■マスコミはこれでよいのか(座談会) オルタ編集部

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   出席者 石郷岡 建(日本大学教授・元毎日新聞特別編集委員)
       羽原 清雅(帝京大学教授・元朝日新聞政治部長)
       中野 紀邦(元フジTV政治部記者)
       木下 真志(高知短大助教授)
   編集部 工藤 邦彦 加藤 宣幸
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◇工藤(司会進行) 「オルタ」では昨年、年末に一年を振り返る座談会をやりま
した。その時は「世相回顧」ということで私たちに身近な、いわゆる社会面的な
動きをテーマにして話し合ったんですが、今年は焦点をマスコミ状況にしぼって、
一年間を振り返ってみたいと思います。特に今年は韓国・中国での激しい反日デ
モや、小泉総理の靖国参拝問題、郵政民営化をめぐる騒動、総選挙での自民党の
大勝などがあり、いろいろな面で報道のあり方が問われました。またライブドア
や楽天といったネット関連企業による放送局の買収・経営統合問題や、朝日新聞
の報道に端を発した日本新聞協会会長の辞任、NHKをめぐる問題など、マスコミ
それ自体の存在に関わる問題も大きくクローズアップされました。そういう中で
特に注目したいのは、最近の報道メディアが本来の役割を果たしていないのでは
ないか、無力化しつつあるのではないかということです。もしそうだとすれば、
なぜそういう状況になっているのか。――そんなところを中心に話を進めていき
たいと思います。本日は、かつてジャーナリズムの現場におられた方々を主とし
てお集まりいただいたわけですが、それぞれの方に、まず2005年のマスコミ状況
を振り返っての総括的な感想から述べていただきたいと思います。

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今年のマスコミ報道で感じたこと
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◆羽原 ぼくは元朝日新聞にいたものですから、最初にやっぱり朝日の問題から
話しておきたいと思います。その一つは長野総局の若い記者による記事捏造問題
(注:自民党の亀井静香氏と田中康夫長野県知事の会合についての虚偽報道事件)
ですが、これはジャーナリストの志というような点で非常に大きな問題だった。
もう一つは日本新聞協会の箱崎会長(朝日新聞社前社長)が辞めた問題。これは
今の捏造問題の責任をとって辞めたというよりも、新聞メディアの中で生きてき
た側からすると、やっぱり武富士問題(注:編集タイアップ企画に関連した、武
富士から週刊朝日への5000万円の資金提供問題)であろうと思います。報道とい
う立場にあるところが、何か不明確な名目で取材対象からお金をもらったという
ことは、外から見ると営業活動程度かもしれないけれど、新聞社の中から見ると
由々しき問題です。またその始末としても非常に不充分である。ほかにもあるけ
れど、まずこの二つの問題が、ぼくの巣立ったところの問題としてだけでなく、
ジャーナリズムの本質的なところが弱まってきているんじゃないかという意味で、
非常に大きなことであったと思っています。

◆中野 私はこの一年というより、ここ数年の感じですが、今の日本人はその任
にある者がその任を認識していない。平たく言えば、社会の中で自分がどういう
職業についているのか、何をしているのかということが判らなくなっているんじ
ゃないか。しかも、それがわからなくなっているということ自体も認識してない
んじゃないか、という感じがしている。たとえば一級建築士は自分の役割がわか
っていないし、バスの運転手は酒を飲んで事故を起す。今日のマスコミの場合で
もまったく同じだと思います。この間の総選挙なんかでも、郵政民営化法案につ
いて両院の結果が違うわけですから、本来なら両院協議会があってからの話だと
思うけれども、いきなり解散でしょう。憲法上もそういうことがきちんとされて
いるのに、報道の現場でそれをきちんと勉強していない。だから自分が何をされ
たかわかっていない。そこで小泉首相にバーッとやられたら、もうそれに一緒に
乗ってやっているだけの話です。これをマスコミといえるのかどうか。

◆石郷岡 私はずっと国際関係をやってきましたから、国内のことは詳しく知ら
ないので話しにくいんですけど、まず感ずることは、いま人々は新聞を読んでい
ない。本も読んでいない。テレビのニュースも見ていない。だから世の中で情報
が非常にたやすく手に入るようになっているように見えるけれども、一般の人は
意外と情報を知らない。大学なんかで講義をしていると、たとえば靖国問題にし
ても拉致問題にしても、基本的なデータを学生は全然知らない。だから議論以前
の問題みたいなところがある。それは何故かというのが非常に大きな問題だと思
います。もう一つは今年の選挙に表れているように、日本の社会に大きな変化が
起きている。じつは日本だけじゃなく世界全体が大きな曲がり角に来ている。国
際報道的にいえば、ソ連崩壊後に続いた不透明な時期が、ようやくどこかに曲が
らなくちゃならないというふうなところにどこの国にもきている。ところが翻っ
てマスメディアはそういう意識をもって書いているかというと、書いていない。
情報を伝えていない。それに対して人々の間の不満が非常に募っていて、それが
マスコミへの不信感に変わっていく。その不信感が一番ストレートに出たのが、
ライブドアの堀江社長の「今の新聞やテレビは要らない」っていう言い方によく
表れていて、それに喝采する人がかなりいた。そういうマスコミ不信論というの
は、ある意味では自分の顔に唾するようなものだと思うけれども、事実としてそ
ういう状況がある。

◆木下 ぼくはマスコミ関係者じゃないので、一読者として発言します。で、今
年に限ったことじゃありませんけれども、最近のマスコミに欠如していると思う
のは、まず、権力との距離のおき方ですね。これがうまくいってないんじゃない
かという印象を持っています。批判精神のない記事というのは記事なのか? 事
実を伝える――これはまず当たり前の話です。しかしそのうえで権力に対して批
判的な目で見なければ、何のための報道かという気持ちが私にはあります。それ
ともう一つ感じるのは、特にテレビメディアに関してですが、ニュースのドラマ
化というのか、政治家の芸能人化というのか、そういう現象がはっきりしてきて
いる。ニュースが視聴率競争に汚染されて、伝えるべきことが伝わっていないよ
うな印象を受ける。ニュース番組ぐらいは視聴率を度外視して、もう少しまじめ
に作ってほしいということです。

