【コラム】
中国単信(58)

中国人の思考方法 ―― 縦と横

趙 慶春


 いささか旧聞に属するが、2008年に「打酱油」(醤油を買う)というごく普通の生活用語が中国での「流行語大賞」に選ばれたことがあった。その理由は?
 この2008年初頭、「陳冠希わいせつ写真流出事件」(「艶照門」事件)が起きて、数多くの女性芸能人を巻き込んで、中華圏メディアと芸能界を騒がせていた。この事件に関して広州テレビ局の記者が一般市民に街頭でコメントを求めたところ、ある市民が「关我屌事,我出来打酱油的!」(俺と関係ねーんだよ! 醤油を買いに来ただけだ!)とカメラに向かって発言したことがきっかけだった。

 「政治のことに興味がない」「敏感な話題に関心がない」「俺と関係ない」という冷めた姿勢、或いは「何を言っても意味がない」という意思表示が評判となった。
 この「冷めた」反応が多くの中国人には羨ましく映り、不満を言っても無駄という嘆きにも共鳴したのだろう。しかし中国人は決して政治やその時々の話題に無関心なのではない。ただし中国人の「関心ぶり」はかなり独特だと言える。

 まず、次の「話」を紹介しよう。
 ある人が同僚とレストランで豪華な料理を食べ、大いに飲んで、いざ支払いとなって持ち合わせが足りないことに気づいた。やむなく友人に連絡して、金を届けてもらうことにした。その友人は退役軍人で警官として勤務中だった。彼はパトカーでレストランに駆けつけてくると、部屋に入るや有無を言わせず、友人とその同僚に手錠をかけて連行して行ってしまった。レストラン側は警察の公務を妨害してはまずいと判断して、未払い金の請求ができなかった。
 パトカーの中で連行した友人たちの手錠を外した彼は「実は俺も金がなかったもんだから、こうするしかなかったのさ」と言った。

 これはインターネット上に書き込まれた「役人の不正」を揶揄した作り話である。ただいかにもありそうだと言える。これには別のバージョンもある。
 ある医者が医療トラブルに疲れて、一人でレストランに行き、酒を飲んでいたが財布を忘れたことに気づき、やむなく同僚に携帯でメールし、金を届けてもらうことにした。やがて同僚が白衣を着たまま病院の救急車でやってきた。部屋に入ると有無を言わせず点滴の針を挿して、担架に乗せて行ってしまった。その際、食べ残しも全部容器に入れて持ち帰った。そして店にこう告げるのを忘れなかった。「食中毒の可能性があるので、持ち帰って検査する」と。レストラン側は万一、食中毒事件にでもなったら閉鎖されると、一人として声を上げる者はいなかった。
 救急車の中で点滴針を抜きながら、駆けつけた医者が「実は私も金がなかったから、こうするしかなかったのさ。救急車を無断に使ってしまったが、持ち帰った料理を夜勤の人たちの夜食にすれば、誰も文句は言わないだろう」と言った。

 これに類した「話」には事欠かない。
 例えば、インフレの進行が早く、物価の上昇はうなぎ上り。民衆の不満が噴出するや政府はようやく鉄道などの運賃値下げに踏み切った。しかし値下げ幅があまりに少なかった。すると、「長江(5,000キロメートルを超える中国一長い河)にありがたいことに卵一つが割り入れられた。これで全国民が一斉に「卵スープ」が飲めることになった。めでたい! ありがたい!」という痛烈な皮肉がネット上に現われてくるのである。

 こうした「話」は中国の飲み屋での「定番話」でもある。腐敗官僚の「武勇伝」、大金持ちの「庶民ズレした生活ぶり」、特権階級の「暴力団まがいの行為」、冤罪とされた案件の担当役人を殺した事件、不公平な処遇に遭い悲惨な目にあっても泣き寝入りするしかなかなかった人たちの事等々は大衆の間で拡散し、やがて「拡散」に「誇張」が加えられ、「都市伝説」になる場合もたびたびである。
 こうした「定番話」を唾を飛ばす勢いで、テンション高く話している中国人にはその家庭状況、仕事の業種、地位、年収、年齢、経歴などに関係なく、おおよそ次のような傾向が見られる。

 1)官僚の腐敗ぶり、社会の不公平などへの不満を明快に訴えながら、実は真っ当な「憎しみ」「恨み」がなく、「真剣さ」もない。
 2)不正、悪行を罵りながら実はそうした行為を実行できる「力」への羨望がある。
 3)常に自分の身に降りかかる可能性があるにもかかわらず、「他人事」どころか「別世界」のこととして話している。

 この三つの特徴は中国人の政治や社会状況に対する姿勢であり、常に局外者の目線で見ているため、この特徴を「傍観者気質」と名付けておく。こうした気質を持つ人は野次馬と共通する点が多く、あくまで局外者として「他者」を眺めている。部外者なので「冷静さ」や「冷徹さ」を持ち、この「傍観行為」「野次馬行為」を楽しんでいる傾向さえある。これらの「重度傍観者」からは、常人には理解しにくい心理が生まれ易くなる。

