世界が100人の村だったら        七里 敬子

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  10月22日、再話者の池田香代子さんの講演を聞きました。
  環境学者のドネラ・メドウズさんが書いたエッセイがインターネット上に流
れ、たくさんの人が自分の考えを付け加え、あるいは削除し、知人にメールする
という形で拡がったこのおはなしを池田さんは「フォークロア」ならぬ「ネット
ロア」と名づけました。「ロア」とは知恵の意味。このおはなしから私たちはど
のような知恵を得るのでしょうか。
  池田さんのところにメールが届いたときにはすでに日本語に訳されていました。
9・11とそれに続くアフガン攻撃をきっかけに、2001年12月、絵本『世界がも
し100人の村だったら』が出版され、さらに多くの人に届くことになりまし
た。

 再話にあたって、キリスト教色を取り除き、経済的に豊かなことが幸せである
という意味に受け取れる表現を「恵まれています」と書き換えたそうですが、そ
れでもまだ不十分だという印象を受けます。その後、原作にあたる「村の現状報
告」と『100人の村』の数字の根拠を第2巻(2002年)で取り上げ、そこから見
えてきた「食」と「少女」をテーマに第3巻『たべもの編』(2004年)を、「子
ども」に焦点をあてて第4巻『子ども編』(2006年)を出版、『100人の村』は
4冊のシリーズになっています。
 
1990年にドネラ・メドウズさんが書いた「村の現状報告」は「世界がもし1000
人の村だったら」という設定でした。63億人を1000人に換算することはマイノ
リティに触れられないという欠点がありますが、1000人を100人に縮めること
によって、さらに少数者が切り捨てられることになります。「もし世界が1000
人の村だとしたら、そこには5人の兵士、7人の教師、1人の医者がいます。」
という原作の文章がカットされたのは数字が小さすぎるためだと思われますが、
結果的にそれに続く「村の年間支出300万ドルのうち、181,000ドルが武器や戦
争に、159,000ドルが教育に、132,000ドルが医療にあてられます。」という部
分もカットされ、教育や医療より軍備にお金を使っている実態が報告されていま
せん。

 また原作は森林破壊、農薬、水、核兵器の問題に触れていますが、『100人の
村』ではカットされています。「おはなし」とは、そのおはなしが語られる時の
聞き手の状況やニーズによって変わっていくものです。このおはなしが拡がった
時、人々の関心は環境問題より富の偏在、その結果としてのテロリズムにあった
ということでしょう。対訳者のダグラス・ラミスさんが付け加えた平和への思い
は読者の心に響きます。しかし、原作の意図を変更することになってしまったの
は事実ですし、「この村の現状を知ってあなたはどうするのか」という問いを考
え始めたとき、環境問題、食べもの、教育や子どものことをもっと知る必要が出
てきます。池田さんと編集部が続編を出した理由もそこにあったようです。

 「世界の子どもがもし100人だったら、生まれたことが役所などに届けられ
ない子どもは55人か、あるいはそれ以上です。」「31人は栄養がじゅうぶんでは
なく、22人は予防接種をうけられません。8人は5歳まで生きられません。」「小
学校に行くのは87人です。中学校に行くのは40人です。そのうち20人はとち
ゅうでやめました。子どもたちが中学校に行かないのは、貧しさや戦争や飢饉の
ためです。」「9人は戦火の中で暮らしています。」「16人は働いています。」
「10代の女の子が亡くなる原因のうちもっとも多いのはお産です。」(子ども
編より引
用)

 日本の子どもたちの状況からは想像もできない数字が並んでいます。そして世
界が1ヵ月、戦争にお金を使わなければ、そのお金で、2億2千万人の子どもを
危険な鉱山や不潔なゴミ捨て場から助け出せると訴え、フェアトレードのチョコ
レートを買えばカカオ農場から過酷な労働をしている何十万の子どもを救える
と訴えています。すべてお金の使い方の問題です。21世紀は消費者が革命を起
こす時代だと池田さんはおっしゃいました。消費者が賢い選択をすることでお金
は投票用紙になると。『100人の村』のメッセージはThink Global, Act Local. 
  私はこれにThink Local, Act Individual.を付け加えたいと思います。
  お節介を承知で「日本の子ども100人」について考えてみました。出生届の
出ない子はゼロです。栄養不良、予防接種を受けられない子、中学に行かない子
もゼロだと思います。それでは日本の子どもたちは本当に恵まれているかという
と必ずしもそうとは言い切れません。子どもたちは驚くほど自己評価が低く、P
ISA(OECD生徒の学習到達度調査)の結果だけを見て学力低下が問題視さ
れ、あっという間に全国学力調査が再開されました。その結果が10月25日に
発表されましたが、「基本はできるが応用はできない」という当たり前の結論を
得るために77億ものお金が使われました。国語と算数だけで学力を評価しよう
としているのも疑問です。今後、教員増というメリットがあるかもしれませんが、
競争をあおり、文科省の指導が強化される恐れがあります。池田さんのお話によ
ると、子どもの権利条約を批准している国には5年に1度調査が入るのですが、
その報告書に「日本の学校における競争ストレスは異常」と2度書かれているそ
うです。つまり5年間改善されなかったということ。それどころか状況は悪くな
っているのではないでしょうか。

