仏国・パリ フランス便り(4)

フランスの教育問題雑感 鈴木 宏昌  

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br>  バカンスの季節である7、8月が終わり、子供たちがパリの街に戻ってきた。
9月の初めから新学期が始まり、子供たちは2ヶ月を超える夏休みのモードから、
毎朝早く学校に行く習慣が戻るまで相当の時間がかかりそうだ。

 新学期に合わせて、マスコミは教育改革の議論を多く扱っている。新大統領の
オランド政権は教育を未来のフランスへの投資と公言し、教員補充などを優先項
目として掲げている。現在最終局面にある厳しい緊縮予算案(補正予算)でも、
教育と治安は聖域として減額しない方針である。また、教育制度の「再構築」を
合言葉に、この秋には教育関係者の一連の会議が設定され、教育「再構築」への
青写真を作成する予定である。

 どこの国でも、教育改革や教育の充実は、次世代への人的投資として実に響き
の良い政治目標だが、一歩現実の教育問題に踏み込むと、多方面の関係者の利害
が複雑に絡み合い、改革案はあまり中身のないものになることが多い。教育は身
近な問題なので、「教育関係者」は無数にあると言える;政治家、教育行政担当
者、校長、教員、教員組合、子供を持つ家庭、父兄(父母?)のアソシエーショ
ン、地域自治体、企業、交通機関とリストは果てしなく長い。

 しかも、それぞれのグループは内部に様々な理想や意見を持つ人の集団なので、
コンセンサスを得ることは至難な技である。日本人以上に、フランス人は口から
生まれ、自分の権利を主張するのは得意だが、他人の意見を聴いたり、妥協点を
探すのが下手である。果たして、この秋の会議で改革の方向性を打ち出せるもの
だろうか? 疑問符がつく。ともかく、オランド政権の手腕が試される。そこで、
今回はフランスの教育問題をすこし紹介したい。


●フランスの教育制度の特徴

 まず、フランスの教育制度を見てみよう。中核になる義務教育は6歳から16
歳までの11年間で、日本より長い(疑問:日本ではなぜ義務教育は、昔ながら
に、9年間なのだろうか?)。小学校(5年間)と7年の中等教育からなる。

 中等教育は最初の4年間はコレージュで行われ、ここで生徒の進路選択が行わ
れるが、大多数はリセ(高校)に進む。リセは一般的なリセと職業教育を行うリ
セテクニークに分けられるが、多くは一般リセに進学する。リセの終わりには中
等教育終了を証明するとともに大学入学資格でもある有名なバカロレアがある。

 バカロレアは、昔は科学系、文科系など種類が限られていたが、近年テクニカ
ル・バカロレアや職業バカロレアが創設され、実に多様なバカロレアとなってい
る(音楽のバカロレアもある)。一時代前には、バカロレア資格を持つことはエ
リート層に属することを示したが、今では若い世代の6割以上がバカロレア資格
を持つようになり、単に大学などの高等教育への入学資格に過ぎなくなっている。

 とはいえ、バッカロレア資格でも、その点数と種類が難関校の選考の際に重要
となる。評価が高いのは伝統的な科学系(数学の比重が高い)で、文系でもバカ
ロレアの点数が高ければ、それなりの評価がなされる。高等教育は国立大学とグ
ランゼコールと呼ばれる専門大学に分かれる。大学は3年間の普通課程と2年以
上のマスター課程からなる。大学はほとんどすべて国立大学で、わずかにカソリ
ック系の大学が私立として、いくつかあるのみである。

 その昔、フランスにおいては、パリ大学(ソルボンヌ)など数えるほどの大学
しかなかったものが、1960年代の大学改革以降、猛烈に大学の数を増やした
ため、現在では全国に80以上の大学が存在する。昔のパリ大学は、今では13
の大学に別れ、味気のない番号による呼び名の大学となっている。

