メルボルンの老人クラブの仲間たち

【北から南から】

■メルボルンの老人クラブの仲間たち        入江 鈴子

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 ヨーロッパがすっぽりと入るといわれ、日本国土の22倍あるといわれるこの
オーストラリアという一大陸で一国家。英国の植民地政策が進められていた1770
年代に英国は、赤道をこえた未開の大陸に目をつけたのでした。その大陸にはア
ボリジニという原住民族が、大陸の自然と共生しながら5万年の歴史に培われた
精神生活をしていたと聞きました。
 この大陸を最初に発見したのは中国人で、ナマコ採り漁で大陸近くを訪れるこ
とがあったが、あからさまな侵略の計画をたてて上陸したのは、イギリスの探検
家ジェイムス・クックでした。1780年代には英国から流刑者をのせた船団が次々
とシドニーに訪れ、19世紀に入ってから英国やヨーロッパからの入植が進み、ア
ボリジニの大陸占有の歴史は終わりを告げたのでした。

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 英国からこのオーストラリアに来て3年が過ぎ土地の様子も分かり、私はいま、
地元の老人クラブや図書館で、前述したこの国の歴史やカルチャーを学んでいま
す。老人クラブのメンバーの多くは80歳世代で、その先祖から数えて4,5世代で
その先祖の多くは英国からの流刑者であったと聞きました。隣家の庭のリンゴを
盗んだとか、干してあった洗濯物を盗んだとかと、まるでこじつけのような罪で
流刑者にされたという人達もいたと話してくれました。
 英国が流刑者を入植させるために、先住民族アボリジニを追いはらい殺傷し、
植民地とするまでの侵略にまつわるストーリー。そして今日のオーストラリアと
いう独立国に至るまでの歴史など。
 私が在英当時アフリカの人たちから聞いた、彼らの国々を植民地化したときの
英国の野望と非人道的行為、2枚舌、3枚舌の英国外交が要因のパレスチナ問題
などが、アボリジニ民族の運命と重なって、胸の詰まる思いで聞いています。

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 アカデミックな世界に全く御縁のない私は、英国にいた時も、オーストラリア
に来ても、その土地に住む老人たちの「語り」に耳を傾けます。150年前に流刑
された彼らの先祖がどのような悲惨な生活を強いられていたか。また、先住民族
をどのように惨酷な扱いをしたか。先祖が残した貴重なメモなどを見せてくれる
こともあります。私の友人の一人にその先祖が、流刑者を引率してきた当時の英
国政府の役人だった人もいます。
 私はこうした歴史の生き証人たちの「語り」を聞き、それを裏付けする歴史本
を図書館で見つけて読みます。その学びのプロセスが大変楽しい。ですから私は、
自分の住まいを老人クラブと図書館の近くにもとめ便利な場所に住んでいます。
 このような環境なので、老人クラブといっても日本のように同じ民族が集まる
老人クラブとは全く違います。読書会、ブリッジなど催しものの内容によって集
まる人数は違いますが、30~40人集まってもその老人たちの先祖をさかのぼると
みんな母国が違います。時には10~15ヶ国の国々の祖先をもっており、たとえ
国籍はオーストラリア人であっても、血は、心のルーツは、先祖の母国を今も自
分の心のルーツとして生きている老人たちもいます。
 ですから、こうした異民族の集合体のような老人クラブで、それがうまく
harmonizeされているのは英語という共通語。そして老人たちのなかにある広い
視野に立つ世界観と、「生きる」ことに向かい合う自らの厳しい姿勢。正にdown 
to earthです。学があるないの次元ではなくて、人生の苦境を生きぬくための
知恵をもっているのが老人たちの言葉から伝わってきます。