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拉致と反日デモについて
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◇工藤 それぞれの方から、いきなり今日のメディアに関わる本質的な問題が出
されました。一言で言うと、マス・ジャーナリズムの大もとのところで何か病ん
でいるんじゃないか、ということだと思います。では、そういう問題が今年の一
連のマスコミ報道の中で、具体的にどういうふうに出てきているのか。あまりい
くつも触れることは時間的に出来ませんので、今年の一番大きな出来事として、
先ほど中野さんが触れられた選挙報道の問題、それからその前段として、春にあ
った韓中の反日デモの報道に焦点をしぼって、少しお話を聞きたいと思います。
私なども、あの反日デモのときの報道には相当違和感がありましたが、国際問題
の報道のあり方として、どうお考えになりますか。

◆石郷岡 当時ぼくは毎日新聞の論説にいたんですけども、まず言えるのは、
テレビに出たデモの映像が圧倒的な力を持ったということ。良い悪いは別に
して、事実として石を投げているシーンが出てきたときに、世論がどう反応
しているか。その反応している世論に活字メディアはどう応えなければいけ
ないか。そういうことにわれわれ新聞メディアは追われた。これは拉致問題
でもそうだったんですが、あの日朝首脳会談のときに、われわれは編集部の
中で「これは歴史的会談だ」という位置づけをしていたんです。だけどその
編集の最中に「十何人死亡」というような情報が出た。もうそれだけで、そ
ういう位置づけがすっ飛んでしまうような効果があったんです。ああいうめ
ぐみさんの写真が出て、しかも世論があのように動いている時には、やっぱ
り活字メディアの動きには限界があると感じました。反日デモにしても、
やっぱりあのような映像との戦いだったという気がしますね。

◆羽原 日朝首脳会談のときは、ぼくも同じような感じでした。ただ、その後の
北朝鮮との外交交渉について言いますと、核の問題、日朝復交への問題と、拉致
問題という平行すべき三つの問題のうち、拉致の問題だけが最優先になってしま
った。たしかにあのようなめぐみさんの写真が出るたびにアピール効果が高まる。
もちろん人道的にも問題である。だけどそれだけが先行して全般的な外交が進ま
ないというかたちは、長い目でみてよかったのかどうか。そのことで議論百出し
てよかったんだと思いますが、それがなかった。

◆中野 テレビの側から言うと、あのときは北朝鮮から拉致家族が戻ってきた。
その生の映像がテレビ局に延々と入ってくるわけです。そうするとディレクター
としては一番新しい映像でやりたいわけだから、どうしてもそっちに引っ張られ
てしまう。瞬時の判断を迫られますからね。新しい映像で子供たちが飛行場まで
来てそのへんを歩いている。そうすると、もう、喰いついちゃうんですね。そこ
のところでキャスターがバランスを持ってやろうとしても、こんどは視聴者の方
がそうとらないわけです。どうしても今の人たちは物事をイメージで見てしまう
から。今度の選挙でもそういう現象が出ましたけれども、考えるのが面倒くさい
んですね。「白か黒か」です。

◆石郷岡 拉致問題の場合には、新聞に書いてある量やテレビのニュースよりも、
朝の番組のような、報道であるかエンターテイメントかわからないようなところ
でやっているものが圧倒的に多いんです。そこで必ずめぐみさんの写真がバンと
出る。もしくはキム・ジョンイルがサングラスをかけて、怒って指をさしている
写真が何回も何回も出るわけですよ。だから新聞で難しいことを書いても、憂い
にとんだめぐみさんの写真が出てくると、もう「かわいそうですね」ということ
で全部が流れてしまう。

◇工藤 その拉致問題について、私は座談会の進行役を仰せつかっているので個
人的な意見はなるべく控えたいんですが、見る側からの感想をちょっと述べます
とね。はっきり言って、なんであんなに拉致、拉致って、拉致の問題ばかり報道
するのか、ということなんです。露出度から言っても、テレビにおける拉致と北
朝鮮の独裁体制についての報道量はものすごいですよ。単なる報道回数だけじゃ
なくて、時間的に言っても非常に長い時間を使っていて、ネタがなくなると北朝
鮮の特ダネを流すんじゃないかという印象さえ受ける。これは全体のバランスか
らしてもどうしてもおかしい。この問題にそれだけの時間をとるということは、
ほかに報じるべきものに対して時間を割いて報じていないということですから、
それ自体がすでに世界の伝え方についての比例配分を、明らかに政治的に選択を
していることになる。それを視聴者大衆あるいは読者が望むから、というだけじ
ゃ済まない気がするんです。
それともう一つは、あの8人とか10人とかいうその先に、まだ100人とか200
人とかの拉致被害者がいると言われています。しかし北朝鮮の言い方で言うと、
じゃあ、われわれの方の何十万はどうするんだという話がありますね。戦前の植
民地支配や強制連行その他の問題。別に北朝鮮の肩を持つわけではないですが、
この問題は、少なくとも報道がその日暮らしをするんじゃないかぎりは、当然あ
る比重をかけて同時に伝えるべきことではないかと思う。拉致の問題は日本と朝
鮮半島の近現代史の一つスパンのなかに位置づけられてある問題でもあるわけだけれども、そのへんの報道というのがほとんどない。これはテレビだけじゃなく
て朝日なんかの新聞でもそうです。たしかに視聴者や読者大衆が求めるという面
もあるだろうけれども、その求める事に対して、別の情報が与えられていない、
伝えられていない。ということはやっぱりマスメディア側の問題ではないかと思
うんですが、そのへんはどうでしょう。

◆木下 ぼくは同じことを、拉致の問題じゃなくて今年の反日デモに関連して言
いますと、わが国には韓国と中国が反発するのがわかっていて、しかも参拝に行
く首相がいるわけですよね。そのときにマスコミは何が問題なのかしっかり提示
しているのだろうか、という疑問を持っています。というのは、首相の靖国参拝
はA級戦犯が祀られているから問題だ、だからアジアから反発が起こるんだと言
われますが、じつはもう一つ靖国には大問題がある。首相や国会議員が靖国神社
に行くということは、信教の自由との関連で大問題なわけです。憲法違反の疑い
があるというふうにも言われている。となると問題は二つあって、A級戦犯が祀
られているから問題だというのと、首相のような影響力のある公務員が神道であ
る靖国神社にお参りするということの問題。神道というのは天皇制との関連で、
戦前どういうふうに使われて、どういう勢力に利用されたかということを、今の
30才以下くらいの人は知らないと思うんです。そういう問題点を、テレビでも新
聞でも提示して、わかるように解説してもらえないのかという印象を持っていま
す。

