プーチン政権のロシア          石郷岡 建

―ロシアはなぜ権威主義に向かうのか?―

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 <はじめに>


 20世紀の終わりの鐘が鳴り響いた1999年12月31日、クレムリンから突
如の緊急発表が行われ、エリツィン大統領が辞任し、プーチン氏(当時は首相)
が次期大統領に指名された。以来、ロシア国家の指導者として君臨したプーチン
氏は来年、二期8年間の大統領任期の終了とともに、政権の座を降りる予定だ。
少なくとも、プーチン氏は、来年以降、大統領職を務めることはないと宣言して
いる。約8年にわたるプーチン政権を総括してみると、ソ連崩壊と体制移行に伴
う混乱期を脱し、ロシア国家の再建の基礎を作ったという評価がロシア社会では
強い。その一方、欧米を中心とする西側諸国からは自由、人権。民主主義などの
西側価値観を実現しておらず、逆に、非民主主義的な手法に基づく権威主義体制
(もしくは独裁体制)を構築しているとの批判が高まるばかりだ。この価値観の
違いは究極の対立関係に入るのではないかとの意見も出始めている。ロシア国家
は本当に再建したのか、また、ロシア国家の将来は欧米世界とは違う道を歩むの
か、双方の対立の時代は来るのか。プーチン政権の終わり、次期政権の登場を前
に、ロシアの現状を総括してみたい。


 <無名のプーチン氏の登場>


 プーチン氏がエリツィン大統領の後継者として登場してきた99年の夏、世界
は「プーチンとは一体何者か?(PUTIN WHO?)」の声がこだましたものだっ
た。それまではロシア政界ではまったく活躍が目立たず、いわば無名の人物で、
しかも、元国家保安委員会(KGB)出身ということで、エリツィン大統領が自
らの財産・権益を守るために引っ張り出した「ファミリー」(エリツィン一家)
の一員で、大統領の「院政」を続けると評した専門家は多かった。しかし、8年
経った現在、プーチン氏の評価はプラスであれ、マイナスであれ、大きく変わっ
ている。エリツィン一家の護衛役で、エリツィンの財産や権限を守るためという
論評はまったく的外れになったといっていい。プーチン氏が大統領の地位に着く
と同時、そのスタイルはエリツィン氏とは異なり、穏やかで、目立たないもので
はあったが、着実に権力の基盤を固め、しかも、エリツィン路線とはまったく違
った道を歩んできたといえる。

 では、プーチン氏とエリツィン氏、さらにはゴルバチョフ氏の3人の違いはな
んだったろうか?
性格的な違いや行動・身振り・表現などの差は別にして、世界観の違いを分析し
てみると、プーチン氏はソ連崩壊後に生まれた新しいロシア人像だったといえ
る。それはソ連ではなく、ロシアという国家を基本に、ロシアという国家の利害
を考え、実行した初めての指導者だったといえる。ゴルバチョフ、エリツィンの
両氏はソ連型社会主義体制の終わりを認識していながらも、それを完全に脱却し
たとはいえなかった。さらに、ソ連という国家が果たして誤りであったのかどう
か、それについても、二人ははっきりとした回答が出せなかったといえる。これ
に対し、プーチン大統領は「ソ連の崩壊は世紀の悲劇だった」といいながらも、
そのソ連が復活したり、蘇るということはもはや考えていなかった。もっと、ク
ールで、国際関係には冷徹な見方をする現実主義者だった。プーチン氏の目標は
ロシア国家の再生であり、ソ連の再生ということは一度も口にしたことがない。

 旧KGB時代、ドイツに滞在しながら、ソ連崩壊という現実に直面し、ソ連国
家のだめさ加減を目撃したプーチン氏としては、ソ連という国家に幻滅を感じて
も、淡い期待や希望などは持っていなかったといえる。それよりも、国家とは何
か、国家とはどのようにして成り立っているのか。国家の構成は何かという問題
をソ連崩壊で徹底的に突きつけられた可能性が強い。
                                         


