【コラム】海外論潮短評(96)

世界的に広がる食糧主権の思想と運動

—食糧危機を招来するシステムの克服を—

初岡 昌一郎


 アメリカの国際問題専門誌で、リベラル色の強い『フォーリン・ポリシー』7/8月号が「サバイバルの計画化」という特集を掲載、生存にとって基礎的ニーズへの対処の仕方を取り上げている。そのリード部分では「既に地球上で食糧と水が逼迫しているが、2050年までに100億人に達する人口を支えるに足る資源が十分あるだろうか」と問いかけている。運命的悲観論者の主張とは違い、すべての可能性がまだ失われてはおらず、問題は今後の方策にかかっているとみる。

 ここに、柱となっている論文「食糧を(貿易)問題化させてはならない」を要約的に紹介する。筆者のオリビエ・ド・シュッテルはベルギーのルーワン・カトリック大学教授で、国際人権法と欧州法の専門家。社会的経済的権利を人権として考える新潮流の立場。彼は2008−2014年に「食糧の権利に関する国連特別報告」主査を務めた。この論文はその経験を踏まえて書かれている。

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世界的食糧難を回避するために残された時間
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 50年前、世界は破滅の淵に立っていると多くの人が心配していた。1960年代には年間人口増加率は21%に達し、1968年にはポール・エーリッヒ『人口爆発』がベストセラーとなった。この本は、人口の爆発的増加に食糧生産が追い付けなくなり、世界各地で飢餓に直面すると警告していた。耕地の拡大は限界に近く、食糧生産は過去数十年にわたり停滞していると分析した。この新マルサス的予言が現実化すかと思われていた。1972年のソ連の凶作と翌年の第一次オイルショックにより、世界の食料価格が突如高騰した。

 食糧の増産が各国政府の対応策であった。具体的対応策は多様だったが、基本的なアプローチは各国で共通していた。技術革新と農業補助金を柱とする公的資金投入で食糧増産と価格引き下げを図った。このビジョンが新生EUの共通農業政策を形成した。アメリカではニクソン政権が穀物生産を奨励する大規模なプログラムを開始した。過剰生産による価格暴落を心配することのない支持価格政策が、農民にたいして約束された。

 南アジアでは、人口過剰に伴う危険が頂点に達し、特にコメと小麦で高収穫新品種の採用による「緑の革命」が奨励された。灌漑の拡大、化学肥料の大量投入、機械化がこれに並行して食糧増産が進められた。世界的にも、食糧危機を需要と供給のミスマッチの結果とみて、飢餓と栄養不良を主として量的な問題と見做す枠組みが出来あがり、これが長期にわたって政府とビッグビジネスによる食糧供給策の基本となった。

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人口増加はスローダウンしたが、飢餓人口は減らず
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 過去50年間、人口増加率が低下した一方で、食糧は年率平均2.1%で増産された。これは耕地面積があまり増えることなく達成された。1961年当時、13.7億ヘクタールの耕地で収穫された食糧が35億人を養っていた。ところが、世界人口が70億人となった2011年までに、耕地は僅かに12%増加しただけである。

 1970年代初期以後、飢餓人口は殆ど減少していない。国連報告によれば、8億5000万人前後で推移してきた。栄養不良人口の割合は約12%に低下したものの、保健の改善、貧困削減、環境保護などの全般的な観点から見て、20世紀から継承した食糧システムが目覚ましい成功を収めているとは言えない。むしろ顕著な失敗が目立つ。

 今日の食糧システムは巨大アグリビジネスの手中に握られている。貯蔵・加工施設から運送手段に至るまでのインフラが、大規模生産を支えるために建設されている。巨大な商社と食品加工会社や、スーパーなどの大規模小売り業者がますます集中化する市場支配を強めている。彼らはロジスティックを握り、ネットワークを支配し、補助金を吸収して、競争相手を容易に打ち負かす。彼らは食糧システムの改革に反対し、それを潰す力を発動している。政府の補助金が増産を奨励している大豆とトウモロコシを原料とする食品企業が、生産・流通させる加工食品が市場に溢れている。