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社会の変化とナショナリズムへの傾斜
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◇工藤 選挙への関心とか、その他の問題についての街頭インタビューなんかを
見ていると、それに答えて一般人のしゃべっていることが、ほとんどマスコミが
報道していることの鸚鵡返しみたいな言い方していますよね。あれを見ると、テ
レビからのインプットの量と繰り返しといいますか、そういうものがいわゆる大
衆の意見をつくるという面が、やっぱりあると思う。いまの拉致や反日デモの問
題でも、そこで問われているのは、映像の迫力による報道だとか、娯楽的な報道
だとかいうだけの問題ではなくて、同時に内容の問題が問われている。それがど
こも同じことの繰り返しで、いま言ったような、中国、韓国、北朝鮮などが全部
言っている「過去の歴史認識」というような問題を、実質的にほとんど報道とし
ていない。そうなると、やはり偏った意見になっていくんじゃないか。

◆石郷岡 それは先ほどの話に帰るんだけれども、やっぱりそういうものを求め
る社会になっているんですよ。ソ連崩壊後10年ぐらいたって歴史の見直しが世界
各地で起きている。そういう中で日本の社会の中にも、なんとなく「あの歴史は
どうだったんだろうな」という雰囲気があって、しかも今のような閉塞状況、あ
る種の抑えられたような気分がある。しかもそのうえに、隣の中国や韓国が伸び
ているということで、ナショナリズムを掻きたてるような雰囲気が出来ているん
ですね。で、そういうのが全部そろってきたときに、ああいう拉致とか反日デモ
とかいう事件が起こったりすると、それに共鳴するように爆発してしまう。それ
が日本だけかというと、アメリカでも同じですよ。だけどアメリカの場合、その
あとマスコミの方がねばり強くそれを検証しているんですね。やっぱり民主主義
の成熟度合というか、日本とアメリカは違うなということを感じますよ。
それから、ぼくは新幹線に乗っていて、ときどき思うんですが、新幹線には字幕
のニュースありますね。ほとんど20字くらいでニュースが終わっちゃう。ああい
うのと同じで、もう詳しい分析とかそういうものは要らないと。だから小泉さん
の「なぜ悪いんですか!」の一言で終わっちゃう(笑い)。そういう時代になって
いて、それにまたマスコミが乗っかっているという…。

◆木下 ニュースのワンフレーズ化ですね。

◆石郷岡 それからいまのニュースの比率のことですが、ぼくはアフリカの特派
員をやっていて感じたんですけど、日本の新聞のニュース配分なんてめちゃくち
ゃなんですよ。アフリカで30人死んだって、5000人死んだって、30万人死んだ
って、ほとんど取り上げてくれない。そういう世界から見ると、新聞の記事を何
によって配分するかということに関しての基準とかスタンダードというのは非常
にあいまいなものになっていて、むしろほとんど無いに等しいと思うときがある。

◆羽原 それは難しい問題で、新聞の場合だとやはりスペースの問題がある。ウ
エイトの置き方がある。そのときの基準として、読者のニーズという観点とメデ
ィアとしての価値判断――この二つの面が問題になると思うんですね。つまり新
聞の言論性みたいなもの。その言論性の点から見て、いまは読者というか、むし
ろ活字にアプローチして来ない人たちのほうに、ものを考える素地がなくなって
いるのか、それともメディアのほうがへたってきているのか。ぼくはその言論の
受け手の側と提供する側の両方に相乗的なマイナス面があるように思う。そして
やっぱり読者の「見たい」という要求、つまり視聴率とか部数とかいう観点も無
視するわけにはいかない。いつの時代にもあるそのジレンマが、いまかなり凝集
して出てきているのではないか。

◇工藤 読者との関係があって、報道内容の比重配分が難しくなっているという
のはよくわかるけれど、そのつくる側の言論性やメッセージ性の面でも、反日デ
モのときの日中外相会談の見出しが「中国外相、謝罪せず」で朝、毎、読がまっ
たく揃うというように、なにかマスコミ全体が画一的になっているという印象を
受けるんですね。たしかにあのときに強烈なデモがあった。しかしそれについて
日経の一面で「日本人は怒こっている」というようなことを書いていたけれど、
それはもう、あのデモをテレビで見て怒こっている読者そのものであって、あの
デモの意味するものを、もう一度深く考えてみるというような内容ではない。ほ
とんど明治時代の「屈辱外交反対!」みたいな感じの記事と受け取りました。あ
の問題に対する日本のマスコミの分析というのは、中国の側の愛国教育の結果で
あるということと、彼等の内部矛盾を外に出しているんだという、この二つだけ
ですよ。それがテレビも新聞もみんな共通している。この二つが基本にあるから、
「おまえらは何で謝らないんだ」ということになっていく。もう少し伝え方があ
ったんじゃないかと思うんです。

◆加藤 いまのマスコミの雰囲気の根底に日本のナショナリズムを掻きたてよう
というようなものがあり、またその裏には対韓国や北朝鮮、対中国の蔑視があっ
て、それがまた日本のナショナリスティックな雰囲気を高めている。そういうと
きに、中国がああいうデモでミスをやったから、ソレッというんで、大げさに報
道する。また北朝鮮報道が多いのは、この間まで韓国に対してそういう蔑視感が
すごく強かったのが、いまはヨン様ブームなどで雰囲気が変わっちゃったものだ
から、その代わりに北朝鮮のああいう貧しさとか金正一の色眼鏡とかを繰り返し
報道することによって、その蔑視感を吐き出している。そういう背景があるから、
いまのようなバランスを欠いた報道になるんじゃないかな。

◆石郷岡 根底にそういうのがあるかもしれませんけれども、蔑視感だけじゃな
いと思いますよ。中国も韓国ももう明らかに蔑視する対象じゃなくなっている。
むしろそれに対する焦りみたいなものもあるだろうし、もう一つは北京のアジア
サッカーのときの事件のように、われわれが思っている中国はこれで大丈夫なん
だろうかという雰囲気はやっぱりあるわけです。そんなに単純じゃなくて、幾つ
かの要因がある。ただ、メディアがそのどれを採るかというときに、少ない時間
とか少ないスペースで、ばっさり切ったりしちゃうけれども、それなりには考え
ていると思いますよ。

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今年の選挙報道について
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◇工藤 では、このへんで今年一番メインになる報道として、選挙報道について
のご意見を伺いたい。はたしてあのような報道で良かったのかどうか。