 フランスの大学が日本と大きく異なるのは、入学時に選抜がないことと授業料
がないことにある(例外的に、実費として4、5万円は徴収する)。教育は権利
であるという前提から、バカロレア取得者は、無試験で大学に入学申請を行う権
利を持つ。もっとも、医学部などいくつかの学部は、実際に選抜を行っているが、
多くの学部は選抜ができない。

 そこで、学部の1、2年目に多くの学生を振り落としているのが現実である。
授業料の徴収のできないフランスの大学は、国の予算のみが頼りである。そのた
め、パリの大学などの施設は実に貧弱そのものである。地方都市は地価が安いの
で、パリよりはかなりスペースがあるものの安普請の建物が多い。なお、大学の
銘柄に格差はなく、パリ第1大学も地方大学も同価値である。

 グランゼコール(専門大学)はフランス独特の、主に優秀なエンジニアーの養
成校である。有名なポリテクニックやポンゼショセ(土木工芸専門大学)、EN
S(高等師範学校)などはフランス革命期から存在している。近年では、エンジ
ニアー養成の大学に加えて、商業系(ビジネス)の専門大学として、HEC、 
ESSEC(パリ商工会議所所管)やパリ政治経済学院(Sciences Po.)なども
グランゼコールの仲間入りをしている。

 エリート校の頂点に立つのは、技術系ではポリテクニックである。後者は、数
理系に特化した専門校で、技術系の大企業、たとえば、国有鉄道、銀行、エール
フランス、EADS(元エアーバス社)のトップがこの学校の出身者である。カ
ルロス・ゴーン氏(ルノー・日産)もポリテクニック出身である。

 しかし、エリート校の象徴はなんと言ってもENAである。ENAは戦後に高
級官僚の養成のために創設された行政専門学院で、大学あるいは有名専門校を出
た後、受験する。毎年、100人前後しか合格が許されない狭き門である。コー
スは2年間でしかなく、そのうち半分以上がインターン(外国大使館、県庁など)
である。

 ENA出身者はフランスの政治・経済の中枢部を独占している感がある。EN
A出身の政治家には、現大統領オランド氏ほか、シラク、ジスカール・デスタン
元大統領、そして実に歴代7人の首相が含まれる。現内閣では4人がENA出身
者でもある。どのほか、大企業、銀行のトップもENA出身者が多い。

 これらのグランゼコールの共通の特徴は入学時に厳しい選抜があることにある。
エリート校に入るためには、有名なリセに入り、猛烈な受験勉強をする必要があ
る(日本のような塾は少ない)。超有名校(ポリテクニック、高等師範学校)の
出身リセを見ると、ルイ・ル・グラン、アンリⅣなどの名門リセの名が目立つ。
いくつかのエリート校は、入学とともに生活費が支給される。その一方、経営系
の専門大学は日本並みの授業料を徴収している。

 以上が、フランスの教育制度の概略だが、日本やアメリカの教育制度と比較す
るとフランスの教育制度にはいくつかの特徴がある。まず、目に付くのは、教育
分野における国の果たす役割の大きさとその中央集権的な仕組みである。基本的
に、日本やアメリカのように、地方自治体への権限の分散は行われていないので、
教育省および高等教育・研究省は幼稚園、小学校から大学まで、そのほとんどの
予算、カリキュラム、学位認定、教員人事一般(採用、給与決定、配置、任免)
などの権限を有している。

 このように、中央集権化が進んだ理由は、やはり歴史との絡みが大きい。義務
教育を最初に法定化した1881-82年のフェリ(Jules Ferry)法は共和制
の柱として、教育を位置づけ、政教分離(laicite´)と教育機会の平等を掲げ
て、教育を市民の権利とした。政教分離とは、教育の場における宗教(カソリッ
ク)の影響を排除することを意味した。すべての国民に教育機会の平等を担保す
るために、国が直接、教育内容や制度を管理することとなった。

 2つ目の特徴は、中央集権主義とも密接に関連するが、父兄のアソシエーショ
ンや教員組合が全国組織で、強力な影響力を有していることにある。もっとも、
これらのアソシエーションや組合は一枚岩ではなく、さまざまな傾向に分かれて
いる。

