ボストンテロ容疑者兄弟が繋ぐチェチェンと米国の闇

宗教・民族から見た同時代世界      荒木 重雄

ボストンテロ容疑者兄弟が繋ぐチェチェンと米国の闇

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 国際社会を震撼させたボストン・マラソン爆破テロの容疑者とされるツァルナ
エフ兄弟については、その出自、犯行の動機ともいまだ不明な点が多い。

 だが、兄弟は、1990年代の前半に戦火のチェチェンを一家で脱出、中央アジア
を転々とした後、2002年に米国に渡ったとみられること、しかし米国社会で味わ
う疎外感から故郷チェチェンへの思い入れを深め、さらに、昨年、兄がロシアを
訪れた際、チェチェンにも立ち寄ったことがその思いを一層強めたとみられるこ
とから、「チェチェン人」としてのアイデンティティーがこの事件に大きくかか
わっていると推察される。

 ではそのチェチェンとはどのような土地なのであろうか。

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◆ 400年余、ロシアに抗して
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 ロシア連邦内の一共和国チェチェンは、黒海とカスピ海を繋ぐ北カフカスの一
角を占める地域である。この地に住む人々とロシアとの対立は根深い。

 16世紀半ばのイヴァン雷帝による侵攻以来、チェチェンを含む北カフカスの人
々はロシアの南下に抵抗してきた。とりわけ18世紀末からついにロシア帝国に併
合される1859年までの戦いは激しく、この間にチェチェン人の半数が殺されたと
いわれる。

 1917年のロシア革命後、ソ連ははじめ民族自治を掲げるが、スターリンが政権
を握ると弾圧策に転じ、第二次大戦末期の44年には、対独協力の懼れありとして
チェチェン民族全員を中央アジアのカザフスタンに強制移住させた。移動中や移
住地の劣悪な環境のために当時の人口の40%ないし60%が死亡したといわれる。
57年に故郷への帰還を許されるが、そこにはすでロシア人が多数入植していた。

 91年、ソ連の解体に際してチェチェンは、ドゥダエフ初代大統領のもと独立を
宣言する。これは合法的な手続きを踏んでのことだったが、94年、ロシアのエリ
ツィン大統領は、分離独立阻止のためロシア軍を侵攻させる。96年に一旦、停戦
が実現するが、99年、プーチン首相(現大統領)が制圧作戦を再開する。
 とりわけプーチン指揮の侵攻は徹底的な無差別壊滅作戦で、90年代初頭のチェ
チェン人推定人口100万人の内、05年までに20万人が死亡した。

 2000年、独立派を破ったプーチンはチェチェンに傀儡のカドイロフ政権を立て、
その軍・警察による間接支配に移ったが、ゲリラ狩りと称して拉致され、拷問や
裁判なしの処刑、遺体投棄によって行方不明となっている市民が、00年から05年
までで1万8千人に及んでいるという。

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◆ イスラムがチェチェン人の誇り
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 チェチェンにイスラムが入ったのは16世紀だが、その普及は18世紀のロシアへ
の抵抗のなかで急速に進んだ。チェチェンが受け入れたイスラムは、イスラム神
秘主義ともよばれ、地元古来の宗教観とも融合しやすいスーフィズムだった。

 スーフィーは、イスラムが一般に忌避する舞踊や音楽を積極的に取り入れ、旋
回して舞う恍惚感のなかで神との一体感を求める。チェチェンの人々の旋舞はと
りわけ熱狂的で、円陣をつくった男たちが手拍子を打ち大地を踏み鳴らし、激し
い動きで舞いつつ神を称える。この儀礼はまた、仲間同士の連帯感を高揚させず
にはおかない。

 かつて王侯貴族や奴隷のような階級をつくったことはなく、長老のもとで村ご
との自治を行ってきたチェチェン人の性格を特徴づけるのは、平等意識と自由の
気風、連帯意識と愛郷心であるという。自己犠牲や尚武の気風も加えられる。ロ
シアの作家ソルジェニーツィンはその著『収容所群島』の中で、収容所において
も服従を拒否し敵意を隠そうとさえせず、昂然と胸を張るチェチェン人に賛嘆の
声を発している。そうした気風に、スーフィズムはとりわけ高い親和性と相乗作
用をもつ。

 このような誇り高い民のこと、現在のチェチェンは、プーチン政権の後ろ盾を
得たカドイロフ(息子)政権による官製イスラム化と経済発展を受け入れながら、
一方、読者の記憶にも残っていよう02年のモスクワの劇場占拠、04年の北オセチ
アでの学校占拠などをはじめ、11年のモスクワの空港爆破事件にいたるまで、
「過激派によるテロ」に変形した抵抗が続いている。

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◆ 兄弟二人きりの「ジハード」
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 こうしたチェチェン人の歴史や情念が兄弟の心を衝き動かしたことはわかる。
だが兄弟はなぜ米国で犯行に及んだのか。

 ボクシングに熱中し、五輪選手になって米国市民権を得る夢を描きながら果た
せず、「米国に友人が一人もいない。彼らを理解できない」と嘆き、二年前から
急速にイスラムに傾斜したといわれる26歳の兄。兄よりは米国に馴染み、市民権
を獲得して大学にも進みながらも兄と行動を共にした19歳の弟。

 新聞報道によれば、二人が仕掛けた凶器は圧力鍋を細工した素人っぽい手作り
の爆発物で、犯行後の行動も、コンビニ強盗やカージャックなどドジばかり。揚
げ句、警察との銃撃戦で兄は死亡、弟は重傷を負って民家のボートに潜んでいた
ところを逮捕される。弟は、死刑が廃止されている地元マサチューセッツ州の法
律ではなく、死刑が見込まれる連邦法の大量破壊兵器を用いた殺人の罪で起訴さ
れた。

 無差別に市民を殺傷するテロに免罪符はない。だが、一抹の悲哀感が漂う事件
ではあった。

 欧米に住むイスラムの若者が孤立や生活苦から過激思想に傾き犯行に及ぶ「ホ
ームグロウン・テロ」の危険性は以前から指摘されてきたものだが、この事件の
解明もひとつのてがかりに、彼らを被差別意識や疎外感に追い込むことのない社
会を構築することは、先進国社会のセキュリティーのみならず良心にもかかわる
緊急の課題であろう。

 (筆者は元桜美林大学教授・社会環境学会会長)
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