◆中野 選挙報道のあり方ということで言えば、われわれがまだ現場にいた頃に
は、今よりずっときちんとしていましたね。たとえば4名の候補者が出たら、均
等に報じるということでその映像の尺まで測っていた。しかし今はまったくそん
なことは問題にしていない。しかもそれに対して文句もあまり来ないな。一応ア
リバイ作りみたいにテロップで候補者を並べてポンと出して、「これだけ出てます
よ」ってやっているんだけども、現実問題としてものすごくバランスを欠いている。
あんなこと許されなかったですよ。

◆石郷岡 それは価値観が変わったんですよ。一昔前はどんな候補者にも等分に
という原則があったけれど、それでいいのかという考えが数年ぐらい前から出て
きて、やっぱり一般の人々が焦点と思っていることをやるべきであるというよう
になった。これはマスコミの側の技術的な問題ですね。ところがもう一つには、
広く言うと日本社会に55年体制ぐらいまであった「平等」という価値観がものす
ごい勢いで崩れている。その反映がメディアだけでなくて、今回の選挙結果にも
あちこち現れている。そしてそれを一般の人たちも良しとしている状況がある。

◇工藤 テレビの選挙報道は確かに面白いところをやっているんだけども、あれ
だけ選挙区がある中で、毎回やっているのはせいぜい五つか六つの選挙区ですよね。あれでは選挙報道としても成り立たないような気がする。それともう一つは、
テレビに出てきて解説をする人たちがみんな同じようなメンバーですね。しかも
その選挙解説がみんなエンターテイメント化しっちゃっている。テリー伊藤とか
いうのがもう専門家のような顔で、あちこちで語る状況というのも、不思議とい
えば不思議だと思うんですね。

◆中野 昔から文句を言ってるんだけども、問題はテレビのレポーターですね。
芸能から政治から国際問題まで、何もかもやっている。でも結局、そういう人た
ちの方が感性があるのか、視聴者にうける。視聴者が入ってきやすい。政治学者
とか専門家はいるけども、たいした分析をしているわけじゃない。するとやっぱ
り視聴者が見てくれる彼ら彼女らの方に行っちゃうわけですよ。だから画面は娯
楽みたいのばっかりになっちゃう。

◆石郷岡 それは全員がネクタイはめて硬い話をしていたら、視聴率はガクンと
落ちますよ。マスコミの側からすると、とにかく見てもらわないと、あるいは読
んでもらわないと話にならないわけですから。その伊藤某がいることによって、
その時に目を留めてもらうということは、ある一つのステップになる。それとも
う一つ、一般紙などは非常に石橋を叩いたような、本音無しのところで書いてい
るわけですよ。「これが本音なんだろうな」ということをわれわれは自制している。
それをそういう人たちが言ってくれる。そういう本音を言えという感じが、読者
や見る側にあるんです。

◆羽原 たしかに書生論みたいなものが非常に出なくなって、なぜそうなったか、
どこに問題があるか、というような小うるさいものの考え方が、きわめて流行ら
ない。とりあえず事実があればよろしいという感じですね。今回の解散にしても、
誰かがクレームをつけていい問題だけれども、閣議で麻生太郎がちょっと言った
ぐらいで、それも5分ぐらいサシで話したら終わったというけども、昔はそんな
ものじゃなかった。仮に解散しても、そこに至るプロセスや議論がある。議論が
あれば、それをもとに新聞にしてもいろいろと書ける。だけど議論が出てこない
ときわめて書きづらい。それから刺客の問題にしても、テレビ先行の形になった
けれど、あれを出すのはいい。しかしああいう候補者擁立の舞台裏の取材がちゃ
んとやられていない。たとえば片山さつきに対していつからどういうふうに根回
しがあって、誰が根回ししたのか、あるいはもともと政界に出たいという志向が
あったのか。そういうもうちょっと深い取材があれば、一つの刺客の分析という
ことができたと思うけど、ただ表面的に「出た、出た、追いかけろ!」という感
じで止まっている。内側へ迫る、論議を追いかけるという部分が、状況とともに
メディアのほうも弱っているんじゃないか。それと小泉さんがしてやったなと思
うのは、中身は何も示されてなくても「改革」という言葉がうけた。つまりそれ
だけ世の中は改革待ちの状況だと思うわけですね。だけど郵政改革にしても、広
域化した市町村の中で郵便局がどうなっていくのか、年金生活者とか、移動手段
を持たないような農村の主婦はどうなるのか、といった中身についてのもう一段
掘り下げた観点はなかった。「改革」という言葉にとらわれて、その中身をメディ
アも十分に提供してない。

◆木下 いま羽原先生の言われたのに関連したことですが、『論座』(2005.11)に
東大の蒲島郁夫、谷口将紀さんたちの選挙分析があるんです。そこでの分析では、
有権者を1)構造改革に賛成なのか反対なのか、2)政治情報が豊富な人か情報が
限定されているか、という二本の軸に沿って、四つに区分しているんですね。で、
比例区の得票率では、「構造改革に反対していて、政治情報が少ない」という人が、
民主党よりも自民党のほうを非常に強く支持した(自民46%、民主26%)。(注:
同調査では「構造改革に賛成していて、情報が限定されている人」の中でも、自
民は04年の参議院選挙の29%から43%に上昇している)。これで見ても、小
泉さんの「郵便局を民営化するかどうか、国民のみなさんに聞いてみたかった」
と言う、あのフレーズがうまく効いて、実際に郵便局が民営化されたらどうなる
かというような詳しい具体的なことは、おそらく多くの人は分からないんだけれ
ども、なんとなく「改革するんだ」というイメージに乗せられて、自民党の方に
票が流れた。統計的にはそういうことが言えるらしい。

◆加藤 もう一つ特徴的な調査で、テレビを見る時間が長い人が自民党を支持す
る率が高かった、というのがありましたね。あれはさっきの活字と映像の問題に
関係していると思うけれども。

