージュの前身は、義務教育を行っていた小学校の教員が農家などの要望にこたえて補習学級を開いたことから始まる。主に農村地域で、読み書きや簡単な算術などを2、3年間教えていた。その後、補習クラスは、次第に制度化され、初等教育終了資格などが国家資格になってゆく。小学校の教師は地域の師範学校出身者で、すべての科目を教えるのが原則だった。したがって、リセの下のコレージュとは競合関係になるが、対象の人口がまったく異なっていた(名前もCEGと異なっていた)。一方が生活に必要な最低限の読み書き、算術の取得を目指すのに対し、大都市のコレージュはリセへの入り口でしかなかった。このような2種類のコレージュが並存の形が崩れるのは高度成長が軌道に乗るドゴールの時代となる。

 ドゴールは、フランスが一流国になるためにはエリート層の拡大が必要と確信し、国家戦略として中等教育の民主化を目指す(A.Prost, Éducation, société et politiques, Ed. de Seuil, 1992)。1960年代には、猛烈な勢いで各地にコレージュを建設した。また、都市部を中心としてリセを増やしていった。コレージュの教員資格も次第に整備し、コレージュとリセの一体化が目指された。リセ側の抵抗もあり、実際に二つのコレージュが統一されたのは1975年であった。その後、教育需要は拡大を続け、1985年には、時の首相が、世代の80%がバッカロレアを取得するという有名なスローガンを掲げるまでになった。

 ところで、すこし余談になるが、ドゴールの教育国家戦略は教育の民主化とともに大学入学レベルでの厳しい選抜を考えていたという。その試みは、1968年の学生ストで中絶し、その翌年には、ドゴールは退陣に追い込まれることになる。この痛い経験があるため、歴代の政権は大学の入試選抜に踏み切れない。

 こうしてみると、11歳から18歳という大事で難しい期間の教育を担当する中等教育で教育格差が拡大していることは深刻である。とくに、イミグレの集中する地域では、学級あたりの生徒数を大幅に減らしたり、補習学級を強化したりする抜本的な対策が必要に思われるが、国や自治体にはそのような財政的な余裕はない。現在でも、国家支出の約10%は教育関係の予算が占めている。

◆◆ オリエンテーションの問題

 コレージュの終わりの3年、4年は生徒にとって進路指導・決定の重要な年になる。12歳で進路を決定しなければならないイギリスやドイツに比べると2年ほど進路決定が遅くなっている。選択肢は、まず、職業訓練コースを選ぶのか高等教育への進学を目指す一般バッカロレアを選ぶかの選択である。職業コースは、さらにテクノロジー・バッカロレアのコースと職業バッカロレアのコースに分かれている。テクノロジーのコースは情報などの中堅技術者の養成コースで、その後、短期専門大学に進む学生も多い。職業バッカロレアのコースは、パン職人、肉職人などの職業に直結したもので、現場での実習が主で、バッカロレアも実技中心となる。

 古くからある一般バッカロレアのコースは近年何回となく制度変更がなされている。その昔は哲学と科学のみであったものが、1960年代には、数学、実験科学、哲学となり、現在では、文学コース、経済・社会コース、科学コースと名前が変っている。昔から数理系と哲学が秀才コースとされてきたが、その傾向は現在まで続いている。ちなみに、2015年のバッカロレア取得者数をみると次のようになる:一般バッカロレア317,000人、そのうち、経済・社会100,000人、文学49,000人、科学166,000人、テクノロジー・バッカロレア125,000人、職業バッカロレア176,000人となる。文学が意外と少ないのに対し科学コース選択者が多いことが注目される。

 さて、進路選択の問題に話を戻すと、フランスにおいては、昔から職業教育に対する社会的な評価が低い。この点、職業訓練コースと進学コースでは、評価に差がないドイツとは対照的である。フランス社会では、エンジニアーを筆頭として、高級官僚や経営者・管理職が上層階層を占め、職人、肉体労働者への社会的評価が低く、彼らの所得水準も低い。

 となると、当然ながら、多くの父兄の多くは、職業訓練コースに子供が指導されることを嫌がり、教師と難しい面談となることがある。また、進学を選んだ際にも、どのコースに進むかには慎重な考慮が必要となる。概して、教師は成績の良い子供には、科学コースや文学コースを勧め、成績の芳しくない生徒には経済・社会コースを勧めることが多いらしい。成績の良くない生徒が両親の進めで、科学や文学コースでリセに進むと落第の可能性が出てくる。とくに、フランスの現在の制度では、リセでは、コレージュに比べて、格段に重いカリキュラムが課せられていて、生徒はストレスを体験することが多い。

 今回は、フランスの中等教育の問題を紹介したが、日本に共通したところとフランス独特のところがある。ほとんどの生徒が進学するという教育の民主化の波や職業教育の弱さは日仏共通である。しかし、人気のあるテクノロジー・バッカロレアを用意した点はフランスが優れている。また、トップのリセの教育レベルは非常に高いものがある。反対に、教育格差は日本以上に厳しい。その主因が教育制度にあるのかあるいは社会環境にあるのかはっきりしないが、私の眼には社会環境が教育に反映されているところが強いように思われる。多分、教育のみでは、イミグレなどの子弟の教育格差のは解決は難しいだろう。

 その昔、私の畏敬する大法学者が、日本の一流大学と二流大学の学生の違いは、一流大学の学生は勉強の仕方を知っているのに対し、二流大学の学生は勉強の仕方を知らないと言っていたのを思い出す。大学に入る前の段階である中等教育の充実は、フランスの問題でもあり、日本の問題でもある。 (2017年3月16日、パリ郊外にて)

 (早稲田大学名誉教授)


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