中国の出稼ぎワーカー事情 (その一)

■【北から南から】

深センから 『中国の出稼ぎワーカー事情 』(その一)  佐藤 美和子

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  今回から続けて、中国の華南地方における出稼ぎワーカーさんたちの生活を取
り上げてみようと思います。ただ、私の中国での工場勤めはもう5年も前のこと
です。目まぐるしく変化する中国では、5年も経てば多少事情が違ってきている
かも知れないこと、また広大な中国では地域差もあることを予めお断りしておき
ます。

 中国で工場などに勤めるワーカーは、田舎から出稼ぎに来た若い子たちがほと
んどです。高卒か専門学校卒の子が多いのですが、中には中卒で、その中学校も
まともに通えていたのか、怪しげな子達もいます。
学校を卒業したあと、すでに出稼ぎに行っている親類や同郷出身者を頼って都会
に出て、知人の所に居候しながら自力で就職先を探す人もいますが、通常は地元
で就職斡旋業者に登録してやってくるケースが一般的です。業者に手数料を払っ
て登録すれば、業者側がバスを用意して、何時間もかけて就労先まで連れて行っ
てくれるのです。

 業者は面接のアポイントメントを取っておいた工場へ、バスでそのまま次々と
彼らを送りこんでゆきます。彼らの就職先となる工場の多くが手作業を必要とす
る仕事なので、簡単なペーパーテスト以外にも視力・色覚検査などの身体検査も
重要視されます。作業環境によっては、手が届かないと困るので身長が160セン
チ以上などという雇用条件をつける会社もあります。ハードな仕事であった場合
、少しでも体力のある若いワーカーを雇おうと、21歳以下、などという厳しい年
齢制限を出すような会社もあります。

 面接の結果、その会社に合格した人たちは、もうその時点でその会社に置いて
行かれます。面接のために地元を出てくる時には、すでに彼らはスーツケースに
身の回り品を詰め込んで、そのまま働き始められるように準備してきているので
す。

 一つ目の会社で面接に不合格となった人たちは、再び斡旋業者に集められて、
次の会社の面接に連れて行かれます。こうして全員の就職先が決まるまで、あち
こちの工場を巡っていくのです。いくつもの会社の面接を経てどんどん仲間が減
っていく中、最後の方まで残ってしまった人たちは、見知らぬ土地で空席の目立
ってきたバスであちこち連れまわされる間、どんなに心細く辛い思いをすること
でしょう。

 とはいえ、無事に面接に合格した人たちにしても、不安であることには変わり
ありません。なぜなら、就職斡旋業者に支払う登録料が、結構な額なのだそうで
す(私の不確かな記憶では、一人当たり千数百元と聞いたような?例えばもし15
00元だった場合、これは彼らが無事就職できたとしても、残業代込みの給料約2
か月分に相当するほど、彼らにとっては大金です)。経済的に苦しい家庭だと、
子供を就職させるために親が親類に借金をして登録するケースもあり、そうする
と就職して数ヶ月間の給料は、まず借金返済に消えていくことになります。

 高校を卒業したばかりの、まだ子供っぽさの残る18~20歳の若者たちです。日
本の高校生なら携帯でネット接続して様々なことを簡単に調べられますが、高卒
後すぐに出稼ぎにでるような子達は、携帯だのパソコンだのは持っていません。
たまにネットカフェに行って、ゲームやチャットをする程度です。ですので、自
分が送り込まれる予定の会社がどういう業種なのか、評判などをちょっとネット
で調べてみる、などという知恵も持ち合わせません。自分がどういう土地に送り
込まれてきたのかすら、イマイチ分かっていない子達もいます。何しろ、自分の
出身省から一度も出たことがない子も大勢いるのですから。

 広東省へやってくる出稼ぎワーカーのうち、湖北・湖南・四川省出身者が大半
を占めます。しかし広東省では、彼らの出身地とはまったく違う言語の広東語が
使われています。彼ら自身も出身地の訛りのある言葉を話す上に、さっぱり分か
らない広東語が飛び交う環境にいきなり放り込まれた彼ら、まるで外国へやって
きたにも等しいほどの疎外感を味わうことでしょう。

 就職が決まれば、親元を離れるのも初めてなのに、いきなり工場内にあるワー
カー寮の大部屋で集団生活をすることになります。うまく仕事はこなせるだろう
か?寮生活には馴染めるだろうか。斡旋業者への登録料を借金でまかなっていた
場合、最低でも借金分だけは稼いでからでないと家には帰れません。たとえ借金
はしていなくても、最初の数ヶ月間は試用期間なので給料が安い上に、こちらで
の生活に必要なもの、例えば布団などは自分で用意せねばならないのでしばらく
は何かと物入りです。とすると、どんなに故郷や親が恋しくても、この先少なく
とも1~2年は帰省費用を捻出するのはまず無理です。

 ・・・・・こんな条件の下で就職をする彼らの心情を、みなさん少し想像して
みてください。まるで、逃げ場のない崖っぷちに立ったかのような感覚に陥りま
せんか?実際、急激な生活環境の変化に適応できず、ホームシックのあまりノイ
ローゼになってしまう子たちもたくさんいます。一人っ子で甘やかされて育った
ために、社内ルールでがんじがらめの集団生活に馴染めない子。生き馬の目を抜
くような、騒々しい都市生活に耐えられない農村出身の子。広東風の味付けの社
員食堂の食事がどうしても口に合わず、どんどん痩せていってしまう子。両親に
何度も電話をして家に帰りたいと泣きついたものの、せめて斡旋業者への登録料
のために背負った借金分を稼ぐまでは我慢しろと諭されるばかりで、とうとう追
い詰められて自殺してしまったという痛ましいケースもありました。

 私は『超氷河期』と言われる時代に大学を卒業したので、自分でも就職活動に
はかなり苦労した方だと思っていました。氷河期でなくても、親元を離れて就職
する人は大変でしょう。しかし、中国の出稼ぎワーカーさんたちの場合はもっと
、なにか追い詰められたかのような背景があることを知った時、実は恵まれてい
た自分とのあまりの差に愕然としました。
              (筆者は在深セン・日本語講師)

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