【オルタ広場の視点】

中国勤務2年目はオンラインで

藤生 健

 2018年9月より中国上海の大学で教鞭を執り、日本語と日本の社会経済について教えている。最初の1年は、10年ぶりの教職だったこともあって、一から授業を構築する必要があり、悪戦苦闘していたが、2年目に入って少し余裕ができた。現地の知遇も増えてきて、学会で報告する機会にも恵まれ、ようやく「これから」という時に新型肺炎騒動と相成った。

 今回の新型コロナウイルス肺炎による初の死者が確認されたのは2020年1月11日とされているが、まさにその前日、私は1学期の授業を終えて春節休みのため日本に帰国した。1月20日には北京でも感染が確認され、同月末には中国全土の各都市で封鎖がなされ、私が上海に戻る予定だった2月半ばには、市外からの来訪者には14日間の外出禁止要請がなされ、2月末には外出禁止措置となり、3月2日には日本からの渡航者は自宅または市政府が指定した施設にて2週間の「待機措置」が採られた。私は事態を見守ったまま、東京の自宅に残っていた。

 大学の対応は早く、2月14日には1週間の休暇延長と3月2日からの全学オンライン授業開始を決定、2月16日には全教員にオンライン会議で通知と説明がなされ、学生には学生寮の閉鎖と自宅でのオンライン授業の受講が通知された。突然の決定と一方的な通知に抗議する教員もいたが、大半は「やむを得ない」と受け入れたようだ。
 とはいえ、オンライン授業開始まで2週間の準備期間しかなく、方法やツールも「走りながら考える」状態で、誰に聞いても「わからない」と言われるだけなので、教員は各自模索する他なかった。にもかかわらず、教務からは「2週間以内にオンライン用の新しいシラバスと2週間分の授業内容を準備しろ」との命令が下り、一部の現場の教員からは怨嗟の声が上がったと聞く。

 私の場合、ただでさえ教職の経験が少ない上、オンライン講義の経験など自分が行ったこともなければ、受講したことすらなく、講義形式の授業はともかく、語学の授業などどうしたものかと考え込んでしまいそうだった。幸いにして、私の語学授業の受け持ちは作文と視聴覚であったため、ITの知識も相応にあるのですぐに対応できたが、同僚の日本人教員は受け持ちが会話である上にITも得意ではないため、今でもご苦労されている。
 実際、「Blackboard」や「TronClass」といったオンライン授業用のツールについては、中国語によるオンライン説明会と中国語のマニュアルが送られてきたのみで、後日英語のマニュアルが来た程度だった。私の場合は、要領と既存の知識による推測で課題をクリアしたが、他の学校を含め、日本人教員の多くは毎晩夜半まで悪戦苦闘されていたようだ。

 試行錯誤しながらもオンライン授業に向けて準備を開始、決定から1週間後の2月21日にはオンライン授業用のツール(システム)も準備され、22日には「23日から試験運用を開始せよ」との命令が下される。私の場合、22日の通知を受け取り損ね、23日の試験運用に間に合わなかったのだが、特に叱責を受けることはなかった。中国の場合、殆どの組織がトップダウン式の権威主義に基づいて運営されており、業務に関しても事前の相談や合意などなく、一方的に指令を下してくるケースが少なくないのだが、運用自体は非常に緩やかで、軽度の違反や逸脱は見逃されることが多い。
 何はともあれ、学生の協力を得ながら、Zoom というオンライン会議用のアプリを使用して「授業ができること」を確認、学科長に報告した。この試験運用でも、書式が送られてきて、日時、参加人数、通信環境、不具合の有無などを一々記入して送り返さなければならなかった。この点も、非常に中国らしい形式主義である。自分の場合は全く問題なかったが、通信環境の不具合や技術的な問題が生じたケースも少なくなかったようだ。

 こうして本学では3月2日にオンライン授業が開始された。東京から中国全土、私の場合で言うと、上海市だけでなく、遼寧省を始め、四川省、広東省などに住む学生に向けて講義するのだから、想像しただけでも壮大な話である。まさに技術革新であろう。始まる前は、「中国全土で一斉にオンライン授業などやったら、サーバーがパンクするのではないか」などと危惧したものの、杞憂に終わり、数人の学生が通信環境の不具合で遅刻したり、断線したりした程度で済んだ。もっとも、初回は技術的な問題からオンライン会議室を開けられなかった教員も相当数いたらしい。今では中国全土で、小学生から大学生まで1億8千万人以上がオンラインで受講しているという。

 他に危惧されたことに、「スマートフォンを持っていない学生はいなさそうだが、スマホで長時間授業を受けるのは辛いのではないか」というものがあった。しかし、授業が始まって学生に聞いてみたところ、大半の学生はパソコンないしはタブレットを持っており、スマホで受講している者はごく少数だった。私の大学は、比較的裕福な家庭の子弟が多いらしいのだが、ここに来て中国全土でオンライン授業用ツール(パソコン、タブレット、Wi-Fi などの通信環境)の巨大需要が生じたという。
 一説によると、今の中国には3~4億人からの中間層がいるとされるが、「新型コロナ不況」の中で巨大な需要が生じ、その需要を満たすだけの購買力があることは注視すべきだろう。また、一部の地方自治体では、教育ツールの購入や通信費に補助金を出しているところもあるという。この辺の対応の早さや臨機応変さは、日本の政治家や官僚にも見習って欲しいところである。

 その他の問題として時差がある。日本と中国は1時間の時差しかなく、オンラインで直接授業することに全く支障は無いが、アメリカやヨーロッパに住む外国人教員などの場合、直接授業することが困難で、録画したビデオを学生が見るというケースが多いようだ。

 オンライン授業の問題としては、直接学生の顔を見て授業するわけではないため、学生が理解しているかどうかを確認する術が少ないことが挙げられる。この点は今後の課題ではあるが、今のところは致命的な問題にはなっていない。もう一つは、教室という空間的強制力が働かないため、個々人のモチベーションや集中力に依拠するところが大きく、習熟度に大きな差ができそうな気配があることだ。これは現時点での危惧に過ぎず、今後の経過を見る必要がある。学生に聞いたところでは、「オンラインの方が授業に集中できる」という者と、「ずっと自宅で勉強しているだけは辛い」という者がおり、やはり「早く学校に戻りたい」と言う学生が多数を占めている。なお、3月13日時点では、外出規制が緩和されている地方もあるようだが、多くの大都市ではまだ外出規制が有効で、厳しい場合は1世帯に1枚だけ外出許可証が付与されて、小区(居住区画)から出るには許可証を帯同しなければならないという。

 最後になるが、中国では早々にオンライン授業の導入が決定され、トップダウン方式で有無を言わさずに開始された。同時に巨大なIT需要が発生し、オンライン教育関連企業が急成長し、この1ヶ月だけで巨万の富を築いたとされる。教員はオンライン授業の習得が義務づけされ、それができない者は振るい落とされるのだろう。非常に権威主義的、開発独裁的な手法ではあるのだが、それが危機に際しては有効に機能している。そして、子どもの学習権が保障されると同時に、危機による学力低下を最小限に食い止める努力がなされている。

 他方、日本では早々に休校が宣言されたのみで、4月の新学期始業後の展望は、一部の私立学校を除いて立っていない。子どもの学習権は保障されず、学力の低下は進む一方だ。教育のIT化という技術革新のチャンスも活かそうとしていない。これでは、日中間の教育格差も経済格差も拡大する一方であり、それを確信した1ヶ月でもあった。

 (上海対外経貿大学 講師)
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