上座仏教を民間信仰が彩るミャンマーの仏教

宗教・民族から見た同時代世界              荒木 重雄

上座仏教を民間信仰が彩るミャンマーの仏教

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 民主化と開放がすすむミャンマーに観光で訪れる人がふえている。観光客が赴
く先は、なんといっても、シュエダゴン・パゴダをはじめ由緒ある仏塔(パゴダ)
や寺院(僧院)である。

 さて、ミャンマーで信奉される上座仏教(テーラヴァーダ)では、唯一の崇拝
対象は仏陀(釈尊)であり、したがって寺院・仏塔で祀られるのも仏陀像(釈尊
像)のみなのだが、実際にはしばしば、多様な尊像が、釈尊像の脇侍ふうに祀ら
れていたり、隣接する祠堂に祀られていたりする。いささか異国風とはいえ釈尊
像には見慣れているわたしたちの目は、ついつい、異彩を放つそれらの尊像や、
それらに熱心な祈りをささげる人々の姿に惹かれる。

 そこで、それらの尊像はいったい何なのか、人々はどのような思いをそれらの
尊像に向けているのか、池田正隆氏の著作『ビルマの仏教』(法蔵館)の助けを
借りてさぐっていこう。

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◆ミャンマー独自の仏弟子・尊者
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 釈尊像の脇に仏弟子の尊像が祀られていても不思議はないが、智慧第一の舎利
弗や神通第一の目乾連の像も見られるものの、ミャンマーでとりわけ信仰が篤い
仏弟子は、福徳第一のシン・ティーワリ(尸婆羅尊者)である。ティーワリ尊者
は舎利弗の導きで出家し、即座に阿羅漢果を得たとされ、前世の果報により福徳
に恵まれ、ティーワリ尊者の行くところ四事供養(斉飯、衣、居住処、薬)の乏
しきことなく、釈尊自身がティーワリを頼りに遊行されたと伝えられる。

 「この世の無上の福田」と崇められるティーワリ尊者は、片手に杖、もう一方
の手に団扇をもち、遊行に出かけようとする姿で祠堂や家庭の仏壇に祀られ、朝
夕にパリッタ(護呪)やマンダン(呪偈)が唱えられ礼拝されている。

 アショーカ王の師とされるウパグッタ長老などに擬されるが出自の不明なシン・
ウパゴゥへの信仰も厚い。大海中の宝物に溢れた宮殿に住むとも、悪魔を退散さ
せる神通力をもつ阿羅漢ともされ、特定の護呪を唱えて拝めば呼び出すことがで
きて、嵐や洪水などの危難を逃れ、幸せや喜びを与えてくれると信じられている。
 斉飯や水、花、灯明、線香を供えて供養するが、ウパゴゥ尊者は捧げられた食
事を召し上がる際に正午を過ぎないよう注意していて、そのためウパゴゥの像は、
顔を少し上向けて太陽を仰ぎ見る形に造られている、というのが微笑ましい。

[註 上座仏教では僧は正午を過ぎたら食事をとらない]

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◆尊像がこの地の歴史も語る
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 帝釈天や毘沙門天など四天王の姿も、ここでは、わたしたちが見慣れた中央ア
ジア・中国風でなく、オリジナルのインド風に近い。トゥーヤータディーとよば
れる弁才天も、中国経由で日本に伝わった弁才(財)天と同じ、インドで学芸を
司る女神サラスヴァティーがルーツだが、鴨の一種のヒンダー鳥に乗り、手に仏
典を載せたり、竪琴を抱える。ミャンマーで弁才天は楽器演奏に加え、経典誦唱
の成就と弁舌堪能を恵む女神である。

 古代インドの伝記上の理想の帝王・転輪聖王も、セッチャーミンとよばれ人気
が高い。南伝仏典では「神変を備え、輪宝、象宝、馬宝など七宝とともに出現す
る、王の中の王であり、刀剣によらず正法によって四辺を平定、統治する」と称
えられる仏教徒には馴染みの帝王だが、ミャンマーでは、ビルマ建国以来、歴代
王朝の名だたる王が「転輪聖王」たらんと志したのに加え、英国植民地下の19
世紀末から20世紀初頭にかけての抵抗運動(民衆反乱)の指導者たちも「転輪
聖王」たらんと誓ったことから、民衆には「救世主」のイメージが強く、そのこ
とが、この地で転輪聖王の人気がとりわけ高い謂れであろう。そのためか、ミャ
ンマーの転輪聖王は、手に輪宝ではなく利剣が握られていたりする。

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◆超能力者も精霊も仏教の内
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 仏塔や寺院の境内には、ウェィザー(超能力者)とよばれる一群の人物像が祀
られ、礼拝の対象になっている。これらは、占星術や錬金術、呪術、瞑想などさ
まざまな方法で超自然的な神通力を身につけた行者あるいは僧侶で、歴史上、実
在した人物であるとされる。

 たとえば物語や演劇で親しまれている、魔法の杖を手に真紅の衣で舞い歩くゾ
ージーというウェィザーは、錬金術に成功して超能力を得、空中を飛び、水上を
歩き、地下を潜って行くこともできるという。

 こうした行者たちは何百年にも及ぶ長寿に恵まれ永遠の若さと活力をもつとさ
れるが、祠堂の中に鎮座する像だけでなく、巷で流派をつくって活動する生身の
ウェィザーたちもいる。

 一方、ミャンマーでは諸々の精霊、守護霊、支配霊、死霊、生霊、悪霊、天神、
それらをナッと総称して、庶民が厚く信仰している。

 人々は病気や不幸や願いごとがあるとき、ナッの住処である祠に出向いたり家
に招いたりして供物をそなえ祈願をする。それはナッへの軽視や侮辱が病気や不
幸をもたらした原因とみなして、供物をささげ礼拝して慰撫することで病気や不
幸からの回復を祈り、願いごとの成就を期待するのである。
 とりわけ、非業の死を遂げた歴史上あるいは伝説上の顕著な人物は強い霊力を
もつものとして恐れられ、像を造って祠堂に祀り、定期的に盛大な祭礼を催す。

 仏教教理においては否定されるこのような超能力や精霊への信仰も、ミャンマ
ーの多くの人たちにとっては「仏教の内」と捉えられている。逆にいえば、だか
らこそ仏教は厚みがあり魅力的で、役に立つものであり、多くの人々が自らを仏
教徒と認識しているのである。そしてかれらはいう、さまざまなナッはありウェ
ィザーはあれど、最大の権威をもち最高の威力をもつのは仏陀・釈尊であると。

 (筆者は社会環境学会代表・元桜美林大学教授)
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