<プーチン氏登場の背景>


 さて、エリツィン大統領から21世紀の始まりとともに、受け継がれたロシア
という社会もしくは国家は、どういう状況にあったろうか。経済はハチャメチャ
な状況にあり、国民総生産はソ連時代の半分以下に落ち込み、ソ連という枠組み
を失って、制度的にも地域的にも経済的にも、分断され、糸の切れた風船のよう
に風に流されていたのが実態だったろう。現実には、ソ連全体で、工場や農場、
さらには政府所組織が止まり、人々は右往左往し、各地で利害の衝突や対立が激
化し、それは民族紛争や戦争へと発展していった。人々は自分が誰なのか、アイ
デンティティの喪失に悩み、国家への不信は最高潮に達していた。一言で言え
ば、国家の体をなしてなかったのである。

 権力の座に着いたプーチンのスローガンは「国家の再生」であり、「大国ロシ
アの復活」であった。これはKGBという国家組織に働き、第二次大戦中の対独
パルチザン闘争の英雄だった父親を持つプーチン氏としては当然のことだったか
もしれない。そもそも、プーチン氏がKGBに入った理由も国家を守るというこ
とであり、なによりも国家の再建を優先するという主張であり、国家の再建が実
現しなければ、人々の生活は守れない。この考えによれば、自由、人権、民主主
義も国家という枠が存在するからであって、国家が存在しなければ、それらの価
値観は意味がないとの主張になる。無政府状態や破綻国家、さらには内戦状態で
は自由、人権、民主主義の確保はできないとの主張にもつながっていく。プーチ
ン氏ら国家の価値観を優先する人たちのことをロシア語では「ガスダールストベ
ンニク」(国家主義者)というが、まさに、この国家主義者の世界観がプーチン
大統領の登場とともにロシア社会の主旋律になっていく。そして、社会の混乱、
経済の疲弊、生活の困難、家庭の崩壊の危機に曝されていたロシアの人々は、こ
の国家主義の考え方に大きく賛同していくことになる。プーチン大統領の行動や
政策がどうあれ、高い支持率を獲得した背景には、この国家主義的な考え方が
人々の心に響いたということがある。プーチン大統領はチェチェン戦争を利用し
て支持率獲得したとか、ずるい手段を使ったとかいう批判は多いが、それではな
ぜ、あれほどに多くの人々がプーチン氏を積極的に支持するのか、解答にはなら
ない。ロシアの人々はそれほど馬鹿ではない。


<国家再生という目標>


 プーチン氏が大統領の座について、何を思ったのか。ロシア国家の再生という
目標は間違いないとしても、再生とは何かという問いがあったに違いない。そし
て。再生への手段やその目標にたどる道は何なのかという設問につながる。そし
て、それはロシア国家の将来像を、どう描くのかということにつながる。
すでに説明したように、プーチン氏の頭にあったのは、ソ連型社会もしくは国
家の再建ではない。東ドイツでスパイ活動をしていた際、垣間見た西ドイツ、
西側社会の繁栄がプーチン氏の人生に大きく立ちはだかっていたことは想像に
難くない。ソ連崩壊後、プーチン氏は出身地のサンクトペテルブルグに戻り、
当時改革派市長といわれたサプチャク氏の下で働き、対外経済問題担当の副市
長にもなっている。その間、プーチン氏が行った仕事は西側企業との協力であ
り、投資誘致である。KGB出身者というイメージとは異なる国際ビジネスに
も長けた優秀官僚の姿だ。

 プーチン氏はロシア国家の再生は軍事強化ではなく、経済の立て直しにあると
考えた可能性が強い。しかも、その経済立て直しは西側経済、もしくは世界経済
への統合の中で実現されると考えた可能性が強い。社会主義的な中央主権指令型
経済ではなく、市場経済導入による世界経済の枠内で交流し、活動できるロシア
経済の育成である。もちろん、国家の利害をつぶさないという条件は付く。つま
り、国家利害を優先しながらも、市場経済を導入し、世界経済への統合を図ると
いう世界観であり、国家路線でもあった。国家主義者でありながら、市場経済導
入の経済改革者という双方の顔を持つ二重人格的な複雑な行動をとる人というこ
とになる。
                                         