 1)皮肉、風刺から嘲笑へというように、次第に批判の本質から乖離し、「辛辣さ」の追及の行き着くところは自己誇示、自己顕示である。
 例えば、エスカレーター保守要員がネジを締め忘れたため、踏み板が突然陥落し、若い母親が子どもを助けたものの自分は犠牲になってしまった事故が発生したことがあった。すると保守会社の責任の追及や現場管理責任の追及、類似エスカレーターの緊急点検の実施などより世論は、むしろ欠陥エスカレーターやエレベーターで自分の身をいかに守るかに集中していった。
 あっという間に「持っている傘で踏み板を叩いてみる」「踏み板を飛び越える」「エスカレーターの手すりに足を乗せて乗降する」といった類の多くの写真がネット上にアップされた。エスカレーターの「品質」を皮肉っているようだが、実は自分の卓抜な発想を自慢しているのである。

 2)被害者や不遇者への同情を示しながら、やがて「経済的、社会的な力がないからそうなるので、俺は大丈夫だ」という優越感が増大してくる。
 以前起きた「三鹿毒粉ミルク」事件は、多額の利益を得るために有害な材料を混ぜた「粉ミルク」を生産し、幼い命を奪い、多くの赤ちゃんに後遺症を残してしまった。その時、中国人の間では「三鹿粉ミルクは安物、貧乏人が飲む物。貧しい人は可哀想」といった声がいたるところから聞こえてきていた。そして「裕福な」中国人は海外で粉ミルクを買い漁るようになり、やがては高価な海外の粉ミルクを持ち帰れることが自慢材料にもなっていった。

 つまり、強権による抑圧や社会的な不公平を被ったとき、一致団結して対抗すべきなのに、直接被害が及ばない数多くの中国人は涼しい顔をして「傍観者」に回り、さらには自分よりも立場の弱い人を眺めて優越感さえ味わってしまうのである。
 この「優越感気質」も中国人的思考の一つである。周りの人間と比較しがちで、比較することで「優越性」を見いだし、それを一種の「幸福感」ないしは「達成感」として享受する。

 「傍観者気質」と「優越感気質」が鮮明なのは北京を中心とした「空気汚染」への反応である。

 1)北京の空気汚染が話題になり始めると、他地域の人たちは「北京の空気の悪さ」で北京の人たちを揶揄した。一方、北京市民は「人間の住むところじゃない」と言いながら、中国の首都というプライドから「揶揄」も意に介さなかった。

 2)汚染が深刻化し、食品偽造や衛生問題が重なっても、政府高官や富裕層には関係ない。なぜなら海外から高価だが安全な食べ物を買えばいい。水質汚染が起きても生活用水をすべてミネラルウォーターに切り替えられる。でも空気の汚染はさすがに政府高官や富裕層もお手上げだろう。なぜなら輸入できないし、空気は吸わないわけにいかないので、政府も空気改善に取り組むという待望論が出た。

 3)ところが政府高官や富裕層には解決方法があった。彼らは家だけではなく、オフィスまで北京郊外の香山に移転させたという「噂」が巷間では囁かれ始めた。さらに遠方の空気汚染が及んでいない地域に家族で移住し、遠距離勤務する高官まで出現。そして「噂」を囁く庶民の声には「呆れる」ではなく、「諦め」「羨望」「感嘆」が込められていた。

 4)汚染が全国的に拡大し始めると、文学ジャンルでも皮肉、揶揄、批判小説が増えた。

 5)「洗肺旅行」なるものが流行し、このような旅行ができる人は優越感に浸った。シャネル、ルイヴィトン、グッチ等のブランドもの、さらにはダイヤ入りなど高価なマスクがネット上を賑わせ始めた。

 この「優越感気質」が生まれる要因は中国人の「周囲の人と比べたがる」習慣に由来する。常に周りの人に気を配り、自分と比較しようとする人は「傍観者気質」も持っている。なにやら矛盾していて、理解しにくいのだが、中国人はこの二つの「気質」を兼ね備えているのも事実である。

 中国では古代から意識面で「官」と「民」の対立があることをすでに紹介したことがある。「官」は上、「民」は下という概念はすっかり定着している。
 「民」から「官」への道は、科挙試験の受験、合格によって手に入れることができた。しかしかなりの狭き門だった。この関門が突破できたら「勝ち組」になれるが、突破できなければ「負け組み」で、「弱い」立場の世界に甘んじるしかなかった。

 「下」の世界の人間は「上」世界のことに口出しはできなかったし、関与することなどあり得なかった。そのため「上」世界の動静については傍観するしかなく、そのため「上」を変えるという意識は生まれず、「上」からの命令を黙って受け入れるしかなかった。「上」があまりにも暴虐すぎると、「下」からの武装蜂起もなかったわけではないが、歴史的に見ればそう頻繁に発生するものでもなかった。

 一方、「上」世界でも「下」世界でも、それぞれの世界で家族なり、宗族なり、個々の人間の生活交遊範囲である横のつながりがあった。中国の宗族制度がその基盤だった。
 そしてこの「親戚・血縁」に基づいた社会では、人間の力や努力では変えられない「立場」あるいは「枠組み」といったものが存在する。血縁による「長幼秩序」である。父親はいつまでも父親であり、長兄はたとえ無能でも長兄だった。かつて中国ではよくあった現象だが、自分より20、30歳も若い「母」の末弟に会うたびに跪いて叩頭しなければいけないこともあった。

 このように「上」の世界には入れず、しかも「下」の世界でも「長幼」序列を越えられない人たちは、結果として「同等」の人間と比べて、少しでも「達成感」「満足感」を得て、虚栄心を得ようとするのは自然の流れと言えるだろう。
 つまり、中国古代社会には「縦軸」と「横軸」があり、一緒に社会を支えた。「縦軸」から「傍観者気質」が生まれ、「横軸」から「優越感気質」を生まれた、と言えそうである。

 (女子大学教員)

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