 昔、FENとしてひとつにまとまっていった教員組合は、今では7つ8つの組
合に分裂している。地域や職種(幼稚園の保母さんから大学教員まで)により組
合の地盤が異なる。FSUが初等・中等教育では圧倒的に強いが、大学になると
UNSAが強い。分裂しているとはいえ、教員の雇用削減などの提案がなされれ
ば、スト騒ぎは避けられない。

 第3の特徴として、教員の任務は学校内の仕事に限定されている。たとえば、
コレージュが夕方の4時に授業が終われば、すぐに学校は閉まり、放課後に学校
でクラブ活動はできない(スポーツや音楽の活動は地域で行う)。そのため、教
員の労働時間は短いのが当たり前で、休暇期間も際立って長い。

 その反面、フランスの教員、とくに初等・中等教育を受け持つ教員の給与は低
くなっている。教員の初任給は高校レベルで年間200万円強程度で、これに勤
続年数に応じた昇給がある。25年あるいは30年勤続で年間450万円程度の
水準と見られる。この給与水準はサルコジの時代(2007-2012年)にほ
とんど上がらず、しかも教員ポストが削減(退職した教員の補充は限定的にしか
行われなかった)されたため、教員の士気は低かった。

 以上が資料から読み込めるフランスの教育制度の現状だが、もう少し個人的な
印象を含めて、現在話題となっている2つの教育問題に絞り、議論の展開を紹介
したい。


●年および週の授業時間配分の問題

 日本におけるゆとり教育の議論と同じように、フランスでも授業時間や学力問
題が表面化している。フランスの場合は、週および年の授業時間配分が大きな問
題となっている。背景を説明すると、まずフランスの学校の休みは、国際的に見
て、非常に長い。多くの先進国が年に180-200日くらい授業日があるのに
対し、フランスの小学校が開いているのは144日でしかない。

 まず、6月末に学期が終わると2ヶ月を超える夏休みがある。学期が始まると、
11月初めに10日ほどの休みがあり、暮れにはクリスマス休暇がある。2月か
ら3月に掛けて10日の春休みがあり、その後、復活祭の休暇となる。その上、
フランスの学校は昔から水曜日を休みとする伝統がある(起源は宗教教育の時間
を確保するためだが、現在は子供の休養のため)。

 ところが、2008年には、それまであった半日の土曜日を休日とした。土曜
日を休みにしたのは父兄からの強い希望と教員の利害が一致したためと言われる。

 しかし、最近、これに対し、医師会が、中等教育の1日の授業時間が長くなり
過ぎ、子供たちの健康に悪影響があるという勧告を政府に正式に突きつけた。国
が定めた授業時間は、コレージュ(中学)の段階で、週あたり25-28時間、
リセ(高校)の段階で30-40時間なので、1日7-10時間の詰め込み教育
の状態となっている。

 しかも、OECDのPISA学力調査などから、フランスの生徒の学力は先進
国の平均より低いという結果が出ている。日本のゆとり教育と同様、元に戻す動
きが始まっている。

 さて、総論では多くの人が学校の時間配分の改善を必要と認めるが、いざ改革
案となると賛否の意見が交錯する。まず、土曜日あるいは水曜日を授業に当てる
場合は、教員の処遇問題が出てくる。ユーロ危機で財政削減を強化している今日、
教員の給与・手当を改善できる見込みはない。また、水曜日を半ドンにするのは、
働く母親にとって休日以上に負担になる(学校の出迎え、その後誰が子供の面倒
をみる?)。

 しかし、土曜日に半日授業を行うことに関しては、父兄のアソシエーションも
教員組合もまったく乗り気ではない(折角の休日である土曜日に、親は早起きし
て子供たちを学校まで送り迎えしなければならない)。

 年単位の休暇の短縮も同じように複雑な構図である。観光大国であるフランス
では、地方の観光産業(海・山の宿泊施設など)に配慮して、休暇の時期を学区
ごとにずらす工夫をしている。春・夏の休暇は家族ごとに取るのが一般的なので、
学校休暇の短縮は地方経済に悪い影響を与えかねない。