 <ゴルバチョフ、エリツィン 、プーチンの3人の大統領>


 ゴルバチョフ、エリツィン、プーチンのソ連崩壊前後に出てきた3人の人物の
世界観、特に米国に対する態度を見てみると、少しずつ違っており、それが国家
路線に大きく影響している。ゴルバチョフ・ソ連大統領はソ連の改革を口にしな
がら、米ソ二大国による均衡・対峙の世界という「2極世界」の夢を最後まで追
っていた。エリツィン・ロシア大統領時代になると、その「2極世界」は壊れ、
ロシアの地位が崩れたことは知りながらも、心の中では、それを認められず、崩
れる地位を何とか威信に駆けて守ろうとした。つまり、ゴルバチョフ、エリツィ
ン時代は米国との対等もしくは対等的な関係を求め続けていた。そして、それは
米国なしにもソ連もしくはロシアはやっていけるはずだという願いや希望が存在
していた。プーチン大統領になると、これらの幻想はなくなる。クールにロシア
の地位と姿をみる。結論は、米露2極対決・対峙の世界は存在しない。あるのは
米国の力が突出した超大国・米国が支配するもしくリードするあるいは覇権国と
なっている一極世界である。米国の政治、経済、軍事は世界をリードしており、
席巻している。グローバリゼーションという名の下に、米国的価値観は世界に広
がり、その勢いを止めることはできない。ロシアが世界経済への統合を求めるの
ならば、この米国一極世界のルールに従わざるを得ないという認識である。


 <米国同時多発テロ事件>


 プーチン大統領のこの考えがストレートに現れたのは、2001年9月11日
の米国同時多発テロ事件である。プーチン大統領はこの日、緊急閣議を開くとと
もに、世界に先駆けて「われわれはあなた方とともにある」というメッサージ
を、ブッシュ大統領に送り、全面的な支援を約束する。
ブッシュ政権の「テロとの戦争」を支持し、特にアフガン軍事作戦では情報・兵
站の両面で大きな支援を行った。米軍の中央アジアへの進出が始まり、各地に米
軍基地さえ構築された。米国にとっては歴史的な中央アジア進出であり、米国の
パワーのユーラシア中央部への進出、さらには世界的な、もしくはグローバルな
米国のパワーの展開となった。
 米国はアフガン軍事作戦を遂行するにあたって、当初、イラン、パキスタンの
南からの進攻を考えていた。しかし、両国のイスラム勢力の反対により、実現が
難しくなっていた。そこへ手を差し伸べたのがプーチンのロシアであり、結局、
ロシアの後押しで、北からの軍事行動の展開が可能となり、それがタリバン政権
の崩壊、アルカイダ掃滅作戦の成功へとつながった。ブッシュ政権にとっては、
ロシアの支援は極力な助っ人になったに違いなかった。さらに、ブレジネフ政権
下のアフガン侵攻を例に引くまでもなく、ロシアは歴史的にもアフガニスタンに
大きく関与をしており、アフガン国内情勢には非常に詳しい。有力な治安情報を
米国に流したことも想像に難くない。ちなみに、ロシア国内には、今でも、旧ア
フガン社会主義政権関係者を中心に、数十万のアフガン人が居住する。

 米軍の中央アジア進出を巡っては、当時国防相だったイワノフ現第一副首相
(次期大統領候補のひとり)が「NATO(北太平洋条約機構)の軍隊が旧ソ連
の領域に展開されることはありえない」と米軍受け入れ拒否の発言を行ったが、
その翌日、プーチン大統領は国防相の発言を否定し、あっさりと米軍の進出を認
めた。それまでのロシア(ソ連)の世界観、戦略観から抜け出した画期的な決定
だった、と私は思っている。それは宿敵の関係だった米国との協力・提携を模索
し、新たな世界へとロシアが入っていくとの決意でもあった。その裏には、冷戦
後、ロシアの地位は完全に超大国から降り、世界は米国の一極支配になったとい
う冷厳な事実を認めるかどうかの問いがあった。いわば「ロシアの再生のために
は、米国についていくしかない」との覚めた認識を認めるかどうかであり、ゴル
バチョフやエリツィン大統領では無理ではなかったかと思う。
 もうひとつ指摘するならば、ソ連時代を通じて、ロシア社会に大きくのしかか
っていた軍事優先の思想も、この時、初めて否定された。仮想敵国・米国が同盟
関係にあるとしたら、膨大な数の戦略ミサイルや核爆弾は何のために必要かとい
う考えにもつながる。

