マニラ十年一昔

【北から南から】フィリピンから(1) 

マニラ十年一昔

麻生 雍一郎


 香港日本人倶楽部の会報『香港』の2004年9月号に私が書いた『マニラ』と題した詩(?)が載っている。客観性、公平性を欠き、主観的、独断的と思われるかもしれないが、当時、駐在していた香港からマニラへ出張した折りに目にした、ざっと10年前のフィリピンの首都の一断面である。

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   マニラ

男も 女も なんて魅力的なんだ マニラは

女たちは 一人一人 違う色の服をまとい 肩を和らげ 髪を靡かせ 颯爽と街を歩く マニラは

男たちは 少し俯き 手をポケットに突っ込み 目に憂いと怒りを溜めながら
街を歩く マニラは

あらゆる形態と色彩の車
バスが バイクが ジプニーが トライシクルが 街を走る 排気ガスが地を舞う しかし 街路樹は濃く 緑は失われない

私は マカティにあるカラオケ街の安ホテルに泊まり 今日で3日間 同じ朝食のサニーサイドアップを食べながら シュガーを2袋 ミルクをたっぷり入れた珈琲をすすっている

通りの向こうには マンゴーの汁を吹きつけたような 黄色い建物 壁には色とりどりの看板

「Drink Natural Royal TRU-ORANGE」
「Automobile GASOLINE for sale here」
「M&M's candy coated CHOCOLATE」

看板の前をタクシーが のろのろ走る ホテルから客が出てくるのを期待しながら 止まってみる が 客は来ない 運転手は あきらめ顔で 去っていく

朝食を終え 部屋に戻り 荷物をまとめ チェックアウトを済ませると 空車の一台を 私は呼んだ

運転手に聞いて見る
「アロヨさんが再選されて何か変わったかね?」
「なあ〜んにも 変えなきゃあ、と思って 多くの人がポーに入れたんだ オレもだ だけど アロヨがまた 大統領になっちまったんだよ」
「ポーさんになっていたら 変わったと思うかね」
「変わったさ 景気が良くなり 仕事がふえ オレの財布も 膨らんだはずだ」
「だけど 庶民の支持で選ばれたエストラダでも 変わらなかったじゃないか」

運転手は黙り込んでしまった

「少なくとも・・・・」
彼はしばらく考えてから口を開いた
「ひとつだけ 間違いなく変わったんだ マラカニアン宮殿に住んでいるのは アロヨではなく ポーになっていたんだ」

しかし そうはならなかった マニラも フィリピンも 変わらない

今日も 女たちは髪をなびかせ 颯爽と街を歩き 男たちは 少し俯き 目に憂いと怒りを溜めて 街を歩く

男も 女も 実に魅力的だ
マニラは

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 私は1999年から2006年までの7年間は毎年、マニラへ複数回、出張した。この間、読売新聞の香港現地法人である読売香港社の社長をしていて、香港で印刷する読売新聞(衛星版)を香港、中国、台湾に加えてフィリピンへも毎朝、空輸して、フィリピンの代理店を通して、マニラやセブで毎日、配達してもらっていたからである。

 読売新聞社と読売香港社を2006年退職し、それ以降、マニラ行きは途絶えたが、ここに書いた光景はその後も続いたのではないか。と思う。21世紀の最初の10年が終わるころ再訪する機会があった。その時、私は変化の予兆のようなものが見た気がした。そして、変化はおそらく、最近の2、3年で顕著になってきたのではないか。

 今年の2月5日、私はセブへ入り、仕事を始めた。日刊マニラ新聞社が、70代の老ジャーナリストにセブ支局長として働かないか、とオファーをしてくれたのである。新聞記者1年生に戻って、連日30度を超す暑さの中を取材に駆け回っている。セブに赴任する前に2日ほどマニラへ立ち寄り、マニラ新聞社の編集や営業の幹部の方々と打ち合わせを行った。打ち合わせは午後、遅い時間だったので、それまでマニラのあちこちを歩いたが、10年前と大きく変わったのに驚いた。高層ビルが林立し、ハイウェー工事が進み、リムジンや高級車が増えた。黒い煙を上げて走るディーゼルトラックはまだ健在だが、数は減ったように見えた。

 丸ビルのような大きなビルにアメリカの金融会社の名前が刻まれ、マニラがコールセンターとして機能しているのを実感した。民間企業だけではない。アメリカの内国歳入庁までがここマニラをコールセンターとして活用しているのだ。フィリピンは国民のほとんどが英語を普通に話し、アメリカの大学に留学、大学院でMBAを取得して帰る者も多い。そうした人材を雇えば、アメリカで人を雇うのに比べて半分から3分の1のコストで済むのだという。

 興味津々で眺めたのは、街ゆく人たちの表情だ。男たちはもはや俯き加減ではなく、女たちと同じように颯爽と歩いている、と私の目には映った。顔の表情と歩く姿勢に自信が出ている、と思った。失業が減り、雇用が広がり、将来へ希望が持てるようになったのではないか。フィリピン人男性は元々、スタイルがいいから、自信が出て来ると、顔の表情や歩く姿勢にはっきり現れる。

 フィリピン経済は一昨年、7.2%の高成長を遂げた。台風ヨランダで大きな被害を受けたにも拘わらずだ。するとムーディーズなどの挌付け会社が軒並みフィリピンの挌付けを引き上げた。10年前、フィリピンの人たちは自国経済を信用せず、稼いだカネは外国へ投資する、といわれたが、いまでは自分の国の政府と経済を信頼し、自国へ投資するようになった。それが海外からの投資も呼び込んでいる。

 変化はアキノ大統領の登場とほぼ軌を一にしているのかもしれない。マヌエル・ロペス駐日フィリピン大使によると、アキノ大統領は“良き統治こそ良き経済(をもたらす)”とマントラのように唱え続けて、断固たる決意で政治、経済改革に臨んだという。「政府の効率が高まり、腐敗がぐんと減りました。投資と雇用が増え、一部の階層に偏らない成長が始まったのです」というロペス大使の言葉を各種の経済指標が裏付けている。

 フィリピン経済が長い停滞から脱したことは、今では誰の目にも明らかになってきた。今年はAPECの議長国も務める。昨年夏、人口が1億に達した。国民の平均年齢は23歳だ。若さあふれる国へ世界の注目が集まりそうだ。

 (筆者は日刊マニラ新聞セブ支局長)


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