【コラム】
中国単信(76)
乳と茶とモンゴルの奶茶文化①
昨年夏(8月)と冬(12月)、2回にわたって共同執筆者として名を記した3名によって、中国内蒙古自治区のシリンホト市を中心とする諸地域の喫茶文化の調査を実施した。この調査を踏まえて、今回を含めて数回にわたりモンゴル族の「奶茶」文化を紹介していく予定で、共同執筆として本稿を発表することにした。
イギリス紅茶に代表されるように、茶にミルクなど乳製品を入れる喫茶法は現在ではごく一般的となっている。台湾発祥で中国語では「真珠ミルクティー」(珍珠奶茶 ジェンジュ ナイチャ)と呼ばれるタピオカは日本でもブームとなっている。
乳(ミルクを代表とする各種の乳製品の全般を指す)と茶の融合は中国の唐代に遡ることができるが、唐代以前となると、乳と茶は強いライバル関係にあった。
中国喫茶文化史上、乳と茶の最初の接触は、楊衒之の『洛陽伽藍記』に「酪奴」の逸話として残されている。
王肅(464~501)は初め南斉に仕え、秘書丞にまでなったが、父や兄弟が南斉の武帝に殺されたのを怨み、北魏に帰順した。王肅は博学多識で文才もあり、皇帝の寵愛を受け、尚書令となった。その王肅が北魏に帰順したばかりのころ、まだ羊肉や酪漿(液体の乳製品)など北方風の食べ物が食べられず、いつもフナの羹を食べ、茶ばかり飲んでいた。京師(洛陽のこと)の士人たちは王肅が一度に一斗(約四リットル)の茶を飲み干すのを見て、「漏巵」――「底なし茶碗」というあだ名をつけた。
数年して王肅が高祖(北魏の孝文帝のこと)と宮廷で会食した時、羊肉や酪粥を大いに食べ、飲んだ。高祖は不思議に思い、王肅に「中国の食べ物のなかで、羊肉はフナの羹と比べてどうか。茶は酪漿と比べてどうか」と尋ねた。王肅は「羊は陸産の食物のなかで最高のものであり、フナは水産の食物の筆頭である。好みの違いはあるが、どちらも極上の味で、珍味と言える。どうしても比べてみたいなら、羊は春秋戦国時代の「斉」や「魯」のような大国、魚は「邾」や「莒」のような小国のようなものである。ただ茶は一番無用なもので、酪漿の奴隷に過ぎない」と答えた。高祖はそれを聞いて、大笑いした。
その場にいた彭城王・元勰はさらに王肅に「あなたが斉や魯の大国を重んじず、邾や莒のような小国を好むのはなぜなのか」と聞いた。王肅は「それは私の故郷の最高の美味のため、どうしても好きになる」と答えた。すると元勰は「それでは明日、私のところに来てください。私はあなたが好きな「邾莒の食」の宴席を設け、「酪奴」も用意する」と言った。
この逸話の「茶は酪漿の奴隷に過ぎない」から、「酪奴」(酪漿の奴隷)が茶の異名となり、後世の茶人の間で言われるようになった。ここからは当時、喫茶文化は北方にまで浸透しておらず、茶は南方の代表的な飲み物で、北方のそれは酪漿だったことがわかる。
しかし、喫茶文化が全国に広がり、北方でも茶がよく飲まれるようになった唐代では、乳と茶は次第に融合を始めたことが、下記二首の唐詩から読み取れる。
その一、李泌の“句”(詩の大部が散逸したがこの句だけ残った)
旋沫翻成碧玉池, 転回している沫が涌きあがり、碧玉の池を成している、
添酥散出琉璃眼。 酥を添加し、広がって琉璃眼が出る。
一句目は点茶をする際、茶碗の中の様子を描写するもので、分かりやすいが、二句目の「琉璃眼」はすこし分かりにくい。「酥」とは乳製品の一種で「バター」のことで、今でも中国内蒙古自治区のモンゴル族の人々の間では茶の湯に入れる添加物として愛用されている。
以下は調査旅行で写した写真だが、「酥」を入れた茶の湯の「琉璃眼」という唐代茶人の造語が理解できるだろう。
(琉璃眼)
その二、白居易「晚起」
……
融雪煎香茗, 雪を融かして香茗を煎じ、
调酥煮乳糜。 酥を調和し、乳の粥を煮る。
慵馋还自哂, のんびりの食いしん坊がまた自嘲するが、
快活亦谁知。 この楽しさを知る人はいるだろうか。
……
この二首の唐代の茶詩はともに茶の湯に「酥」を入れていたことを教えてくれている。ただし、唐代茶詩総数616首のうち、乳と茶の融合に関する詩はこの二首のみで、唐代の喫茶法としては例外的であったことがわかる。
唐代以降、宋代・元代、そして現代に至るも、茶の湯に入れる乳製品の種類こそ増えてはいるが、乳製品を入れる喫茶法は全国的には非主流である。しかし、一部の民族、あるいは一部の地域では、乳製品を入れる喫茶法こそ主流であり、独自の「奶(中国語で乳という意味)茶文化」を形成してきた。その代表格がモンゴル族の「奶茶」である。
●モンゴル「奶茶」の基本作法。
(1)お湯を沸かす。
(炊飯と兼用の大きい鍋を使う)
(天然乾燥した牛糞は燃料としてよく使われ、しかも無臭、燃えやすい)
(2)茶を入れる。
現在、中国の内蒙古自治区のモンゴル人家庭でよく使われている茶は「磚茶」という黒茶の固形茶である。ちなみに同じく黒茶の固形茶の雲南地域のプーアル茶は丸い形が多いが、モンゴルの磚茶は四角が一般的である。
(「川」の字が入った銘柄の磚茶がもっとも好まれる)
かつては茶を砕いて、鍋に入れて煮込んだが、現在は「茶包」という袋に砕いた茶を入れて鍋で煮込むのが流行している。茶かすを濾過する手間が省けるからだ。
(繰り返して使うので元々白い茶包がすっかり茶色になっている)
(3)茶の湯の色をチェックする。
大きな金属製のお玉杓子で沸騰している茶の湯を数十センチ掬い上げて落とす。数回繰り返して、茶の湯の色をチェックする。味を決める最も重要な手順だと言う。
(チェックの基準は母から娘へ継承され、家庭の味を決める一番のポイントだそうだ)
(4)奶(牛乳)を加える。
今でも遊牧を生業とする遊牧民が用いる牛乳はもちろん自家製である。ただし、搾りたてに拘ることはないようで、前日ないし数日前のものでもよいようだ。
(左側は前日のもので、右側は当日のもの。筆者たちが訪問した時、使われたのは前日のものだった)
(5)塩を加える。
茶の湯に入れる塩の量はかなり多い。しかも、飲む時、自分の好みに合わせてさらに塩を入れる人もいる。モンゴル茶は「奶茶」ではなく、「塩奶茶」と呼ぶべきかもしれない。
一方、中国の内蒙古自治区の東部では塩ではなく、砂糖を入れる地域もあるようだ。
(主婦が塩の量を調整している)
(6)再度、茶の湯の色をチェックする。
今度は茶と牛乳の融合具合をチェックする。
(攪拌しながら茶の湯を掬い上げて落
とす作業で最後の仕上げを行う)
(7)完成。
できあがった奶茶をヤカン、そして魔法瓶に移して保存し、飲む時、茶碗に注いで飲む。
(作りたてのモンゴル奶茶) (優雅さや厳格な作法はないものの、生
活感の溢れるモンゴル奶茶)
(趙慶春:大学教員/ウリジバヤル:大学教員/常宏:大学非常勤講師)
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