ロシア国家を支える大きな柱のひとつに軍事力が存在することは疑いようもな
い事実だが、その軍事力も経済的裏づけがなければ「張子の虎」になるという
クールな現実主義的価値観があったといえる。
 そして、ロシアの経済的発展による国家の再生には、米国との協力・連携が
不可欠であるという戦略的な考え方が大きく登場してきたといえる。
 勿論、ブッシュ政権の「テロのとの戦い」という名の下に、繰り広げられるイ
スラム原理主義、もしくはイスラム強硬派との戦いは、ロシア社会の国家目標と
も一致しており、共通の利害もしくは価値観があった。チェチェン戦争を隠すた
めに、プーチン政権は「テロとの戦争」に参加したと説明されるケースがよく見
られるが、プーチン政権は、もっと積極的に「テロとの戦争」、そしてブッシュ
政権の軍事作戦の支援に回った。国家主義者のプーチン氏はチェチェン武装組織
を国家の土台を揺るがす「テロリスト」と考え、チェチェン武装勢力の伸張を許
せば、イスラム原理主義の波はユーラシア南部一体に広がると本気に考えていた
可能性が強い。その意味では、ブッシュ大統領に送った「われわれはあなた方と
ともにある」というメッセージは嘘ではなく、誇張でもなかった。ある意味で
は、ブッシュ大統領の国家・世界観と似た部分があり、その琴線に触れる交流が
いまだに二人の大統領の親密さを支える大きな原動力になっているともいえる。


 <イラク戦争>


 さて、プーチン大統領とブッシュ大統領の緊密な関係、ロシアと米国の蜜月時
代はその後続いただろうか? 実は蜜月期間は2年と続かなかった。きっかけは
イラク戦争である。ブッシュ政権はアフガニスタン軍事作戦に成功し、タリバン
政権を崩壊させ、イスラム原理主義組織「アルカイダ」に壊滅的な打撃を与えた
が、そのリーダーとされるオサマ・ビンラディン師を初めとする指導者を捕らえ
ることができなかった。振り上げた拳は、行き所を失っていた状態にあった。そ
こで動き出したのがイラク侵攻作戦である。イラク戦争については、さまざまな
要因があり、そのすべてをここに書くことはできない。しかし、イラク戦争はア
フガニスタンの軍事作戦とは違った要因が数多く含まれていることは指摘した
い。それはまず、(1)単独行動主義(2)先制攻撃(3)体制変換(転覆)――という三つ
の軍事ドクトリンによる新しい新世界秩序の構築であり、当時大きな力をふるっ
ていたネオコン(新保守主義者)と呼ばれる理念的グループによる理想世界の構
築という高邁な考え方の突出である。もはや、イスラム原理主義だけが問題なの
ではなく、世界の超大国となった米国は全世界の安定、秩序のすべての責任を負
う義務があるという考え方でもある。イラク戦争は石油権益の確保が目的だった
と主張する考え方もあるが、私は米国の社会は、実利のみならず、観念的理想を
掲げて動くことが多く、イラク戦争の場合も、観念的理想に裏づけされた世界観
の展開が大きな要因になったと考えている。

 ちなみに、プーチン大統領は、この米国の考え方に必ずしも反対ではない。米
国が超大国の地位にあり、米国の支援なくしては新世界秩序の構築はできない、
もしくは世界の安定や秩序がとれないとするならば、米国の超大国としての責任
や覇権を認めるにはやぶさかではないとの立場である。プーチン大統領はイラク
戦争に反対したが、「イラク戦争で米国が敗北するのも困る」との発言を繰り返
していた。その裏には超大国の米国が崩れた場合の世界の不安定や混乱はもっと
恐ろしいと考えていたといえる。米国が新世界秩序の構築に乗り出すのであれ
ば、きちんと仕事をし、責任ある立場をとって欲しいというのが本音である。

 しかし、ロシア社会から見ると、ブッシュ大統領のイラク戦争は正気の沙汰に
は思えなかった。きちんとした仕事をしているようには見えなかったのである。
米国は9・11同時テロ事件の感情的な興奮状態の中で、サダム・フセイン大統
領を悪玉にしつらえて、むやみやたらに戦争へと入っていたという印象が強いの
である。そして、米国は中東アラブ社会に無知であり、世界の指導者として、果
たして資格を持っているのだろうかという根本的な疑念が噴き出したのである。

 イラクはイスラム帝国の繁栄を築いたアッバース朝の首都であり、数百年間
にイスラム世界の中心にあった。その歴史や伝統は根が深く、ちょっとやそっ
とでは崩れない。そんなイラク世界に踏み込んでいくということが、どのよう
な意味があるのか、本当に理解していたのか? 10万程度の軍隊で、アッ
バース朝の伝統を引き継ぐイラクの伝統社会を治めることができると本当に考
えていたのか? 考えれば考えるほど、米国はイラクへの理解が欠如してお
り、それは中東イスラムへの理解の欠如であり、世界への根本的な理解の欠如
である。