 このような相互関連性のある食糧過剰生産システムは、世界を養うのに適切なものではない。それは人類を不健康に陥れ、同時に10人に1人の飢餓人口を生み出している(国連食糧計画報告)。巨大食品企業にたいする抵抗は既に始まっている。その牽引力となっているのが、「食糧主権」という考えかたである。

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草の根に広がる食糧主権運動
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 この考え方は、コスタリカにおけるカンぺシーノ(小作農民)の組織化とインドのカルナタカ州における小規模自作農の抗議運動の中から、20年ほど前に生まれた。そのメッセージは単純明快だ。すなわち、農業政策を世界貿易交渉の「人質」にさせないことだ。1993年に結成された「ラ・ヴィア・カンペシーナ」という運動の核心がこの主張である。これは今やアジア、アフリカ、欧州及び米州の70ヶ国以上の164団体が加盟し、2億人の農民を代表する、国境を越えた世界最大の社会運動となっている。

 1994年に多国間貿易交渉のウルグアイ・ラウンドが妥結した時点から、WTO(世界貿易機構)設立以後の貿易交渉上で農業が最大の焦点となった。食糧が商品化の最前線に押し出され、農民とっては国際競争に勝つことが最大の課題となった。これは、競争力のない農民が退場してゆくことを意味している。

 「ラ・ヴィア・カンペシーナ」の食糧主権運動家たちは、当初から国際貿易自由化が食糧システムにどのような打撃を与えるかを正確に予知していた。農民とその生産物を画一化し、巨大な食糧・食品企業に支配された長距離輸送による、持続不可能な商品交易を推進し、国内や地方的な市場を無視することが進行すると。対抗策は、市場のニーズをにらみながら、弾力的な多様性を追求することである。

 2008年の食糧危機が彼らの正しさを証明した。商品価格の暴騰が食糧を輸入に依存していた国に最大の打撃を与えている。だが、商品価格の高騰は農民を利することなく、むしろ生産費と生計費の上昇が農民の家計を圧迫する。食糧供給チェーンの中間に位置する巨大企業が食糧・食品高騰の利益をほとんど吸収している。

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生産者と消費者の食糧主権
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 農村で生まれた食糧主権の思想が生産者と消費者を直接結び、活動家たちが食糧システムを再編成する課題を追求しようとしている。事実、あらゆる地域において、一般市民のグループが自立的な活動によって自主性を回復し、支配的な工業的食品システムをバイパスしようとしている。

 消費者サイドでは、北アメリカ食糧政策協議会がトロントからオークランドに至る各地で行っている試験的運動によって、その主権思想が影響力をましている。インドのムンバイと北京その他のアジア都市でも、農民による産地直売マーケットが広がっている。都市農業や学校菜園などを通じて、市民と農民を結ぶ絆を作る動きも広がっている。消費者側でも、自らが依存している食品チェーンを見直す動きが活発化してきた。

 生産者サイドでは、化石燃料に依存するモデルからの脱却を目指す農民たちがアグロエコロジー(環境保全型農法)をますます取り入れている。生態系の保護を目指すアプローチは、同じ土地で単一品種の連作をやめ、複数品種の組み合わせによる輪作を行い、化学肥料の投与を最小化している。野菜類の栽培は土地を肥沃にするのに役立ち、化学窒素肥料の利用を削減する。

 収穫の最大化を狙って、これまでは農地周辺の樹木が伐採されていたが、田畑の周囲に再植樹が進められている。その根が水分の保存効果を高め、枝葉が水の蒸発を抑えるので、灌漑の効率が向上する。長年にわたる単一穀物の栽培によって疲弊した土地が、統合的な農法と輪作によって再生される。

 アグロエコロジーは、化石燃料の利用を減らし、廃棄物をリサイクルさせ、相乗効果を高めるために、天然の諸生産要素を組み合わせることを図っている。自然の複雑性をマイナスとして排除せず、それを資産として扱う。技術革新による“科学的な”所見を現場で鵜呑みにせず、農民は試行錯誤から学んでいる。農民はそれぞれの土地柄に合わせて、何がベストかを決定するようになる。

