【コラム】
風と土のカルテ(68)

中村哲先生が「若月賞」受賞講演で語ったこと

色平 哲郎

 アフガニスタンで長年、医療や水源確保の事業を展開してこられた中村哲先生の死は、国際保健医療支援に携わる人びとに大きな衝撃と悲しみを与えている。

 中村先生に最初にお目にかかったのは、2000年だった。当時、私はプライマリー・ヘルスケアの手引書『Where There Is No Doctor』(デビッド・ワーナー著、1968年)の翻訳に取り組んでいた(邦題:『医者のいないところで』 国際保健協力市民の会)。世界を見渡せば、医療資源の乏しい地域で、多くの子どもや母親たちがマラリアや下痢、栄養失調、妊娠・出産の合併症やエイズなど、予防可能な病気のために生命を落としていた。

 『Where There Is No Doctor』には、そのような医者のいない地域でも可能な限り予防し、治すための方法が記述されている。すでに世界80カ国以上の言語に訳され、何百万人という途上国で働く保健ボランティアや看護師、助産師、住民自身から圧倒的な支持を集めていた。何とか日本語訳もと思い、どこへ行くにも、この本を持ち歩いていた。

 初対面の中村先生にも、本を見せて、アフガニスタンでの適用についてご意見をうかがった。中村先生は、さーっと目を通して、こうおっしゃった。

 「イラストが多いのはいいですね。ただ、このままでは難しいな。イスラーム圏で翻訳する際には工夫が必要ですね」。

 本には女性器などもしっかりイラストで描かれている。その表現の工夫に言及された。実際にアフガニスタンの人びとに溶けこんでいる中村先生らしい反応だった。

 次にお会いしたのは2002年、ペシャワール会現地代表だった中村先生が「若月賞」を受賞して、信州に来られたときだった。若月賞は、佐久総合病院の名誉院長・若月俊一先生の業績を記念して保健医療分野の「草の根」的な活動を顕彰する制度だ。中村先生は、勤務医の職をなげうって1984年にパキスタン北西辺境州ペシャワールに赴任。ハンセン病のコントロールを手始めに、無医地区山岳部での診療所や基地病院の建設に邁進された。その功績が認められ、受賞に至ったのだ。

●「まず生きていなければ病気も治せない」

 中村先生の受賞スピーチは、まさに医者のいないところで、赤ん坊から高齢者まで、あらゆる病気と向き合う実践力に満ちていた。
 (若月賞受賞記念講演「国際医療協力の18年」の内容は佐久総合病院のウェブサイトを参照 http://www.sakuhp.or.jp/ja/1212/004205.html
 戦争に翻弄され続けてきたアフガニスタンの現実をお聞きし、言葉を失う。
 そこに「とてつもない大干ばつ」が襲いかかる。飲み水がない。

 「飢餓状態になってガリガリに痩せて抵抗力が落ちる。そこでちょっとした病気で命を落とすというのが一般的な餓死の在り方です。そのために子どもの犠牲者が多かったですね」。
 「人が来なければ診療もなにもありませんし、医者がこんなことを言ってはいけませんが、病気どころではない。当たり前ですが、まず生きていなければ病気も治せない。村人を総動員して『まず清潔な飲料水の確保を』ということで、2000年の7月から井戸を掘る作業を始めました」と、中村先生は述べた。

 以来、先生は自ら重機を操って砂漠に水を引き灌漑施設を築き、荒地を緑地に変えてこられた。その業績は、NHKドキュメンタリーなどでも紹介されている。

 中村先生は、故郷福岡の「五庄屋」の偉業を生き方の参考にされたのではないだろうか。江戸時代中期、筑後川南岸一帯・江南原(こうなんばる)は水利に乏しく、干害にあえいだ。5人の庄屋が心血を注いで灌漑の道を開いた物語は、帚木蓬生氏の『水神』(新潮社)にも描かれている。

 中村先生が残された、もう1つの重要なメッセージは「戦争反対」だった。
 2001年10月13日、中村先生は、米国同時多発テロ直後の国会「国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員」に参考人で招かれている。政治家たちが米国と一緒にアフガン制裁を、と唱える中、次のように語った。

 「テロという暴力手段を防止する道に関しましても、これは暴力に対しては力で抑え込まないとだめだということが何か自明の理のように議論されておる。私たち、現地におりまして、対日感情に、いろいろ話はしませんけれども、日本に対する信頼というのは絶大なものがあるのですね。それが、軍事行為に、報復に参加することによってだめになる可能性があります」

 その後、米国はアフガニスタンに報復攻撃を行い、自衛隊はインド洋で米軍艦船に洋上補給(給油)を行った。中村先生の証言はどこまで生かされたのだろうか。戦争に巻き込まれれば、病気どころではない。改めて戦争の愚かさを痛感しつつ、合掌。

 (長野県佐久総合病院医師・『オルタ広場』編集委員)

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2019年12月27日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集部にあります。
 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201912/563675.html

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