 <反旗を翻したプーチン>


 プーチン大統領はイラク戦争開始とともに、9・11テロ事件とはまったく別
の声明を出す。「この軍事行動はどのような理由であれ、正当化できない。<略
> イラクに対する軍事行動は政治的な誤りである。国際法に変わり鉄拳だけが
物を言う世界がやってくるというのならば、そして、その世界は強いものが常に
すべての権利を有し、自らの目標達成のためには行動が制限されることがない、
というのならば、国際法の基本的原則のひとつの国家主権は揺るがしえない、と
いう原則が大きな問題に立たされる。となると、世界のどの国も自らの安全を感
じることができなくなるだろう。本日起きた火種は今後広がり、世界の他の地域
に否定的な結果をもたらすだろう」。
 今読み返しても、プーチン大統領の声明はそれほど間違ってはいない。戦争の
始まった日に出された声明は4年たった今、ますます現実味を帯びている。付け
加えるならば、イラク戦争をきっかけに、米国に不信感を抱いたのは、ロシアだ
けではなく、欧州、中東、アジアなど各地域に広がったというべきであろう。

 イラク戦争に積極的に反対の立場を打ち出したのはフランス、ドイツ、ロシア
の三国で、露仏独の「3国反戦同盟」といわれた。日本の専門家の中には、この
三国同盟を「反米敗戦同盟」と揶揄しながら、米国の軍事力を過大評価し、イラ
ク戦争に賛成するものもいた。確かに、米軍はバクダッドに破竹の進撃を行い、
軍事力だけをみれば、米軍は大勝利したのかもしれない。しかし、その後の経過
を見れば、戦争は戦闘だけに終わるのではないことがよく分かる。数千年の歴
史と伝統を持つイラクの社会の中で、今、米軍は足を取られ、もがき苦しんで
いる。
中東やイスラム世界と数百年にわたって付き合ってきた仏独露の国々から見れ
ば、間違った戦争の当然の帰結がやってきたという感想であったにちがいない。
「だからいったじゃぁないか」という感想でもある。
 もうひとつ、付け加えれば、イラク戦争に反対したのは、このほか中国とイン
ドがあり、この仏独露中印の五カ国を並べると、米国のイラク戦争に反対したユ
ーラシア大陸の横軸国家の姿が見えてくる。つまり、米英豪韓日などのイラク戦
争を支援した海洋国家群と反対した大陸国家群との対立の構図である。もし、こ
のまま、米国がイラクで徹底的な敗北に陥れば、世界はこの対立構図を中心に群
雄割拠の時代に入る。つまり、大陸欧州や中印露などが主張し始めた「多極化世
界」への移行である。


 <一極支配世界の崩壊>


 実は、米国の大敗北を予告する論文がすでにロシアからは出ている。昨年末、
ロシアの米国カナダ研究所のロゴフ所長は、イラク戦争を通しての国際情勢を分
析し、「米国の一極支配世界は崩壊した」との長文論文を発表した。論文によれ
ば、イラク戦争はなお少なくとも3-4年続き、結局、米国は大敗北し、そし
て、(1)米国は “イラク症候群” とも呼ばれるべき後遺症に悩まされ、グロー
バルな経済分野での世界的指導力を失う(2)世界は多極化構造へと戻り、新集団安
保体制ができないならば、混乱したものとなる。そして、中国とインドの役割が
増大する(3)イラク戦争後、中東地域に連鎖反応が起き、NATO軍はアフガニス
タンから撤退する可能性が強い(4)米国は超大国の地位を失いながらも、引き続き
政治・経済大国の地位を保つ。米国は多極的な動きの中でのバランサーの役を演
じる(5)ロシアにとっては近隣諸国の安定が必要不可欠で、多角的安全保障メカニ
ズムの構築、国連の役割強化、大量破壊兵器の拡散防止および軍縮問題への新し
いアプローチが必要である――と分析した。
 