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効率よりも持続性を重視する農業
    — アグロエコロジーによる健康な生活
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 石油生産の限界、単作主義による遺伝的退化、土壌の劣化、気候変動など、立証されている脅威は、将来の動向がますます想定外になることを示している。それらは、食糧問題の解決に迅速かつ創意のある解決が必要なことを告げている。だが、すべてに悲観的になることはない。壊滅的な脅威は、効率よりも弾力的持続性を重視する方向にわれわれを導いている。

 ささやかなものであろうとも、地域特性型のイノベーション(革新的創業)が弾力的持続性を生む最上の道である。相互依存性が高まる世界のパラドックスは、地域的マーケットと地域的システムが、これまで想像もされなかったような形で全国的国際的に創造的な連携をする可能性と必要性をもたらしている。

 工業的な食料生産が子どもたちと地球に与える悪影響を心配する親たちは、環境団体と手を携えることができる。不健康な食生活に起因する病気を治療するコストの高騰に対処し、公的債務の急増を食い止めるために、あらゆる党派の政治家たちは医療関係者と力を合わせなければならない。

 開発NGOは、開発援助が途上国に余剰農産物をタダで投棄し、それが地元農業の荒廃と放棄につながっている現状を変えさせるために、先進国の納税者と手を組む必要がある。こうした努力が結合して初めて、大規模農業による生産物が食品大企業による加工食料の商品化のために、巨額の公的資金が投入されている現状を変革できる。

 私はこれまで政府のトップダウン型活動に協力してきたが、そうすればするほど、変革のためにはボトムアップ型の社会的運動を信ずるほかに道が無いと確信するようになった。外部からはバックアップは提供できるが、解決は地元での人材と資源によってのみ設計できる。それによって、外部市場やエネルギーショックに左右される度合いの小さい農業が生まれる。多様な解決を求めるためには地産地消型農業の振興が最適であり、それが今後の不測事態にもっともよく対応できる。

 革命が権力の奪取と体制変革を意味するものとすれば、以上の動きは革命を目指すものではない。食糧主権運動が目指しているのは、権力を奪取することではなく、社会を変革することである。彼らは静かなる改革を目指しており、漸進的なものである。これまでわれわれを支配してきた低コスト巨大食料システムに取って代わる動きは、既にわれわれの周囲で始まっている。

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■ コメント ■
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 この論文を紹介する作業のなかで想起したのは、1970年代の中ごろに出版された『農的小日本主義の勧め』であった。オイルショックによって、高度成長に対する疑問が出され始めていた時ではあったが、この本が主張する「リサイクル型自立国家」の提唱は極めて新鮮であり、感銘を受けたものである。

 著者は『オルタ』でもよくその主張が紹介されている篠原孝民主党衆議院議員。気鋭の農林省課長補佐当時に書かれたものであった。それまでの日本農業保護論とは根本的に違い、その視野の広さと歴史的考察に立ち、環境を生かす循環的持続的社会の提唱が骨子となっていた。この本はその後増補加筆され、同じタイトルの下で1995年に創森社より再刊されて、版を重ねている。まだ読まれていない方には、是非一読をお勧めしたい。この本に先行した、シュマッハ—『スモール・イズ・ビューティフル — 人間中心の経済学』(講談社学術文庫)を再読することも示唆をあたえる。

 本論が指摘する動きは、その目で見れば周囲に既に感知できるようになっている。その輪にもっと積極的に関われる道はいくらでも見つけられうるだろう。本当の「ふるさと創生」には、思いつき的なアイデアや経済的な便宜主義ではなく、根本的な発想の転換が必要だ。食糧主権の思想と運動は、日本でも進行している新しい動きを激励するものである。

 自立的農家の減少と農業の工業化、大資本による食糧生産と食糧流通チェーンの支配、不健康な加工食品の普及、医療費の高騰と公的医療保険制度の危機、公的債務増大は同根の構造であり、この悪しきサイクルを切断するには上からの政策転換を求めるだけではなく、われわれの意識と生活スタイル自体を変えることから始めなければならない。

 (筆者はソシアルアジア研究会代表)


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