◆石郷岡 投票した人が民営化に関心があったかというと、ぼくはかなり疑問だ
と思いますね。構造改革に賛成か、反対かとなっていますけど、情報が限定さ
れている人は、民営化なんて全然、その投票行動に入っていないと思いますよ。
ある意味では小泉さんというパーソナリティに投票した。そしてそれはテレビの
時間に関わるわけです。もう一つ言えるのはナショナリズムですよ。勃興してい
る中国に一発かましてやれとか、韓国にかましてやれみたいな気分の人たちが、
小泉さんが「靖国に行って何で悪いんだ」「改革して何が悪い」と言うと、「そう
だ、そうだ」というようなことで投票した。で、そのマスコミ論に戻すと、じゃ
あマスコミが小泉さんの今回の大勝にどれほど寄与したかというと、あまり関係
ないんじゃないか、というのがぼくの考え方です。やはり勝つべくして勝ったと。
というのは、さっきの『論座』に載っている石田英敬さんの論文に、刺客につい
て「カリスマ料理家から女性国際政治学者、ホリエモンまで、今回の選挙の特徴
は『セレブ』の支配であって、象徴資本が『政治権力』と相同化する勝ち組の時
代の到来を告げている」(笑い)とか書いているんですけれども、ぼくは小泉さん
は意識的にこういう人を選んだと思いますよ。つまり平等ではなくて競争社会で
勝っていく。その勝っていくのに、今までの価値観ではなくて、非常に割り切っ
ている、特に女性を出してきて、バラ色の夢をばら撒いたから、多くの有権者が
「ひょっとしたら、自分もああなれるんじゃないか」ということで、昔のエスタ
ブリッシュメントではない、しかも勝ち組のその人たちを選んだ。それに対して
マスコミのほうは、特にイメージに強いテレビが敏感に反応した。活字のほうは
頭がちょっと固いから、それについて一歩遅れたという感じがしますけど。

◇工藤 たしかにそれを歓迎する世相というか雰囲気というか、ある種の時代の
アトモスフェアはある。 だけど問題は、じゃあマスコミは時代と共にあればいい
かということです。確かに小泉首相はそういう者たちを集めた。それに視聴者も
乗るんだけど、私はそれにマスコミ現場も乗っているんじゃないかと思うんです。
つまり、そういう視聴者がいるからそういう情報を配分する、というんじゃなく
て、自分たち自身が面白がって乗ってるんじゃないかと。

◆石郷岡 それの一番いい例はあの若い杉村大蔵さん。あれを取り上げれば一番
分かりやすいんだけど、明らかにあの人の言動一つ一つがやっぱり面白いんです
よ(笑い)。何か既成の概念を崩したようなことを言っている。それは政治問題で
はないかもしれないけれども、ある社会現象なんですね。それはニュースであっ
て、それに飛びつくのはマスコミの勘としては当然だと思いますよ。

◇工藤 だけど、それを今度は小池さんと合わせてタッグを組ませてテニスをや
らせましたね。誰が仕組んだか知らないけれど。それがいま言われた象徴資本う
んぬんの考えに合うやり方なんですよ。

◆石郷岡 その杉村大蔵さんのテニスマッチなんていうのを、いわゆる王道をい
くマスコミは取り上げませんね。スポーツ紙とか週刊誌とかお昼のワイドなんと
かがやっていて、生のニュースでは流れていない。だけどそっちの方をみんなが
知っていて、生のニュースで流れていることは何も知らないという状況がある。
新聞には大蔵さんのことも、女性議員がどういう勝負服を着ていたとかいうこと
もあまり載ってない。われわれの硬い活字メディアというものは、そういう映像
だとか文化については、これまで非常に感受性が無かった。そういうものをニュ
ースにするということを怠ってきたんです。ところが社会の方がどんどん進んで
いて、若い方たちはそういうのが出てこないニュースに対しては物足りないと感
じているわけですよ。ファッションというのはある意味では文化であって、シラ
ク大統領がどういうネクタイをはめたかというようなことから政治を分析するこ
ともできるわけです。猪口さんがブルーの服を着たのはどういうことか、本来は
われわれが書かなくちゃいけないことなんですよ。

◆羽原 クールビズなんていうのは、まさにそういう範疇のことだけども、一般
紙が今までの既成のジャンルに、いまだにしがみついている間に、世の中の感覚
や関心がどんどん広がっている。

◆中野 官邸ではスポーツ紙を一生懸命読んでいるという話があるね。

◆羽原 飯島秘書官は、まず週刊誌の記者が第一、それからスポーツ紙が第二で、
一般の政治記者は第三なんて言ってるらしいけど(笑い)。

◇工藤 今のスポーツ紙はほとんど政治報道もやりますよね。おまけに朝のニュ
ースワイド的な番組では、「今日の新聞から」というようなコーナーを設けて、そ
ういうスポーツ紙などの政治情報を紹介している。だから、テレビメディアに娯
楽化された報道が多いだけでなく、活字メディアの報道機能自体も、娯楽的なス
ポーツ紙が代行している面があるんじゃないかという気がする。

◆羽原 それはテレビに一番反応している活字メディアがそういうスポーツ紙だ
ということで、やっぱりテレビで話題になるものを活字化する、あるいはテレビ
をちょっと加工するぐらいのものが読まれるということでしょうね。テレビやス
ポーツ紙や週刊誌とリンクしにくい、あるいは住み分けする積もりでいる一般紙
が取り残されて、連係プレイを講じた他のメディアが膨らんでいくという状況で
はないか。

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放送と通信の融合について
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◇工藤 マスメディアの報道姿勢の問題から離れて、今年のメディアの世界に大
きな話題を投げかけたライブドアと楽天による放送局の買収、経営統合の問題に
移りたいと思います。これはIT関係のベンチャービジネスみたいな会社が、大マ
スコミを食ってしまうというような話ですが、それをみんなが面白がって見てい
て、どっちかというと仕掛ける方に賛成していた。これについてはどう思われま
すか。

◆石郷岡 ホリエモンの日本放送の買収騒ぎのときに、新聞各社がどういう社説
を出したかというと、もちろん産経新聞は反対ですが、読売も日経も反対した。
朝日もいかがなものかという対応だった。で、「そういう新しい試みもいいんじゃ
ないですか」と言ったのは毎日新聞だけなんです。それはホリエモンが良いかど
うかは別にして、やっぱりテレビや新聞というのはこれまでの旧秩序の中で非常
に温存されて、ある種の守旧派になっていた。それに対する反発が強いというこ
とを軽く考えていた。それが白日にさらされたということです。守旧派になって
いたから、ああいう新興勢力の買収騒ぎに弱かったわけですよ。だから来るべく
して来たということです。