今年2月10日、プーチン大統領はドイツのミュンヘンで開かれた第43回安
全保障会議に出席し、「米国による一極世界支配が失敗した」との演説を行っ
た。大統領は、冷戦時代は世界がイデオロギー的にも経済的にも分裂し、世界の
安全保障は米ソ二大国の巨大な戦略的潜在力に支えられていたが、冷戦崩壊後、
訪れると考えられていた米国の一極世界は結局、来なかったと主張した。そし
て、「一極世界は現代世界では受け入れがたいし、不可能である。一極世界モデ
ルは機能しないし、現代世界の道徳的・倫理的基盤にもなりえない。<中略> 
抑制されることのない異常肥大した力、軍事力の行使が行われており、政治解決
は不可能になっている。国際法の基本的原則は無視され、何よりも米国を中心と
するひとつの国家の規範が国境を越え、政治、経済、人道のあらゆる分野で、他
の国家に押し付けられている。一体、誰がこれに満足していると思うか」との表
現で、厳しい米国批判を展開し、米国による一極世界支配を否定したのである。
プーチン大統領の演説はロゴフ論文の内容と恐ろしく似ている。そして、米国に
は付いていけないという気持ちがあふれ出ている。
 
 また、「中国とインドの購買力平均に基づく国内総生産が米国をすでに凌駕し
ており、BRICSと呼ばれる中国、インド、ロシア、ブラジル4カ国の国内総
生産は欧州同盟を上回り、その差は今後開くばかりだ。これら新しい世界の経済
は政治力にも及び、世界の秩序や国際社会のバランスを変化させ、多極化構造を
推進する」と主張した。一極世界観の台頭とともに世界を席巻した米国風の市場
経済やグローバリゼーションの否定と多極的な世界経済の可能性を主張してい
る。
 私は、この論文の冒頭で、プーチン大統領は9・11米国同時テロ事件の際
に、米国との協調・連携路線を打ち出し、米国の一極世界観に賛同したと書い
た。しかし、ミュンヘン演説では、その考え方から180度立場を変え、一極世
界観からの別離宣言をしたのである。そして、一極世界から多極化世界へと、世
界の流れは変わっていると主張したのである。


 <別の道を探すロシア>


 つまり、エリツィン大統領から権力を委譲された当時、ロシアの地位が落ち、
もはやロシアの時代ではなく、超大国・米国の時代が来ると冷徹に考えていたよ
うだが、イラク戦争をきっかけに、「このような戦争を行う国に世界の支配を委
ねるわけにはいかない」と、今度は米国を突き放して考え始めたのである。「冷
戦後、訪れると考えられていた米国の一極世界は、やはり成立しなかった」とあ
るなかで、「訪れると考えていた」のはプーチン大統領自身だったと読むと、大
統領の演説は分かり易い。このミュンヘン演説は日本ではほとんど紹介されず、
話題に上ることもなかったが、欧州を初め、世界各地で大きな反響を呼んだ。画
期的かつ歴史的な演説だったといってもよい。
 
 ただし、プーチン大統領は米国の世界に代わり、ロシアの世界がやってくると
主張したわけではない。ロシアは米国の代わりに、世界の秩序や安定を維持する
ほどの力はない。それでも米国の力は絶大である。軍事力も強大である。しか
し、イラク戦争が見せ付けたのは、そんな強大な国でさえ、世界の秩序や安定を
保つのは至難の業であり、一歩間違えれば混乱の世の中がやってくるという苦い
現実である。大陸国家は、日本のような海洋国家とは違って、自由に動くことが
できない。いやな国家とも我慢して付き合っていくしかないという歴史的認識が
ある。さらに紛争が起きれば、大陸中に戦火が拡大する可能性があるという恐怖
感を常に持つ。それが過剰な安全保障の思想を生み出す背景にもなっている。ロ
ゴフ所長が主張するように、米国がイラク戦争で大敗北を喫する可能性があると
すれば、また、その後中東世界を中心に混乱が広がっていく可能性があるとする
ならば、ロシアはそのための用意をせねばならない。いくら超大国・米国だとし
ても、うかうかと、その後を附いて行くわけにはいかないのである。できれば、
米国自身がその混乱の可能性を認識し、超大国としての責任を取って欲しいと
いうのがロシアの本音である。
 
