世界初の原発メーカー訴訟

世界初の原発メーカー訴訟

— ノー・ニュークス権の確立に向けて —

島 昭宏


 2014年1月30日と3月10日、我々は、福島第一原発の主契約者として、1〜4号機を造った東芝、日立、そしてGEの日本法人・GEジャパンの3社を被告として、原発事故による損害賠償を求める訴訟を東京地方裁判所に提起した。原告は、一次、二次を合わせ約4200名(うち海外38か国から約2700名)、請求額は精神的慰謝料として、1人あたり100円である。

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 1.責任集中制度
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◆原発メーカーの免責

 原発が事故を起こした場合の責任主体としは、国、原発メーカー、そして電力会社が考えられる。これは連帯債務であり、被害者はこの三者のいずれに対しても、それぞれの要件を満たしさえすれば損害賠償請求ができるはずである。

 ところが、原発事故に関しては、原子力損害賠償法(原賠法)という法律があり、そこには、原子力事業者(電力会社)の無過失・無限責任(3条1項)及び原子力事業者以外の免責(4条1項)、PL法の排除(同項3項)が規定されている。これらは、1条に掲げられる「原子力事業の健全な発達」という目的を具体化した条文であり、実は世界中に広く行き渡る「責任集中」という仕組みである。そして、この責任集中制度こそが、世界の原発体制を強固に保護しているのである。

 なぜなら、被害者は電力会社に対してのみ損害賠償請求をすることができるが、その賠償額が保険契約等による賠償措置額1200億円を超える場合、国が援助をできることになっている(16条1項)。よって被害者は、損害を立証しさえすれば、電力会社から十分な賠償を受けられることになっている。このこと自体は、被害者の救済に資する法律の仕組みであるかのようにも見える。そのために、現在、ADRや訴訟を通じて、多くの被害者がその損害の範囲や賠償額を争っており、私自身、福島からの避難者の、東京電力に対する損害賠償請求の訴訟で代理人として活動している。

 しかし、電力会社及び国から支払われる賠償金は、言うまでもなく国民が負担する電気料金と税金がその原資である。つまり、仮に被害者が多額の賠償金を勝ち取ったとしても、それは国民による負担が、電力会社を通して被害者に流れるというだけである。
 他方、原発メーカーは、ここにはまったく関与することなく、安心して自らの経済活動に専念することができる。

◆原発体制の中核へ
 このような責任集中制度こそ、まさに「原子力事業の健全な発達」という目的達成のための見事な仕組みというほかない(厳密に言えば、このように本来負うべき責任を免れて、単に事業を拡大することは、「健全な発達」などではなく、「無秩序な肥大化」というべきだが)。事実、この仕組みが有効に機能してきたが故に、本訴訟が世界で初の原発メーカーに対する具体的な責任追及のアクションとなったのである。我々が電力会社のみを責任追及の対象とすることは、まさに原発体制が予定するところであって、その枠組みの中でいくら大騒ぎしたところで、彼等は何の痛痒も感じない。

 現実の被害の規模や深刻さ、これから100年以上続くであろう問題解決への道のり、そして、これらに対する賠償の状況、東京電力や国の不誠実な対応等についていちいち言及するまでもなく、原発メーカーが非難の対象とさえされず、海外への原発輸出によってさらなる利益拡大を図ろうとしている現状に、一切の正義が存在しないことは明らかであろう。この極めて不合理な状況を生み出している原因が責任集中制度にある以上、これに挑むべく原発メーカー訴訟を提起することは、社会の要請といえる。そして、この要請に応えることは、すなわち原発体制の中核に切り込むことなのである。

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 2.原発メーカー訴訟の法理論
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◆ノー・ニュークス権
 本訴訟においては、第一に、責任集中制度が、憲法が保障する人権を侵害し無効であることを前提に、PL法及び民法709条に基づく損害賠償請求をする。

 その侵害される人権とは、まず、製造物の欠陥やメーカーの過失によって損害が発生しても賠償請求をできないとされていることから、憲法29条1項が保障する財産権である。次に、あらゆる製造者は、製造物責任を負うにも関わらず、最も危険な製造物である原発についてのみ免責されるのは不合理な差別といえることから、14条の平等原則違反がある。さらに、訴訟を提起しても免責規定を理由に、製造物の欠陥ないしメーカーの過失についての実質的審理がなされないとすれば、32条の裁判を受ける権利が侵害されているといえる。

 しかし、これだけでは問題の本質は表現されない。そこで我々は、13条の幸福追求権及び25条の社会的生存権から導かれる「原子力の恐怖から免れて生きる権利」=「ノー・ニュークス権」の侵害を主張することとした。広島、長崎への原爆投下、アイゼンハワー大統領の「Atoms for Peace」宣言以降のスリーマイル島原発、チェルノブイリ原発に続く福島第一原発の事故を経た今、我々が原子力の恐怖を回避すべく脱原発・脱核を求めることは、単なる感情や主義主張ではない。
 それは、憲法前文で「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」と謳われる平和的生存権が具体化した、世界共通の人権として、当然認められるべきものといえる。