◆加藤 ぼくはかつての銀行と同じように、護送船団で、電波法にあぐらをかい
ていたんじゃないかと思うね。テレビの娯楽番組で朝から晩までああいう馬鹿み
たいなことをやっていて、その経営者が「公共だ、公共だ」って言っても、われ
われからすれば違和感を感じましたね。

◆中野 放送局は放送法と電波法に守られていますね。まあ、守られているかし
ばられているかわかりませんけど…。この二法の真意というのはやっぱり公共性
ですよ。ところがここに今度は株式上場という問題が起こった。株式を上場すれ
ば、経営者も社員もみんな万々歳じゃないか、儲かるぞということで、ダダダダ
ダーとこの10年ぐらいの間にテレビ局が上場をしてきたんですが、じゃあ、そ
の公共性というものをしっかり考えていたかというと、放送局も今回登場したネ
ット企業の方もちゃんと考えているわけじゃない。ある公認会計士があの問題の
さなかにぼくに言ったことは、「難しく考えんでもいいよ。あれは金融業者だと
思ってかかったらいい」と。
ネットの情報というのは現実に不安定ですよ。テレビがいい加減だと言われてい
ても、まだネットの情報よりは信頼性がある。そのときにあのホリエモンが、い
ずれ勲一等、勲二等は間違いないというようなテレビ局の社長連中の中に入って
きた。そこであのTシャツを着た兄ちゃんがバンバンやると、みんなが「おー、
自分でもできるじゃないか」という雰囲気があった。だからあれがうけたんだと
思う。しかし、ぼくはライブドアも村上ファンドもみんな新手の総会屋だと思っ
ています。彼らがなぜテレビを狙ったかといったら、要するに世の中で初めて上
場を始めた会社だということです。まだ子供みたいなもので攻め易い。それから
もう一つは、テレビ局以外の会社を狙ったってこんな騒ぎにならない。騒ぐから
相乗効果を起こして株があがったり下がったりする。その点から見て一番いい獲
物がそこにあったということですよ。口ではメディアの統合とか、通信と放送の
融合とかいろいろ言ってますけど。

◆加藤 現実の問題として民間テレビはこれまで娯楽ばかりやってきた。だけど
今度は楽天にしてもライブドアにしても、彼らが本当にメディアを占領したら、
完全な「商品販売とテレビの融合」で、朝から晩まで実質的なショッピング番組
ばかり流されるんじゃないかというような感じもするけどね。

◆石郷岡 でもぼくはやっぱり時代が変わったと思うんですよ。これが10年前だ
ったらホリエモンと楽天は袋叩きにあっているはずです。しかし今回は違うとい
うのは、あきらかに時代が変わっていて、その金融業者みたいな人たちがマスコ
ミの株を買い占めてもいいんじゃないか、という雰囲気が出てきている。それは
やっぱりアングロサクソン流の競争主義というものを、日本の社会が全面的に受
けようという感じになっているからです。それを推進したのは小泉さんだと思う。

◆羽原 経営的に言えば、テレビ局の経営能力が弱い。じゃあ乗り込め、買い取
れと。これは経済の原理からいえば当然ありうる。そういう意味ではメディアは
非常に高い授業料払いながら、こういう競争社会でいい勉強させられている。た
だその買収対象がメディアであるというときの問題点は、さっきから石郷岡さん
が言っているホリエモン発言の中にある。『エコノミスト』(3月1日号)と毎
日新聞(3月5日付)のインタビューの中で、ホリエモンが言っているのはこう
いうことです。「新聞社など大組織やこれまでのブランドはもう通用しない。自分
は新聞なんて読んでいない、新聞社は時代おくれだ」。それからテレビについても
「日本テレビ、フジテレビのホームページは知名度が高いのに活用されていない」。
そして、「サンケイはエンタメつまり娯楽部門で強いところを伸ばせばいい」とか、
「既存メディアの皆さんが考えるジャーナリズムは、インターネットがない時代
には必要だったと思うが、いまは必要ない」。またネットでの正確性の追求につい
ては、「ネットだけではなくて、既存のメディアも正確性は確保できていないじゃ
ないか。要するにありのままの事実をそのまま伝えればいい。あとは読者が判断
すればいい」と、いうようなことを言っている。

 しかし、メディアというのは、いくら公共性を否定しても、やはりそれがつい
て回るんですね。立脚点が公共性にあるということでステータスを持っているし、
結果的にもそういう影響力を持つわけです。それを「事実を伝えればいい、読者
が判断すればいい」と言うと、メディアの重要な機能である論評性とか言論性と
いうものが否定される。だからもし仮にホリエモンがフジテレビの社長になった
時に、「事実だけでいい、エンタメ部門を伸ばせばいい」というようなことでメデ
ィアを経営するとしたら、非常にリスキーである。一方のフジテレビの村上社長
は、2月24日の会見で「自省を込めて言うが、面白おかしくやればいいというの
は違う。他所がやっているのを見ると、あまりにも狂騒曲的だ」というようなこ
とを言っている。そういうことをフジテレビの社長に言われたくないよ、と思う
けどね。ただそういうホリエモンが登場することによって、娯楽あるいはワイド
ショー的なテレビというものが、もうちょっと言論性に目覚めて、今までの狂想
曲的なやり方を改めるという課題を突きつけられたとすれば、それは一つのプラ
ス効果だとは思うが…。

◆木下 なぜ新聞じゃなくてテレビやラジオを狙ったんですかね?

◆石郷岡 それはホリエモンさんたちがやっている業界の用語でいうと、インタ
ーネットのコンテンツとテレビのコンテンツが非常に似ているからだと思います
よ。それに対して新聞とインターネットではコンテンツは違うから、彼らはこっ
ちには入ってこない。ホリエモンさんの立場からすると、今後はインターネット
でテレビを見るようになる、いまのテレビのかたちは完全に崩れていく、と確信
をもって思っているわけです。だから前もってコンテンツを獲得して、それを電
波に比べてこれからの時代のメディアであるところのインターネットの方で私が
使いましょうと。それと、村上ファンド的な株の売買で投資配分を引き出すとい
うのとは別の話だけど、ライブドアはその両方をやろうとした。それは楽天も同
じだと思いますね。