 このように考えて行くと、どうも総論で賛成を得ることができたとしても、実
際の政策である各論になると、相当の反対があることが予想される。どうも教育
問題は誰もが関係者になってしまうので、思い切った改革が難しい。この点は、
日本に似ている。


●教育機会の平等:建前と現実

 教育機会の平等は、フランスの教育の大原則だが、実に根深い問題である。表
面的には、フランスの教育制度は国が管理し、全国で同一カリキュラムが組まれ、
教員は国家公務員である。ところが、学校のある地域あるいは学校名により教育
の質には限りなく格差が存在するのが実態である。

 パリ、リヨン、マルセイユなどの郊外の学校では生徒の4人に1人はイミグレ
(移民労働者の子供)で、家庭ではフランス語が使われないという。そのような
学校では教育のレベルは当然低いのみならず、授業そのものがまともにできない
ことも起きる。パリ北郊外のサン・ドニ県はイミグレ人口が集まっているので有
名だが、その一部の学校では校内の安全を守ることすら難しい場合もあると言わ
れる。

 学校間の格差が生まれるパターンは良く知られている。大都市の中で、裕福な
地域の学校ほど成績が良く、ひとたび貧困層およびイミグレ人口がその地域で一
定の割合になると、中流の家庭も良い教育を求めて、その地域を離れる。家庭環
境の悪い子供が多くなれば、質の良い教師はそのような学校に来なくなる。結果
として、毎年、全国で約10%の子供は学校制度から落ちこぼれてしまう。

 日本にもある同じような現象があるかもしれないが、程度がまったく異なる。
サンドニ県の街を歩くと、アフリカやアラブの町に踏み入れた錯覚に陥る。普通
のフランス人がほとんどいなくなってしまい、アラブ系の商店などが軒を並べる。
国や自治体がこれらの地域の学校に補習クラスを設けてはいるものの、これらの
学校が他の地域と同じレベルの教育することはどう考えても無理である。

 その一方、フランスは伝統的に大変な階層社会でもある。そして、この階層を
形成している主要な要素は教育水準である。一握りのエリート校出身者がフラン
スの政治・経済の中枢をほぼ独占し、それに、医者や弁護士といった専門職が上
層部の階層を形成している。その後、大学出身者、専門技術者と序列がほぼ決ま
っている。

 学歴が低いあるいは無い階層が工場労働者やサービス産業に集まり、低所得層
となる。底辺のところは、建設現場や清掃の仕事で、移民労働者が圧倒的に多い。
日本に比べると、階層間の所得水準の格差は大きく、階層ごとに居住地域、生活
スタイルが異なることになる。妙な例だが、階層間でフランス語の響きがあまり
にも違うのにいつも驚く。

 フランス人は原則論を振り構える習性があるが、内実は理想からまったくかけ
離れていることが多い。ひとつだけ興味深い事例を紹介しよう。サルコジ前大統
領は、ENA改革として、卒業時の席次により役所を選ぶシステムを変更しよう
とした。成績の上位出身者は、ほとんどが財務検査官か会計検査院を選ぶ。その
後、内務省、外務省、厚生省、労働省などとなる。そこで、サルコジ大統領はク
レームを付け、卒業時の成績で、一生のキャリアーが決定されるのは合理的でな
いとするものだった。

 ところが、このわずかな提案も結局つぶされてしまった。その理由は、席次に
よる選択がなくなれば、各省間で採用競争が起こるというものだった。サルコジ
氏の提案に反対したのは、身内のUMPにもいたし、野党であった社会党にもい
た。

 このように、フランスの教育議論は、教育機会の平等という総論には誰も異を
唱えないが、具体策となると改革の方向性すらまとめることが難しい。社会党政
権になったとしても、この現状が変わることはないだろう。
                       (7月15日:パリ郊外)
 (フランス・パリ在住・早稲田大学名誉教授)

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