 そして、製造物責任というリスクを免除されている原発メーカーは、安全性よりも経済性を優先するインセンティブを与えられていることになる。何より、世界の原発体制を頑なに保護し、原子力事業の無秩序な肥大化をもたらす責任集中制度は、ノー・ニュークス権を侵害しているのである。

◆原賠法に基づく請求
 このように、責任集中制度が違憲であることは十分に理由があり、裁判官がそれぞれの良心にしたがった判断をするのであれば、PL法ないし民法に基づくメーカーの責任についての実質的審理がなされるはずである。しかしながら、現実がそれほど甘いものではないということは、我々も承知している。

 そこで、違憲主張とは別に、原賠法5条に基づく請求を同時にすることとした。同条は、電力会社は故意の第三者に対して求償できるという規定であり、原告らは、この求償権を代位行使するのである。この請求は、まさに原賠法に基づく請求であるため、直接的に原発メーカーの故意について審理を求めることになる。以下に挙げる4つの問題を熟知していたはずのメーカーが、事故の発生を認識していなかったと言えるであろうか。故意とは、事故が起こる可能性を認識しながら、それを認容する心理状態で足りるのであるから、これを主張する価値は十分にあるものと考えている。

◆4つの問題
 PL法、民法、原賠法に基づく原発メーカーの責任が認められるためには、それぞれ、製造物の欠陥、メーカーの過失そして故意を立証する必要がある。
 製造物の欠陥とは、通常有すべき安全性を欠くことをいうところ(PL法2条2項)、前提となるのは、地震大国日本において、海岸沿いに建設される原発が、地震や津波によって事故を起こさないということは、通常有すべき安全性に当然含まれるにもかかわらず、現に事故が発生したという事実である。これに加え、我々は、(1)今回の地震・津波は想定され得るものであったこと、(2)新指針に対する耐震バックチェックの不備、(3)老朽化、(4)マーク㈵型格納容器という4つの問題を指摘した。ここで詳細を書くことはできないが、これらを根拠として、欠陥、過失、そして故意を立証していく予定である。

◆PL法にかかる論点
 ここで、製造業者である原発メーカーの責任を問うにあたり、特にPL法にかかる論点に触れておきたい。

 そもそも、福島第一原発の1〜4号機は、PL法が施行される前に製造されていることから、附則を見るまでもなく、PL法の適用はないのではないか。また、製造後35〜40年が経過していることから、製造物の「引き渡し」から10年以上が経っていることは明らかであり、時効が成立しているのではないかとの疑問が生じる。

 これらの疑問に対しては、原発メーカー(ないしその子会社)は約13か月おきに、電力会社から原子炉の占有を引き受け、何か月間に渡って定期点検を行い、それをまた電力会社に戻すという関係にあることから、その都度「引き渡し」を行っている、あるいは原発においては、PL法にいう「引き渡し」の概念は存在しない旨の主張が考えられるであろう。

 例えば、中国の工場で製造された電子レンジが東京の電気屋で販売され、それが回りまわって10年以上も経った頃、九州で火を噴いて火傷をしたという場合にまで、メーカーが過失の有無を問わず責任を負うというのは、いくらなんでも酷だろうというのがPL法における時効の趣旨であるとすれば、上述のような事情を有する原発については、該当しないと考えられるのが自然ではないだろうか。
 どのような判断がされるのかは別にして、法律家としては非常に興味深い論点といえる。

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 3.ノー・ニュークス権の確立へ
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 本訴訟の目的は、責任集中制度という原発体制保護の仕組みを切り崩し、原発メーカーを製造物責任というリスクにさらして、原子力事業に参画することの経営判断を問うとともに、No Nukes! の叫びを権利にまで高めることである。

 このノー・ニュークス権が憲法上の人権であることを裁判所が認めれば、仮に責任集中制度がこの人権を侵害しているとまでは言えないとして勝訴を勝ち取るには至らなかったとしても、脱原発を求める社会にとっては、極めて大きな意義がある。例えば、原発訴訟において、原発の運転差止めを求める法的根拠として、内容が不明確な人格権に比べ、より具体的な人権として提示することができることとなる。さらに、子ども被災者支援法の制定後、何ら具体的な施策を行おうとしない国に対し、放射能による健康被害を発生させない政策を実現するよう求める法的根拠となる。

 このようなことから、ノー・ニュークス権の存在を裁判所に認めさせることは、本訴訟の大きな目的の1つであると考えている。

 (筆者は弁護士・原発メーカー訴訟弁護団共同代表)


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