経済問題で言えば、世界を支配するのは米国のドルであり、米国のドルが世界
の基軸通貨であるという現実はなかなか崩れない。もしくは、崩れたとすると、
世界は混乱の極致に陥る。現在、石油の高騰から膨大なドルが流れ込んでいるロ
シアにとって、基軸通貨ドルの崩壊は計り知れない被害をもたらす。プーチン大
統領は世界の経済は米国中心から米国以外の中印露の新興3国を加えた新しい世
界が成長しつつあると主張しているが、この新興国の通貨が基軸通貨になるとま
では言っていない。米国経済、米ドルへの極度の依存は危険であると国内に向け
ては警告を発し、国外に向けた新しい多極化世界に向けたルールや新秩序を作っ
ていくべきだと主張しているだけである。そして、そのもっとも望ましい形は米
国が主導する国際協調である。
 しかし、歴史の流れが変わりつつある節目に、関係国が責任を持って話し合い
をし、問題解決にあたるとは限らない、ひとつ間違えれば大戦や大きな悲劇が待
ち構えている。悲劇が襲ってきた場合、その被害がもっとも大きく、傷つくの
は、歴史的に見れば、常にロシアであった。ロシアは最悪な場合を考えて行動せ
ざるをえないのである。


 <悪化する米露関係>


 今年になって、もしくは今年2月のミュヘン会議以降、米露の関係は非常にギ
クシャクしている。問題はミサイル防衛やロシアの自由・民主主義というような
皮相的な問題ではない。問題の中身はもっと深く、深刻なのである。一極世界は
果たして成立しなかったのか。多極化世界はやってくるのか。やってくるとした
ら、それはどのような秩序なのか、移行期に混乱はないのか。さまざまな問いが
裏に隠されている。
 7月の初めに、米国の東海岸で、プーチン大統領とブッシュ大統領の首脳会談
が行われた。日本を含めた欧米のマスコミは「ミサイル防衛で合意をせず」との
見出しを立てたが、ロシアのマスコミは「戦略的対話の始まり」と書いた。どち
らが正しいか。プーチン大統領の立場に立てば、ミサイル防衛は瑣末なことであ
り、21世紀の世界秩序を米国はどう考えているのですか? との設問をし始め
た最初の首脳会談となるのである。付け加えれば、ブッシュ政権は対立している
といわれるロシアのプーチン大統領を、なぜあれほど歓迎し、破格の扱いをした
のか。ミサイル防衛だけで考えると回答が出てこない。プーチン大統領の言い分
にはもっともな部分もあり、一極世界が崩れるとなると、ロシアの力を借りるこ
とにもなるかもしれない。多極化世界がやってきても、さらに世界のリードを維
持するためには、ロシアへのそれなりの対応が必要だとの米国の深謀遠慮が隠さ
れていた、と考えればわかりやすい。ロシアはそれを百も承知で、文句をいって
いるのである。
 


 <権威主義の台頭>


 最後に、ロシアの経済と権威主義について、再び触れておきたい。プーチン政
権の中で米国中心の一極世界観が揺らぎ、米国にすべてを委ねるのではなく、自
らも守らなければならないという多極的世界観が登場し始めた時期は、世界的な
石油の高騰の時代の始まりとほぼ一致している。ロシア経済の再生の時期とも一
致している。現在、ロシアの外貨準備高は約4000億ドル、中国、日本につい
で世界第3位である。経済成長は平均6%が続いており、人々の生活は毎年確実
に良くなっている。2003年にはロシアはソ連時代の借金の支払いができなく
なり、債務危機が訪れると警告した専門家の予想が嘘のような世界の出現であ
る。それどころか、ソ連時代の債務はすべて繰り上げ返済してしまった。ロシア
が強気な発言や米国への文句がいえるようになった背景には、ロシア経済の立ち
直りがあり、それなくしては、何もいえなかったのが現実だろう。

 その一方で果たして、現在のロシアの経済の再生は欧米のおかげなのだろうか
との疑問が膨れ上がっている。ソ連崩壊後、国際通貨基金(IMF)や欧米の専
門家の助言を受けて行った市場経済の導入というのは、結局ロシアに混乱を招い
ただけではないか。何よりも、アングロ・サクソン(英米)流の市場経済は
(市場原理主義といってもいいかもしれない)、人々の幸福や安定をもたらす
のだろうか。ロシア社会にふさわしいものだろうか。

そもそも市場経済は万能の特効薬なのだろうか。富の拡大は考えてもいても、
公平な分配や人間らしい生活の維持を考えていないのではないか。ロシア社会
の中では、英米流の市場経済への不満が鬱積し、否定的側面を指摘する人が増
えている。圧倒的な数になってきたといってもいいのかもしれない。
 