◆羽原 だいたい新聞は株を公開していませんからね。株を公開するから、それ
を買うということが起こる。

◇工藤 私はこの問題で言いたいことがあるんです。いま言われたように、テレ
ビ局が株を公開したということ。ライブドアや楽天や村上ファンドが介入してき
た条件は株ですよね。株で儲かるか儲からないかじゃなくて、そもそも株が公開
されていなければ、ああいう事態は起こらないわけですから。だから私は「公共
性がある」と言っている放送局がなぜ株を公開したのか、そこに問題があると思
っている。その場合に、「メディアの情報装備率」ということを問題にしたいん
です。たとえば、あらゆる放送局がみんなあんなに大きなビルを建てた。
それから世界に対する取材網ですね。何か問題があると世界中どこにも飛んでい
ってマイクを持って放送する。それに必要な機器だとか、ヘリコプターだとか、
そういう情報装備に対する投資です。情報装備率というのは、機械だけじゃなく
て人間もふくめた投資。人間なんかでも政治家に対するぶらさがりの記者の数、
カメラマンの数の多さ。なんでこんなに必要なのかと思うくらい群がっている。
マスコミの規模がでかくなりすぎて、過剰投資になりすぎてしまっている
のではないかと思うんです。だからそうしたものを賄うには当然、株を上場せざ
るをえない。そうすれば狙われるし、取引の対象になる。つまり、ああいう騒ぎ
になる必然性はそこにあったと思うわけです。

◆中野 放送局というのはものすごく特殊な免許事業ですよ。電波は国民の財産
で、国際的にちゃんと会議をやって分けて、それをまた各県単位で分けていって、
それを預かって商売をする。それが放送法と電波法でしばられている。その会社
を上場することによる狙いは何かといっても、私にはよくわからないけれども、
要はやっぱり金が集まるということでしょう。しかしそのことによって、現実に
は市場原理の中に入っちゃうわけです。そうなると、トップそのものに公共物を
預かって商売しているんだという感覚が欠けてきたのじゃないか。公共物を預か
る人間がまるで被害者みたいな顔をしてるけども、上場したらこんなドタバタが
起こるわけですから、それだけの覚悟をして、準備をしてやらなければいけない。
その想定がちゃんとできてなかったことが、やはり経営者として熟練度が足り
なかったと思いますね。

◆石郷岡 それはやはり金が来るからですよ。いま外国の取材網ということを言
ったけども、じつは日本のテレビ局はあんまり外国に取材網を持っていない。そ
のかわり外国へ行く娯楽報道番組みたいなのがいっぱいあって、何とか不思議ワ
ールドとかいうのをやるのに、何百万とかいう金を使うわけですね。しかしそれ
でも乗りますと言ってコマーシャルを出す企業がいる。そこは完全に市場主義の
原理が動いている。じゃあ、一般の報道の方はどうかと言うと、まったくこれは
別の話だと思います。だけどそのお金の入ってくる非報道部門はどんどん巨大化
していって、そこで「公共性」とか言われると、なんだ!という話になるわけで
す。

◆中野 メディアを見る場合には、ソフトとハードの両面見ておかなければいけ
ない。ハードは急激に発展していて、今後はパソコンが家電化するだろうし、ケー
タイはもっと多様化するだろう。容量も大きくなる。また伝送路がデジタルにな
って圧縮技術がどんどん上がるから、映像がもっと滑らかに動くようになってい
く。そうすると結局、ソフトの問題になるんだけど、現在はテレビは限定された
免許事業なので何社しかもらえない。広告料が入るから金も使える。テレビは悪
者扱いされているけども、ゴールデンタイムの番組なんかは、ある程度きちっと
している。だからある程度視聴率がとれる。一方ネットの場合はナローキャスト
です。今のネット企業がそのナローキャストでやろうとすると、ものすごいチャ
ンネル数を持たなければならいない。それだけのソフトをそろえることは不可能
なので、彼らがいま考えているのはテレビ番組の二次使用なんです。

◇工藤 私は今回のテレビと通信の問題については、もう一つ問題にしたいこと
があるんです。それは、春の騒ぎのときに、あのライブドアの堀江社長がさかん
に言っていたのは、インターネットは今のテレビマスコミとは違う「双方向性の
メディアである」ということだったんです。たんにインターネットでテレビが見
られるというような問題じゃなくて、メディアとしてのインターネットの質の新
しさということを彼は言っていた。つまり双方向メディアで、誰でも記者になれ
るとか、ある種のメディアの民主化みたいなことを言って自分を売り出していた
んだけれど、それじゃあその彼が何でトップダウンのメディアであるテレビを欲
しがるのか。そこのところが私はホリエモン騒動の一番のいかがわしさだと思っ
ているんです。

◆石郷岡 報道の部分とそれ以外のコンテンツの部分をくらべると、どう見ても
ホリエモンやその他の人にとって報道は付けたしですよね。コンテンツのほうが
欲しいというのは見えていて、でもそのかわりに、今の報道は必要ないという主
張として、「オピニオンリーダーなんか要らない」と言ったわけですよ。それが
それなりに非常に人々の心を引くことであったということに、われわれの大きな
問題があるんじゃないかという感じがしますけど。

◇工藤 でもこの問題を突き詰めていくと、じゃあインターネットにアクセスで
きる人がどれくらいいるのかという問題とも絡んできますね。どんなに利用者が
増えていて、それが双方向のメディアだと言っても、みんながパソコンやインタ
ーネットを使えるわけじゃないですから。

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NHKと朝日の問題をどう見るか
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◇工藤 今年のマスコミをめぐる問題として、民放テレビのことがいろいろ出さ
れましたが、もう一つ残っているのはNHKの問題ですね。不払い問題もあるけ
ど、それより朝日とNHKの問題ですね。それと最近の動きで注目しておきたい
のは、自民党の議員の間で「NHKの民営化を考える会」のようなものができた。

◆羽原 NHKを民営化するということは、スポンサーをとるということですよね。
そうすると結局、視聴率の問題になる。いわゆる6番目の民放として登場する可
能性が非常に大きい。しかし民放はみんな同じようにワイドショー化し、娯楽化
するという問題を宿命的に負っていて、そこに問題が発生してきた。それに対し
てNHKという存在は、個々の問題はいろいろあるとしても、財政基盤があれば
かなりレベルの高い番組を提供できる。あるいは、それなりに言論性のある報道
番組や教養番組に比重をおくことができる。そういうテレビの存在は非常に必要
だと思う。ただ、そのNHKの財政基盤を維持するために、裁判所を使って受信
料を集めることがいいかどうかは別ですが。