 自己紹介が後になりましたが、私は大阪府南部の熊取町で子ども文庫活動をし
ています。私たちの活動はすべてボランティアで、地域に「子ども文庫」を開き、
公共図書館で「子どもの本の会」を持ち、学校や保育所で「おはなしキャラバン」
を実施し、町の「ブックスタート事業」に参画しています。子どもの豊かな成長
を願って、子育て中のお母さんを応援し、子どもたちにおはなしや本の楽しさを
届けることが目的です。仲間は約30名。「おはなしキャラバン」と称して町内の
すべての学校・保育所を訪問し、たくさんの子どもたちと出会っている立場から、
子どもを取り巻く問題が見えることがあります。

 ほとんどの子は私たちの拙いおはなしや本の紹介を楽しんでくれますが、中に
は学級崩壊寸前のクラスもあります。ところがいったん話し始めてみると、そう
いったクラスの子どもたちのほうが一所懸命に聞き入ることがあるのです。おは
なしや本の力を確信する瞬間ですが、一方で子どもたちは楽しいことに飢えてる
のかと思います。TT(ティーム・ティーチング)や少人数制が取り入れられて
いるとはいえ、特に小学校ではまだまだ風通しの悪さ、余裕のなさを感じます。
池田さんのお話では、OECD加盟国の文教予算平均は日本の1.5倍。しわ寄
せは現場の先生と子どもたちに来ていて、前述の報告書には「先生が子どもと過
ごす時間が非常に少ない」とも書かれているそうです。教科の時間を削って捻出
された総合学習の考え方は、私たちが本を紹介するときに使う方法(ブックトー
ク)に似ています。まず、あるテーマに関連する本を、自然、歴史、昔話、ナン
センス、詩など、分野を問わず思いつく限りたくさん読みます。それから対象と
なる子どもの年齢や経験を考慮して本を選んでいくわけですが、その過程で大人
も発見があり、学ぶことは面白いと実感します。けれども、それを楽しむために
は時間的精神的ゆとりと基礎的な知識が必要なのです。
 
『100人の村』を紹介するとしたら、対象は小学校高学年以上でしょうか。そ
の年齢の子どもたちに接して驚くことは、地理や歴史に関する基礎知識が少ない
ことです。「それを知らないんだったらこの本は楽しめないかなぁ」と思って取
りやめることもしばしば。日本の子ども100人のうち100人が小中学校に通っ
ているはずです。100人のうち高校には行かない子は6人います。大学に行かな
い子は48人です。(Wikipediaから算出) すべての子どもが通う義務教育の段
階で、子どもたちが朝から夕方までを過ごす学校で、近所の友達と一緒に学んで
おかなければならない知恵や知識があると思うのです。
  
教育課程を審議しておられる文科省の担当者は、もしかしたらわが子を塾に
通わせ、私立の学校に通わせているから真剣に考えていないのではないかと疑い
たくなります。公立の学校で学ぶ内容では入試に対応できないということもはっ
きりしています。塾や家庭教師に頼る親が増え、結果的に子どもたちは放課後も
勉強、遊びやクラブ活動は塾に差し支えのない範囲でするという生活に追い込ま
れます。読書を楽しむ時間などありません。この問題は年々低年齢化していて、
お稽古事や塾のために小学生が子ども文庫に来なくなったのは何年も前の話で、
今では親子で楽しむ絵本の講座でさえ、お稽古を始めた3歳児が来られなくなっ
ています。

  公教育に対する信頼が欠けてきていることが原因のひとつではないでしょ
うか。親が自分の子の利益を第一に考えるのは当然のことですが、そのことによ
って子どもたちの状況はますますひどくなっているように思います。『100人の
村』に提示されたようなGlobalな視点は難しくても、せめてLocalな視点から
わが子とわが子を取り巻く環境を考え、行動したいものです。
   子どもたちにもっと笑顔を! キャラバンのおばちゃんは今日も、おはなし
と本を持って子どもたちのところへ出掛けます。
              (筆者は熊取文庫連絡協議会会員)

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