ソ連崩壊後、台頭した親欧米の改革派やリベラル派は、いまや、ロシア社会で
はまったく人気がない。市場経済とともにもてはやされた「民主派」という言葉
もいまや嘲笑の対象でしかない。ソ連崩壊直後に現われた米国社会・文化への憧
憬というのは、いまや消えつつあるのが現実である。米国が自由、人権、民主主
義と叫んでも、まったく同調しない雰囲気が社会全体を覆っている。プーチン大
統領が独裁を敷くから民主主義が否定されたのではなく、人々が欧米の主張する
「自由、人権、民主主義」という言葉に胡散臭さを感じ、「ロシアにはロシアの
自由、人権、民主主義があり、ロシアにはロシアの生き方がある」と考えるよう
になったから、プーチン大統領の独裁的手法が許容されるのである。
 そして、何よりもロシアの国家の再建の方が大事であり、脆弱なロシア国家に
とっては、個人の価値観よりも国家の価値観を優先すべき問題だと考える人が増
えている。強国、大国となった暁には個人の価値観を考えてもいいが、今は時期
尚早と考えている人が圧倒的に多い。この圧倒的に多い部分がプーチン大統領へ
の高い支持率へと跳ね返り、国家再生をさけぶプーチン大統領の国家主義を支え
る土台となっている。


 <一極支配世界が崩れた後に―――>


 もし、米国の一極世界支配がうまくいっていれば、このようなことは起きなか
ったかもしれない。少なくとも、プーチン政権初期には一極世界を前提とした試
行錯誤があったようにみえる。英米風の市場経済がロシアに根付いた可能性もあ
ったかもしれない。しかし、現在は、英米風市場経済を否定する雰囲気が強い。
それは、ロシアは米国とは違うという世界観にもつながっている。そして、その
考え方によれば、米国の一極世界は受け入れられないとなる。
 現実の問題として、市場経済がうまくいかなかったから一極世界が否定された
のか、それとも、一極世界そのものがうまくいかなから市場経済への疑問が持ち
上がったのか、難しいところだ。さらに、今後世界はひとつの市場経済に収斂さ
れていくのか、それともさまざまな市場経済が共存する世界ということが成り立
つのか、議論は尽きない。ただ、現状では、ロシアは一極世界も英米風市場経済
も不信な目で眺めており、この不信感はなかなか解消されないような状態にあ
る。
 ロシアは一極世界の崩壊を目指しているわけではないが、多極化世界、またそ
の移行期の混乱を予期しながら、その準備・用意を始めている。国内的には国家
建て直しのためのナショナリズムの色彩が濃い権威主義体制で、ロシアの独自な
道を探している。そして、国外的にはロシアの独自な立場の主張と超大国・米国
との軋轢になって現れている。  
 
 果たして、世界がどう変わるのか。予想するのは難しい。しかし、プーチン大
統領が主張するように、米国はイラク戦争で決定的な誤りを犯した可能性が強
い。米国の権威は崩れ始めている。大国としての権威が崩れ始めると、世界的な
秩序は揺らぎ始めるかもしれない。少なくとも、米国の一極世界観はロシアだけ
でなく、世界各地で不信の目で見られている。結果として、自らを守る単独主義
的な行動が世界各地に噴出している。それは国家主義の勃興といってもいいかも
しれないし、ナショナリズムの繁栄といってもいいのかもしれない。
 そして、今後、米国をしのぐ世界を仕切るような勢力が出てくるのか、それと
も世界的な国際協調の時代に入るのか、または米国が再び大国としての輝きを取
り戻すのか。ロシアは長い視線でしきりに考えている。戦略的な考えをめぐらす
ことに慣れていない日本が、このようなロシアの考え方についていくのは無理か
もしれない。しかし、ロシアが主張していることや、考えていることを、突飛
なこととは考えない方がいい。ロシアは悪者で、世界の鼻つまみ者だと考えて
いると、思わぬところで判断を誤る。その観点から、2014年の冬季オリ
ンピック開催地が、どうしてロシアのソチに選ばれたのかを考え直してみると、
また、別のロシアの姿と世界が見えてくるはずである。
           (筆者は日本大学教授・元毎日新聞特別編集委員)  

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