◆石郷岡 ぼくはNHKのように広告を入れない公共放送というのはあってもい
いと思います。でも、なぜ全員が受信料を払わなくてはいけないのか。しかも、
その全員が払う受信料の金額を政治の方に依存していることが問題なんです。視
聴者と個々に契約して金を取って、公共放送をするっていうなら話はわかるけど
も、法律を最初にもってきて、その法律を維持するために政治家に依存するとい
うような体制があるから、いろいろとおかしなことになる。

◇工藤 そのおかしなことで今回問題になったのは、自民党の嫌うような番組に
ついて、放送する前に自民党の有力政治家たちにお伺いを立てて、つくり直した
とか了解をとったとかいう、公共放送の独立に関する問題ですね。(注:「女性
国際戦犯法廷」を扱った2001年1月のNHK特集番組をめぐる番組改変問題。記事は
今年1月12日付の朝日新聞に掲載された)。

◆石郷岡 間違いなくNHKは政治にべったりですよ。朝日も最後まで突っ込め
なかったけど、「こういうものでいいですか」とお伺い立てているというのは確
実にやっていると思いますよ。そうしないと予算が通らないということになって
いるわけだから。そこにメスを入れない限りどうしようもない。

◇工藤 あれは結局、朝日側もうやむやですよね。情報が流れたっていうような
ことのほうをむしろ問題にして、対NHKの報道自体はあいまいにしてしまって
いるように外からは見えますけど。

◆羽原 あれを『月刊現代』にリークした人間は、最終的には追い迫っても最後
のところまで行かないんです。だから事実関係ははっきりしないけれども、編集
局長が辞めるという形で責任を取った。それから対NHKの問題は、書いた記者
の事実の扱い方が非常に甘いし、問題があるとぼくは思っています。しかしNHK
がそういう状況にあった、あるいは政治との関係があるということは間違いない。

◆石郷岡 新聞の立場からすると、権力と戦う時にはやっぱりしっかりしたデー
タを持ってないとだめです。そこがあの場合には見込み捜査なんですよ。しかも
犯人は真っ黒で、ほぼ間違いない。あの記者のひとはたぶん社会部だったと思う
けど、ちょっと先行して走っちゃった。それはプロとしてはまずいという感じが
する。権力と言うのはそんな生やさしいものじゃないですよ。

◇工藤 でも一応紙面まで載ったわけだから個人の問題じゃないですよね。結局
それを載せたということは、整理部を通っているわけだし。少なくともそのくら
いのケンカであるなら上まで知ってるうえでしょう。

◆石郷岡 それが今回の朝日の問題なんですよ。最初に羽原さんが話された長野
の新人記者の事件もそうです。聞いたところによると、あれは最初に出た情報は
朝日の政治部なんですね。それを長野の記者に「確認せよ」と言った。しかしそ
れが正式な命令ではなくて、その政治部の班長から長野の支局長にメールで言っ
ている。そのメールで言われたことを、また新人に対してメールで指示している。
その新人の人は現場に行ってその言質を取ろうとしたんだけど、なかなか会えな
いうちに、もう帰って来いという雰囲気になって帰ってきて、「さあ、早くやれ」
と言われて捏造記事を書いた。そしてそれをまたメールで送り返している。つま
り本来ならばデスクあたりがちゃんと確認をするはずなのに、そうしていない。
あの対NHKの記事の問題も、普通ならば取材したことを組織的にチェックしな
くちゃいけないのに、それが非常になおざりだったと思う。

◆羽原 組織の問題だけじゃなく、どこの新聞社でも共通して、昔ほど新聞記者
になるべくしてなったというような、新聞記者になることへの志とか意欲があま
り見られなくなっていることも事実なんですね。新聞記者の仕事をあまり理解し
ないで、何となくカッコいいぐらいの程度で入ってくる人が非常に増えた。就職
試験なども、新聞社も受けるし銀行も受ける。優秀な記者でも少し警察廻りで苦
労するとやめてしまって、それじゃあぼくは外国の大学に行きなおしますとかい
う。そういう汎用性のある記者が多くなっている。教育の仕方も、あまり叱ると
人権問題みたいなことになってしまうというところがある。その長野の若い記者
の場合も、いま言われたような問題が支局内にあったとしても、結局は最終的に
一人の記者が最後まで自分で書いたものに責任を負うという志がなかった。そう
いう意味で記者の素養が無かったのか、あるいは鍛えられていなかったのか。

◆加藤 そういう個人や組織の問題もたしかにあると思うけれども、昔からの朝
日新聞の読者、支持者として言うと、それよりもいまの朝日は退廃というか、企
画力の問題というか、要するに「新聞としての魅力」が感じられなくなっている。
いまカラシニコフの連載をずっとやっていて、それもたしかに大事なんだけど、
一方で、読売などは中国全土で新聞社じゃなければ出来ないような取材報道をや
っている。産経なんかも嫌いなんだけど、やっぱり中にはグッと引くものがある。
そういう新聞力というようなものが、今の朝日はどうも弱くなっているんじゃな
いか。右翼の人が「朝日問題」って言うのとは違った意味で、いまの朝日には問
題を感じているんですよ。そういう根本的なものが、今度のいろいろな現象を生
んでいるんじゃないだろうか。最初に出た武富士から何千万もらうなんていう話
は、昔なら考えられないことですよ。

◆羽原 ぼくも企画の問題はたしかに感じています。読売新聞の1ページの記事
など行数が多くて読むのは大変だけど、大きいスペースでいろいろ問題が示され
ている。それからこの夏の毎日新聞ですごく驚いたのは、広島の写真を見開き
4ページで載せた。すごい悲惨な写真をカラーで載せている。これはすごい度胸
だなと思って見ました。みんなそれぞれに良いものがあるんですが、朝日新聞は
何をほめなきゃいかんかというと、ちょっとパッとは無いんですね(笑い)。
主張はいいんですよ。社説なんかも前に比べれば分かりやすい主張になったし、
論点の証明もいい。ただ企画力というか新聞力という点では、もうちょっとしっ
かりしてほしいという感じは持っていますね。

◆石郷岡 だけど全体としてみると、読売に比べて朝日のほうが段違いにいいで
すよ。やっぱり日本の中でリーディングペーパーであることは間違いない。

◆加藤 それでは、日本のマスコミ、ジャーナリズムに、今の状況に流されず原
点に返ってもっと頑張ってもらいましょうということで、今年の回顧を終わりに
したいと思います。有難うございました。

(この座談会は、2005年11月21日に収録しました。文責:編集部)

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