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 しかし、現実的には移民後4,5世代にして老後を生きているクラブの老人たち
は、オーストラリアで生まれ、兄弟親戚はみんなこの国各地にそれぞれ生活して
いいます。ですから、たとえ先祖がギリシャやイタリアであっても、自分はオー
ストラリア人だという誇りを持っている老人も多くいます。
 これらの老人たちは、この国の真新しい歴史を学校で習い、親から直接聞かさ
れて育った人たちです。この中には移民2,3世代も含まれます。
 英国が植民地化を積極的に進めるために必要だった人口の増加、そのきっかけ
になったのが1851年にビクトリア州で見つかった金鉱脈、そのゴールドラッシ
ュをめがけてアジアから、ヨーロッパから一攫千金の夢を抱えた若者たちが移民
してきました。
 
これらの移民者たちに対して英国政府がとった政策は、過労を強いた上に重
税。
第一次、第二次のゴールドラッシュ1861年までの10年間を、英国の徹底した植
民地政策に対して、当時の移民者たちは怒り、反乱を起こし、その結果1926年
に英国から自治権を獲得したのでした。
 誠におおざっぱですが、今はオーストラリア人という老人であっても、歴史的
に、「英国の植民地であったオーストラリアを、自分たちの血を流し、汗と努力に
よって自分たちの国として取り戻した」という強い意識。このプロセスを生きた
親たちに育てられた人たち、親の苦労をみている人たちが現在老人クラブに高齢
者として生きています。その老人たちがよく口にする言葉にthings are not 
for the Queen、「女王のためではない、我々自身のためにだ」という意味です
が、それを口にする老人の厳しい目が印象的です。
 老人クラブの仲間でかなりの数の老人たちは、オーストラリアが独立した後に
移民し永久ビザを取り、老境をオーストラリアで生きている老人たちです。
 これら移民者の一世にあたる老人たちは、同じ老後生活を送っていても、心の
ありかたが全く違います。移民者と一口にいいきれない、生身の人間なるが故の
心の問題を抱えています。何れ具体的に書くこともあると思います。

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 移民者で創られたこの国の老人たちの殆どが第二次世界大戦に日本軍と戦った
経験をもっています。毎年終戦記念日になると、旧軍人たちが軍服に勲章をいっ
ぱい飾って堂々と胸をはって行進します。元日本軍に非道な扱いを受けている捕
虜の姿や日本軍の蛮行がTVに大映しにされ、現在も生きている元捕虜であった
人たちの日本人に対する怒りが甦るときです。

 そして終戦記念日になると強いジャパンバッシングの声が広まり、日本人は外
出を控えていた時期もありました。25年の在英生活で私はそれを充分に体験して
おりました。そして、このオーストラリアに来て、英国にいた時と同じ体験を味
わった最初の年は心の深底から思ったものです。「アーアー、このオーストラリア
に来ても、かァー」と溜息をついていました。今は慣れましたけど。
 人間の心深くに巣食っているトラウマ、それをよみがえらせる終戦記念日。政
治的和解が進み交流が再会されても、被害者のなかにあるトラウマは、その人た
ちが生きている間それを抱えていかざるを得ないのだ・・。英国やオーストラリ
アの元捕虜だった人たち、中国人、そして国を分断された朝鮮の人たち、アジア
の国々の人たち、更に元慰安婦にされた人たちも。
 
今は老人になっているこれらの人たちから私は、耳をふさぎ顔をおおいたくな
るような日本兵の蛮行話を聞きました。その度に私は、言葉がでなくて彼らを抱
きしめるしかなかったのでした。彼らを抱きしめた私も、私に抱かれた元捕虜の
英国人やオーストラリア人、そして子供の頃に自分の目の前で惨殺された父母を
語る中国人、陰部がただれてセックスができなくなり殺されてしまった友を語る
元慰安婦など、私たちは抱きあったまま、「泣く」ことでしかお互いの心を伝えあ
うしかなかったのでした。
 政治レベルで日中の和解が進められることは、喜ばしいことです。しかし、被
害者の深くにあるトラウマは、その人たちが生きている間それを抱えていかざる
を得ない。人間としてのプライドがある限り・・そのことを私たち日本人は深く
理解しながら謙虚な姿勢でお付きあいをしなければと思います。
 それは、へりくだるとか、自虐的になるとかでなく、人間としての「良心」の
問題であると思います。  
            (筆者はメルボルン在住)

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